はてなキーワード: 平等とは
80年代後半の場合は,消費者物価及び賃金がほぼ横ばいないし緩やかな上昇に止まっていたため,これらと株価,地価との格差がかなり拡大し,そうした状況が87年から90年にかけ4年間も継続した。最近においても地価については依然としてかい離したままの状態が続いている。
資産インフレが進行すると,「持てる者はますます持つようになる」という形で資産の分配が不平等化するのは,ほぼ自明である。それは,①高所得者層ほど資産の保有ストックが大きく,②その保有資産の価値が資産インフレによって上昇するからである。
それまでは勤労者は年収の5倍程度で東京の通勤圏で標準的な住宅を取得できたのが,88年から91年にかけては住宅価格の年収比が7~8倍程度にまで跳ね上がってしまった。
https://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je93/wp-je93-00203.html
今やってるからといって話に関連のないものを挙げるのはおかしいことはわかるよな?
婚活のアプローチとスポーツのアプローチ(つかこの場合なんのアプローチする前提なんだよ?)を一緒くたにされても
平等もクソも、男は子ども産めないから平等にできないし、ある程度譲歩せなしゃーないところやって始まりなのに、君は会話の前提を何も理解できてないんだな
能力主義に基づく差別を容認する考え方は、実際には深刻な問題をはらんでいます。
能力主義は一見公平に見えますが、以下のような重大な欠陥があります:
高学歴のエリートは、学歴の低い人々に対して強い偏見を持つ傾向があります[3]。これは他の差別と同様に不当なものですが、能力主義の名の下に正当化されがちです。
能力主義は個人の責任を過度に強調し、社会経済的背景など構造的な要因を軽視します[3]。教育機会の不平等など、能力発揮以前の問題を見落とす危険があります。
能力主義イデオロギーは、既存の不平等を正当化し、批判を弱める効果があります[3]。これにより、本来是正されるべき差別が温存されてしまいます。
能力主義を無批判に受け入れるのではなく、その限界を認識し、より包括的で公正な評価基準を模索することが求められています。差別のない社会の実現には、私たち一人一人が自らの偏見に向き合い、社会構造にも目を向ける必要があるのです。
Citations:
[1] https://www.hurights.or.jp/japan/eventreport/2023/10/post.html
[2] https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_7/pdf/s2.pdf
[3] https://www.hayakawabooks.com/n/n2c36e7aad3a2?gs=663eaa9672d3
[4] https://www.city.isumi.lg.jp/material/files/group/17/danjyokyodousannkakupurann.pdf
[5] https://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se29/29-08hotta.pdf
[6] https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/ywbg1/chapter8.html
その手の人間は差別が何なのか、差別の何が悪いのかを理解していない。根本的に平等というものをわかっていない。可哀想と思えない人間に何をしても差別にならないと本気で思っているんだろう。
むかし、安倍派一強以前の他派閥による党内民主主義時代はリベラル色もあったけど、今は大体保守派アピールして政策も大体それに準じてるし。(政権維持や経済問題のためにジェンダー平等をやってた安倍晋三を持ち出す人いるけど、あの人統一系組織でそういう思想の台頭を危惧する演説をした人だし)
ネトウヨがいう「自民党はリベラル」は「自分が右翼だから自民党もリベラルに見える」という「右でも左でもない愛国的な日本人」だし
馬鹿はとりあえず当てつけで野党攻撃したいからわかりもしないのに自民党はリベラルとどっかで聞きかじった話をするだけで。
別に自民党も「自民党がリベラルではない」といっても怒らないくらいの自覚はあると思うんだが、ネットの政治論はタコツボ化とバカと老害のコピペの真偽やフェイクり受ける内容が正義であり正解で真面目な議論より手軽な吊し上げが好まれるもんだから、ほんと頭が悪い主張が当然の正解みたいな顔して歩いてるよなと棘のまとめをみて思ったりした
>今は平等化が進んだので女性も経済力を求められるようになってよかった
女側の観点だとそうなのかもしれない
それをやっても結婚や妊娠出産の問題は解決しないので社会全体が不幸になるか若い時に結婚できなかった女側が不幸になるかじゃない?
20歳の男が経済力がなくて結婚できなくても努力して40歳になって経済力を獲得し結婚できるようになる余地はある。そして妻が妊娠出産適齢期なら子供を獲得できる。(生まれてくる子供のダウン症リスクは上がる)
20歳の女が経済力がなくて結婚できなくて努力して40歳になって経済力を獲得し結婚できるようになったとしてもその頃には妊娠出産が難しくて子供を獲得できる望みはかなり薄い。
そういうことを考えると、女はとにかくいいから20代のうちに結婚して妊娠出産した方がいい。
卵子は年齢に応じて劣化するので若いうちに卵子を大量に冷凍保存しないと妊娠しにくくなる。
どう考えても男女の人生を対比した時に女側の結婚適齢期や妊娠出産適齢期の猶予期間がネックになる。
現実に即した形で考えると、20代のうちに結婚妊娠出産し、相手側の男に求めるのは経済力であり年齢差は10歳20歳ぐらいまではしょうがないという形式が妥当だ。
男女は精神的には平等ではあるが、生物学的には平等ではなく、その観点で見ると女は男と同じようなライフスタイルや人生の過ごし方ができないため、真の平等は不可能だろう。
というか、世の中がme too運動やらなんやらでジェンダー平等に舵を切るまで、
ちょうどディズニーがジェンダー平等に舵を切って、アナ雪などが人気になるまで、
九州の人たちは、自分たちの「男尊女卑的文化」をむしろ誇りに思ってアピールしていた気がするよ。
世の中の大勢が変わってから、いろいろなところで九州差別だと言いはじめた。
息子に「九州男」という地方名を入れるような土地って九州以外にはないのではないかな。
これなんかは別にどうでもいいことだけど、有害レベルで郷土愛が強いのかもと感じることは多い。
つまり、郷土愛が強すぎるがゆえに、差別と感じるところが大きいのでは?
共産主義政党を見ていると、利益でなく理念で結束するって本当に難しいのだろうなと思う。数人であっても難しそうなのに、それが国政に出るような規模となるとさ。
人間という生き物は放っておけば利益に基づいて結束するもので、というのは集団を作ったほうが当然強いからだが、そうなると集団からこぼれた者や集団内で下位に置かれたものは苦しい状況に陥ってしまう。
それを是正しようとして、平等で不可侵な「個人」を中心に据えた集団を作ろうとすると、今度は結束が弱まってしまう。徒党を組まなくても生きてゆけるなら、うるさいことを言う他人となんか関わらずに一人で生きていった方が良い。これは民主主義や民主主義の極限において発生すると言われる共産主義のジレンマである。自然発生する利益集団を制限すると、個人が連帯しないばらばらの砂粒に堕してしまい、共同体を組織できなくなる。利益がどうでも良くなると、理念の差異が致命的なものとなるわけだ。
では共産主義者いかに連帯すべきか。逆説的だが、結局は暴力による統制しかない、ということを歴史が証明している。「なあなあ」の連帯を廃し、思想的に団結するためには、極度に中央集権化された暴力によってそれを実現するしかない。日本共産党はこの点ではかなりましな方と思うが(死人が大量に出ているわけではない)、それゆえ一定以上の勢力を得ることもないだろうな。
Q1:果物が3つ(ぶどう、みかん、りんご)ある。これを3人に平等に分けると一人何個?
A1:3/3=1で一人一個(あるいは、果物数3=人数3 なのでを1個ずつくばれるという勘≒ヒューリスティックを使うガキもいるかも)
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A2:1/3ずつや(ガキ「えー1/3とかいみふめーだけどw」)
A2ー1:ぶどう、よく見たら9粒あるから9/3=3粒ずつ渡せ
A2ー2:みかん、うーん剥いたら12粒あったから12/3=4粒ずつ渡せ
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要件によって「果物」という抽象度で扱ったり、「ぶどう」くらいで扱ったりする。
具体度が増した時はそのドメインの知識を使え(ぶどうは離散的に生っているものが房とかいう塊で売られるとか、りんごは1個単位なので連続的な量を包丁で切っていくしかねえとか、みかんは剥いてみると離散的に生っているとか)。
要件と現実の物体を見て、算数の領域に落とし込めたらこっちの技全部当たるぞ(ガキには文章題という形で練習させられる、モデリングと呼ばれることがある手法)
女性嫌悪、過激主義として取り扱いへ 英内務省が戦略見直し - BBCニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/cevj0ywpldpo
英内務省は18日、労働党新政権による戦略見直しの一環として、過激なミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)を過激主義の一形態として取り扱うと発表した。
イヴェット・クーパー内相は、過激主義戦略の再検討を省内に求め、有害な思想がもたらす脅威への最善策を模索するよう指示した。
この分析では、女性に対する憎悪を一つの思想的な傾向として扱う。イギリス政府は、ミソジニーが一部で勢いを得ていると指摘している。
女だけの街とかさんざん馬鹿にして「建設もインフラも全部女だけでやれよ!男に頼んな!」ってギャオってたくせに、「女叩きを規制するなら男叩きも規制しないと不平等!」って、じゃあ自分でやれば?女に頼んなよ。
https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12862020971.html
っていう回答について。
「女性の方が嫌ポイントが多い」って、それは女性がわがままで自己中なだけって話だよね。
女性が自己中でいられるのは女性同士がお互いの自己中を許容しあってるだけで、そういうのが許される社会的構造の中で生きてるだけに過ぎない。
共感の生き物とか言うけど、共感は全然してなくて、「私のわがまま聞いて!」に対して「いいよ!私のわがままも聞いて!」をやってるだけ。
その実わがままを受け入れるかどうかは別で、「主張は自由。押し付けは大罪」くらいのノリでしかない。
それを共感とはよく言ったもので、行動の伴わない共感は結局誰も幸せにならない。
それに対して「男性は女性に比べて愚痴らない」のは、わがままを口にしたところで何も解決しないことを知っているから。
自己中心的な考えを口にしたところで却下されることはわかりきってるから口にしないだけ。
解決ありきの情報発信はわがままではなくて改善案であって、事態を良くしようという前提があって発信するもの。
そうすると必ず出てくる指摘が、「すべての女性/男性がそうではない。」という指摘。
何が言いたいのかと言うと、それは男女の問題ではなくて、育ってきた社会的環境の構造上の問題だろうということ。
そこにジェンダーロールが大きく関わってくることは否定しない。
男性は早くから競争力が必要な環境に置かれて、愚痴が無力であることを学ぶ機会が多い傾向にある。
女性は天真爛漫が美徳とされて、過酷な状況からはあえて距離を置くような生活を求められる傾向にある。
仮にそうしたジェンダーロールが逆に機能する環境に置かれれば、男性だって女性らしく、女性だって男性らしく育つだけのこと。
例えば平日昼間のスーパーで人の動きなんかを見てると、あまりにも秩序が崩壊していて笑えてくる。
カートは自由気ままに動き回り、通路の妨げや人の流れなんてものは一切考慮されることなく、個人が自らを常に優先する世界がある。
圧倒的に女性が多いから女性がおかしいと考えがちだが、その時間帯にいる男性もそこそこひどい。
逆に平日夕方のスーパーでは、男女問わずに秩序が守られていたりする。
それはつまり、そこは男女差というよりも、ただそういう時間帯にいる=それが許される環境にいる人間の傾向でしかなくて、外に出て仕事した経験の有無と比例して愚痴を言うより先に手を動かして結果を産まなければ生き残れない世界にいたかどうかの違いの証明でしかない。
で、何が言いたいのかと言うと、それも時代の一過性だよねということ。
戦国時代から第二次世界大戦の徴兵を経て、男は外の世界で常に結果を求められる生き方を強要されてきた。
結局はその名残のなかで生きているから未だにそうなだけで、今みたいに平和な世の中なら男性でも自己中な人間はいくらでも出てくるだろうし、そうした中で結果重視で活躍する女性が出てくればそれに続こうという女性も増える。
これからはそういった意味で男女差はなくなっていくはずで、それを先天的な性差として開き直れば、これから先も平等なんてものが成立するわけがない。
それまで生きてきた環境の中で許されてきたものが、突然許されなくなったからと、「女性はそういうものだ。認めろ。」と騒ぐではなく、認識を正しくして解決していきましょうねという話でした。