2024-03-06

嘘松には手を出すな!

とある嘘松ラノベ作家がここしばらくのあいだ鍵垢になっていたのだが、ちょっと前に出所してきた。

鍵かけた理由炎上が原因と思われるし、これからは心を入れ替えて真面目に作家活動を頑張るのかな……と思いきや、早速のスカッと系嘘松っぽいツイート投稿

これは恐らく、まともな作家としてはもう再起不能だろう。

多数の嘘松アカウントを見てきた者として感じるが、嘘松にはかなり強い依存性がある。特に小説家やその志望者にとっては。

言うまでもないが、小説というのは、言葉だけを使って一つの世界を作り上げるという、とんでもない縛りプレイ産物だ。

しかもあらかじめ、「これは嘘である」ということが暗黙の了解として読者に共有されていることが、基本的ルールとなる。

(もちろん私小説歴史小説のような、虚実を曖昧にすることで成立するタイプ小説もあるが、ここでは普通エンタメ小説に絞って話を進める)

その上で読者の興味を引き続けなければいけないのだ。もはや無理ゲーと言ってもいいだろう。

「あり得ない」「考証が甘い」「で?」「だから?」「は?」

読者の心無い言葉ひとつであっさり崩れ去る、砂の城建設

そんな難行に取り組んでいるというだけで、プロアマわず全ての小説執筆者尊敬に値する。

だが、そういう小説の困難さに直面しているからこそ、小説書きの眼に「嘘松」は魅力的に映ってしまうらしい。

虚構でありながら「これは実話である」という体で語られる嘘松は、当然ながら人の興味を引きやすい。理不尽被害や、そこからの逆転などの刺激的な内容なら読者も、そんなことがあったの!?と食いつかざるを得ないだろう。小説基準で言うならチート級のつかみだ。

そして、現実には人の心をざわつかせる材料いくらでも転がっている。サヨクウヨクフェミとアンフェ、表自とポリコレ、肉食とヴィーガンといった対立は、下品すぎて小説ではなかなか正面から扱うことが難しいが、嘘松なら格好の素材である

また、嘘松では小説テクニックをある程度は流用できる。そのためプロとして最低限の文章力構成力を持つ作家なら、誰でも100RP級の嘘松を連発できて当たり前なのだ

真面目にコツコツと小説を書くよりも、はるかに低いコストで「読者」を得ることができる嘘松

一線級の超人作家ならともかく、こういってはなんだが一山いくらB級作家嘘松活動にのめり込んでいくのも無理はない。

しかし、嘘活を続けていると、作家感性は次第に嘘松にむしばまれていく。

嘘松小説は、現実ではないという一点において共通しているし、前述のように技術として似通った面もある。だが、やはり決定的に別物なのだ

嘘松の多くは、はっきり言ってしまえば、「嘘松(実話)としてなら面白い小説としてはイマイチ」というレベルの内容がほとんどだ。嘘松に特化した想像力では、小説フィクション)を支えるだけの真に力強いアイディアを生み出すことは難しい。

また、嘘松作家の書く小説はどこか薄味で、登場人物にも世界にも魂が入っていないように感じる。「実話」という強力なカードに頼って、世界自力で構築する作業を怠ってきたのだから当たり前だろう。

そして何より、最終的には作家自身が、自分の作るフィクションに興味を保てなくなるようだ。

こんなの、ただの「作り物」じゃないか。「現実」に勝てるわけがないじゃないか、と……

そんな嘘松作家たちの哀れな姿を、俺は数えきれないほど見てきた。

ただ、嘘松特化型クリエイターであることが、必ずしも不幸であるとは限らない。

現に、別のとある嘘松作家も今は、自分自身主人公にした嘘松の延長線みたいな題材の商業作品で大いに人気を博しているようだ。

そういう道もなくはない。経済的成功だけで満足できるのなら、本人が納得できているのなら、それでも別にいいんじゃないかとは思う。

それでも敢えて警告しておこう。

ネットに生息する全ての作家よ。作家志望者よ。

嘘松には決して手を出すな。

もしも本当の作家でいたいのなら。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん