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はてなキーワード: 反戦運動とは

2022-03-02

anond:20220301134149

まあ、どこも平等に常に報道されて世界平和になる事を祈ります。。私たち日常問題も。

Western media’s coverage of Ukraine crisis normalises conflicts in other areas: Press body

The Arab and Middle Eastern Journalists Association cited examples from CBS News, Al Jazeera and ‘The Telegraph’.

https://scroll.in/latest/1018495/

自分は、個人的空手をしていて東京五輪での

ウクナイナ選手活躍で好きになりました。

あとはうまく言語化できないけど、何か今までと違う恐ろしさを体感で感じています

何か人々の同情を持って、違う争いの種にする人の存在不思議ではありますが。。

常に戦火がある度に、報道はありますし、苦しむ市民の方々の写真見て心を痛めてはいますよ。

あとは、ネット上の事が全てリアルリンクしているとは限りません。例えば、ネトウヨリアルで見かける事はないですよね。

ベトナム戦争の時も、それなりに反戦運動あったんじゃないですかね。生まれてないですが。

米露の衝突の嫌な予感があるのではないですかね。

2022-03-01

anond:20220301004143

都合の悪いことは報道されない

発表されないだけだろ

その証拠ウクライナ国内ウクライナ人がウクライナ政府に戦争反対と叫ぶデモ報道されない

反戦運動報道ロシア国内のばっかりだ

2022-02-27

から自衛隊のもの憲法違反なんだってリベラル曰く。

anond:20220227115027

自衛隊憲法違反。だから自衛隊解散せねばならない」「自衛隊の前提を当然とする日本国民ネトウヨ」とする必要がある。ところが、今やリベラル自身が「自衛隊いるか改憲不要」とか言い出す。

憲法の条文が1文字も変わってないのに、なんで日本護憲派は、半世紀もたたないうちに、意見が180度変化するんだよ。頭いかれてるんじゃないか

かつては、暴力を奮ってでも、住民票の受取拒否など、それこそ憲法違反行為をしてでも、自衛隊員を自分たちそばから追い出そうとするほど嫌っておいて、今困ったら「助けてください」だって? 馬鹿休み休み言えよ。

社民党党首 福島瑞穂

http://www.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406300351.html

憲法の明文の規定と照らし合わせれば、違憲であると言わざるを得ない」と述べ、旧社会党時代の94年に「自衛隊合憲」とした党の見解を変更する考えを示した。福島氏の個人的な考えであり、党として見解を変更するかどうかは、中期的な指針である社会民主主義宣言2005」を採択する来年秋の党大会正式検討される見通しだ。

日本共産党 志位委員長

https://www.jcp.or.jp/seisaku/006-0609/kenpou9jyo_yougo.html

そして私は、自衛隊憲法違反といわれるのがいやなら、憲法九条を取り払うことでこの矛盾解決するのではなくて、世界に誇る憲法九条の完全実施に向けて、憲法違反自衛隊現実を一歩、一歩変えていくことこそ政治のつとめだ(拍手、「そのとおり」の声)、こう考えるものであります。(拍手

早稲田大学 水島朝穂憲法学)

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1117.html

日本憲法9 条の観点からすれば、文民統制が徹底した「理想的」な自衛隊であっても、違憲性の問題はなお解消されない。

防衛協会会報141号

https://ajda.jp/publics/index/124/

憲法学者の7割が「違憲」の存在と語り、又、小学校教科書では《自衛隊については憲法と照らし合わせて様々な意見が交わされている》とされ、中学校高校では《政府合憲解釈し学界や判例には憲法違反もある》と記されています

この様に憲法根拠が無い事から日陰者扱いをされ、支える家族もつらい思いをしているのが現状です。我々は24時間365日、命をかけて日本平和安全を守ってくれる自衛隊の皆様に「自衛隊さんありがとう」の感謝気持ちを込めて『自衛隊』を憲法に明記し自衛隊に誇りと名誉回復する活動青年部会の輪を広げ、47都道府県組織するべく邁進致します。

沖縄タイムス

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703510

入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官からという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。

大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。

首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/687565

日本復帰前後自衛隊県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体自衛隊員の転居手続き拒否成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。

「樹々の緑」通信京大学生運動史研究会

http://w01.tp1.jp/~sr10697360/kiginomidori.html

https://archive.is/XB02W

66年12月に同学会委員長に選出され~67年12月まで2期つとめましたが、思い出深いのが全学で闘われた自衛官入学反対闘争です。工学部院生協議会を中心に60年代に入って取り組まれてきたこの闘いはついに全学学生大会・全学ストにいたり、奥田総長との大衆団交で「京大

自衛官は入れない」という趣旨確認を勝ち取り、その成果は全国の大学に波及してゆきました。

2022-02-25

従軍しようとしない女に反戦運動をする資格はない

なぜなら、侵略されたら男は皆殺しになるが、女は生き延びることができるから

まり、女の反戦運動は、他国の男の支配を受け入れ、自国の男が皆殺しになることに同意している人道に反する行いに等しい。

あるいは、自国の男が皆殺しになるなんて知らなかったとすっとぼけるだろう。

この「わたしは知らなかった」は嘘である

女は戦場に立つ可能性が低いにも関わらず、男より女に反戦主義者が多いからだ。

息子のため夫のため、と自分に嘘をつき、支配者の男に養われたいという本音を抑えこんで、反戦運動する。

このような女の行いを許す国家組織利敵であるため弱体化するだろう。

いや、実際にそのような国は少子化という形で弱体しているのかもしれない。

真の愛国反戦運動をするなら、女に男と同じだけ従軍させなければ達成されないはずだ。

2021-11-25

anond:20211125112349

中ソの共産主義者暴走たから、「共産主義」に偏見があるのは理解できる

だが、共産主義者自体は、戦時中反戦運動したりして、表現弾圧された方だから

本来なら】、ガチ表現規制反対派のはず

でも彼らは、もうお年寄りが多くてな

旧態依然とした価値観を認めないと、支持が得られないのよ

結果として「我々は表現の自由を守るが、いかがわしい表現はその限りではない」みたいな矛盾を平然と垂れ流しちゃう

2021-09-13

70年代庶民の間に反戦思想なんかろくになかった

https://twitter.com/burubur56030897/status/1437074033057484802

↓それへの反応

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/burubur56030897/status/1437074033057484802


まぁ、反戦は叫ばれていたが「庶民の間」で反戦が盛り上がっていたかどうかは、疑問が残る

朝鮮特需記憶に新しい時期


反応を見るに、歴史修正主義だなんだと盛り上がり

盛んに、落ちのコマで分かるように反戦漫画だ、としているが

君らパヨクが思ってるほど、庶民反戦だったかね?

そりゃ、マスコミ反戦運動もすごかったがね

なんか、別の世界の話だったよなぁ・・・と当時子供だった庶民の私は思ったりする


あの頃が一番輝いていた共産パヨク記憶捏造じゃなかろかと思うんだが

学生運動だって、まじめに活動してるのは一部で、ほとんどは乱交とかの乱痴気騒ぎに参加したかったガキだしな

浅間山事件とかなかった事になってるんだろうか

成田周辺にしろ何にしろ、あの頃のアホのおかげで、日本じゃ碌にデモも盛り上がらん

ストも忌避される(国鉄共産系が思想丸出しの政治闘争にストを利用したから)

マジ、あの頃のゴミ大人くしてりゃ、労働組合だってもう少しましな組織になれたんじゃなかろか

共産党というだけで「赤」と呼ばれる、戦時中か今は?と思うよな時代が続いたんだぞ

自分らで自分らを総括しろ

何が歴史修正

アホども

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-04-19

anond:20210419231504

学生運動実態アイスバケツチャレンジポケモンGOに近いよ

西欧諸国反戦運動流行ってたのでよく知らんが立て籠もってみたってだけ

明確な目的意識があった訳でもなくアウトロー的な流行

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-21

anond:20210321111233

反戦運動なんかしなかった人の方が圧倒的に多数派なんだから自分を責める必要などないですよ

反戦運動をことさら持ち上げるのは、第一次大戦中の厭戦ストライキロシア革命の発火点になったというN=1の事例をカルト的に信じている人たちです

オリンピック反対運動できない人は戦時中に生まれてても反戦運動できない

何も言い返せんかったわ

くやしいので何かしたいんだがどうしたらいいんや このままでは何もしなかった雑魚の一人として史実に残ってしま

2021-02-14

anond:20210213091501

元々はチャーチルのVサインが始まりだろうけど、日本でもスポ根アニメで有名になった。「サインはV」とか「巨人の星」とかで。ピースって言いながらVサインをするのはベトナム反戦運動で広まった。写真撮る時にするのはコニカCMでやったのが流行ったらしい。

2020-08-28

anond:20200828095742

日本から見ていると温度感は本当に分かりにくいわな。

それこそキング牧師とかが活動していた半世紀前と違って、

表向きはトイレバスが分けられていたりとか、物理的な差別があるわけではない。

しろアファーマティブアクションがあるぶん逆に優遇されてね?とすら一面的には見えてしまうくらい。

なんやかんや言って、社会運動当事者じゃないとうまく伝わらないよななとは思う。

ヴェトナム戦争反戦運動でも、実際に大義のない戦争に送り込まれそうになったアメリカ若者と、

安保で守られていた日本若者では全然当事者意識が違っていたわけで。

2020-08-11

anond:20200810210552

軍備が弱かったからです

アメリカソ連支那フランスイギリス全て合わせたものよりも強力な兵器軍隊資源情報通信技術スパイ網があれば勝てたことでしょう

負けたということは弱かったということ

あの時代現代レーダー技術デジタル暗号通信技術人工衛星と精密誘導ミサイルコンピューター制御の精密射撃技術があれば戦争に勝てたことでしょう。

スパイ網をアメリカ国内に広げて反戦運動人種差別運動学生運動労働運動を起こしてマスコミ誘導してアメリカ国内を分断して厭戦気分を盛り上げるのも方法でしょう

結論大日本帝国は弱かった

2020-07-27

米中戦争に反対します。

米中戦争に反対します。政治的迷惑日本が巻き込まれるのは御免です。

どうか日本戦争に巻き込まないように呼び掛けてください。

万が一戦争が起きた時はネット上やリアルでの反戦運動を呼びかけます。ましてや日本が巻き込まれたら反安倍運動反戦運動に合流させます

ふざけるな、米中戦争

絶対止める。米中戦争

戦争を止めてくれ、日本

2020-05-17

現代で昔みたいな戦争って起こりうるの?

赤紙が届いたら戦争に行かないといけない!逃げたら一族郎党爪弾きにされる!みたいなさ

国への忠誠も共同体意識ももあんまないじゃん

家族人質に取るってのもなんとなく効き目が落ちてそう

もはや大量の国民戦争に動員するのって無理な気がする 少なくとも今生きてる人たちはかなり反戦自由規範みたいなのを持ってるからクソでかい反戦運動が起こりそう

軍靴の足音…みたいなのを聞くたびにどんな戦争を想定してるんだろうなと思う

2020-02-18

anond:20200218104421

反戦運動のためにテロに手を染めるぐらい手段目的が逆転してる感があるんだよな

2019-09-29

anond:20190929154546

対話で何とかなるやろって言うのも頭の中お花畑から反戦運動理想系は全世界が同時にヨーイドン軍事力を手放していくしかないんだろうねぇ

2019-05-07

anond:20190504184608

条件闘争ちゃんとする組合反戦環境デモに人を出すし、御用組合反戦運動なんてしないけどね。

結局、政党や他の運動体との関係性の問題からね。

雇用関係運動だけ陳情を聞いてもらったり、デモに人を出してもらうのに、自分たちあんた方のデモには参加しません、なんて団体と協力できるわけないでしょ。

これは世界中どこでも一緒だよ。

2019-05-04

労働組合もっと他にやることがあるだろ

https://twitter.com/t_wak/status/727428415054204929

反戦結構平和結構労働条件の向上も平和からこそできることだろう

だがよ、労働組合の本分はそれじゃないだろ。

  

営業部人間が「サービスの根幹である商品の開発をしています」ってアピールしてたら

「お前は物を売ってきて客の声を開発にフィードバックする仕事だろ。自分で開発してるとかバカか?」

って言われるだろ。

  

反戦運動護憲運動で目立ってる場合じゃない。

どれだけ賃金が上がったか、どれだけ有給取得率が上がったか、どれだけ残業が減ったかもっとアピールすべきだし、

従業員保健の充実がこれから課題になるだろう。

離職率が高いってニュース労働組合の恥だと思え。それだけ労働者権利蔑ろにされてるってことだ。

  

自分たちができることとやらなければならないこと、そして自分たちが掲げている看板はなにかということをもっと明確に意識して欲しい。

2019-03-21

サブカルネトウヨ化するというけれど

ちょっとまってほしい。

サブカル政治をやってるのって、左翼系だよね。

左翼デモを見てみたらわかると思う。

ロックアナーキーアイコンサブカル風の衣装で、どう観てもサブカル系を意識したデモをやってる。

左翼サブカル臭はマジにダサいレベルまで達してる。

あのサブカル臭こそ、左翼デモ求心力を失わせた原因だと思う。

レゲエロックヒップホップSFオタクダサいラップ

左翼文化は60年代からずっとサブカルと一緒に居た。

あのサブカルのダサさこそアイデンティティであり、いまさらサブカルネトウヨと言われると、

フォークソングを歌いながら反戦運動やってた人間の立つ瀬がない。

2019-03-05

anond:20190226160212

一般的暗黒時代とも言えるポメラニアンの戦いの歴史於いて芸術が大きな発展を見せたことは看過できない

ポメラニアンの戦いが始まると、一部のポメラニアン反戦運動を起こした。

その波は瞬く間に芸術界に広まると、歴史から何も学べない、幾度となく繰り返す戦争の愚かさを芸術を通して表現したポメラニアンたちが現れた。

同族同士の戦いに於いて勝敗を決しようとする愚かなポメラニアンにアイロニックな観点からポメラニアンを唄ったのがポメラニアンポメラニアンである

 静寂な湖畔に佇むポメラニアン

 朝霧ポメラニアンの頬を撫でる

 鳥の声に導かれ振り返れば越冬の小屋

 暖炉にくべる薪は底をつく

 ポメラニアンは泳げない

一匹のポメラニアンが静寂な湖畔に過去幸せ生活に想いをよぎらせている。

現代社会という朝霧ポメラニアンたちの楽園を朧げにさせる。

楽園謳歌する鳥の声に導かれて振り返るも、冬を越すには心もとない小屋は略奪の戦いを予期させる。

戦いが始まったとしても、それはポメラニアン同士の虚しい戦いであることが婉曲的に「泳げない」と表現されているのである

2018-01-05

世代

1920年代1930年代まれ

戦前世代

青少年期に日中戦争太平洋戦争体験し、1920年代まれ徴兵経験する。

終戦時の年齢は6歳から25歳。

高度経済成長期(1954-1973)には15歳から53歳

安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。

バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。

定年(60歳)は1980年から2000年まで。

現在は80代・90代。

バブル時代総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。

それ以降も小泉純一郎就任まで、1920年代1930年代まれ総理大臣が続く。

1940年代まれ

1960年1970年安保闘争ベトナム戦争に対する反戦運動1960年代後半に過激化した学生運動などを大学体験した「全共闘世代」。

1940年代後半生まれ戦争終結による第一ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。

高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には24から51歳。

バブル時代(1986-1991)には37歳から51歳。

定年(60歳)は2000年から2010年まで。

現在は70代。

歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。

1950年代まれ

上の世代反面教師政治的無関心が増えた「しらけ世代」。

1950年代前半生まれ団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。

1950年代後半生まれ人口の少ない「谷間世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には14歳から41歳。

バブル時代(1986-1991)には27歳から41歳。

定年(60歳)は2010年から2020年まで。

現在は60代。

歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。

1960年代まれ

従来とは異なる感性を持つとされた「新人類」。

1960年代前半生まれは引き続き「谷間世代」。

1960年代後半生まれバブル時代就職した「バブル世代」。

幼い頃からマンガアニメゲームバラエティ番組洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には4歳から31歳。

バブル時代(1986-1991)には17から31歳。

現在は50代。

1970年代まれ

バブル崩壊後の不景気就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。

1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。

安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。

バブル時代(1986-1991)には7歳から21歳。

現在40代

1980年代まれ

出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。

1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。

ただしゆとり教育のもの1980年から施行されている。

安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。

現在は30代。

1990年代まれ

物心ついた頃からPCインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。

ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」、および不景気下で育ったために無欲と言われる「さとり世代」。

現在20代

2017-08-16

反戦運動サヨクによる「日本スゴイである

今の日本が本当にまた戦争起こせるとでも思っているのか?

2017-08-10

終戦記念日間近で反戦運動が活発な中、北が宣戦布告してるあたり君らのやっていたことに意味はあったのかい?と活動家に聞いてみたくなる

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