はてなキーワード: 不妊とは
子が8歳で36歳、その前にも不妊治療の結果流産5回ってことは、20代半ばぐらいで不妊治療開始してるでしょ。
で、不妊治療をするということは、セックスしても子ができないって期間がそれなりにあるわけで、逆算すると20代前半で早婚してんのよ。
しかし、もともと遺伝子に問題あって不育症とかだったら出産まで至っても障害ある確率あるのに不妊治療の医者はそのリスク説明しなかったのかな。
子殺し女の刑が軽いのは、刑務所に入れるよりも野に放って新たな子供を産ませた方が生産性があって効率が良いからだって聞くけれど
この女もいずれ産みそうだよなあ…
今36歳ならまだ40までは4年あるし
この母親、今36歳って事は1987年か1986年生まれで、いわゆるゆとり世代だよね。
ゆとり世代はその上の氷河期世代と違って就職状況も良いし、女性が自立して生きていけない時代ではなかったと思うんだけどね。
何故『母親』というと世間では、前時代的なかよわい母親イメージで語る人がこうも多いのか。
「ボロボロになりながらも不妊治療を続け、5人の子どもを失った。(1人目から5人目まで流産、または死産)その度に悲しんで弔う時間もなく、夫に早く子供を作れ、妊娠しろと言われた。」
っていうけれど、別に強制された訳でも何でもなく、そんな男とは結婚しない事もさっさと別れる事も出来たのに
何故一方的に強要されたかのような言い分なのか不思議でならない。
「罪を償い、罪を犯した自分を雇ってくる場所があれば、一生懸命働きたい。6人の子どもの母親として恥ずかしくないように自分にできることを精一杯尽きるまで生きていきます」なる供述も
あまりにも身勝手。子供を殺しておいて、生きる気満々じゃん。死ぬ気だったとか嘘でしょ?
子殺しは全般的に刑が軽いし、ましてや障害児の命は更に軽い。どうせ執行猶予だろうと思ってたかを括ってるんだろうな。舐めてるよ。
心中、少なくとも意思決定能力のない子供に対するそれはただの身勝手な殺人で、情状酌量の余地など皆無だと思うんだが、何故こんなに同情されるんだろう?
しかも心中するとか言って自分だけちゃっかり生き残ってるじゃん
何処に同情する要素があるのか分からない
「ボロボロになりながらも不妊治療を続け、5人の子どもを失った。」も何も、それは自分の意思で選んだ事ですよね?
そんな夫を選んだのに不妊治療を続けたのも自分の意思でしかないのに、何故降って湧いた災いかのように言うのか意味が分からない。
結婚したくても出来なかった女性の事は嫁き遅れだの売れ残りだのと馬鹿にする一方で
自らの意思で男を選んで結婚し子供を産んだ女が同情される意味が本当に理解出来ない
しかも、もっと年配ならまだしも36歳って私よりも若いし、到底女が自立出来ないような時代じゃないのに
どうしてこうも前時代的な「可哀相な妻・母」のイメージで捉えて同情する人が多いのか
(あと、この母親が今36歳で去年殺害した時に息子が8歳、それ以前に5度の不妊治療って事はおそらく20代前半で結婚しているんだが、
『女が若ければ必ず健康な子供が産める』という信仰を押し付ける人達はどう思うのか)
先週コロナにかかってしまい、寝込んだりのどの痛みに苦しめられたりしていたが、ようやく落ち着いてきた。
そういえばとふと考えたら、その間に誕生日を迎えていて、また一つ、歳を取っていた。39になったらしい。
あと1年で40歳だと思うと、何というか、もう40かというか、まだ40かというか、何だかウンザリしたような気持ちになる。
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コロナ療養中、熱が下がってきたころに、暇だからと何か小難しい古い本を読もうとした。
読もうとしたが、ちっとも読めなかった。まるっきり頭に入ってこない。
内容が難解なこともあるが、それよりも、この本を読んだところで何になるのか。
中世のプロテスタントにあった倫理観と資本主義との関係が俺の人生にどうかかわってくるのか。
そんな風に思われて、頑張って読み進めるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局読むのをやめてしまった。
いや、年間100冊程度の読書量だったので、我、読書家ぞとイキれる程立派なものではなかったが。
それでもとにかく、読書家であるという根拠のない自負はあったし、本を読むのは好きだった。本を手にするとワクワクした。ドゥルーズやデリダなんかも頑張って読んだ。もう一切、内容を思い出せもしないが。
今はもう、気が付けば本も読めなくなった。読んで何になる、何の意味がある、そんな倦怠感ばかり募る。
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仕事も張り合いはない。
責任感を持って、日々取り組んでいるつもりではあるが、10年以上も勤めれば、大抵はどうにかなる仕事ばかりになる。
出世できる性格だとも思わないし、向いているとも思わない。実際管理職向けのキャリアパスには乗っていないし、キャリアの天井も大体見えている。
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子供は、やはり欲しい。まだ諦めたわけではない。
諦めてはいないが、俺の不妊は、先天性の疾患に由来しており、医者からも厳しいと言われると、徒労、という言葉が浮かんで消えない。
妻は、俺との子供は欲しいけれど、いなければいないで、決して不幸ではないというスタンスだ。
こんな俺を選んでくれた妻には、感謝してもしきれないし、妻のことは深く愛している。
だけど、本当のことを言うと、残りの人生はあと…年…と考えると、長いな…。と、ほんの少しだけ、感じてしまう。
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先日見たテレビ番組で、91歳の老爺がインタビューを受けていた。
その爺さんは、朝の4時に起きて、2時間かけて地元の海岸まで散歩するのだという。
それを、日に3度も繰り返すのだそうだ。
早くお迎えが来てほしいが、誰も迎えに来ない、と言っていた。
俺はそれを見て、虚しくなって、気が滅入ってしまった。
一日一日を、ただ歩いて時間を潰す、そんな毎日が終わるのをただ待っている。
俺もやがてそうなるのだろうか。そんな風に日々を送るのだろうか。
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父のことを、最近考える。
70を過ぎた今でも元気に働いている。
小さな頃はあれこれと家族で出かけていたが、高校に入って以降は、父と親しくした記憶はほとんどない。
30代になるまでは、父のことはあまり好きではなかったように思う。尊敬できない人だと思っていたし、大した人間でもないと思っていた。
しかし、俺と姉の二人を、中身はとにかく大人になるまで育てあげたこと、俺などは大学にまで行かせてくれたこと、それを思えば、大変にすごい男なんだと少し前から思うようになった。
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父は日曜の夕方になると、自室でCDを聴いているのが常だった。イーグルスなんかの、古い洋楽ばかり聴いていた。昔は、またかび臭い音楽を流して、くらいに思っていた。最近では、なんというか、父はあれは、楽しいんだろうかと思ってしまう。
飽き飽きしたり、しないんだろうかと。
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このところ自分が感じている憂鬱について色々と調べてみたところ、ミドルエイジクライシス、あるいはミッドライフ・クライシスと呼ばれるものに、どうもよく当てはまっているようだ。中年になって、自分の人生や将来に、不安を覚えたり、なにか間違った生き方をしているのではと疑問を感じたりする現象らしい。
第二の思春期とも呼ぶそうだ。
思春期、なんて言われると、なにを、俺はそんな青臭い、幼稚な人間じゃないぞ、といらだちを覚えるけれど、そういうところが幼稚なんだよ、と言われてしまえば、それはまあ、確かにそうかとなる。
30代でそうなるのは、少し早い気もするが、子供がいないとそういうものなのかもしれない。
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どげんかせんといかんとは思う。
思うけれども、どうにかなるような気もしない。
そもそも、生活に張り合いを求めているかと言われると、そういうわけでもないような気もする。
やりたいこと、というものを考えたとき、何も、本当に何も浮かばない。
ぐっすり寝たいという望みは、先日のコロナ罹患で不本意ながら叶ってしまった。
何をするのも億劫だ。
億劫なのに、しばらくは終わりがくるような感じもない。
かつての君たちの祖父や父親がしていたのと同じように、今度は中国人観光客が日本人売春婦を買いに来るようになったね。
それも別に富裕層ってわけじゃない。ちょっと小金がある庶民が、安いから買いに来るんだ。
少子化の進む日本の貴重な若い女が、観光地のお土産物を物色するくらいの感覚で使われているね。
そんな彼女たちも彼女たちの身体が損益分岐点を下回れば将来を考えて、婚活市場に紛れ込むよ。
夜な夜な精液の受け皿として使われてきた身体を抱きしめ、切り売りを繰り返してきた魂に永遠の愛を誓うのはもちろん君だ。
こんなに若くてかわいい女性と結婚できるなんて、本当に幸せ者だね。
学生時代彼女も作らず一生懸命勉強して、卒業後も残業を厭わず働いた甲斐があったってもんだよね。
愛する彼女は加齢や性病歴で妊娠しにくくなっているかもしれないね。
汗水たらして働いた君のお金だ。
彼女がこれまでの人生で唯一研鑽を積んできた性技はもちろん一生秘匿され、これまで膣を通過してきた名も知らぬ無数の男性器と比較されながら、そんなことはつゆ知らず、君は何度も果てるだろう。
ちょっと違うんだけど、海外のドキュメンタリーで男性同士のカップルが代理母出産で、子供を授かってて、さらに2人目を生んでもらって、3人目を考えてて衝撃を受けたことある。
うちは男女のカップルで1人子供がいるけど、2人目は経済的に多分無理かなとあきらめた。それに、妻の体調が出産前後悪く健康的にも年齢的にも厳しいというのもあった。
一方で、番組の彼らは1人目の時にもらった卵子を凍結していて、適宜望んだ時に代理母を選んで子供を授かっていた。金がない(のもあって)ので、2人目をあきらめた自分たち。金があるので、それを投下して、不妊も出産も性別も乗り越えられる彼ら。
財布を預かる用事があって、そしたら謎の包みが入ってて、中見たら見覚えも聞きなじみもない薬が入ってて、薬飲まなきゃいけない持病とかないはずだけどと心配になって調べたら、EDの薬でしたっていう。
いやーーーー。どうしたもんかしら。
だって、しようとしても途中でもたなくなってしょんぼりする夫はみたくなかったし、私もそれでもがんばってくれよ!ってほど性欲旺盛でもない。
逆に彼がしたそうでも今日は無理って私が拒むこともあったけど、
別にセックスしなくても仲良く生活はできているので構わないと思ってた。
子供が欲しくないわけでもなかった。
だけど、セックスできなきゃ子供出来るわきゃないし、経済状況とか年齢とか生活のこととか、他のことも言い訳にして、真剣に不妊治療とか考えることも話し合うこともなく、ゆるやかに諦めていた。
夫は仕事柄出張も多いんだけど、浮気を疑うことはほとんどなかった。
そんなことしないという信用以上に、浮気するにもできないじゃん、と思っていたのも正直なところ。
他の誰かとするために薬使ったのかな……?
試しに飲んでみただけ、とも考えられるけど、財布に入れているってことは、家じゃなく出先で使うつもりでしょう?
話し合いもしようとせず放置してた自業自得だと言われればそうなんだけど。
問い詰める気にもなれない。
ただ、かなしい。
どうしたもんだろうか。
私も1人目から不妊治療で、2人目は5歳差で産んだよ。4歳だと普通に会話もできるし育児が少し楽になるころだよね。
うちは私がひどい生理不順で5年以上不妊治療した結果子どもを諦めて犬を飼い始めた瞬間妊娠しました!子どもが出てくる頃には犬がやっと1歳になるから犬の手がかからなくなるのでまだいいけどお子さんの手がまだかかるなら子犬から育てるのはおすすめしない…本当に……
うちには子どもがひとりいる。4歳の男の子。かわいくて元気。本当にめっちゃ元気。楽しいこと、面白いことが大好きで、知らん人にも気にせずバンバン話しかける。でも意外と常識面はしっかりしてて、意味不明なことはあんまりしない。小さい頃はまあよく泣いて手のかかる時期もあったけど、言葉が通じるようになり、大変と思うこともなくなってきた。いわゆる余裕が出てきた状態。
息子は不妊治療でようやく授かった第一子。妊娠が分かったときはもう天にも昇る気持ちだったし、生まれる前も生まれてからも大体ずっとかわいくて。夜泣きでイライラした夜も、話が通じずギャン泣きされて途方に暮れた夕方も、逃げ出したいと思ったことはあったけど、トータルで見たら、かわいい大好きが圧勝してる。
こんなにかわいいんなら、こんなに愛おしいんなら、もう一人いてもいいんじゃない...?ってふとした時にいつも思う。弟か妹ができたなら息子は絶対喜ぶし、何より私が、ほやんほやんの赤ちゃんを、もう一回だけ育ててみたい。赤ちゃんの息子と過ごした日々をもう一回だけ丁寧に、死ぬまで覚えていられるようにじっくりじっくり噛み締めながら過ごしたい。
とは言ってもね。
じゃあもう一人産みましょうかと簡単に言えるものでもなくて。正直毎日仕事だけでもくたくたで、保育園から帰ったあとは風呂メシ寝るの三拍子。とてもじゃないけど、離乳食を撒き散らかすバブちゃんを相手にできる余裕はない。そもそも私は不妊治療が必要で、お金だってたくさんかかる。生まれてくるかも分かりはしない存在にお金をドバドバ注ぎ込むよりは、いま確かにいる息子のために使いたいし溜めときたい。
ここまではまあ私というか親の都合。息子の意思はどうかというと、遊び相手に飢えてる。とても。帰り道のスーパーで、じゃれあう兄弟を羨ましそうに見つめる顔がいつまで経っても忘れられない。できることなら、一緒に遊べる弟を、かわいくて仕方ない妹を、自然な流れで妊娠し、おぼつかない手で抱っこする息子の顔が見たかった。その可能性が消えたわけではないけれど、私は多分、もう産めない。息子の時に燃えていた不妊治療への情熱や、がむしゃらに0,1,2歳に向き合う気力体力をもはや持ってはいないのだ。だって私はもう知ってる。子どもからギャン泣きされると本当につらくて泣きたくなるし、寝不足は人を狂わせる。かわいいはずの小さい子どもにイラついてしまう自分の器の小ささも、疲れを理由に遊んでやらない根性の無さも嫌というほど分かってるから。二人目を迎える資格も覚悟もないのだ、本当は。
そうなると、選択肢に上がってくるのがワンちゃんだ。ねこちゃんでもいいけれど、なんとなく、一緒に遊ぶといったらワンちゃんだろう。かわいいワンちゃんを迎えたら、それはそれは楽しくて、私は息子と毎日夕方、河川敷まで散歩に行って、しみじみと季節の移り変わりを楽しむだろう。そのうち大きくなった息子と一緒にリードをひいて、家ではなかなか話せない、学校のことや恋の悩みを聞くかもしれない。それはなんか、すごくいい。
とは言っても、私はこれまで犬を飼ったことがない。最初のしつけの大変さとか、散歩の量とか、老犬になった時の介護とか。ことあるごとに話を聞いては、その存在の大きさになかなか勇気が出なかった。犬と暮らす生活は多分きっと楽しくて、本当の本当に幸せだけど、とにもかくにも別れがつらい。私は結構楽観的な性格なので、別れはもちろんつらいけど、生きてる間はそれを上回る喜びが絶対あると思ってる。小さい頃から犬と一緒に生活してきた人はみんなして家族以上に家族とか、兄弟みたいな存在だって話すから。息子にはせめて、傷ついたとき、そっと側に寄り添ってペロペロと涙を舐め取ってくれるあたたかで優しい存在をつくってやりたいと思うのだ。
ということで。
最後の戦いとして気合をいれて第二子を望んでみるべきか、わふわふと無邪気な愛想をふりまいて家族みんなを癒すけど、家族より長生きしてはくれない命を迎えるべきか。
答えがでません。いつまでも。
たくさんのご意見をいただきありがとうございます。
色々な立場の方がいて、色々な方法があることが分かり、読んでてとっても楽しいです。いただいたコメントについて、いくつか補足させてください。
・夫について
第二子には消極的。理由は私が絶対大変だから。不妊治療も出産も夜泣きも授乳も平日の世話も夫より私の負担がずっと大きい。ママママ大好きママ大好きな息子の相手で疲れた私のためにいつだって何でもやってくれるし、私なんかよりずっと育児に向いてる夫。私が不妊体質じゃなく、体力が人並み以上にあったなら、二人目も喜んで迎えてくれると思う。犬については別れがつらくて飼えない派。でも結局、私の意思を誰より大事にしてくれるので、私の心が決まったら全力で支えてくれると思う。あと多分だけど彼は猫派。
何度目かの体外受精で凍結できた受精卵2個のうちひとつが息子。ひとつは去年お腹に戻して着床したけど育たなかった。自然妊娠は今でもひそかに期待してるよ。毎月毎月、宝くじみたいな気持ちで臨んでるけど、生理が来るとがっかりするし、来なきゃ来ないで(遅れただけで)そわそわはらはらしてしまう。私はいつまでこれを続けるんだろなあって思ってる。
それもあっての犬ですよ。妊娠中に私が無事とも限らない。出産で命を落とすかもしれないし、第二子がどんな感じか分からない。息子がいる分、極力リスクはとりたくないけど、リターンが素晴らしく大きいことも知っているから悩んでしまう。
・犬はおもちゃじゃない
うちの奥さんがそんな感じで、今まさに不妊治療に突入して途中だ。
仕事や家事を生理痛で休むことがあったり、実際結構金がかかったりで、なんか不安になって泣かれたりしたが、まあ慰めたというか宥めすかしたという主観。まあ今は奥さんもそれなりに落ち着いているようだが。
どっちみち、粛々と医者の言う通りにやっていくしかないんだから、意味がないし、そういうストレス自体が成功率を減らすらしい。
辛いなら辛い、金が足りないなら金が足りない、慰めてほしいなら慰めて欲しい、生理重くていやだから話しかけないでほしいならそうと、伝えるだけで良い。
最も欲しいのは、報告だ。シモの話ではあるんで、病院で何をされたとか最初のうち何も教えてくれなかったが、それだと気の使いようもなくて非常にこまった。
7月から妊活を始めたけどこれから始まるかもしれない不妊治療が怖くて仕方がない。
というのも、私は生理痛がかなり重く10年以上ピルを飲んでいた上、数年前に腫瘍ができて卵巣を1つ摘出しているので、きっと不妊傾向があるに違いないと怯えている。
ブライダルチェックでは2人とも若干数値は悪いものの許容範囲という結果で、私はとりあえず数値を適正にするためサプリと薬を飲んでいるけど今のところ妊娠はしていない。
早い方がいいと婦人科で言われたので、来週卵管造影検査をする。
調べていたら人によっては失神するほど痛いらしいとか、卵管閉塞だったらいきなり体外受精に進むとか、色々と情報が溢れかえっていて心が追いつかない。
そもそも婦人科に通っているのもブライダルチェックしてそのままなんとなく通っているだけで、本格的に不妊治療始めるのはまだ先でいいよねとか思ってたのになあ。
なのに今では基礎体温つけてサプリ飲んで排卵日予測して生理来るまでの色々な兆候に一喜一憂して…ってなっていて、このまま不妊治療のサイクルに取り込まれていくのかと思うと怖い。
卵管閉塞だったらどうしたらいいんだろ…