「人生いろいろ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人生いろいろとは

2020-05-26

島倉千代子人生いろいろ」の歌詞

「♪笑い話に涙がいっぱい 涙の中には傘☂️がいっぱい〜」だとずっと思ってた!!!

子供の頃から「なんで傘☂️☂️???」って思ってた!!!!!!

滅多に見ないうたコンをたまたまつけてて良かったよ!!!!!!あーーースッキリした!!!!!!

2020-02-07

三井物産の子会社


はじめ31契約

次も31契約

パワハラし放題で更新なし。

ま、最近名前隠して募集とか

その前にさっさと時給も安いし

やめる。

短期派遣の代わりみたいなもん。

誰が年金負担するんだろうね。

人生いろいろ

年金もいろいろ

30日前に通告義務があるのに(笑)

31契約とは(笑)

経団連は、盛田さんの時代

終わってる。

今の日本みたら、泣くな。

情けなくて。

2020-01-23

anond:20200123102827

別に不倫する奴は「配偶者も家庭も別にどうでもいい」と思って不倫しとるんちゃうからな。

「妻と仲良くするために不倫してる」と公言しとる奴もおったし。

人生いろいろ不倫もいろいろっちゅうこっちゃ。

2020-01-14

anond:20200114065752

大麻わず死ぬもったいないから殺したり死んだりする前に、絶対大麻吸った方がいいよ。ぶりぶりにキメてニューヨークストリートパフォーマンスとか見たり、ぶりぶりでシエムリアプの名もない遺跡の上で夕日見ながら叫んだり、ぶりぶりでバルセロナバーホッピングしてピンチョスつまんで酒かっくらったりとか。ぶりぶりで見るサグラダファミリアヤバかったよ。そんで人生いろいろどうでも良くなるよ。感動ってこういうことかってなるし、ゴリゴリに固まった自分こころがほぐれてくのも良くわかるよ。でも酒と一緒でやんなきゃ絶対わかんないから。今の日本でまかり通ってる大麻の話って酒飲んだこともない奴が書いてるワインレビューみたいなもんだから。これ知らずに死ぬの、すげーもったいないよ。

2019-12-21

野球が嫌い

小学生の頃、地元の催しとして子供達で区域ごとにチームを組んで野球練習試合を行うというものがあった。

基本的には参加は自由で、自分はいわゆる暗くて運動もあまりできないような子供だったからそんなもの絶対に行きたくなかったんだけど

近所の子達はみんな参加してるんだからということで親に半ば無理やり参加させられることになった。

小さい頃に父親キャッチボールするみたいな男の子の必修行事的なのすらめちゃくちゃ嫌がってたような筋金入りの運動嫌いだから

そんなところにいきなり放り出されても当然できないものはできないし、

その上できないことをチームの子供達にいじられたりして、本当に嫌だったなぁ。

正直なんでこんな不毛不快感だけ与えられる行事に参加させられてるのか意味からなかったし、それを見透かされたのか

コーチとして来てる大人の人に「やる気ないなら帰れ!」とか怒られて自分はやる気なんて全くなかったからその言葉文字通り受け取ってそのまま帰ったんだけど、

帰ったら帰ったでそのことすら親に咎められるし、人生いろいろ嫌なことあったけどこれはその中でも結構上位で嫌なことだったなぁって……

今でも野球は見るのもやるのも大嫌い。

大人になってからこんな子供の頃の話をネチネチ語るのもアレな気がするんだけど、もし運動が嫌いな子を持つ親御さんがいたらちょっと考えてほしいなと思った話。

2019-11-26

ストレスの症状

仕事で良かれと思って頑張ったんだけど、結果非難されたことでもの凄いストレスを受けたようだ。

汗が噴き出て吐き気を催し、立ちくらみがした。こんなに体に出るもんなんだな。ビックリだ。なるほど鬱病も甘えじゃねーなこりゃ。

ちょっと席を外してトイレでこれ書いてる。落ち着いてきた。

まぁしゃあないな。切り替えていくしかない。捉え方は人それぞれだし、こういう非難の仕方をすると超絶ストレスを与えることになるという勉強にもなった。

人生いろいろあるもんだな。

2019-09-13

anond:20190913023858

知ってたらゴメンけど、人生いろいろあって変わった言葉遣いになってしまった元東大生なの

2019-07-09

[]ヘイSiri、暇部なんだけど

Siriが選んでくれたのはウィキペディアでした。増田暇部です。

昨日はおやすみをとって、美味しいお肉を食べに行きました。最高でした。でも帰り道でけんかしました。人生いろいろ、そんなこともあります

なんか暇なりに色々あって、書こうと思ってたこと忘れちゃったな〜。

とりあえず、気温差で体つらいつらいですね。

なんだっけ、知らないことを知るのが好きなんだけど、増田は知らないことを知ってる人がたくさんいるか楽しいですね。だから見ているなと思ったね。今日はつらそうな人が割といるから、みんなに元気が出るようなことが起こればいいなって感じ。

2019-06-12

妊娠中。似たような境遇の人がいないかなと思ってSNSみてるんだけど、見事なまでに妊活不妊治療を経て苦労された人ばっかりだ。

中でもびっくりしたのが、「苦労して妊娠たか自然にさずかった人とは仲良くなりたくない」的なことを書いている人がいることだ。

私は幸いにもいわゆる妊活不妊治療などはせず今回授かった。でも、初婚では子ども絶望的で、ずっと悩んで、ずっと不妊治療について調べてた。好きな人と、何の苦労もなく子どもを授かることができるなんて夢みたいだってずっと思ってた。

あと、妹夫婦の子どもは遺伝子欠陥があって産まれて数時間で亡くなった。妹は若くて、当たり前のように無事にお産が終わると思ってた。お腹の中にいる時からそれがわかって、いつまで生きられるのか?生まれてきた子を育てられるのか?色んなことを身内みんなで考えた。長くは生きられないかも、と思いながら文字通りお腹を痛めて出産した妹の気持ちを思うと今でも胸が痛い。

というわけで、私にとって妊娠想像してたけど夢のように感じていたことで、今夫と生まれてくる子どもに思いを馳せながらアレコレ話せるなんて本当に本当に幸せだなと思っている。

同時に、健康であってほしい、五体満足で生まれてきてほしい、大丈夫かなという不安もある。

でも特段それらを人に言いふらすことではないと思っているので、普段話すことはほとんどない。

傍目から見たら、結婚して自然に授かった幸せ妊婦のものだと思う。

何が言いたいかっていうと、人にはそれぞれバックグラウンドがあり、表面化していないこともいっぱいあるのに、そういうのは考慮せずに線引きされるって悲しいなと思っただけ。

人生いろいろ、人それぞれじゃん。

2019-05-29

anond:20190529002229

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.d3b.jp/media/5418

このブコメ欄にて

https://b.hatena.ne.jp/entry/255679421/comment/shufuo

手術や抗癌剤にはメリットもあればデメリットもある。積極的緩和ケアして元気なうちに旅行食事文化を楽しんで死にたいという人がいてもいい。人生いろいろだよ。自分はたぶん戦わないと思う。

そこに反論

https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/ublftbo

“、体力が著しく弱った患者には、今では抗がん剤治療はやりません。末期がんの患者ともなると緩和ケアに努め、患者に無理を強いる治療はしないように医療のやり方は変わっているのです。”と記事に書いてあるのに。

https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/shufuo

id:ublftbo 他人人生にいちいち干渉するんじゃねえよ。おせっかいなんだよ。おまえ、死ねばいいのに

他人にサラッと死ねばいいと言える人。

2019-05-12

anond:20190511225025

私元男で今は性転換して女で暮らしてるんだけど、男時代に作ったキャリアあるから仕事には困ってないし、男の人にはまーまモテて何人かから結婚視野に付き合おうって言ってもらってるから、こういうの見ると割と勝ち組だなーって思う。

昔は性同一性障害のことで何度死のうかって思ったかわかんないけど、人生いろいろだなー。

2019-02-07

anond:20190207120714

フェミニストから見ると「影で子供に支えられながらも家事を背負い、夫にゴミ出しを命令する妻と悲しそうにゴミを引きずり、こぼれて出てくるものビール缶…しか共働きに見えるこの夫婦二人、一体どちらが不幸なのか考えらせられる絵ですね。」

だし、反フェミから見ると元増田の言うように見えるんだろう

人生いろいろ

俺はフェミじゃないけど前者の通りにしか見えないがなぁ

2019-01-26

オタクアラフォーになって急に政治にめざめるアレ

昔は普通のよくいるオタクだったのが、アラフォーのいい歳になって政治にめざめるの、あれ何?なんていう現象

ネット仕入れ政治の話で、反論リプと必死に言い合いしてたり、

安倍がどうこうとか今なら韓国がどうしたとかそういうやつ。

5〜6年前飲んだ時は

「男は独身こじらせると”野望の王国”みたいになんのよなーw」

かいってたお前まで!

結婚した人は子供の話とか嫁の話にシフトしていくじゃん。

アラフォー独身の男が高確率政治シフトしていくんだよなあ。

結婚して政治話多い人っていないし、あと独身女性のアラフォーオタクはずっとハマってる作品の話しかしないな。

ツイッター10年もやってると人生いろいろあるのわかるけど、

暇なのかなー、でも暇なだけでああなるかー?

2019-01-11

何が言いたいというわけではないから無題

今日の朝、とあるネット記事を読んでいた。

とある場所の紹介記事なんだけど、その写真の中に見たことのある人が。

調べてみると、昔タレント的な仕事をしていた人で今はライターをやっているそうな。

wikiで調べたら、タレント時?タレント辞めた後?に人を刺してしまったようで…

ちゃん裁判してちゃん実刑を受けたそうだ。

刺された方も同情の余地がない人(まあ、はっきりいうとクズ)だったようなので

情状酌量はついたんだろうとは思うけど、それでも何年かは塀の中にいたそうで。

なんだろ。何が言いたいというわけではなく人生いろいろあるなあと。

最近アイドルが襲われたとかの記事もあったし、どこで何があるかわからんなあとね。

2018-11-29

ぼくのまわりでNTT関連会社就職した人達ピンキリで、いつも色気を振りまいていて優しかった人、プライドが高くいつも恋人を欲しがっていた人、繊細で気難しい人、ろくに学業もせずゲームばかりしていた人、ラーメン二郎ばかり食べていた人、とにかく色々な人がいる。

共通しているスキル性格なんてない。そりゃNTT関連会社だってたくさんある。データ東日本西日本ドコモだけじゃないからな。

人生いろいろ

2018-11-09

anond:20181109203200

俺は逆に、食べることが楽しみじゃないくらい元気がなくなると、自分人間としてヤバいと感じる

人生いろいろやな

2018-10-03

勉強とか自分でやれない

やらなきゃって思っていても直前までやらない

運動趣味もなかなか自分ではやらない

自分意志が弱かったんだなあと今更知る

長い人生いろいろやってみて

人の集まる場所に行くのがそれなりに続くようだ

勉強会社で直接顔を合わせて進める形式勉強会に参加

運動ジム

趣味は習う形式先生について

で、なんとかやれている

こんな自分が、自分意志で動けていることってなんだろうか

……

………

マジで思いつかない

それなりに好きなこともあると思ってたのに

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん