はてなキーワード: 酒鬼薔薇とは
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。
一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。
友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。
友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。
その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波の動画を見て涙を流した、と言っていた。
僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災にドラマを見ていた。僕にとって震災はエンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常を提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。
初日に津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットはお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全にコンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地にはいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10年単位でしか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。
その後は日本人と政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPSに水浸しのステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。
震災はエンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分の作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情を創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション、元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品(ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。
創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツを提供している人間であれば誰しもが、あの震災はネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイトの管理人だかが上手いこと震災でお金儲けしていたし、投資家や会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社の社員は、震災の復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者も視聴率にニコニコして、震災を報道するとき、歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分が業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎なネタをネットに書き込み、他方でニコ生で電気をつけてる配信者に電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。
僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心や愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。
さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。
滅ぼそうぜ、世界。
あなたは正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的な対応をしてます。事件現場で写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。
この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同は全然得られなかったのでした。
僕一人じゃなくてよかったーと思いました。
今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブな人生を心よりお祈りしております。
911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911をネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災はエンタメ的創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災がネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいつからネタにされてよいのか、東京マグニチュードが震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムもモチーフにサリンや酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11が創作に与えた影響という話に辿り着きました。
ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。
黒子のバスケの脅迫の容疑者が36歳の男と報道されて「男かよ」「しかも36歳かよ」「腐女子かと思ってた」「作者と面識もないのになぜ」みたいなことを聞くけど、すごく納得してしまった(彼が本当に犯人だと仮定して)。
まず腐女子は801面相なんて名乗らぬだろうと。ブーメランダメージで致命傷を負いかねない。女を表す文脈で「ま○こ」っていう言葉も、腐女子はあんまり使わない。基本的に自分の性器の存在は忘れているので、言葉攻め用語としての「ケツま○こ」の方が使用頻度高いぐらいだ。もちろん「ち○こ」はものすごく使うわけだが、これも基本的に性器としての意味しかもたない。女の感覚では性器≠人間だからだ。自分のキャラを曖昧にするためにわざと言葉遣いを変えたにしたって、にじみ出るものはある。このあたりはひどく男らしい脅迫文だと思った。
そして黒子のバスケにターゲットをしぼった原因は間違いなく腐女子だろうと思う。ワンピースでもハンターハンターでもなく黒子のバスケだったのは、彼がスラダン世代だからというのもあるけど、「自分が面白いと思えない漫画が何故か人気があって売れてる」→「腐女子が買ってるんだ」→「俺のジャンプを汚した」→「腐女子しね」→「作者しね」というわかりやすいアレで。もうこの論理、腐女子物心のついたころからアホの一つ覚えのように聞かされててお腹いっぱいだ。最近は腐女子が隠れなくなってきてるから天誅を、という発想も隠れてた時代を体感で知ってる人のものだ。グリコ犯をひっぱってくるあたり完全におっさんだ。もう少し若ければ酒鬼薔薇の方を持ち出すんじゃないか(それでも十分におっさんか)。今の子はオウムも知らないというのに。
そろそろ時代的に地下鉄サリン事件を知らない世代が表に出てきてもおかしくない頃合だと思う。というか、かく言う自分がその辺りの人間である。
事件のあったときに生まれてなかったという訳ではないけれどあまりテレビとか見てなかったしそもそも住んでいた場所が事件のあった霞ヶ関辺りとは遠く遠く程遠い場所だったのであまり実感も何もなかったってのもあるしあまり詳しくは知らない。でもじゃあ今になって事件を詳しく調べてみようなんて気分には正直全くならない。寧ろ出来るだけ触れるべきではない話題なんだろうなあと何となく怖がっている節がある。世間的な大事件といえば酒鬼薔薇の件や宮崎の件、バスジャック云々ってのもあったしあと最近なんかだと加藤の件とかも、とにかくセンセーショナルな物といえば他にも色々とあったはずなんだけど、それでも口に出すのも憚られるってレベルじゃあない。一体どこら辺が差を生んでいるんだろうなあと思った結果「被害者が進行形で後遺症に悩まされている」とか「関係者がつい最近まで逃亡生活をしていたり何らなの形で事件がまだ続いている」みたいな印象があったりするせいなのかなー、とか。何かと聞くのも調べるのも気が乗らないし不謹慎みたいな感覚があるんだよなあ。ポア鳥とかネタ的な感じで使われてる奴とか見ても結構笑いづらくて勝手に困っちゃったりしてる。とはいえこちらが調べるつもりじゃなくてもある程度耳に入ってきちゃったりする話なんかを聞いていると事件当時ないし事件が起きるまでの間にどういう風な感じでオウムが扱われてきたのかとか色々と聞こえてくるしやっぱり興味がないわけではない。怖いけど。
事件が起きるまでは「ちょっと変な宗教とその教祖」程度の扱いで結構普通にメディア露出していたとか、反面映像作品に教祖の写真をサブリミナルでぶち込んで視聴者に刷り込もうとしたとか、選挙活動していたとか(歌、有名らしいけど)、今思うと結構引く様な風景だけど当時としては割と日常風景だったんだなあ……何か怖い。いや寧ろそれ位まで浸透してきた辺りで事件が起きてしまったからこそのセンセーショナルなんだろうか。どうなんですかね。
日本人の宗教嫌いはオウムのせい、なんて話も聞くけどそれはちょっと言いすぎだと思う。多分もっと昔から結構ひねくれてる人種だからオウムだけのせいとはいえないと思うけど、まあ宗教自体に対する偏見とかあからさまな忌避みたいなのはオウムが決定的にしちゃった部分はあるのかもしれない。まあやっぱ当時の事知らんからなんとも言えんけども。実際海外に行って無宗教なんて言うと酷く胡散臭がられるらしいなんて聞いたけど、その場でちゃんと「日本では新興宗教が化学兵器テロを起こした事があってそのせいで宗教に対する偏見が強くなったんだよぅ」とか理由付けをしっかり述べてあげれば先方も納得するとは思うけどね、っつーか寧ろショックで口半開きになるよきっと。何せそんな事件なんて世界広しっつってもこの国だけでしょうし。自爆テロなら今でもチョイチョイ見かけるには見かけますが、「新興宗教が」「化学兵器を自作して」「地下鉄にばら撒いて人を殺す」んですよ。色々な意味でツッコミ所が多すぎる内容ですよ。
……オウム。結局は得体が知れないから怖いって事なのかなあ。新興宗教ぶち上げて人殺して、結局何がしたかったんだろうか全く分からない。分かるわけはないですし実際に首謀者たるヒゲ教祖(昔から生理的に苦手な風貌ではあった)も今では鉄格子の向こうで気が触れてらっしゃると聞くし、真相は闇の中って奴なんだろうなあ。何かやだなあ。怖い。
若者が大人しい事について、世代間の話がよく言われている。
まず第一に、若者の数が圧倒的に少ない。数は力だ。アラブの春も、若者の数が多いから成しえた。日本で例え、若者の意見を反映した議員が選挙に出たところで、そして全若者がその議員へ投票したところで、当選しないだろう。その事を知って、立候補する候補者はいない。初めから勝負の土台にすら立てない。
ウォール街のデモは、若者の力があるから行われている。アメリカは若者の力で作られた国だ。大学生に力があり、権威がある。大人も手を貸す。皆が皆ではないが、才能を評価する。アイデアを評価する。情熱を評価する。世界的な企業家も大学から生まれ、政治家も若い。
日本はどうか。
大人は誰も手を貸さない。耳を傾けようともしない。日本の大人が若者に行って来た事は、今も昔も自分たちの都合の良い道へ引きずり込もうとする事だけだ。善意もある。大人の世代の成功経験を踏んだ上での助言のつもりの人もいるだろう。しかし、それは今の時代に通用するだろうか。その時、あなたは上手くやれたかもしれない。しかし、今はどうだ。 今からそれが通用すると思うか。あなたの会社では通用するかもしれない。では、あなたの会社はこれからの世界に通用するのか。内需。日本の老人だけをマーケットにしていないか。そんな老人の戯言について行く若者はいるだろうか。いる。けれど、それは本心からでは無い。力のある老人の前に、手も足も出ずただついて行かざるを得ない奴隷のように覇気のない若者が跡を絶たない。
老人が求めている事と、若者が求めている事は違う。老人はいい。お山の大将を気取って年少者をバカにして、外圧に耳を塞いでいても高度成長期の蓄えであと数年は安泰だろう。そして数年後は死ぬだけだ。残された人間の事など当然知る由も無い。日本人の子孫繁栄なんて考えるわけもない。大和民族が滅ぶより、明日の我が身、死ぬまでの蓄えが大事だ。
若者の諦めは、自分たちの力の無さから来ている。同世代の数を増やす事は出来ない。頭の凝り固まった老人が明日の未来に力を貸すこともない。突然大富豪になる事も出来なければ、先導者になる事も出来ない。
もともと若者は老人に力で劣る。経験の差、劣らなけらば、成長を重ねなければ年を重ねる意味が無い。
今の老人は若返ろうと必死だ。年相応を知らない。若かりし頃の幻影ばかりを追っている。 その姿は醜く、見るに堪えない。そしてその若さにも隔絶がある。彼らの若さとは、彼らの若かった頃であり、今の若者とは全く別物だ。理解はない。
知識で負け、経験で負け、人数で負け、さらに若さでもある意味負けている。団塊の老人の血気盛んさは、金と体力と自信の余裕があってのことか、今の若者に勝る。若者は、勝機の無い勝負を挑むような気が狂ったことはしない。
それは、大人が教えた「大人しさ」でもある。
かく言う自分も若者の代表のような口ぶりをして、来年で30になる。もう若くはない。今の大学生はおろか、中高生の文化や考えていることなど全く知らない。自分は酒鬼薔薇と同い年だ。ネオむぎはいっこ下だ。そういう世代だったからよくわかるのは、この隔絶こそが問題の本質であり、無理解の原因である。大人は大人の世界を作る。分かる者どうしだけで心地良い世界をつくり、子どもが大人の仲間入りをしようとすれば洗礼を浴びせる。そして、昔はそれでも大人の世界に入らざるを得なかったのが、今は入る隙間すらなくなった。はみ出された若者は、力のない若者同士だけでやっているから、大きなことが出来ない。もう、この垣根は早いうちから崩さなければならない。
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
ttp://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/50807569.html
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代よりも遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!
なぜあの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!】(帯文より)
え~、戦前のガキはとんでもねえです。
昭和元年~昭和20年くらいまではとんでもねえ少年犯罪が頻発してます。
それこそ酒鬼薔薇や金属バット殺人、女子高生コンクリート殺人クラスの
社会を揺るがす少年少女による凶悪犯罪が毎年毎年発生しています。
人口比を考えても現在の倍以上の頻度で少年少女による殺人事件が起きてます。
「昔は良かった」「昔の子供は素直だった」なんてロクに資料を調べもしない
無知で呑気な老人の戯言です。
ってことを膨大で克明な実証データ(新聞記事、裁判記録、警察資料など)から
論理的にも数字的にも明らかにしている。
20年足らず(しかも戦争時代含む)の間によくぞこんなにも酷い少年少女による犯罪があったもんだと思うが、読み進めていくうちにあまりにも酷すぎて麻痺してくる。当時の新聞記事の文体もちょっと時代がかっていたりするのでフィクションの羅列にも見えてくるがすべて実際にあった事件。
事件の羅列だけではなく、現代の若者や少年少女の社会的風景との照らし合わせも素晴らしく、特に「2・26事件のニート的背景」の項は圧巻。
上記の言葉をなぜ引用したかというと、酒鬼薔薇は彼が所属するコミュニティーがその凶暴性をやわらげる役割を果たさなければならなかったはずなのに、それが出来なかった、という点を指摘していると思ったから。
コミュニティーは個人主義などといった美麗字句のもとにその力を無くし、一方で個人が、特に若い世代が孤立していった。
個人主義ははしかの様な、一過性のもの。一過性というか、むしろ幻想でしかない。今は自立しているように見える現代人であっても、その自我の有り様に耐えたまま一生を終える人はいないのではないか?
そしてそのはしかがインターネットという新しいコミュニティー形成のためのツールが誕生する直前に流行ったのは運命だったのだろうか?
とにかく他人に受け入れられたい欲求が強すぎるという根本的な原因は同じでも、自己愛性人格障害は男のほうが多く、演技性人格障害は女のほうが多いらしいよ。ということは、男は「俺が認められないのは俺を認めない周囲がバカだから」という思考になる傾向にあり、女は、見境無く体使ってみたり「可哀相な私」を装って周囲の同情を引いてみたりと、キ○ガイじみた努力をする傾向にあるんじゃないだろうか。
酒鬼薔薇事件や17歳バスジャック事件や秋葉原通り魔事件なんかが、自分を認めてくれない世間に対する報復だな。んで、「子供を殺された可哀相な私」を演出して世間の注目を集めようとしたのが畠山鈴香であったと思う。
だから、非モテ女というのは、「モテたいとは思うけれど、キ○ガイじみた努力をしてまでモテたいとは思わない」と思ってる、それほど受け入れられたい願望が強力ではない人間なのではないだろうか。
秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分──若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか?
【出演】宮台真司(社会学者)、東浩紀(哲学者/批評家)、切通理作(評論家)、雨宮処凛(作家)、他
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi?year=2008&month=8
「現実でも一人。ネットでも一人という絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的だと思うんだけど。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば
それは日常を送っているという平和な状態なんだから
「「私」にとって絶望的だと思うんだけど」と正確に言うべきだろう。
じゃあ「僕ら」にとっては?
いや、ここも「僕」と言うべきだろう。
僕には、そのような逆説――「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的――の提示がすでに息苦しい。
むしろそれこそが「絶望的な状況」を余計に封鎖するように感じるから。
なぜなら、絶望に絶望することなんてできやしないから。
絶望の脱構築なんて論理的に不可能なんだよ。
メタレベルの絶望を述べたところで、僕はそのレベルで絶望してるわけじゃないんだから。
彼は僕のあずかりしらぬ絶望について、上のほうで何やらぶつぶつと呟いているだけ……。
彼の声を僕はよく聴き取ることができない。
僕らにだってできないだろう。
彼の逆説が語ろうとしている何事かは、僕らには決して届かないだろう。
結局のところ、彼は、「私は絶望しているあなたと違って絶望していない」というふうに、
彼の「私」を確認して完結しているに過ぎないのだと思う。
言うまでもなく、僕らは日常的にひとりひとりである。
それは、僕とあなたは違うということ。
「僕ら」とは僕僕僕……僕だらけっていう複数形ではなく、僕とあなたは違うという意味。
「僕ら」や「私たち」は、僕や私が一人きりであることを完璧に表す人称だと思う。
もちろん彼の言うように、「現実にひとりでただいることなんて何も絶望的じゃない」んだよ。
絶望の本質とは希望が絶たれること。ただそれだけだ。(かの哲学者の言う、死ぬことすらできない絶望だってそうだ。)
彼もそのことは理解しているだろう。
だから彼も希望について語っているのだ。
「交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば」と彼は言っている。
「交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼には必要なのだ。
「交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼の希望だから。
これは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』式の希望だろう。
つまり、主人公の少年がライカ犬の不幸を必要としていたような希望。
またこれは「「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的」と同様の希望だろう。
なぜなら、逆説とは常にメタレベルから発せられる天上の声だから。
逆説を唱えた途端に、彼はまるで魔法にかかったかのように飛翔する。
それを呟きつづける限り、彼は落下することはない。
そして、彼の声が僕に届かない限り、彼は落下することはない。
ここに希望がある。
ここに彼の希望がある。
僕の絶望がある。
浪人なんかしてた時分はやっぱり躁鬱だったんだなぁとしみじみ思う今日この頃
まぁ卒業した今も無職童貞ヒキネトゲな訳でなんだかなぁと思うとともに、友達やらなんやらから心配メールやらを頂いたりな毎日で結構つらかったりつらくなかったり・・・
んでまぁ秋葉の事件の事や自分の現状を考えてみると、メンタルな不健全者が結構多かったりと思うのです
「近頃のやつは甘えてる」
なんて言葉を聴いたりしますが、さて、それはどうなんでしょう??
先日父と話していて昔の事件は力の無いやつは詐欺力のあるやつは強盗とそんな感じで金銭を目的としてたと言う話をして、今はそれより命や憤りなんかで危害を加える事件がなんだかなぁ・・・って話でした
で、酒鬼薔薇やそれのコピーキャット等が目立った記憶があるのですが、そういう形態の事件はどーも昭和5.60年代生まれが多い気がします
こういう年代だwとくくってしまえばそれまでですが、そうなった背景といいますか原因がないと結果はありません。
でまぁ長々ととりとめも無く書きましたが、オチなんてあるわけも無いのですw
結局 鬱ヒキ不登校殺人なんかの問題にはそういう背景があるのかぁ・・・なんていうヒキお得意の他人のせいにするご意見を最近考えていたわけでありますw
ちなみに、甘えてるという言葉通りの意味が原因でこのようになっているのかもという考えも否定してません。
答えでたら何か解決するかなぁ・・・でてもしないかw
ちなみに不毛だけど、これで両親がノーリアクションでやり過ごしてたらどうなってたかな?
2chから親調べが始まったりして、ネット発で晒されて、子は完全に捨てられて、
母親が「酒鬼薔薇と同じ年、怖い」と言った事がピックアップされて、
無責任な親とか、この親にしてこの子ありとか、ぶっ叩く世論が見える気がするんだけど。
まあ世論なんて、そんなもん。
何故両親や生い立ちは外されるのか?
そこを指摘する人もいるけど、ほとんどの人は両親は関係ないと言う。
本当にそう?
確かに関係ないケースも多いと思う。
親がどうとかじゃなく好奇心から単に人を殺してみたかったとか言うキチガイはいる。
けれど今回は元々そんな人間でも、動機でもない。
私は犯人が高校時代に母親が知人に漏らした一言「酒鬼薔薇と同じ年、怖い」に最も異常性を感じた。
それ以外のことなんて本当普遍的なことじゃないかと思った。
派遣も彼女いない奴もナイフ持ってる奴も童貞もゲーオタもリストラされる人もどれだけいるんだ?
その時点で、じゃあ無差別に人殺してやろうって実行に行き着く人間どれだけいるんだ?
そんなもの追ってたって仕方ないんだよ。
で、もっとより核心的な原因の部分が生い立ちに行き着いた。
それでちょっと考察したんだけども。
で、今回は考察の内容は置いといて、違和感として辟易したのは、親は関係ないって人の言い分。
確かにマスコミが親に社会的責任を追及したのは無関係だと思う。そんな法律じゃないから。
けど二十歳すぎたから大人だなんてものはただの一国の法律的な価値観でしかないし、マスコミがおかしいからどうこうってのも日本の事情くらいでしかない。
それこそただの責任の落としどころでどうこう言ってる連中じゃないのか?
もっと事件の核心に触れて、そこから二度と同じことが起こらないように学んでいくのが筋じゃないのか?
この件で生い立ちから目を反らしたら、他にどこ見ればいいの?
犯人が全ての責任を負ってきちんと断罪されたらそれで終わりですか?
核心部分から目を反らした時点でそれはもう”ナイフ規制”とか”オタク”だとか言ってるのと同程度のことにしかならないと思う。
親、生い立ちを分析する事を犯人の異常性をオタ趣味に求めるのと何が違うんだって人もいたけど、
選べるものと選べないものが同列なの?そのくらいの差分わかるよね?
親が選べるなら誰が苦労するんだ?
逆に子を選べないなんてこともある。
それでも親子は親子なんだよ。
後天的に好きになったからでやってける趣味とは偉い違いじゃないか。
日本の常識なんてものに捕らわれずに真相と向き合っていく。
それが事件が起きた時にすべき大切な事じゃなかったか?
秋葉原の無差別殺傷事件、英米ではどう見られているか 英タイムズ紙の読者コメント
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-162.html
このエントリーはそれを再確認させてくれたと思う。
日本というバイアスを通さない分、彼らはこの事件を日本の事情も含めて真正面から見ていると思う。
なのにそんな現地人がその地独特の価値観なんかに捕らわれて意味あるの?
それが一番情けないと思った。
誰も家族もろもろの断罪なんて求めていない。
私が親なら、自分で謝罪のために会見した時点で、二度と同じ事を他の人には繰り返して欲しくないものだと思う。
ほとんどは申し訳なさだろうけど、会見へ踏み切る気持ちにはそんな想いもあったんじゃないかな。
謝って済む問題じゃないとしたら、もうそれくらいしか望む事なんてないのだから。
きっかけはツナギで間違いないと思う。
けれど常人ではそこから無差別殺人へとは行き着かないと感じた。
【秋葉原連続殺傷事件】 なんで犯人は凶行に至ったのか?彼の独白をよく読んでみる
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50659485.html
本人の書き込みから
・親を恨むような言動はない
親すらも他人であり孤独だったのか?
だから他人ならば誰でもいいとなど思いついたのか?
親が親として存在するものだったなら、親を殺していたのかもしれない?
「酒鬼薔薇と同じ年、怖い」母は加藤容疑者におびえていた…秋葉原通り魔事件
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080610-OHT1T00092.htm
家庭事情を伺える記事から
・教育熱心な親
・小学生でありながら「短気」「強情」「鈍感」「どじ」と自覚する犯人。若しくは自棄?
・親は現在別居状態
本名は"エミリオ・カトレット(ジルクリスト)"(ヒューゴに対しての反発からか、ジルクリスト姓ではなくカトレット姓を名乗っている)。ヒューゴとは血を分けた実の親子であり、ルーティの弟にあたる。"リオン・マグナス"は公に対して親子関係を隠すためにヒューゴが与えた偽名。ミクトランの影響を受けていたヒューゴとは幼い頃から親子ではなく上司と部下として接し、姉のルーティは彼が産まれる前にクレスタに捨てられていた。さらに母親のクリス・カトレットはリオンを産んだ直後に亡くなったため、家族の愛情を受けずに育っている。
その生い立ちからか、基本的には冷徹且つ複雑な性格で、他者に対し心を閉ざしている。しかし唯一人、母親の面影を持つメイドのマリアンにだけは心を開き、命を懸けて愛していた。それを知るヒューゴにマリアンの命を掌握されていたため、リオンはヒューゴの駒として動き続け、最後にはスタン達と敵対する道を選び敗北、直後濁流に飲まれ死を遂げる。
中学生時代にこのキャラクターに思い入れるだけのものがあった?
命を懸けて愛する人が欲しかった?
そこに現実とのギャップを見ていた?
母親は酒鬼薔薇事件より前から酒鬼薔薇事件に息子を重ねてしまうほどのものを見ていた?
理解しあえていなかった親子と言う印象
両親はちゃんと子供を愛していたんだろうか?
http://www.asahi.com/national/update/0610/TKY200806100282.html
・親に無理やり勉強させられてた
・中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた
・親は厳しかった
・自分の人生は高校に入るまでは順調だったが、その先は思うように進まなくなった
親は親として存在していた
反抗する事は出来た
友達と遊ぶ時間はあったんだろうか?
他の人と交流する機会はあったんだろうか?
順調というのは、何が順調だったんだろう?
教育熱心な親の元で、勝ち組負け組と言う価値観を身に付け、勝ち組側にいたら順調?
容疑者父、何度も頭下げ謝罪=母は無言で泣き崩れる??両親取材に応じ・秋葉原殺傷
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000167-jij-soci
父親はこの日午後、青森県政記者クラブに「おわびを申し上げたい」と連絡、約5分間取材に応じた。自宅前には報道陣や付近住民約100人が詰め掛けた。
親自ら取材を申し入れた理由は?
(この点なぜか巷ではマスコミが親を晒し上げたことになっている。このソースはガセ?)
息子とのことで思い当たる事があったから、息子が二十歳以上とは言え堪えられないものがあったのでは?
これまでのソースからすれば、犯人は子供の頃から親と分かり合えず孤独だったのかも知れない
親は今回の件で、息子の内面が見えた部分もあったのかもしれない
泣き崩れたのは、申し訳なさと、親子の間で何かが氷解したのかもしれない