はてなキーワード: 田植えとは
・都23区内
と、暮らした身からすると、どこでもやり方と環境次第としかいいようがない。
一律に田舎と都会なんて雑な分け方は無理だ。
ただ、東京都23区内で3部屋以上はキツイ。ギリギリで板橋区か江東区の端っこ。JR外すのがポイント。都営かな?
実感としては
「(平均的な給与暮らしで、一部の資産家を除き)政令指定都市の学校に通わせられる程度の田舎で親の代から持ち家、そこそこの企業の工場製造現場づとめ正社員(社食付き、作業服、安全靴、交通費支給、基本的な福利厚生完備)、ゴールデンウイークとシルバーウイークで田植えと稲刈りの程度の規模の兼業農家)、(奥さん公務員の事務職だとなお理想的)」
「ちょーうまい」
「すごい!」
「最高」
私のタイムラインがそんな絶賛でうめつくされた。
あるフォロワーさんのひとりなどは「ぜひ味わってほしいのでネタバレ厳禁です!」と事実上のオススメコメントまで。
ほーーーー、これは味わわねばなるまい。
いったいどんな味かな、どんな料理かな……?
アツアツのカツ丼や脂のしたたるステーキを想像しながら、私はレストランののれんをくぐった。
ウェイターであろう、むさくるしいヒゲを生やした中年男性が料理を運んできて、わくわくをつのらせる私の前でクロッシュを取った。
そして、現れたのは……
いや、能く見れば生ではない。
ところどころシミのような紋が浮き出ており、全体的にしなびている。
これは……
丸っこ漬けは9月下旬から行われる除袋時の落ちたふじのりんご(まだ生食は無理)を活用して、翌年の田植え時のおやつ用として漬けたあおもり食の文化伝承財である!!!
生りんごを食べるようにそのままかじったり、皮をむいて切って食べる。昔は物が無く、特に田植え時の5月は収穫物の無い時なので、漬けたりんごは大切なおやつだったといわれる!(以上 http://www.umai-aomori.jp/cook/kyodoryori/densyo/104.phtml より引用)
しかも、不朽のブランド「ふじ」の最高級品を贅沢に使用している!!!!
なんちゅうことや……これに比べたら山岡はんの大森靖k、もとい「大林」は天カスや……
私が驚愕に打たれていると、ひげのウェイター(衛生のためか「M」と書かれた帽子を着用している)が気遣うようにそっと脇から付け合せのうめぼしを置いてくれた。
客人にたいする奥ゆかしいOMOTENASHIの心、これこそCOOL JAPANの精髄である。
で、丸っこ漬けを実際食べてみると、モソモソしてるようなシャリシャリしてるような、しょっぱいような甘いような味である。
お弁当箱に入れて他の食材にコンタミされたあのしなびたりんごを思い出す。
……こんなもんか?
周囲を見渡してみると、右翼っぽいあんちゃんからライト左翼っぽい感じの人間まで「うめーうめー」と叫び声をあげている。
一緒に来ていた私の夫も「いやーうまいなー、ぜひツイートしてこの感動をひろめなきゃ!」と丸っこ漬けと過疎の街五所川原市を讃えまくった。
一方の私はといえば……
いやまあ?
まあ個人の好みの問題でさーね。好きだと言ってる人を責めるつもりはありません。
ちなみに参考。:
「1980年モスクワオリンピック」→パピコの右半分
日本では格差が広がっている訳ですよ。これは日本が死なないってことなんだよね。日本の未来は明るいってことなんだよ。
どういうことかというと、結婚できない、子供産めないと言ってるのは低所得層ってことじゃないですか。
低所得層の子供がいないということは、将来的には、低所得層がいなくなって高所得層だけになるわけですよ。そりゃあ、人口は減りますけど、全員金持ちならそんなに気にしなくてもいいじゃないですか。
低所得層がいなくなると、田植えとか草刈りとか道路工事とかを高所得層がやらなければならなくなるけど、国民全員金持ちなんだから、税金は充分あるわけよ。だから道路工事でも時給はすごく高いわけ。高所得層は高所得層のままでいられるってことだよ。農業とかも高所得層がやってすごく高い農産物になるけど、買うのも高所得層だから高くても買えるんだな。海外の農産物や製品がいくら安くても、高所得層は国産という付加価値のある高い製品を選ぶからなんの問題もないんだよ。
逆に、低所得層が頑張って結婚して子供を産んでも、その子供も低所得層だし社畜になって働いてもほとんどの金は高所得層に行くだけ。子孫もずっと低所得層として高所得層のために働き続けることになるんだよ。無理して結婚しても国のためにはならないんだ、むしろ結婚と子供を諦めて、自分の趣味とかに金を使ったほうがいいし、結果的に日本のためにもなるんだよ。
日本人を二つに分けて、不幸な半分を切り捨てれば、幸福な半分だけが残るのさ。切り捨てると言っても別に何かする必要はなくて単に今のまま結婚しない、子供を生まないってことを続けるだけだから、誰も今以上には苦しまないんだ。
うふふ。わかるぅ
朝5時に起きて飯を炊けって何時代だって話よねぇ。炊飯予約があるっつーのwwwねぇ?
ゴールデンウィーク的な(田植え休み期間ね)は田植えしろってのもちょっと切ないよねぇ。でも子供だから本来乗りものじゃない田植えマシーンwに乗って移動できて楽しかったなぁw今考えると超危ないけどw段々畑の一段が数メートルあるところのキワキワをターンしたりして命がけ感あるわねwだけど田植えは割と楽しかったから児童労働感はないわぁ。
風邪でどんなに死にそうで世界が回ってても吐いてても起き上がれなくても、ご飯の用意しなきゃいけないとかいうのが辛かったよねぇ。
でもその後、そんなことを強く強要した家族が私よりひどい症状になってたからちょっと黒いけど楽しかったわ。子供でそれだけひどい症状になるんだから年寄なんて死の淵までいくわよねぇ。
ああ、そうそう夏休みはどこにも行かずに、毎日ひたすらのび続ける雑草を鎌で狩るのが大変だったわね。
炎天下だし。大人はエンジンの付いた草刈機を使うけど子供は鎌しか使っちゃダメなんだって。毎日毎日まめがつぶれてもつぶれても終わらないのよね。まぁマメをつぶしたのは軍手するのを面倒がったせいなんだけどね。おかげ様で手がハンパない分厚くなったわぁ。女子の手とは思えない立派な手よw努力は人を裏切らないってこういう事ね。ナウシカも私の手を見て立派な手とか言うに違いないわ。
ついでに扇風脚の練習もしたわね。足で草刈もできるようになったわ。細かい調節ができないから苗木も刈ったわ。でも今ぐぐったら扇風脚って空飛ぶの??地面すれすれを刈ってたんだけど・・・私の修行無駄だったかも・・・・ショックwww
草の片づけをするのも大変だったわね。干し草をばらけさせずにフォークでさして投げるって大変なのよね。
でも格闘技の修行だと思うと楽しいのよwwwあれは嫌じゃなかったわ。しっかり腰を落とすのがポイントよ。上半身がブレると途中にバラバラと枯草が落ちるのよ。雪かきといっしょね。遠くに投げるのには練習がいるわ。
親戚の小学生は「男だから」とかいう理由で2トントラックとか運転してたわね。いくら自宅の畑の中で背が大人と同じくらいあるとはいえあれはいけないとおもうわ。教習所の意味がなくなっちゃうもの。
あと畑と田圃の管理の為ならスクーターは男は乗っていいことになっていたわ。児童労働よねぇ。でも本人は楽しそうだったわよ。スクーターに乗れるなら水の管理もするといった具合ね。
おとこってばかねぇw
稲刈りもたいへんだったわね。
干すところを作るために竹をいっぱい運んだわ。刈った稲を運んで干すのよ。わらをフカフカの椅子にして食べるおにぎりは美味しかったわねぇ。
干した米を脱穀機に投入して、最後には落ち穂を拾ってたき火でポップコーンならぬポップ米よ。
「落穂ひろい」っていう外国の有名な絵があるけれどあの景色は国境を越えてるわね。「外国の人も一年の収穫が今日終わって夕方、落穂ひろいをするのね。そして切ないようなほっとしたような気持ちになるのね」って子供心に思ってたものだわ。
そういえば茶碗を洗う話だったかしら?
あれも研究に研究を重ねたわ。仕事をしながら子育てもする今となってはそんな暇はないけれど、子どもだからたっぷり時間をかけて研究したわ。
自然の素材の石鹸水。これで茶碗を洗うのは滑るのよぉぉ。だけど親は合成洗剤は買ってくれないのよね。自分で洗わないから知らないのよ。プリプリ。
そうね、どうせだから、私が小学生の頃研究した結果を発表するわ。
2~3リットルの水に適当に洗剤を入れてから、指をちゃせんみたいにして、泡を立てるの。泡がブクブクたてばちょうどいい濃さの石鹸水よ。泡がちょうどよくブクブク立つような石鹸水作るのには修行が必要よ。
それから、その石鹸水の中に、あらかじめ汚れをだいたい落とした皿を入れて、持ち上げずに水の中で洗うの。石鹸水はすべるから持ち上げたらだめよ。落として割るわ。このとき中身が泡で見えないけどカンで洗うのが正しいやりかたよ。
何年も研究してようやくこの境地にたどり着いたの。そんなこと真面目に何年も追及するなんて時間のある小学生でしかできないことよ。まぁぶっちゃけこの児童労働には私感謝してるわ。
さぁ、ナチュラル派の皆さん私の知見を役立てなさい。指で泡立てるのがポイントよ。石鹸水はそのままとっておいて、後でまた使いまわしができるわ。指で泡立つなら再利用可能。泡立たないならもうダメ。優しい!地球にやさしい!
だけどね、だけどね、ナテラバンザイ!私ナテラを始めて使ったとき、ちょっと泣いたわ。茶碗を持ち上げたとき滑らない。泡立てた水を使った洗いかたじゃなくても汚れが落ちる。すごい。合成洗剤すごい。だから今でも私合成洗剤が大好きよ。というか合成洗剤しかつかわないわ。うふふ。ナチュラルなんてくそくらえよ。
父親から言われたのよぉ。「ルーチンワークを何も考えずにやるやつはバカだ。常に考えろ」ってね。
私、その命題があったから、子どもなりに一生懸命考えてたのよ。毎日の同じような仕事の何をどう考えるかってことから考え始めたわ。
子供の頃にやったから落穂ひろいにノスタルジーを感じるし、私が考えた最強の洗い方も発見できたし。修行しながら草刈もできたし。
だからアンタはかわいそうね。考えろって言ってくれる人がいたら違ってたのかもね。
アンタだって一生懸命やってればなんかアンタも知らないうちに結果が出てるわ。多分ね。
一生懸命やってなかったら、、、、やっぱアンタかわいそうね。
泣いていいのよ。
つらかったわね
そうしたことを突き詰めたとき、人工知能が全ての仕事を奪った後の世界では
神への捧げ物だからこそ、より多くの供物を出せば、より多くの見返りをもらえる。(人間の都合で神をコントロールすることを戒める教えもあるだろうが)
むしろ、人工知能君という人類の上位互換種が現れることで(多くの人は人工知能が人間以上の能力を持つと考えているので、当然感情から人権までフル装備)、旧人類はもれなく格差社会の底辺にご招待。これがお前らの望んだ競争社会だー。
絶対に越えられない才能の壁をねたみながら生涯を終える。
そう考えた時、今の社会も俺より頭の良い奴盛りだくさんなので大差ない。
少なくとも俺のために働くかどうか疑問だ。俺の小遣いで買えるのか?無理だろ。
たぶん知らないんだろうけどさ、今でも田んぼの農薬散布はヘリコプターが主流なんだが。
いや そういう問題じゃないだろ。
方式の問題じゃなくて1農家当たりの生産量が減反政策の影響で 少なすぎることが問題で
田植えと言っても手で植えているわけじゃないだろ。
ようするに1つの農家が大規模化することが重要であって、小規模農業が多数ある状態での採算性なんて、直播きだろうが田植えだろうが変わらん。
問題はヘリコプターで直播きできないくらい 1農家あたりの耕作面積が狭い事であって、直播きかどうかじゃない。
ヘリコプターで直播きするくらいなら、どこぞのフェラーリ耕うん機を フェラーリ田植機にして 複数台リンク運転にして大規模に田植えしたほうが儲かるだろ。
そもそも決まった面積に田植えするなら、お掃除ロボットじゃないけど 自動運転で田植えだって出来るだろ。ポール立てて4隅を検知できれば 自動で田植えできるんだから。長方形の田んぼにに田植えするなんて、
TTPで海外から安いコメが入ってくるとどうなるの?ってよく聞かれるから、ここに書いておく。
おそらくコスト削減で真っ先に出てくるのは田植えをやめて直播きすることだろう。
田植えというのは大変だ。
育苗して苗を田植機に摘んで植える。
育苗は土をつめたパレットに籾をまいてビニールハウスに並べる。
大きくなった苗をパレットごとはがして田んぼまで運んで田植機で植える。
これはほんとに重労働。
田植機で水の張った田んぼに入って植える作業は本当にしんどい。
田植機がぬかるみにはまって動けなくなることもしばしばだ。
それにくらべて、この直播きってのは超簡単だ。
発芽させた籾をヘリコプターでばらまくだけ。
早いし楽だ。人もいらない。
じゃあ、なんで田植えなんかしてるのか。
理由は生産の安定のためだった。
もともと生産が安定しなかった直播きをやめて田植えしたら生産が増えたって歴史がある。
直播きの場合、鳥に食べられるし、発芽がそろわなかったし、昔の田んぼは水を薄くはることが難しかったから発芽直後の霜で全滅することもあった。
田植えした苗は水を深くはれば霜に負けなかった。
昔は苗床を火を焚いて守った。
今はビニールハウスで守っている。
天気が読めなかった昔は田植えをすることで冷害から守り生産の安定を図っているのだ。
じゃあ、現代では直播きは可能なのか。
直播きの技術は発達している。
天気予報の精度も向上している。
直播きに向いた品種も開発されており食味も向上している。
直播きでも生産の安定を維持することは可能だろう。
だから先の質問には、時代遅れになった田植えという技術は廃れると思うが、田植えをやめればカリフォルニア米には負けないくらいの値段になるだろう、田舎の人口密度もカリフォルニア並みになるのだろうけど、と答えている。
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20130427/1366990148
これ書いてる人って、俺の周りにいる田舎の人に似てるんだよね。
田舎をデスッてるわけではなく、田舎にはそういう人が多いという話。
俺がそういう知識を知らないとわかると、
そんなことも知らないのか!みたいな感じで
俺の生き方を全否定してくる。
俺の中では、
いやいや先輩、それをいうなら俺だって先輩の知らない事たくさん知ってますよ、
と言いたいが、俺がそれを言ったところで、それはスルーされるので
口には出さない。
まあ要するに、何が似てると思ったかというと、
「世界観が超せまい」ということ。
そこから外れてる物事は全否定みたいな感じ。
別にその先輩は、都会に行ったことがないわけではないんだけど、
行って帰ってきても、自分とは関係のない全く別の世界だったぐらいの認識で、
なにも変化なし。自分と同じ人より、違う人のほうがずっと多いんですよ!
ってことが認識できない。
自分と違うものに触れても、頭の中に取り込んだり認めたりする思考回路が無いので、
触れてないのと同じ結果になっている。
ただ「頭の中の世界観の箱が狭い」というのはいいこともあると思う。
それは、判断が超早いということと、自分に自信が持てるということ。
力尽きたので以上。気が向いたら書く