はてなキーワード: あしながおじさんとは
推しが童貞ネタを言わなくなったのはいつからだっただろう。昨年は言っていた気がする。別に、それが楽しみだった訳ではない。
好きな女の子のタイプや恋愛観なんてものを自ら口に出すようになった。
休みは家にいると宣言していた彼が、最近はよく友人と遊びに行くようにしていると言う。
仕事が恋人だ、結婚は来世……なんてことも言わなくなってしまった。
整った顔をしているし、魅力がたくさんある。才能も努力もある。
そんな彼に恋人がいないなんておかしな話だ、ましてや童貞なんて嘘に決まってる。友人からそう言われるし、私だって「そうなんだろうな」と冷めた目で見る自分もいるのだ。
ただ、「そんなことない、彼は特別!ファンを思って彼女なんて作らない!仕事が恋人だって言ってた!」という夢を見てる自分がいる。
頭ではわかっているのに、胸が苦しい。
接触イベントも少ない、出待ちも禁止、どれだけ参加しても自分が覚えられているかの自信だってない。覚えられたいのかと言われればどちらとも言い難い。
彼女になりたいのか?の問いには「滅相も無い」と答える。
それなのに、彼が誰かのものになるのに耐えられない自分がいる。
今まで彼が紡いだ「僕とファンのラブソング」が「僕と彼女のラブソング」になってしまうことが耐えられない。
「君」や「あなた」が特別な誰かになってしまうことが(もしかしたらもうなっているのかもしれない)
よく俗に言うカノバレを起こす場合、「カノバレをするような女と付き合わなければいい」と言う人がいる。私もそう思っていた。
裏でやってくれれば、夢を見させていてくれるのならそれでいいと。
本当にそうなのか。夢を見させてくれているのは変わらないのに粗探しをしているのは私自身ではないか。
勝手に点と点を線にしようとしているのは自分なのに、自分の妄想で自分を傷つけることをやめられない。
本当のあしながおじさんは、恋人ができたって喜ばしい感情が出るだろう。結婚も祝福するんだろう。
でも、何故だろう、私は喜べないんだ。
彼はもう30歳。
この業界、実は結婚してました。または、かねてから同棲してました、なんてことがよくある。
隠してほしいと思うのに、一番に報告してほしいとも思う、厄介だなあと我ながらに思った。
メモアプリに「結婚を発表した時になんてツイートするか」を決めて保存してある。
万が一(という言葉を使わせてもらう)彼が結婚を発表した時にはどんなに泣いても、喚いても、エゴサをする彼を悲しませたくはないから。
彼が幸せになることを祈っているのに、その幸せに自分が関われないことが悲しいのかな。と自己分析もしてみた。
でも、近々何かがある気がする。全てが全てただの気のせいであればいいな。
私はアイドルが嫌いだ。
というと語弊がある。
そういう文化があり、享受する人がいることを認めているし、頑張っている本人たちはとても素晴らしいことだと思う。
それでもやはりアイドルファンというか、アイドルオタクの方々には申し訳ないが私は嫌いだ。
いきなり自分の価値観の押し付けになってしまうようで心苦しいが、それでも言いたいので言わせてもらう。
音楽を聞く際、私は基本的に歌詞やメロディー、アーティストの歌唱力を見る。
そのどれか一つでも素晴らしく、自分の感性に響けば、私はそのアーティストを好きになり、CDを買う。
そういう過程があってからアーティスト本人に興味がわき、人となりを見たくなる。
しかし、世間および自分の周りにも数多いるアイドル好きの方々に関してはそうではない(と私には見えて)ようで違和感を覚える。
もちろん、「アイドル」という売り出し方法である以上顔は大事であるし、言ってしまえばそれが大半を占めているのもわかる。
しかし、顔の可愛さかっこよさで判断して、応援して、好きになる、というのがとてもとても理解できないのだ。
極端に言ってしまえば、それは「性別」、性を全面に出したところからの判断であり、風俗と売り出し方としては何も変わらないような気はしている。
やれ歌詞がいい、曲がいい。
楽曲自体はたしかにそうなのかもしれないが、結局はそのかわいいかっこいい人達が歌っているから好きなのであろう?
正当な評価ではなく少し捻れた好意なんだろう?といつも問いただしたくなる。
そしてそれを実際に問うてみれば、自分の感情を抜きにしても好きだとまで言う。
嘘をつくでないよ。
「じゃあその人が男(女)であっても、あるいは見た目が好みでなくてもそう言えるの?」と聞くと
たいていは黙ってしまうか、「それはアイドルというものではなくなるから別問題だ」と言われる。
私の理解が足りないのか、私の心が汚れているからなのか、理解できない。
かわいいかっこいい人を好きになるのなら現実で恋愛をすればいい。
それがかなわぬゆえ疑似恋愛をしたいのなら風俗やホストに行けばいい。体の関係にだってなれる。
でもファンの方々は(一部は違うだろうけど)性的接触や恋愛を求めていないというのだ。
自分好みの容姿をしていて、頑張っているその人を純粋に応援したい。恋愛感情ではないが本当に好きなんだと。
これはとても難しい。
本当に好きならその人のすべてが欲しくなる。でもその好きは恋愛感情になってしまう。
歴史上の偉人のように、尊敬しあこがれを抱くような好きでもない。
アーティストのようにその人の作品が好きでというわけでもない。
その人本人を好きなのに恋愛ではない。しかも見返りも求めずただ金をつぎ込む。
ここまでならまぁ百歩譲って理解できるとしよう。
理解できないのは、それが一人ではないということだ。
同時に他の人を好きになっていることもあるし、ある程度旬が過ぎたらもっと若い子に移っていく。
お前の好きは何だったんだと。
アレだけ騒いでいてもう次かよと。
まあ…これは「アイドル」を商品として消費して売りさばいている今の日本の業界も悪いところはあるとは思うのだが
それを受け入れる大衆も、受け入れざるをえない演者も、責任があるというような気がする。
私は何を言いたかったのかまったく自分でもわからない…ただただ思いついたものを文章にしたら支離滅裂になってしまった。
人に誇れるような人生でもなければ、その人生で学んできたこともない。
彼女もいたことがない。声をかけても良い雰囲気にすら至らない。
作れたとしてそれで嬉しいだろうか。
諦めろ俺。
やる気を出すな俺。
女の子を遠目で見るだけで良いじゃないか。
彼女たちがそばを通り過ぎた時の残り香を楽しむだけで良いじゃないか。
あしながおじさんという道もあるじゃないか。
両親だっていつか俺の縁談を諦めるじゃないか。
最近は仲間も多くなってきてるらしいじゃないか。
よし俺は諦められる。
俺こそは諦められる者だ。
頑張れ俺。
頑張らないことを頑張れ俺。
負けるな俺。
負けることに負けるな俺。
そう信じろ俺。
『良い子の諸君!徹夜で頑張ったと言うのは、上司が進捗管理できない無能だと表明したい時だけにするんだぞ!でなければ無能なのはキミだ!』(四次元殺法コンビの口調で)
StudyGiftには、問題があった。
また、悪影響があった。
徹夜でなんか作ったこと。というとミもフタもないので、それぞれ解説する。
最初に言っておくと「かの女性」の為にお金を集めるサービスとしては成功しているし、ゴールも手法も明確だ。
卒業のために大学に払う金が欲しい→いくらいる?→クラウドならPayPalで集めるか→PayPal寄付駄目だから対価作ろう→個人だけじゃなくて企業窓口も
そして成功している。目標金額以上に集まったし、企業応募も多数、炎上マーケティングとして大成功。
当たり前だが、嘘をついて金を集めたらたいてい詐欺になる。
(詐欺罪の要件は結構面倒で「詐欺→錯誤→財物処分→財物移転」が必要になる)
そして、寄付する側にとって「間違ってました」や「誤りがありました」は結構致命的な事だ。
内縁の夫婦が、ITファウンダを騙してWebサービスからまんまと集金する。
その心の内は誰にも判らないから、行動で判断するしかない。どう判断されるだろうか?
じゃ、なにがいかんのか。
普通に考えたら、集めたお金をどうするかは検討されててしかるべきだ。
学費が足りない。じゃあいくら?
余った金は誰が管理する?誰が取り出せるようにする?どのタイミングで?
奨学対象者が逃げたらどうする?返金要求されたらどうやって返す?返さない?
学費支援をするにあたって、考えておくことはそこそこはあるがそこまで多くない。
大学に授業料の払い込みも終わった後に、何のリターンもせずに奨学対象者が逃げたとする。
で、その個人が50万円の返金を求めたときに、拒めるのか?その根拠があるのか?
利用規約では『支援者と起案者との間で解決』することになっている。
金を集めたその責は、起案者=奨学対象者が負うことになっている。
負いきれるのか?
さて、情報があいまいで、金の流れも不透明(というか考えてなかった)、ではさらに何が不味かったか。
学費支援プラットフォームを謳うのであれば、最低でも「プラットフォーム」の体裁だけは整えておくべきだった。
indexに直接書くのではなくて、/woman1/に書くだけでも違ったはずだ。
『今後、かの女性以外のたくさんの学生を支援出来る。』と思っているはずなのに、
その学生をどうやって支援するのか考えていない、もしくは、考えているように見えなかった。
どうやって学生を集め、どうやって寄付を募り、寄付者側はどうやって選ぶのか。
そのプラットフォームは学生をどう守り、どう学業を支援するのか、どうやって卒業までフォローするのか。
何も見えてこない。何の仕組みもそこにはあるように見えない。
CGMサービスを作りました!と言って、HTML1枚だけが納品されたら、たぶん怒ったり呆れるんじゃなくてミスを疑うだろう。
まあ、諸々のことが徹夜の頭で朦朧としていたから気がつかなかった、という事にしておこう。
じゃあ、プラットフォームが無いこと以上に悪いこととは?
どうやって選んだ?どうやって選ぶ?
選考対象者は他の支援を受けられないのか?奨学金をもらっていないと証明した?
今流行の三親等以内の支援は、不問とするのか?
学業が出来なくても良い?
『個性を全面に出し、全力でアピールする事で支援を集める。』という理念は示された。
誰に対してどうアピールすれば良いのか。
どうやら、全力でアピールするとは、Livertyスタッフに対してらしい。
個性を前面に出すというのは、SNSで注目されることだったりするようだ。
そして、次に採用されなかった誰かは『Livertyスタッフへの付け届けが少なかった』と思うんじゃないか?
ま、それは私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れないが。
さて、先ほどの『私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れない』というのは嘘だ。
非常に問題のある言いぐさだ。謝罪しよう。ごめんなさい。本当に申し訳ありません。
なぜならば、それは既存の奨学金制度にツバを吐きかける行為だからだ。
それと同じ事をStudyGiftはした。
JASSOのような奨学金は、申し込み資格も、学力水準も、家計水準も詳らかにされている。
もちろん既存の奨学金には問題点も多い。単なる学生ローンだとか、踏み倒すヤツがいるとか。
でも、それで学校に行けている人が大勢いることも確かだ。
明確な基準で。
JASSOは1兆円規模の予算を誇る。つまり、知り合いに奨学金利用者が居る可能性はとても高い。
だからまあ、奨学金利用に関して誤った情報は、すぐに正されるだろう。
でも、今後クラウドで似たようなことをするときには、最初から色眼鏡で見られる。
もっともっと隙無く、もっともっと完璧を求められ、多くの制限が付けられる。
当たり前に出来ていなければならないことだけではなく、さらに多く。
でも、それぐらいで良いのかも知れない。
そう。
親族が居るだろう。知り合いが居るだろう。
過去、悪評は消えた。人の噂も七十五日、同窓会に出なければ悪行はバレない。
人は80年から生きる。後、60年近く残っているのだ。今までの時間の3倍だ。
誰もがその名前と、その顔と、やったことを探せる。
経歴とは、誇りであり、呪いでもある。
今回の「炎上」は、どうだ?
かの女性の誇りか?
本当に?
でも、お金は常に足りない。1兆円でも足りない。
誰もが納得する使い方などきっと無い。
でも、そうあろうとすることは出来る。
5月17日にリリースしたのはなぜだろう。それが6月17日でいけなかった理由は?
徹夜をせずに、一ヶ月リリース日を延ばす決断が、なぜ出来なかったのか。
JASSOにヒアリングに行き、大学に相談をしただろうか?なぜ出来なかったのか。
周りの「大人達」は、理念に共感しお金を出す前に、ほんの少しでも考えられなかっただろうか。
これはもしかして、必死に大道芸を披露する学童の目の前の道路に、コインを投げる行為じゃないのか?
欲しいんだろ。もっと面白くアピールしてくれよ。おお、良くできたな。ほら、拾えよ。
なんだよ、ほしがってるガキが居て俺が金を出すのがいけないってことか?
子供が思慮深くないのは、愚かだからじゃない。経験が無く、若いからだ。
でも、その若さが今後の一生を毀損すると思ったら、止めるのが「大人」じゃないのか?
逆に考えよう。
誰なら良かったのか。
Webの世界で有名人でなければならない、というわけではないと僕は思う。
人を惹きつけられるストーリーさえ用意できれば。
本当に学費が必要な人に、という建前を重視するなら、お金がない優秀な学生というところなんだろうけども、どういうストーリーを用意しようかね。
ただし、綺麗な貧困って滅多にないように思う。
パチンカスがダメなんてのは言うまでもなく、学費を払えない理由が「親と仲が悪いから学費を払って貰えない」というのも無理である。
家庭が貧しい、というのがまあ妥当なところだけれども、生活保護だったりすると話が違う。
在日外国人だったりすると話が違うし、部落と関わってるとまた話が違うし、創価と関わってたり、きな臭い商売に関わってるとまた話が違う。
叩いてもホコリが出ない、心は清いただただ貧しい家庭、でないとならないわけで。
また、優秀な学生というのはどういう人ならよいのだろう?
と言う人がいたとする。
実現可能かどうかはとにかく、心意気だけを買ってくれ!
じゃあ、どうやってと聞かれて、学生が答えられるか?
まあまず無理だな。
一人で考えついて一人で立ち上げた研究だとしたら、それでもやっぱり無理だな。
そんな秘蔵のアイディア、webなんかで公開できるわけがない。
これからどうしたいじゃなくて、実績アピールというのが無難なところかと思うんだが、そうすると、たとえば、こういう子か?
Ruby開発の新メンバーは14歳の中学生!「起きてる時間はずっとPCに向かっていますよ^^」
http://chitekizaisan.blog28.fc2.com/blog-entry-2648.html
でもね、こういう子が自分を見世物にしてまで支援を必要とするか?
俺が思うに、studygiftで売り物に出来るPRポイントは、人間的な魅力(性的な魅力も含めて)しかないよ。
キャバクラ嬢に金を落とすのと一緒だ。
「辛かったんだね。応援するよ」
ってのとなにが違う?
客が嘘とわかってて金を出すなら、なにが悪い?
坂口綾優がもう一度お金を集めれば、studygiftはそういうものだと認知されるだろう。
そうすれば、もうなにも問題がなくなる。
擬似恋愛を楽しむ場所と割りきってキャバクラにお金を落とすように、あしながおじさんごっこを楽しむものとして認知され、嘘があろうがなかろうが、システムとして問題はない。
キャバ嬢だったら店を辞めてケータイを解約すれば、過去は忘却の彼方。
でも、クラウドファンディングは違う。
開き直って図太く生きろって言ってやりたい。
家入一真さんの例の件で願うことなど
隊長が白い。驚きの白さ。最近は白い隊長を見る機会が増えてきたような気がします。
もう一点だけ勝手ながら重要な点を付け加えさせてもらいたいです。ちょっと悲しい話です。
親を亡くした子供への支援は昔から行われてきて、最も早くそのノウハウが蓄積されたのはイギリスなわけですが、昔々それも第一次世界大戦とかその頃はいわゆる足長おじさんが直接子供に接して支援した頃がありました。ジーンウェブスターが1910年代に発表して大ブームを巻き起こした小説「あしながおじさん」は当時最も社会的に成熟していたイギリスの資産家の間で流行の兆しを見せていた私財による学童支援を参考に書かれたと言われています。
さて、現在では支援者が直接子供に接して支援することは(少なくとも先進国の間では)ほどんど無くなりました。なぜでしょうか。
ハラスメント、それも性的なハラスメントの問題があるからです。
つまり足長おじさんという立場を利用して、資産家が幼い子供の体を弄ぶような状況が常態化してしまった時代があったのです。今も昔も成熟した性ならばお金で買う事は(ある程度)認められていますが、未成熟な性はお金をいくら出しても手に入れる事はできません。それは絶対に許されない事です。
しかし足長おじさんという名目で資産家にとってみればタダみたいなお金でそれを手に入れることが出来てしまったわけです。それを回避する為に「支援者と被支援者の間にはワンクッション置くべき」という今では当たり前の事が議論されるきっかけとなった経緯があります。これはあまり知られていない問題のような気がします。
金銭で人を支援するという行為にはその被支援者が大人であれ子供であれ、どうしてもハラスメントの問題がつきまといます。だからこそ難しい問題なのです。最近ネットで盛んに議論されている学費支援サービスでも、既に様々なハラスメントが被支援者の肩にのしかかっているとは思いませんか?彼女がそれに耐えられるかどうか、もし耐えきれずに何らかの取り返しのつかない事態になってしまった場合に、今回の件を主導しているグループは責任が取れるのかどうか。僕にはそうは思えない。人間の一生に対して責任を負いますというような意思は見られない。だからこそ危ういのです。
家入さん界隈特有の「面白ければいい、目新しければいい、古臭い考えに価値無し、バイタリティ万歳」という考えでハンドリングできるほどに軽々しい問題では無いということだけはわかって欲しいです。
阪神淡路大震災から震災遺児支援のボランティア活動に細々関わっていて、昨年の福島にも休日を利用して出張っていたりした。
夏になり、仕事が繁忙期に入ったのと、現行の活動内容に一定のめどが立ったのもあって、しばらく活動から距離を置いていた。
そして少し前、福島での活動を通じて知り合った人から、よければ手伝って欲しい事があるとメールが来た。
諸事情あって今は福島へ通う余裕が無いと返答したら、いや福島へ行く必要は無い。あなたのお住まい(相手は俺の住所を知っている)からそれほど時間がかからない場所だと。
それならば話だけでも伺いますと返事したら、紹介したい人がいると返事があり、会うことに。
とりあえずA氏としておく。彼とは喫茶店で合流し、そして俺に説明した。
端的に言えば、震災で保護者を失った子供達をこの近く(この近辺では一番大きな市)に呼び、レジャーランドに招待したり一緒に食事会を開いたりして親睦を深めようというもので、A氏が主催をつとめるボランティア団体がそれを取り仕切る、というものである。「会員制のあしながおじさんみたいなもの」とAは言った。
当然だが子供達の交通費、食費などは会員が払う会費から捻出される。食事代は顔なじみの店に話がついており、まとまった人数が見込めるのでリーズナブルでそれなりに贅沢な内容に出来る、と。
ボランティア歴がそこそこ長いので、こういった寄生虫のような連中は嫌と言うほど見てきた。ワードかエクセルで作られたようなパンフレットの最初の1、2ページを見た時点で断る気満々で居たら、Aはその空気をかぎ取ったのか、俺に別の紙切れを見せてきた。
『第一回親睦会』の参加予定者の名簿なのだが、全て小学生~中学生とおぼしき女児で、顔写真とセットで名前と年齢が記載されており、備考欄に「千円くらい」とか「1万円」などと書いてあった。
そしてAは声を細めてこう言った。
「最近の子供というものは色々と入り用なようで、『お小遣い』などを欲しがっている子もいますし…」
「一応、『食事会』は20時までという事になっていますが、迎えのマイクロバスは翌日にもう一度来ますので…」
『名簿』の中には俺が見知っている子もいた。当時小学五年生で、震災で父親と弟(妹だったかも)を自宅もろとも失った子だった。ただ、名簿の名前は別名だった。
『会費』の額が額なのでちょっと考えさせてくださいとだけ答え、見せられたパンフレットを受け取り、Aとは喫茶店でそのまま別れた
『名簿』も要求したが「今はこれ一部しかありませんので」と渋られたため、入手は出来なかった。
以上を洗いざらいぶちまけたつもりだったが、生活安全課の職員の反応は淡々としていた。
「情報提供ありがとうございます」「調査いたします」とだけ。
この顛末を冒頭のメールを送ってきた人に伝えると、涙ながらに謝ってきた。
「そんな事をする人だとは知らなかった」「子供達をとんでもない事に巻き込んでしまった」と。
知っている限りの人にこのことを伝えてくれと言い、そのまま電話を切った。