はてなキーワード: ユングとは
葬儀に参列した。
式次第が進んだ後、親族一同で少し離れた料亭で食事を取ることになった。
手配された車で移動しようとしたら車が足りず、一旦自分が一人で残ることになった。
しばらく待っても迎えが来ない。
料亭の場所もきいてなかったので、近くの飯屋で適当に食事することにした。
喪服で店に行くのも嫌がられそうなので着替えていたら、携帯に電話がかかってきた。
見慣れた番号だが誰だっけ。
「ああ俺。夢から覚めた後の俺。いま飯を食いに行っても無駄だから止めておけ。
夢だから。」
そういえば自分の番号だ。
「夢なのかこれ。なら昔気に入ってたのに閉店した
あのラーメン屋にも行けるんだな。」
今午前2時だぞ。こんな時間にこんなはっきりとした夢見てたら駄目だ。
もっと深く眠れ。」
「今寝てるのは俺じゃないし、俺に言ってもしょうがない。
ところでこれ誰の葬儀だ?」
「知るか。誰だっていいだろう。」
「両親の祖父母は4人共何年も前に全滅した。母親も去年癌で死んだ。
残っている親父か?」
蓋が閉じた棺桶を脇目に見る。
「そんな事は考えるな。とにかく今すぐ全部やめろ。
寝ろ。」
切られた。
寝ろと言われてもすでに寝ているし飯を食いに行っても無駄だ、となると
棺桶に寄ろうとしたら、斎場の小さな隙間から猫が入り込んできた。
ガリガリに痩せた汚い猫で、放っておいたら猫に遺体を食べられてしまいそうだ。
猫を捕まえて外に追い出したが、この猫、何度捕まえてもどこからか中に入り込んでしまう。
「俺は今この文章を書いている俺だ。起きてしばらくしてからこの文章を書いているが、
実際のところを伝えておく。
さっきの"夢から覚めた俺”は夢の中のお前が作ったキャラクターだ。」
また変なのが出てきた。
「さっきの奴とは違うのか。
なんだよ、実際のところって。」
「実際に見た夢と、この文章は内容が大部違ってる。
まずお前は棺桶の中身が誰か、誰の葬儀か一度も気にしなかった。
さっきの奴との会話はあったが、棺桶の中身については一切触れなかった。
そして猫にも入り込まれたが、実際の夢では
何回も入り込まれた腹いせにお前が猫に噛みついて、
猫は死んだ。」
何だそれ。そういや腹は減ってるが。
脇に抱えた猫が不安げに俺を見上げる。
「そりゃ面白いな。猫はともかく。
要するに"今この文章を書いているお前"は、
「別に気にならない。夢で誰が死んでようが、夢は夢だ。
「なら聞いてやるよ。
親父が死んだらどう思う?」
人並みに悲しんだふりをした後日常に戻るだろう。」
「それを言いたくてわざわざこの文章を書いたのか。
じゃあお前の仕事は終わりだな。」
猫を床におろしてやった。
猫はてくてくと棺桶に近づいていく。
「それでいい。そのまま猫に遺体を食わせて終わらせよう。
甘いものでも食べに行けばいい。」
誰がいない猫に後始末などさせるものか。
俺は奴に言った。
「猫がどうするかは、今ここにいる猫が自分で決める。
お前じゃない。
俺もそうだ。
夢の中の俺でもなく、この文章を書いているお前でもなく、
今ここに立っている俺こそが自分だ。
棺桶をどうするかは俺が決める。
じゃあな。」
電話を切った。
棺桶に近づき、猫が見守る前で蓋に手をかけた。
さて、何が入ってるか。
ぶっちゃけ配属されるころには社会学者だいたい嫌いになってて外と付き合いないから教授レベルはN=10ぐらい。
これマジ。
経済学部と間違えて入っただろお前って人ばっか。
経済学部って数字とか多くて難しそうだけど社会学ならまあ国語力でいけるだろみたいな感じの人も多かったね。
最初は世の中を良くしたいんです云々みたいな事言ってた人が、まあ異性の前でイキってたり教授の前だから真面目なこと言ってただけで、話を聞いてみると楽そうに感じたとか受験科目が少ない中では学歴になりそうだったとかが本音だとあとで知ること多し。
意識高い系は国際なんちゃら学部とかが多かったなあ、単にイキって意識高いこと言う人が多かっただけなのかもだが。
尊敬する人みたいな話になると芸能人やエジソンがよく出てくるしオイオイ社会学者じゃないのかってなるよ。
それが社会学部
でも同時に「口先やペン先だけ動かしてれば世の中が勝手に自分の思想が正しいと認めてくれるはず」みたいな謎の思い込みを持ってる人も多い。
ゾっとするレベルで「俺が言ってることこそが本当に正しいんだよな。馬鹿には理解できねーらしーけどー」みたいな考えの教授が多いね。
他の業界がどうなのかはよく分からんけど、少なくとも社会学の教授はそんなんばっかだよ。
表向きは「いろんな考えがあるよね。人間だもん」みたいな事言ってた人が酒呑んで豹変したら中身は結局「俺が正しいのに認めねえ奴が多いからさ、仕方なく表向きは考え押し付けてない感じにしてやってんだよ」みたいな事ガンガン言うもの。
本当に多様性を認めてる人はぶっちゃけいなくて、「現代において俺の思想は比較的マイナーだから一時的に多様性を認めることで生存を図るが、最終的には俺の思想に反するやつが消える社会が正しいんだよ」みたいな感じで多様性を認めていくと抜かしてる。
あと大体は強烈なコンプレックスを持ってるんだよなあ。
フロイトやユングに治療して貰ったほうがいいんじゃないですかねってレベルで色々拗らせてる。
拗らせきった自分を社会に合わせられないから、社会を自分に合わせるための力が欲しくて社会学者になったみたいな人ばっかだなあ。
おっす俺アラサー(34)。
小学校で教わった「オナニー」という言葉の意味をオヤジのパソコンで調べて以来かれこれ24年間ソロ活動。
小学生当時の俺にとっては18歳(自称)のAV女優であっても肌のきったねえオバサンだったのでもっぱら二次元でシコった。
たまに気まぐれで三次元でシコることもあったが、基本的には二次元でシコってきた。
今までのオナニーの回数を雑に「365日*24年/2日おき」で計算すると8000~9000という所だが、そのうちチャンポンも含めて三次元でシコったのはせいぜい500。
俺のチンコは二次元をシコる対象とみなし、三次元はあくまで二番手とみなすように調教されてきたと言っていい。
最近性欲が衰えてきたのか、ついに三次元で全く興奮しなくなった。
素人自撮りは肌の汚さやカメラワークの雑さが見ていられないし、女優男優の演技が棒すぎるのもアニメばかり見てきて身にはキツイものがある。
特に若くて可愛いだけの三次元女優は演技を一切しなかったりやたりわざとらしかったりで股間に訴えかける物が少ない。
30すぎているような女優と比べると肌が綺麗に見えるが、二次元と比べればサメやトカゲのような革っぽさすら感じてしまう。
静止画の場合も三次元の場合は単なる写真でしかなく、二次元のポルノが持つキュビズムや抽象画のような時空を歪めながら性欲に訴えかけようとする趣が一切ない。
そもそも文化が違っていて、三次元のエロというものはある種の盗撮趣味のような世界の上に構成されているのだろうが、私の股間はそういった覗き見だとかリアリティだとかいったものに対して興奮するようには出来ていないらしい。
結果、私は三次元で抜くことが出来なくなった。
こないだ試しにDMMで人気上位のエロ動画のサンプルを順繰りに見ていったが、どれも私を興奮させることは出来ず息子は下を向いたままだった。
人生とは積み上げてきたもの、味わってきたものによって構築される。
誰が最初に言うでもなく誰もが自然と知ることになる人生の本質である。
性欲とは刷り込みによって構築され、刷り込みによる性欲の構築こそがフェチズムの本質であるとデカルト(フロイト?ユング?サド?マゾ?)は言ったらしい。
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。
ずっと昔に書いた自分の匿名記事が残っていたので読んでみたけど、今とは全然違う考え方をもっていたようだった。
今見ると、恐ろしく短絡的で愚かで、断定的。まったくどうしようもない人という感じする記事だった。
さて、2週間ごとに本を5冊図書館で借りていますが、今度から借りる本をこういうふうにしようというのを決めていこうと思うんです。
山本周五郎か藤沢周平の時代小説。今は剣客商売を読んでいるけど、10巻の「春の嵐」まで読んだので、そろそろ終わってしまう。
今読んでいるシリーズは、剣客商売、千夜一夜物語、ナルニア国物語。
千夜一夜物語も10巻まで読んでいる。
そのシリーズを1冊借りる。
2冊目は、新しい物語。
先日、マハーバラタの上を読んだけど、新しい物語。今まで読んだことがない物語を借りる。
3冊目は、積本。
小説とかではなく、どっちかというと専門書的なやつ。
今週は、「夢の劇場」というのを借りているけど、この手の本は読むのに時間が圧倒的にかかる。本当は買って読むべきなんだろうけど。。
できれば、松村先生の占星術2も通読したいけど、これも多分買わないと無理かも・・
4冊目は、占星術、ユング心理学、グノーシス、おそらくミトラ教関係、神智学関係
最近、この手の本を借りたり、借りなかったりで、知識の増え方が緩慢になってきた気がする。
先週来、老松先生という大阪大学の人の出したユング心理学の本を読んで、もっと勉強しなくてはと思うようになった。
ユング心理学をやると最終的にグノーシス、ミトラ教の方向に行き着く。
シュタイナーの神智学ももっと読まないといけないけど、全然進んでいない。
前に、「オカルト生理学」の抜粋を読んで面白かったので、読んでみたけど、たぶん、これも難解な本で、買うべき本なんだろうな、と思う。
5冊名は、できればヨガ、とか、今興味を持っている工作とか、地震前兆とかの本。物語でもなく、占星術でもなく、積み本でもない、新しい分野の興味のある本。
こんな感じでやっていったら、偏りがなくなるんじゃなかろうかと思いますけど、どうでしょうかね。
とりま、来週は、
は予約した
5は今読んでるクンダリニーヨーガの本を書いた人の呼吸法の本がいいかなと思っている。
4は「アイオーンを読む」が面白そうというか昨日ちょっと読んだけど、ぜひ読んでみたいと思った。けど、これもちょっとやそっとで読める本じゃないし。。。
来週は、この2冊+「ありのフェルダ」っていう絵本にしようかな・・
結局思い付きで進んでしまう・・
結局
③ 倍音唱法
の三冊にしました。
ググれば秒でわかるかと思いますが日本で振り回されがちなマズロー・フロイト・ユングなど 大昔の方々 が唱えたことは
既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます
たとえば脳科学とかですね
(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)
ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については
もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造、遺伝子を調べると、人間も含めて、共通なものがあることがわかっています
そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物的心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりします
日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がします
そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね
彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?
あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?
そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?
セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです
たとえば、負の経験の学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね
負の経験の学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、
まとめたいと思います
■自己肯定感を分解する
> 自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。
> とき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。
> 相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。
> 私はもともと自分を自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。
> あなたが自己肯定感の低い人間だと自分を認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。
単なる趣味だから自由でいいんですけど、“人間は動物である” という当たり前の視点があってもいいのではと思いました
増田が行いたいことが「マーケティング」や「自身の印象管理」であるなら、“人間は動物である” という視点は不要で、
人間の文化・社会を眺め、ある程度 確立されている手法に従えば、プロでなくとも限定的な効果は得られるとは思います
パソコンの仕組みを理解していなくてもパソコンを使えるのといっしょですね
しかし、実際的な手法についてはとくに記載はされていないかったので このトラバ 以外もつけてみることにしました
ググれば秒でわかるかと思いますが日本で振り回されがちなマズロー・フロイト・ユングなど 大昔の方々 が唱えたことは
既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます
たとえば脳科学とかですね
(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)
ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については
もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造、遺伝子を調べると、人間も含めて、共通なものがあることがわかっています
そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物的心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりします
日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がします
そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね
彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?
あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?
そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?
セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです
たとえば、負の経験の学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね
負の経験の学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、
まとめたいと思います
○ 関連増田
つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。
漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。
で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに特化したからだ。問題は、予想だけじゃなく期待すらも裏切ったことだ。
1話目を読んだ時点では、ファイアパンチはどう考えても「復讐譚」になる。復讐譚にしかならない。モンテ・クリスト伯や虎よ虎よの導入のように、如何にして復讐を遂げるか、を期待させ、復讐への葛藤を乗り越え、最後にどうやってカタルシスを感じさせるか、に焦点が行く。しかし、ファイアパンチは徹底してその予想、期待を裏切り続け、復讐ではなく「呪い」「嘘」「演技」といった、ユングのペルソナ論的な方向性に進んでいくのだ。あれだけ復讐の想いを奮い立たせる効果がある1話目の妹の言葉すらも、「その役割からそれっぽい言葉を言う」という演技からくるものではないか、というちゃぶ台の下の畳からひっくり返すレベルの話を平気で作ってくるのが藤本タツキだ。主人公の復讐という目的から、アレコレあってブレてブレてブレまくって、という葛藤をも描いた作品だ。カタルシスなんてあったもんじゃない。全力で振り回される、ジェットコースターのような作品だ。観覧車に乗ったと思ったらてっぺんから急降下してなんかよくわからないけどコーヒーカップで目が回ってた、みたいな状態になる。徹底したアンチカタルシス、解決しないことへのこだわりを感じさせる作品だ。
さて、ここまで前作の話だが、今作のチェンソーマンはどうだろうか。1話目は作者の妹(作者)のTwitterでも読めるし、ジャン+でも確か読めたはずだ。まず読んでくれ。1話読み切りだとすると完璧過ぎる1話だ。「普通を望みながら、誰もが今以上を望む」というテーマを書きながら、ちゃんと伏線張って回収する、お手本のような1話目だ。さて、ここから本作がどうなっていくかだが、とにかく主人公であるデンジが直情的なのだ。俺の邪魔すんな、面倒みてくれる奴が好き、おっぱいもみたい。とにかく目的が、「自分の感情」でブレない。ここが前作と比較したときの大きな差で、少年漫画とはこの確固たる「目的のブレなさ」が大きな魅力なのではないか。ナルトなら火影、ワンピースなら海賊王、チェンソーマンなら「普通の生活」である。カッコつきの「普通の生活」が何かは読めば分かる。読め。デンジはその「普通の生活」への憧れが本気で、徹底してる。馬鹿らしくても徹底してるんだよ。それも1話目からだ。
そして藤本タツキ作品には、素晴らしい助演が居るのだ。ファイアパンチではトガタ、チェンソーマンならマキマさんだ。まて、石を投げるな。チェンソーマンならポチタだろうとか、パワーちゃんだろとか、アキくんと姫野の話とかコベニちゃんだとかコベニカーだろとかあると思うが、マキマさんだ。マキマさんが圧倒的にエロいんだ。直情的なデンジに、文脈のエロさを教えるんだ、あのシーンでマキマさんに心を動かされなかった奴は居ないだろう。いいから読め。まだ既刊は7巻だ。今日7巻発売。一瞬だ。読め。合わないならしょうがないが。読め。マキマさんは怖くてエロいぞ。1話目のセリフも、素晴らしい前フリになってる。読め。
もう一つの魅力はセリフ回しだ。例えば、デンジが夢をバカにされた時のセリフ、「み~んな俺のやること馬鹿にしやがってよぉ、みんな偉い夢持ってて偉いなぁ!じゃあ夢バトルしようぜ夢バトル!お前が俺に負けたらお前の夢は俺の夢以下な!」だ。最高に頭が悪い。バカのデンジが、圧倒的なバカを本気で叫ぶ。読者も、そのバカを待ち望んでいる。予想は裏切っても期待は裏切らない、王道の少年漫画だ。それでいて、前作のジェットコースター性は失っていない。圧倒的なスピード感と期待を裏切らないフルスイングのバカ、これはジェットコースターではなくもはやテーマパークだ。
まだまだ魅力はあるぞ。マキマさん以外も素晴らしいキャラがたくさんいる。全員がブレない、生きたキャラだ。書ききれん。読め。キャラデザも最高だ。読め。全てを理解していけ。
チェンソーマンというテーマパークを楽しめるかは個人差がある、友達になりたくないならしょうがない。私だって高校の文化祭が最高の思い出で率先して同窓会の幹事をやるような奴とは友だちになれない。シラフでディズニーランドを楽しめる奴とは友だちになれない。大学院の研究室生活が365連勤のような状態で如何にクソだったかを語りつつ、研究室生活に戻りたいと思ってるような奴と友達になりたいと思ってる。そこはしょうがない。いいか、読め。1巻だけでいい、読んでくれ。