はてなキーワード: あんとは
なるほど。
引き出しが少ないというよりも、セックスに対してクソ真面目に考えすぎかもしれない。
愛する人大切な人の素肌に触れて安心する。それが大事だと自分は思う。
無論勃起したり子宮がキュッとなったらセックスまで進むのは自然だが。まずは互いに素肌で抱き合って喜びを感じること。それを大切にして欲しい。
生活とは戦場だ。家計や家事でピンチが頻繁にありついカッとなることもあるだろう。
その後気持ちが落ち着いた時に「さっきはあんな事言ってごめん」と仲直りできるかどうかで「生活という戦場での戦友」として長続きするか変わってくると思う。
逆に、相手を傷つけまいとして言わなければならない事を我慢我慢に我慢を重ねるのもまた、破綻していく。
金正恩が登場すると
外国のマスコミを跳ね除けて特等席で写真が撮れます。命がかかってるのをみなさん知っているため譲るわけですね。
理由は北朝鮮の人たちが貪るように食べるからです。これはもうね、食べませんね。残してあげる人が多いです。目の前で痩せ細った体をした人が自分たちの残飯を必死に食べる様子は心にくるものがあります。
ここで言うところの繊細さん含め、アレな人を入れないor叩き出せる体制がないコミュニティは迷い込んだアレな人によって亡ぶ
どんどん捨てて次に行かないといけない
かなしいね
街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。
人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。
女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。
だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。
「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのものを象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーとバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです。あなたの顔のすべてのパーツはそれを示しています。もしかしてお気づきになっていませんか?」
女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。
「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャのパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家や芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比に魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ。あなたのお顔もまさにそのとおりで、僕はあなたが数学的に美しいことを証明できます。」
ここまで来ると、女性の一人が「えぇ〜?本当ですかぁ〜?」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。
だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。
それでも俺は一歩も引かない。だって、幾何学は俺の人生そのものなのだから。
「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初の定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです。見てください!ほらあなたの腕はアポロニウスと言えるし、あなたの全身は原論の誕生にすら資するべき存在と言えるでしょう」
彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。
「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザやアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスやユークリッドにその美を見出しているんです」
幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。
皆、頬に赤みを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界に意識を飛ばしているかのようだった。
ひとりは下半身をチラッと確認し、もうひとりは、首元の鎖骨の付け根あたりをいじっている。
こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの…」という困惑そのものだった。
「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。
表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。
もう一人が、さらに微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧に質問してくる。
しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。
俺はその瞬間、すべてを理解した。
ああ、やっぱりこうなるのか、と。彼女たちの心を動かすことは簡単でも、幾何学的美しさを彼女たちに理解してもらうことはできないんだと。
俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比の神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。
彼女たちは、たぶん俺の年収や、俺の背景、俺の地位の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ。
「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。
俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。
諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。
冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。
俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから。
女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。
最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。
だが、俺の中では確信がある。
幾何学こそが、真の美であり、それを理解しない者は本当の美を知らないのだと。
彼女たちには理解できない美が、俺の中にある。それだけで、俺は満たされているんだ。
俺は腰を振りながらそう思った。
薬の影響で多少の体重増加はあっても大幅な体重増加はどう考えてもそれまでの生活習慣によるものでしょ。
それなのにデブは世の中に対して「配慮を求める側」として君臨しているんだよね。
おかしくねえか?
世の中に「配慮する側」だろどう考えても。
電車で同じ料金しか払ってないのに2人分の空間を専有し、常に身体は汗臭くてベトベトしてる。
血糖値のバランスが壊れているからいつもイライラしてるし、なんかボーっとしてることも多い。
肌が汚いからフラれたのを「ルッキズムで差別するな」と体重のせいにするし、食べ尽くしを咎められたら「俺は人より沢山食べるんだ」と暴れ出す。
いつも不満そうな顔をしていて、周りから親切心を巻き上げることばかり考えている。
心が醜いんだよね。
人間として劣悪すぎるよ。
まあ確かにリアルではないよな。現実はあんな上品でもないし、性を癒すことがコミュニケーションツールになってるなんて言語化できる知能もない。
でも性的コンテンツが男社会のコミュニケーションツールになってるのは事実だし、それに嫌悪感をもつ男がいるのも事実。短いページ数のなかでその事実をうまく消化できてたとは思うよ。
ネットで見かけた、「自称」音大ヴァイオリン卒という人が言ってた話ではあるんだけど。
彼曰く
「チャールダーシュは自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる曲で、実際余興として弾かれるケースが圧倒的に多い時点で本格的なクラシックじゃないので、それを以て奏者のクラシックの演奏能力は測れない」
だそうだ。
いや、チャールダーシュはロマ音楽をリスペクトした作品であって、それはそれでどう弾くかは入念な考察が必要なわけで、自由度が高いなんて解釈は雑もいいところ。
だいたい、それだったらジャンルを同じくするスペイン交響曲やチゴイネルワイゼンだって、本格的なクラシックじゃないという話になるんじゃねーの?
と思ったら、その2つは難易度的な観点(チャールダーシュのほうが遥かに簡単かつ、上の2曲は音大受験レベルの難しさ)から、本格的クラシックなんだそうな。意味わかんねー。
とはいえ現実には、プロほどチャールダーシュを悪い意味で余興的なスタンスで弾くことが非常に多くて、そうやって弾かれたチャールダーシュは、残念ながらどれもこれもセンス的に微妙過ぎたり。
まあでも「それを以て奏者のクラシックの演奏能力は測れない」んだったら、好き勝手に弾いていいってことなんでしょうね、どうにもがっかりですわ。
音大卒しかもヴァイオリンとなると、それこそ音大入るまでに比喩でも誇張でもなく、文字通り「百万回さらってきた」人たち。
その時点で誰もがその場所に立てるものじゃないどころか、それを生き抜いてきただけでとんでもなく凄いと思う。
だからあんまりそういう立ち位置の人をdisることはしたくないんだけど…それにしたってあまりにレベルが低すぎないか???
アレか?音大はクラシックを本格的かそうじゃないかを、曲の難易度だけで選別するのが教育なんですかね??実に芸術的で頭が下がりますね。
そんなんだったら音大なんて行かなくて良かったって心底思うし、悪いけど「音大なんか行くもんじゃない」って周りに言いふらすことにさせてもらうわ。
翌日早起きして〜とか夕方まで〜とか話にあんま関係ないし聞いてもない情報を次々付け足してくるの完全にババァの論法で感心してしまった。これは煽り目的のネカマではないリアルなババァだ。おみそれしました。
変なバンドだよね
間違いなく才能はあるんだが、ひねくれてるというか
島唄はもちろん名曲なんだが、色んなジャンルを雑食的に横断する中で
たまたまやった沖縄ソングがバンドを代表する名曲になってしまったのも不幸だった気がする
あと中央線
ワールドミュージックに傾倒するほど無理してる感が滲むんだよ
姉はコロナで学校の水泳が全面的になかったのを心配して3年生夏から。弟は1年生夏から。
週1回1時間程度。どちらも2年くらいで25m泳げるようになった。
目標がそのあたりなら、3年くらいで終わるから、年長~小学校低学年開始でよさそう。他の習い事との兼ね合いもあるから、あんまり遅くない方がよいかも。
年下に抜かれたりすることは普通。もっと回数多く回数通う子もいるし、上記の通りコロナもあったから、始める年齢も様々。
2歳はさすがに早すぎるような。
万が一の事故はどのスポーツにもあるけど、衝突、転倒の事故は少ないし、天候気候関係ないから、男女ともオススメ。用具が安価なのもいい。
ちなみに、弟の方は他にサッカーと野球をやっているけど、そっちのほうが、同じ学年でも差がつくし、向き不向きがありそう。
野球はやっぱり用具が高い。サッカーは能力の差が顕著。どっちも「中の下」くらいの能力ならいいんだけどね。どちらもチームの人数が必要だから、田舎と都会ではまったく感想が異なるかも。
ようやくこのイヤな感じの正体がちょっと掴めそうな気がしてきたんだけどまだまだハッキリとはしてないんだけどまあこんな感じなのかな。
SDGsって持続可能なナンタラの大義名分ためにこまけーことで人の一挙手一投足を規定していこうっていう裏の意思みたいなものを感じるんだ。
ざっくりとした思想をダイレクトにこうしろや!みたいなのはむしろあんま感じなくて。
いちいちこまけーことで色々言ってくるあの圧に俺が俺である意味が削られていくような気がしてる。
「レジ袋は一番でけーので頼む!割りばしは2つおつけして!弁当1個しか買わんけど!」みたいな人間が仮にいたとして、SDGs的にまあアウトよりのアウトなんだろうけど
でもその人間のそのひとつひとつの要求こそがその人間がその人間であることを社会に刻印していく行為に他ならないんだよな。
就活で自分を一言で表現してくださいみたいなのはあんなのは嘘っぱちなので。
人間は一言では言い表せないしモノに例えることはできないし動物に例えることもできないし絶対に潤滑油ではないよな人間は。
レジ袋(大)のような一つ一つの傲慢さやプレイリストのクセとかサブウェイの注文の仕方や時には社会なるものに立小便をひっかける各種行為(女性なら座りション)の積み重ねが
パズルのピースのように人間を少しずつ形作っていくしそれは「このようにあろう」みたいな意識高い中身アホみたいな領域ではほぼなくてほとんどが無意識だったりプライベートだったりすることのほうが多いんだよ。
SDGsというのはそれらを一つ一つ矯正してくる試みなんだよな。
人はなにかしら大義名分を得た途端に水を得た魚のように人を縛りだす。
ハハーンそうくるのな、の見本みたいな醜悪さで。
論破されちゃったからこれ以上返信しても負け犬の遠吠えだから、意味のない文章だと思って聞いてね
俺はバカでプライドが高いから、俺に対して間違ったことを言われたら顔真っ赤にして反論することしかできないの
俺の趣味も努力やストレスとは無縁なわけじゃないから、あなたのいう事はわかるよ。上達が見えないことは楽しくないし、そして上達には多かれ少なかれストレスがつきものだから。
だけど、ゲーム遊んでストレス溜めて、その結果終始愚痴ばかり言うだの、利敵行為を働くだの、になってしまうの、確実に自分の精神衛生面にもよくないじゃん。
わざわざそのゲームのためだけの愚痴吐くアカウント作ってひたすらそれを言うのって、確実に自分や他人のためにならないし、少なくとも普通ではないじゃん。(これが一般的なことだったら、それができない俺がハッタショなことが露呈するだけだけど)
だから俺は自分をそこまでは追い込めないからそういう人たちを尊敬するけど、ゲームは多くの人にとっては義務や責務ではないのに、自分をそんなにしてまで得られるものって何?っていう疑問と、理解できないものに対する拒絶もあるよっていう
ただこれ書いてる途中でちょっと思ったんだけど、アレってサウナでととのう、に近いことなのかな?いつか来るはずの気持ちいい勝利のためにストレス溜めて、そしてそれが来たら気持ちよくて、そしてまたストレスを溜めるのに戻るっていう
これならまぁ分かるんだよな。俺サウナのこともあんまり理解できないから、俺が理解できないことにも説明がつくし(サウナーを尊敬しているわけではないが…)