はてなキーワード: 遺憾の意を表明とは
『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドが、新著『危機と人類』(小川敏子・川上純子訳、日本経済新聞出版社)の下巻第八章で現代日本について語っている。その中で、日本人に問題と捉えられていない問題点が三つ指摘されていて、興味深かったのでまとめる。
日本は「移民を歓迎せず、移住を望んでも移住するのは難しいし、移住できた人が日本で永住権や国籍を得るのはさらに難しい。」「難民が庇護を求めた場合、スウェーデンは92%、ドイツは70%、カナダは48%を受け入れるが、日本が受け入れるのはわずか0.2%である。」日本政府は移民反対の態度を貫いており、その態度は「国民が示した移民に対する否定的な意見を反映している。」「日本人の63%は外国人居住者を増やすことに反対であり、72%は移民が犯罪率を増加させるという見解に同意する。アメリカやカナダ、オーストラリアでは国民の57-75%が移民が新しい考え方をもたらし社会を改善すると考えているのに対し、日本人の80%は…否定している。」(「私は移民に対する日本人の抵抗は『間違っている』とか変えるべきだといっているのではない」)
日本は「他国が移民によって緩和してきたことが広く知られているいくつもの問題に苦しみながら、移民に頼らずにそれを解決する方法を見つけられずにいる。」「これらのうち最大の問題は…少子化と高齢化、その結果として…増え続ける年金生活者の年金と医療費を、減り続ける健康で若い納税者が負担するということだ。」
日本では「働いていない母親たちをもっと雇用することで労働力不足を解消するという策が取れない」。アメリカでは「移民女性を保育サービス提供者として個人で雇っ」たり、移民が「高齢者の介護者や病院の看護師やスタッフとしてサービスを提供し」たりするが、これらは日本では不可能だからだ。
また、日本では「研究開発費の大きさから期待されるほどには画期的なイノベーションが生まれていない。」「それは、日本人科学者のノーベル賞受賞者数が相対的に見て少ない点にも表れている。アメリカのノーベル賞受賞者の多くは移民第一世代かその子孫である。しかし日本人科学者には移民やその子孫はほとんどいないし、日本全体でもそうだ。外国に移民するにせよ高度なイノベーションに取り組むにせよ、進んでリスクを取り、非常に新しいことに挑戦する点が共通するので、移民とノーベル賞に関連性があるのは驚くべきことではない。」
「もし日本が移民を再評価すると決めるなら、カナダの政策がいい手本となるだろう。カナダでは移民申請者を評価する際、自国にとって潜在的価値があるかどうかという基準を重視している。」
(「近年、移民受け入れ拡大を求めた大臣が数人いる。たとえば、地方創生担当大臣だった石破茂は『かつて日本人は、南米に、あるいは北米に多くの人々が移民し、困難な状況の中で、日本人の誇りを持ちながら、そこの国民に溶け込み、役割をはたしてきた。日本人が外国に行ってやってきたのに、外国人が日本に来るのはだめだというのは、おかしいと思う』と述べた。」)
「第二次世界大戦前と大戦中に、日本はアジア諸国、とりわけ中国と朝鮮半島に対して非道なおこないをした。」「今日、日本ではこれらの虐殺を否定する言説が広まっているが、当時の状況は中国人のみならず中国にいた外国人や日本人兵士自身が撮影した写真にしっかりと記録されている。」
「その結果、今日の中国および韓国には反日感情が蔓延している。中国人や韓国人から見れば、日本人は戦時中の残虐行為について適切に認識することも謝罪することも遺憾の意を表明することもしていない。」「中国、北朝鮮、韓国はいずれも装備の行き届いた大規模な軍隊を保有しているが、日本の自衛隊はアメリカが押し付けた現行憲法と今日の日本に広がった平和主義のおかげで小規模だ。」「これらの事実を重ね合わせると、長期的には日本にとって大きな危険を招きかねないと私には思える。」
日本、中国、韓国とその指導者をよく知る、元シンガポール首相のリー・クアンユーは、「ドイツ人と異なり、日本人は自分たちのシステムの中にある毒を浄化することも取り除くこともしていない。彼らは過去の過ちについて自国の若者に教えていない。橋本龍太郎首相は…中国や韓国の国民が日本の指導者に臨むような謝罪は行わなかった。…どういうわけか日本人は謝りたがらないのである。…日本人は南京大虐殺が起こったことを否定し…満州において…捕虜を生きたまま残酷な人体実験に使ったことを否定した。いずれの事例においても、日本人自身の記録から反論の余地のない証拠が出てきてようやく、彼らは不承不承ながら事実を認めた。今日の日本人の態度は将来の行動を暗示している。もし彼らが過去を恥じるなら、それを繰り返す可能性は低くなるだろう」と評価している。
「私の日本人の学生の数人は、そして多くの日本人が、日本の政治家がこれまで述べた数々の謝罪の言葉を挙げ『日本はすでに十分に謝ったのではないか?』という疑問を述べる。短い答えは『ノー』だ。なぜならそれらの謝罪には真実味がなく、日本の責任を最小化、あるいは否定する言葉が混ぜられているからだ。」
「自国の最近の歴史がもたらしたものへの対応について、…ドイツの手法がかつての敵国をおおむね納得させているのに対して、日本の手法は主要な犠牲者である中国と韓国を納得させ損ねているのはなぜだろうか」。日本もドイツが実際に行ったように「首相が南京を訪れ、中国人が見守る中でひざまずき、戦時中の日本軍による虐殺行為への許しを乞うてはどうだろうか。日本の児童が国内および南京、サンダカン、バターンなど海外のこうした場所を修学旅行や遠足で定期的に訪れるようにしてはどうだろうか。あるいは、戦争の犠牲者としての日本よりも、戦時中に日本の残虐行為の犠牲となった非日本人を描くことにもっと力を入れてはどうだろうか」
森林資源、水産資源の縮小は「世界最大の自然資源輸入国」である日本にとって喫緊の問題だ。資源が「世界中で枯渇すれば、日本は真っ先にその影響を被る国になるだろう。また、日本は食糧輸入依存度の高い大国でもある。」となれば「自己利益の追求から、世界に先駆けて持続可能な資源活用国を目指すはずだと期待する向きもあるだろう。」
「奇妙なことに、現実は逆である。」「日本は海外の持続的な資源政策に対して、指示はもっとも小さく、反対はもっとも大きい先進国であるようだ。」
「遠洋漁業や捕鯨に関するまっとうな規制についても日本は反対勢力の先頭に立っている。」例えば、持続可能なクロマグロの漁獲のために「クロマグロのワシントン条約の対象種リストに載せる提案が2010年におこなわれたとき、日本は提案の主唱者ではなかった。それどころか、この提案が見送られたとき、日本はそれを外交的勝利とみなした」。また、日本は「世界最大かつ強硬な捕鯨推進国であ」り、国際捕鯨調査会の割り当て数を大きく超えて捕鯨を行っている。しかも、「鯨肉は人間用というよりむしろドッグフードや肥料に無駄遣いされ」、捕鯨への大きな補助金のために「捕鯨の維持は日本にとって経済的損失」であるにもかかわらずだ。
「なぜ日本はこのような立場を取るのだろうか?日本人の友人たちが述べる三つの説明は以下の通りだ。第一に、日本人は自然と調和して暮らしているという自己イメージを大切にしており、伝統的に国内の林業や漁業においては持続的に管理してきたが、現在搾取している海外の森林や漁業資源についてはその限りではない。第二に、日本人の国民的自尊心は国際的圧力に屈することを嫌う。とくにグリーンピースやシー・シェパード…に屈したと見られたくないのだ。日本は捕鯨推進というより『反・反捕鯨』だといえるかもしれない。最後に、日本には国内資源に限りがあるという強い意識があるために、過去百四十年にわたって…世界の自然資源を無制限に利用する権利を主張してきた。」
「日本人ではないが日本を愛する私のような人間にとっては、海外資源の持続可能な利用に反対する日本の態度は悲しく、自己破滅的にみえる。」
「もし私が日本を憎み、戦争以外の方法で破滅させたいと思う国の邪悪な独裁者だったなら、いま日本がみずからおこなっているとおりのことをするだろう。つまり、日本が依存している海外資源を破壊するのである。」
B「いやーAさん」
A「なんですかBさん」
A「急ですねBさんw まぁ今AI流行ってますからね~。そりゃなりたいですよ」
B「あと東大卒で、未踏スパクリ認定で、競プロ何度も優勝して、最年少准教授で、会社も経営したい」
A「欲張りますね~。めちゃくちゃすごい人ですやん」
A「なんでそこだけ嘘ついたん」
B「最年少でもないんですけど」
A「嘘つかんでええのに」
B「なので私AI研究者やるんで、あなた私を取材する記者してください」
少しの間
A「いや~Bさんは若くしてAI研究者で会社も経営してるってことなんですけども、」
A「いきなりどうした!?」
A「ちょちょまてまてまて」
B「(止まらずに)なぜなら中国人のパフォーマンスは低いから営利企業じゃ使えないからです。資本主義の文脈において、パフォーマンスの低い労働者は差別されて然るべきです」
A「いやまて言うたらまてよ!(ドツキツッコミ)」
B「なんですか急に」
B「いやいやAさん。私がしてるのは差別じゃなくて区別よ」
A「いやめちゃめちゃ『差別されて然るべき』言うとったやんけ」
B「まぁでも私、中国人とは何度も仕事したことあるけど、そうした経験に基づいてもやっぱパフォーマンス低いと思いますけど」
A「急にうるさっ!どういうこと?」
B「AIが『中国人はパフォーマンスが低い』って言ってるからしょうがないの!これはもうAIが言ってることだから!それはもうしょうがないの!」
B「これからはAIが人権を持っていく時代です。『なぜ差別はいけないのか』『なぜ殺人はいけないか』など、当然のように考えている事に一度懐疑的になる必要があるんです」
A「急に難しいこと言い出した」
B「だからAIが差別をしても、それはそれでしょうがないという時代が来るかもしれない」
A「…いやでも私、『AIがそう判断したんだから俺は関係ないね』みたいなの、どうかと思いますけどね~」
B「でました柴田恭兵」
A「関係ないね(柴田恭兵のモノマネ)…って何させとんじゃい! お前もう全然だめ。AI研究者そんなこと絶対言わんし」
A「あ、炎上商法なんか」
B「そりゃそうですよー。炎上商法以外でこんなこと言わない言わない」
A「それ言ってみてーな」
B「寄附講座の宣伝になる!」
A「寄付止められるやろ」
B「企業もメリットたくさんありますよ。まず知名度があがって採用応募者が増える!」
A「差別する奴ばっか来るやろ」
A「それも差別する奴ばっか来るやん」
A「何ドサクサに嘘言ってんねん!」
B「もーーーーーーいい!!(大声)」
A「うるさっ! 急になんや!」
B「どうせ私が悪いですよ。全部私のせいだ」
A「何開き直ってんねん」
A「そんな話いっこもしてなかったやろ」
B「まぁ最後にこれだけは言わせてくれ」
A「なんや」
乳袋と似てても気にするな乳袋がエロだと言う女が異常なんだから乳袋服を定着させて黙らせてほしい的な内容で延々リプしたり
細見せを売りにしてるoverEが乳袋と違うと否定するのは矛盾していると諦めなかったり
HEART CLOSETも乳袋と言われるのに遺憾の意を表明したら
ブランドに乳袋の味方してほしかったとか水着や巫女あらゆるものに性癖が生まれるのにうちだけ違うのは無茶ってもんでしょと食い下がられたり
ブランド担当者はオタク耐性無いだろうにいきなりハイレベルキモオタに絡まれて対応をさせられてお気の毒すぎる。
昨日のことである。朝、家の、詳しくは私の住むアパートの前に立派な一本糞が鎮座していた。その堂々たるや、クゥー、思わず写メを撮ってしまったくらいだ。犬かと思いきや、どうやら犬ではない。ことが判明した。それはクソ(推定30~40cm重量にして500gはある)の表面上に白いうどん(のようなもの)がキレイに配分されていたからである。
では、ここであなたに問いたい。一本糞とは何か?と。実は、私も大量便については少々うるさい方だと自負している。だが、今回のような人様のアッパートの門前に糞(大量便)を垂れる行為については遺憾の意を表明したい。
しかし糞については少々うるさい私だ。一回や二回は許してもいい、そういう気構えでいる。自称一本糞アーチストと呼ばれる私クラスになってくると、糞への理解は常人の比ではないからだ。
閑話休題、そんな私がソノ一本糞を前にして、その隆々とした照り、カラーグラデーション、フィニッシュに至るまでの実に見事な(個人的にはFUJIYAMA型と呼んでいる)ソノ円錐形に近い糞は、上級者のそれだった。思わず身震いすらしたね。
あれは、そう、今と同じ初夏を思わせる梅雨のじめじめした時期だった。忘れもしない。小学6年のころだ。私の家にたまたま友達数人で遊びに来ていた同じクラスのyukiちゃんというかわいい女の子がいた。(私の家は少し広かったのでたまに集まってゲームして遊んだりした)私はyukiちゃんが好きだった。その子が家のトイレを借りたいといったので一階にある当時は和式の便所を貸してあげたのだ。しばらくして私も尿意を催した。そして次に私がトイレに行ってから、である。yukiちゃんは流し忘れていたのだ。(これっきり家には来なくなった)ああ。なんということでしょう。私はショックを受けてしまい、しばらくその場から動けなくなってしまった。信じられないというのが正解か、はたまた夢でも見ているのかと、太ももを抓ったりもした。だが、そのすべての行為は空しく、獣のような臭いと便器からはみ出さんばかりの一本糞にめまいがしたのである。あの可憐で可愛いyukiちゃんがこんなにも臭くて太い糞をしたのかと。(実際はそんなに大きくはなかったかもしれないが私にはそのように見えた)
私はできるだけ直視しないよう顔を背けながら、流そうとした。だが、しかし、である。水流は強い。でも水はクソの両脇を流れるだけでまるで牛歩のごとく流れていないのである。私はしょうがなく手近にあった棒(どんなものだったか記憶にない)で押し流した。
それからというもの私は一本糞に目覚め、今ではアーチストを自称するまでになった。生きがいを教えてくれた。(大げさではあるが)当時のyukiちゃんには感謝すらしている。ありがとう。余談だが、yukiちゃんが好きだった食べ物はうどんだった。と、私は記憶している。アパートの前にあった糞が、一瞬、もしや、と思ったが、彼女は地元香川で今でも元気に暮らしていると、人づてに聞いたことがあることを思い出した。きっと今は結婚でもして幸せに暮らしていることだろう。あの日のことは誰にも話さないでおこう。心に隠して、そっとフタをして
おお。すまん。
スルーしてたみたいだ。
おっさんは、
ところで、少年よ、
「使えない」という言葉を
現代人はよく使うけど、
なにも君のために生きているわけじゃないからな。
たとえ部下が「使えなかった」としても、
で、
アニメか。
甲乙つけがたいが、とりあえず、王理恵は無いと断言できる。
前口上はこれぐらいにして、本題だ。
あなたが何を期待してたのかわからないけど、
みたいなことを書いて、消しちゃった人かな?
あなたの文章は、省略部分が多すぎて、
おじさんにはついていけないよ。
監督の作風の話も、ようわからん。
アニメ版が「説明不足」で「独りよがり」と言われても、
わからん。お前の話は、ようわからん!
全体的な印象なら、
まあ、ここは感受性の問題だから、
若い君たちに任せる。
一応推測すると、
「アニメ版では登場人物たちの細かい心情描写がカットされていること」
について「説明不足」であり「独りよがり」と言っているのかな?
フィクションなんだし、リアリティを求める必要があるのかどうか。
「とらドラ!」の中で、どういう役割を果たしているかで、
いいんでないですか。
個人的には、
みのりんには爆笑レッドカーペットより、
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出てもらったほうが、
うれしいな。
君が物語に何を求めているのかが、
おじさんにはわからない。
(1)「萌え」が対象の弱い部分をあげつらったり、弱者扱いして喜ぶ下衆な感情である事はもう常識かと思うが、
(2)そういう「萌え」を他者から浴びせられる人間(今回の場合作者)は、他者からのメタ視点にもかなり敏感になって不思議はないよ。
(1)については理解できる。
(2)は、
「萌えられるキャラクターを作成する作者は『このキャラは萌えキャラだからな』という読者のメタ視点に敏感になっている」
という意味でよいのか?
それを受けた(3)は
「作者は(1)の『萌え≒弱きもの』という構図を意識しているはずだ」
ということかな?
つまり、
「『このキャラは読者に萌えていただかないといけないので、弱きものとして描きますよー』と作者は考えているはずだ」
ということでよいのか。
登場人物たちの役割を考えるなら、
それを考慮しろよ、と
そういうことでよろしいかな。
そうであれば、君の指摘は、
おじさんにとって盲点だったといえる。
そこは考えていなかったよ。
ただ、それを考慮したところで、
登場人物たちが
「自分ひとりで解決して乗り越えちゃう」
という自分勝手さに変化はないだろう。
そもそもね、
おじさんはね、
「『自分ひとりで解決して乗り越える』ということを『成長』として表現している」
「自分ひとりで解決して乗り越える」
というのは、孤独の道を深めてしまう、と俺は思う。
もし、この「とらドラ!」の結末が、
大河と竜二の駆け落ちだったら、
おじさんは困っちゃうな。うーん。
しっかしさ、
現代社会だから、
「自分ひとりで解決して乗り越える」
って部分は、
それはそれと受け入れて
マッチョにいかないと、
サスペンダーのおじさんとか、
勝間勝代(注:このtypoはわざとDAZE☆ミ、勝ちすぎマッチョ!ってことな)とか、
相関45度の人とかに
馬鹿にされるっていう言い方もできるわな。
でもよー、
「自分一人で戦っていく君にはオラクル(カウンセリング機能)が必要だよ」
と俺は言いたいね。
それが、おじさんが、最初に書いたエントリーの主題だからね。