はてなキーワード: つのとは
ある晴れた日の午後、俺は公園のベンチに座って、何気なく周りを見渡していた。すると、石原ちゃんが颯爽と歩いてくるのが目に入った。彼女の歩き方はまるで風のようで、周囲の空気が一瞬で変わった。俺は思わず目を奪われ、彼女の後ろ姿に釘付けになった。
その瞬間、俺の頭の中に不思議な考えが浮かんできた。「創価に入信してもいいかもしれない」と。何故そんなことを思ったのか、自分でもよく分からない。石原ちゃんのケツが、まるで神秘的な力を持っているかのように感じられたのだ。彼女の存在が、俺の心の中の何かを揺さぶったのかもしれない。
周りの人々は、犬を散歩させたり、子供と遊んだりしている。俺はその光景を見ながら、石原ちゃんのケツを見つめ続けた。すると、ふと「信じるものは救われる」という言葉が頭に浮かんだ。俺は、何かに導かれているような気がした。
その後、俺は創価学会のことを調べ始めた。教義や活動内容、そして信者たちの熱心さに触れるうちに、ますます興味が湧いてきた。石原ちゃんのケツが、俺を新たな世界へと導いているのかもしれない。まるで、彼女が俺の運命を変える鍵を握っているかのようだった。
結局、俺はその日、公園を後にする際に、石原ちゃんに声をかける勇気を持てなかった。だが、心の中では彼女のケツを見ていたことが、俺の人生における重要な転機になると確信していた。創価に入信するかどうかは別として、少なくとも石原ちゃんの存在が、俺に新たな視点を与えてくれたのだ。
こうして、俺の思考は続いていく。石原ちゃんのケツと創価、二つの要素が、俺の心の中で奇妙に絡み合っている。果たして、これが運命なのか、ただの偶然なのか。どちらにせよ、俺の人生は少しだけ色づいた気がした。
とりあえず(都道府県) 精神 診療所協会でググって出てくるトコに頼ってはどうかと。
コンサータは管理が厳しくて処方するのがクソめんどくさいので、お役所との縁が薄いクリニックだと無駄に厳しいと思う。
診療所協会所属のお医者様はお役所との連携周りがわかってるから話が早いし変な出し渋りもしてこないよ。
もともと発達障害は診断の付けづらさで成人の発達障害は門前払い食らいがちなモンだったし、医者なら誰でも診れるとか思わん方がええよ。
あとは、子供の頃、いつの間にか居なくなるとか、いつの間にか近くに居るとか、よく怪我をしたとか、そういう不注意や衝動性を感じるエピソードを親から聞き出せてると高確率でADHDの診断取れるかと。
ねーねーいつ百日たつの?
違うよ、お前の魂レベルの醜さが面に出てるだけ
だから誰にも好かれない、暴言をお前へ吐くことに忌避感もないし良心も痛まずそれどころか正義の行いとして身が奮い立つの
お前って、「悪」なのよ
Appleはこの円安の中、きっちりと旧モデルの値下げしてきた。
しかも1万2000円も!!
M理論の幾何学を最も抽象的かつ厳密に記述するには、圏論的アプローチが不可欠でござる。
M理論の幾何学的構造は、三角圏の枠組みで捉えることができるのでござる。特に、カラビ・ヤウ多様体 X の導来圏 D⁰(Coh(X)) が中心的役割を果たすのでござる。
定義:D⁰(Coh(X)) は連接層の有界導来圏であり、以下の性質を持つのでござる:
1. 対象:連接層の複体
この圏上で、Fourier-向井変換 Φ: D⁰(Coh(X)) → D⁰(Coh(X̂)) が定義され、これがミラー対称性の数学的基礎となるのでござる。
2. 各対の対象 X,Y に対する次数付きベクトル空間 hom𝒜(X,Y)
3. 次数 2-n の演算 mₙ: hom𝒜(Xₙ₋₁,Xₙ) ⊗ ⋯ ⊗ hom𝒜(X₀,X₁) → hom𝒜(X₀,Xₙ)
これらは以下のA∞関係式を満たすのでござる:
∑ᵣ₊ₛ₊ₜ₌ₙ (-1)ʳ⁺ˢᵗ mᵣ₊₁₊ₜ(1⊗ʳ ⊗ mₛ ⊗ 1⊗ᵗ) = 0
この構造は、Fukaya圏の基礎となり、シンプレクティック幾何学とM理論を結びつけるのでござる。
M理論の完全な幾何学的記述には、高次圏論、特に(∞,1)-圏が必要でござる。
定義:(∞,1)-圏 C は以下の要素で構成されるのでござる:
2. 各対の対象 x,y に対する写像空間 MapC(x,y)(これも∞-グルーポイド)
3. 合成則 MapC(y,z) × MapC(x,y) → MapC(x,z)(これはホモトピー整合的)
この構造により、M理論における高次ゲージ変換や高次対称性を厳密に扱うことが可能になるのでござる。
M理論の幾何学は、導来代数幾何学の枠組みでより深く理解できるのでござる。
定義:導来スタック X は、以下の関手として定義されるのでござる:
X: CAlg𝔻 → sSet
ここで、CAlg𝔻 は単体的可換環の∞-圏、sSet は単体的集合の∞-圏でござる。
この枠組みにおいて、M理論のモジュライ空間は導来スタックとして記述され、その特異性や高次構造を厳密に扱うことが可能になるのでござる。
M理論の幾何学的側面は、量子コホモロジー環 QH*(X) を通じて深く理解されるのでござる。
定義:QH*(X) = H*(X) ⊗ ℂ[[q]] で、積構造は以下で与えられるのでござる:
α *q β = ∑A∈H₂(X,ℤ) (α *A β) qᴬ
ここで、*A はGromov-Witten不変量によって定義される積でござる:
α *A β = ∑γ ⟨α, β, γ∨⟩₀,₃,A γ
どうせdockernizeするならDBもフロントも全部dockernizeしようってなって遠回りしちゃってる
さらにもう一つのPJでも時間取られててあんまりこっちのPJで実働割けないし
辛い
女子大生に期待してクリックしたら、いつの日か本当にがっかりする日が来ます
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9e0331780af6c648e2e6bb4227a3f8f454bffcc
対面してるやつの動きが読めない。
俺が開けたドアに、対面のヤツがぶつかるかも知れないじゃん? 対面のやつが自身で作った導線を直進しない対面のヤツが悪いんだけど、俺が対面のヤツをドアでぶん殴る形になるよな。
https://anond.hatelabo.jp/20240909201827
そんなに仕事の話をして欲しいならば俺が少しだけ語らねばなるまい。
会社の都合でインド支部に異動になり、直面したのはこいつらマジで約束を守らないな、ということである。
遅刻は当たり前、嘘も当たり前。それがインド人だ。なんでかというとこいつらは「短期利益のためなら何でもしていい」とガチのマジで思っているからだ。
職場や学校にいたどうしてそんな下らねえ嘘つくんだよってムカつくタイプを思い出せ。それがインド人のデフォルトだ。
なんでかっつーとインドではみんながゆるゆるで事実関係の確認なるものが物理的に行えないからだ。
だから「電車が遅れた」などと言って遅刻されても、本当に電車が遅れているのか確認する術がない。
確認相手のインド人もカスだからだ。真実が霧に消えてしまう国なので、自分の見たもの以外は信じられない。それがインドとかいう地獄だ。
まあ、その辺かなりの競争社会なのもあって失点=即死みたいな文化もあるから可哀想といえば可哀想なのだが、仕事をする上では適当クソ野郎どもの集団と付き合うメリットはマジでない。
弊社もそんなインドに支部を置いたものだから現地人が上手く使えず、日本の駐在員たちが次々と精神を病んでしまい、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
余り細かい事は特定が怖いので書かないが、社会的に大変価値のある仕事である。人の命を救うことに非常に関わりの低い商品を扱う会社である。
つまり、適当野郎どもがいなければ救われた命があったというストレスにみな耐えきれなくなって心を病んでいくのだ。だからこそ、俺はその現地法人チームに規律をもたらす必要があった。
そういうのなら、増田君が適任だろ、という上司の力強い言葉は確かである。俺は規律を産むことにかけては自信があった。
まず、着任時のスタンスとして「聞かずにやるな」と「その程度のことは聞くな」二つの性質を合わせもつことにした。
インド人は基本的にその場を凌ぐためならばありとあらゆる手段を使用してくる。
だから、とにかく、部下の人格を透明にしていくのだ。混乱をもたらし、人情をもって感情を否定していって完璧なソルジャーに仕立て上げる。それが俺の役目だ。
同時に、メンヘラ人格をしっかりと作り上げ、アピールするのも重要である。
インド人は実は人情的である。非常に。なので、人前で俺は泣いた。
「みんなで俺を出世させない気なんだ!俺が嫌いなのか!俺の子供たちはもう終わりだ!」
楽勝だ。子供なんていないし妻もいないが、インド人は家族の事となるとアホになる。根源的に、家族がいないという概念を理解できない。
子供にはマジで甘い。ものすごく甘い。厳しい人が時々見せる優しさにも弱い。プリミティブな情緒で生きるカスがインド人だ(それを計算に入れて小ズルく短期利益を得ようとしてくる知能があることも忘れてはいけない)。
学校で先生がすねて教室からいなくなる、みたいな手法がやたらと効くのがインド人というみじめなアニマルである。
ただしそれだけだと舐められるので、時にマッチョを見せつけることも重要だ。
相手の価値観を破壊し、思想を破壊するためには必要なことである。Aな人間はBなはずだ、という既存概念を壊していくことで今までの人生経験を否定して人生を否定して人格を否定して、透明で使える人間に仕立て上げなければならない。
いや、人間である必要はない。虫のように美しい機能的な存在へと作り変えるのだ。
そういう意味で人間を人間たらしめる、『宗教』という共同幻想は厄介だ。
俺は宗教が嫌いだ。
そもそも思想だの心の拠り所というものが必要ない。思考だけしてくれればいいのだ。
早く人格や個性を捨てて欲しいのだ。インドの土人共の基本感覚は文字通り地球のゴミことヒンドゥーなのだが、こいつを否定するのはあまりにもコストが高い。
まあ基本的には「君の不利益って全部キミの前世のせいだよね。カスみてえな前世だな」ということをひたすら言い続けるのが有効だ。
勿論直接的には言わない。そういう感覚をくすぐるのだ。あとはカーストでプライドも、同様に「くすぐる」。
インドの会社にはカスみたいな下働きのカスども(トイレ掃除だけするやつとか、社内配送だけするカス。こいつらも自分の下の階層の人間を見下しまくっているのでまさにカス中のカスだ)と比べてお前はどうなの?というのをやるのだ。
これはかなりバランスを考えなければいけない。遠回りにやるのだ。あの人の仕事は丁寧だね(それに比べてお前は)といったように。
リボンをデスクにつけることも有効だった。俺は10個のリボンを部下に配布した。
「最低限の仕事をするたびにコイツをとる。これが全部とれたら一人前」というようにするのだ。
勿論、この制度は部下から提案があったことにする。インド人は基本的に人事評価からなにからなにまで共有する家族的な所がある。
それを壊す意味でも、疑心暗鬼を生み出しコミュニティとコミュニケーションの分断を狙っていかなければならない。
「あいつはお前を陥れようとしているぞ」というのをなぜか嫌うのだ。やつらは。常に即物的思考で他人に迷惑をかけまくっているのと矛盾しないのかと思うものだが、とにかくそういうものなのだ。
加えてプライドの高さを利用するためにもこのリボン制度は有効だった。
要は、リボンが取れてないやつはバカだ、という風潮を作るのである。そして、これはみんなの前では取ったり取らなかったりする。状況や報酬に矛盾が生じるようにする。
「あいつは俺に嘘をついているんじゃないか?」という不和を生み出すことで、横の結束を機能不全に陥らせる。
これにはまともなインド人の協力が必要不可欠だった。仮に「クリシュナ君」としよう。彼は優秀で、俺やお前達みたいな一般的な日本人の規律を多少なりとも理解できる男だった。
俺は彼と親しくすることにした。実際にクリシュナ君は仕事が大変できたので、「なんでこいつみたいにできないんだ」というポジションにつけるのにはうってつけだった。、
同時に、排斥される男も必要で、仮に「サイ君」としよう。彼は仕事はそこそこだったが、とにかく嘘をつく癖がひときわ酷かった。だから俺は彼を徹底的に弄った。
髪型を弄り、顔を弄り、趣味を弄り、学歴を否定し、業務を全て笑い物にした。そのうち、俺と一緒にみんながサイ君を笑うようになった。ゴミ共め。知能がねえからイジメなんかするんだ。
と俺は冷静だったが、とにかくそうやって家族集団の意識を、会社のチームに少しずつスライドさせる、そういう手ごたえを感じていた。
同時に成績も無事に上がり始めていた。当然だ。通常の3倍働いているのだから、業績もその分伸びる。だが、俺は個人的にはあと倍は行けるなと感じていた。
家族と飯食うとか、下らねえ趣味だとか、そういう余計な人生をやっている暇があったらもっと仕事が出来るからだ。
徹底的な監視システムも成功しつつあった。基本的にやった業務は全て写真で撮って送れ、俺は見たものしか信じない、というのを大原則にしたのだ。(これは多くの日系企業、現地企業に取り入れられた)
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
だが、混沌に秩序をもたらそうとする真実と愛の伝道師、ライトサイドの権化たる俺はこの後、ゴミカス共から、何故か思わぬ反撃を食らうこととなる。(続く)
ある程度の年齢の人は共産党って響きに嫌悪感を持つのもわかるけど、中国やソ連や赤軍とかの左派とは別物?なのに叩かれたり嫌われたりする理由がよく分からん。
弱者を救うって宣言して行動してるのここくらいじゃん?(生活保護受給の手助けとか、例のコラボと仲がいい?のも弱者対策の一環だと思うんだけど)何でそれがダメなの?
フェミの人達は割と共産党支持してる人多いけど男性も自分で弱者男性って言うくらいなら共産党に助けて貰えばよくない??
長男は、妻にどんなに怒られても、打たれても、引き下がらない。
一対一の試合で、絶対勝てない相手(ハンゾー)が、これからお前の脚を切る。嫌なら降参しろと言うシーンでゴンは
「脚を切られちゃうのは嫌だ!でも降参するのは嫌だ!」と立場を無視して堂々と言うのだけど、長男の態度は常にそれ。
どんなに怒鳴られても、打たれても一歩も引かない。
ゴンの対戦のあと、ハンゾーはこういう
「どんな奴でも痛めつけられた相手を見る目には負の光が宿るもんだ 。
目に映る憎しみや恨みの光ってのは訓練してもなかなかかくせるもんじゃねー 。
しかしゴンの目にはそれがなかった 信じられるか?腕を折られた直後なのによ。
長男もそれ。
次男は逆。
次男はしょっちゅう怒り、モノを蹴ったり投げたり怒鳴ったりする。
「酒が不味くなった」と暴れるキャバクラの面倒くさい客みたいだ。
一つでも気に食わないところがあると、謝っても解決してもキレ続ける。なにがしたいのかとか、どうしたいのかすっかり忘れてしまってる。
妻は次男のほうが楽だと言う。
赤の他人に対しても「子供がやることはどんな迷惑なことでも全て受け入れろ」って子供を神様だと思って原理主義的な思想を押しつけてくるやつマジでなんなん?
騒音が酷いと伝えると「子供が騒音を出すのは当然だろ」とか言ってくるので「子供が騒音を出すのが当然だとわかっているなら出さないように対処しろよ」と言い返すとキレ始めるから手に負えない。
日本という「子供を作ることを強制されていない」国で、あえて人に迷惑をかけるとわかっている生き物を意図的に所有して迷惑をかけ続けるの普通に考えておかしいだろ。
世界人口も80億人超えて人口問題が深刻なのにホイホイ子供なんて持つの理解不能。
俺含めて人類は全員居なくなるべき。
🐊「グフフッ・・」
🐊「バルジの大渦の中で生命を賭して生み出したこのオレの新必殺技が・・」
🐊「むうううんっ!!!💪」
🐊「かあああああーーーーーーーっ!!!!」
🐊「獣王激烈掌!!!!🌀🌀」
万能交換チケットとしての金は大好きだけど資本としての金に魅力を感じない。労働も当然嫌いなので金持ちになれない。
金持ちほど浪費をしないみたいな話聞くと、それもう金持ちである意味がないじゃんって思う。貧乏人は金遣いが荒いってのはともかく。
豪邸住んで好きなものに囲まれて、金で実現出来る事を沢山やれる金持ちは普通に羨ましいね〜〜って思う。ユニクロ着て特に金を注ぎ込む趣味もありませんみたいなのって、そこまで金稼がなくていいじゃんって思う。意識して稼がない道理もないけど。
浪費とか虚しいよ、とか言われても全然共感出来ない。金を好き放題使うのに飽きる体験をしてないから。ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたのもボンボンだったからだと思ってる。
飽きすらせず最初からそう思ってる類の人間こそが金持ちの素質があるというのなら、ますます無意味な素質じゃんと思う。
いやまあ金の不安に晒されるストレスからの脱却だとか、子孫に楽をさせられる満足感とかはあるんだろうけど。
そもそも金を稼ぐことそのものが快感なのかもしれないし、それなら幸せなのかなとも思う。
資本主義の精神とか言うけど、プロテスタント的な救済がどうのみたいな理屈は全然関係ない気がする。単に人間はクッキークリッカー的な増殖や貯蔵が好きなのかもしれない。
喜びを拾い集めるのが人生なら、別にギター弾いて気持ちよくなるのもサッカーやって気持ちよくなるのも変わらんし。パチ打つのも絵を見て本を読んで子育てして気持ちよくなるのも変わらんし。
欲望の種類なんてただの言葉でしかないし、努力の果ての自己実現の喜びはコンビニで買える喜びに勝るだなんて神様に確認を取った訳でもない。
趣味ついでに、健康状態が良くなったり金が増えたりとおまけがあったら得した気分だろうけど、ハナからおまけ目当てで趣味を考えるのは無粋で嫌いだねあたしは。