はてなキーワード: 赤ちゃんとは
1ミリも可愛いと思わないね。どっちかっていうとヨダレ、ウンコ垂れ流しで汚いと思ってた。
正常に育ってないとみなされるのが嫌で嘘ついてたけどさ、酒鬼薔薇ですら丁寧に教育してシャバに戻してもらえるんだからそうでもないんだなって思った。
10代でも赤ちゃん見ると男女問わずわりとみんな可愛い〜って言うよな
でも自分はもういい大人だけど、赤ちゃんって気持ち悪いとしか思えん
もちろんあえて加害をしようとかは全く思わんし、人様の赤ちゃん見たらかわいいですねーって一応言うことにしてるし、万が一自分が育てないと誰もその子を守れないとかであれば精一杯やろうと思うけど、そうでないなら抱っことか触れ合ったりとか絶対したくない
カテゴリーとしては残飯入れとかそういうものを見てるときの感情に近い
学生の頃は生でセックスしたら絶対子供が出来ちゃうもんだと思ってた。だからゴムつけないと絶対ダメなんだって。
結婚してからきちんと子供について考えた時にやっと排卵周期というものを知って、婦人体温計で体温測ったり色々やってみて2回妊娠した。でも7週で流産、手術した。その次は陽性反応が出てすぐに流れたのか生理が来た。
不妊治療を始めて、いろんな検査をして、夫も私も体に異常はないと知った。毎月毎月トイレで虚無になりながらナプキンつけて、少し漏れて汚れた下着を風呂場で洗ってる。
赤ちゃんってもっと簡単にできちゃうんだと思ってた。妊娠したら、もうあとは10月10日待つだけで、ぽんって赤ちゃんが生まれてくるもんだと思ってた。
VTuber引退の件でそういやこんな増田あったなぁと思い出した。ほぼ1年前だった
やっぱりVTuberに限らず舞台俳優やら2次元キャラやらスポーツ界隈でも「推しを子供・赤ちゃん扱いする女」って異常に多い気がしてるんだけど
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。
褒め言葉として使うにしても
相手の持ち物のセンスを褒めたりペットや赤ちゃんを指して使うのに適した言葉だ
1on1で相手に向かって言えば格下扱いと取られるのは免れない
スーパーで商品を突き回したり、カートをおもちゃにしたり、勝手に開封したことなんてない。
電車で赤ちゃんでもないのに泣き喚いたり、奇声をあげたり、土足で座席に上がったりもしてない。
ファミレスの通路を走り回ったり、ドリンクバーにいつまでも留まって飲み物をおもちゃにしたりもしていない。
お店や電車みたいに勝手なことをしてはいけない場所、うるさくしてはいけない場所で行儀の悪い同年代の子供を見かけると、子供心に嫌だなと思ってた。
外でマナーの悪い親子がいても特に睨んだりいちいち苦情を言うわけでもなく黙ってスルーしてるけど、子連れの人たちの迷惑な振る舞いが話題になった時に「子供は皆そういうもの」とか言う人を見かけると内心そんなわけないだろうとか一緒にしないでほしいとか思ったりする。
がしかし、ここまでに乗り越えなければ行けないハードルは多いなと思う。努力だけではどうにもならない部分もあるし。
①旦那と良い関係である。共同生活を送る以上最低限ここは必要。ここについては付き合う段階である程度見極められるかなとは思う。どちらかが無理をしている、話し合いが出来ないとかは致命的。
②実家、義実家と良い関係である。これは運や相性もあるから結構難しい。
③親戚に変な人がいない。自分たちが迷惑被らなければいいけど居ないに越したことはない。
④お金に困っていない。旦那に平均かそれ以上の収入があり、私も今は働いていないがそれなりの貯金がある。
⑤育てやすい赤ちゃん。完全に運でしかない。それなりには大変だけど今のところとても育てやすく助かっている。
⑥夫婦ともに自由な時間を持てている。どちらかが出かける時どちらかは赤ちゃんの面倒を見る感じにしている。
そしてこの良い状態を保つために夫婦ともに努力をしている。何かあったときのための貯金もしている。
恵まれた状況であると自覚はある。これから赤ちゃんが育てやすいまま育つかなんてわからんしいつか均衡が崩れそうだなとも思っているけど。
基本的に被害者としての話をすることを想定してると思うんだけど、戦地でその辺の一般人を年齢性別構わず片っ端から切りまくったとか生まれたばかりの赤ちゃんをボールみたいにして遊んだとかみんなで試し切り大会やったとかどれくらい痛めつけたら死ぬか実験したとかそう言う話が出てきたらどうするつもりなんやろな
自分の生命よりも価値のあるものはない、自分が失われれば自分にとって体験できる世界は無になるので、自分が存在しない世界には意味がない。あらゆる概念よりも自分の命が大事である。
というのが物心ついてから成人するまで、一貫して自分の抱いてきた信念だった。だから、自分の生命をなげうって赤ちゃんを助ける母親、というのがまるで創作にしか思えなかった。そういう人もいるかもしれないが、いかにもリアリティのない作り話だろうと。母親の中の更に一部の特別に母性が強い人に限られた現象なのだと思っていた。
しかし30歳を超え、子どもが生まれた。そして40歳が見えてくると、節々で自分の人生の先が見えたように感じる瞬間がある。そんな時にふっと子どもをみると、この子の未来と引き換えなら別に今死んだとしても仕方ないかな、と当たり前のように感じる時がある。
すでにいくつか体のガタも出てきている。時折腰痛やら頭痛やら出てくるし、寝不足の翌日は明らかに仕事のパフォーマンスが落ちるようになってきた。仕事においても趣味においても、想像し得ないようなことが起きるというのは考えがたい。それに引き換え目の前の子には、手垢のついた表現だが無限の可能性がある。この子の人生に何が起きるか、どのような思考や信念をもつようになるのか何もわからない。
これは別に愛情とか大げさな話しではない。単純に、今からの自分の人生で起こりうる可能性に比べ、3歳のこの子の可能性が果てしなく広がっているため、普通に考えてそちらを優先するよね、という損得勘定である。であるのだが、しかし単純な損得勘定で自己の消滅を納得できるわけもなく、これが子の為に生命をなげうつ親の心の一端なのだろう。子どもを育てていると思いもよらない気づきが得られるのがなんとも面白いところである。
増田の願望に合ってそうな漫画だと、「タイムスリップオタガール」(0歳じゃなく中学時代からやり直しという設定だけど)とかがあるな
ただこれやこれと同様の漫画って、漫画制作と自分の観察範囲の出来事くらいしかテーマが無いから、そういうのが刺さる人以外は読んでてあまり面白くないんだよね
最近20~30代の子と話をすることが増えたのだが、みんながキラキラしていて眩しいよ
私たちの世代は、腐女子が創作活動をするときに、ネットがなかったので本を出すしかなかった
本を出す人なら分かると思うが同人活動は金も時間もべらぼうにかかる
彼氏とうまくやりつつ同人誌を大量に出すなんて不可能で、しかし自分の書いた物を見て貰うには同人誌以外に手段がなかった
個人サイトが現れてもまだpixivはなく、小説はまだ見て貰えても長編漫画などはやはり本になってしまう
なので私のように創作しまくっていた人間は未婚者がけっこういる。気がつけば子供も産めない年齢となっている
創作するのにかかる時間や金を考えると家事を親に背負って貰える子供部屋おばちゃんの人も多い
でもさ、今の子たちは創作したものを表に出すのはTwitterもあればpixivもあるんだよね
自分が20代~30代だったころにpixivとTwitterがあったらと考えてみると、多分一人暮らしをして彼氏も作って、本まではこんなに必死に作らずにネットで公開して楽しんでただろうなって思うんだ
実際今の若い子は彼氏の話とかを同人垢でもTwitterでしてるし旦那が~って書き込みもよく見る
いいなあ、うらやましいなあと思うけれど、正直これが時代の流れという奴で、私たちの頃は結婚してもかろうじて仕事が続けられはしたが、出産したら辞めてね、ムーブだったので、仕事したいけど
泣く泣く辞めていった先輩もたくさん見た
そういう人達も、「私ももう10年遅く産まれていればなあ」って思ったんだろう
自分としてはこうして、何かを犠牲にしないとなにかができない環境がどんどんとネットの進化や時代の流れでなくなっていってることはとても嬉しい
今の子達を羨ましいと思うけれど、「何よ腹立つ!」と思っているわけではない
ただ、もうこの先の人生が見えている自分にとって、可能性や選択肢の増えている今の若者を見ると胸がキュッとなる
上手く説明できない
子供部屋おばちゃんで結婚も投げ捨てて創作をひたすらしていた私についたのは画力
絵だけは上手になったので、どのジャンルに突撃してもそれなりに売れるしそれなりにかまってもらえる
今はやってないが十年くらい前は絵で副業ができるくらいでもあった
その代わりにそれ以外を捨てた感はあるし、絵がたのしすぎて結婚も出産も、うーん、できたらね…って感覚だった
今もいいなあ、とは思うが年老い、車の運転もできなくなった親を放置して一人暮らしをしたら結局親の痴呆は早まり、自分の介護負担が増えるだけで、親を看取るまではそういう事は考えられないし、まあこの年の女と結婚するおじさんもいないだろう
少子化が進んでいるとは言うが、オタク界隈を見る限り、若いオタクは私たちの世代に比べて結婚率が高い気がする
少なくとも昔は同人誌を作る事でしか創作意欲を解消できなかった人達が、気軽にネットでアップできることで、同人誌という全ての時間をもぎ取るハードな物に飛び込まなくてもよくなったことだ
同人誌とイベントは先細りだと思うが、その理由の一つに、コロナもあろうが、やっぱり本を出し、イベントにでるための労力(金や時間など)があまりにも重すぎるというのがあると思う
その道に飛び込む覚悟を決めると他の趣味などを投げ出すしかなかった世代の人間としてはそう思うし、もう少し気軽に活動したくても、本を出す以外に活動手段がなかった。ネットがなかったので。
なので若い世代のオタクたちは、子供部屋おばちゃんの妙に画力や文章力のあるアラフィフアラカンオタクを見た時に、プークスクスせずに優しく接してくれると嬉しい
「結婚も出産も全て捨てて同人誌を作っていた奴らだ。面構えが違う」ってやつだ