はてなキーワード: 武士道とは
1)
いや、専門家の批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。
もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますのだってアリでしょう?と。
2)
teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉が妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります。辞書的には、あまり意味の差はないようですが。
それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています。
恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。
敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想・表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観の自由競争(市場)」に反する、正に「表現の不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。
teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。
もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的な規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちらから言う事はありません。
3)
まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。
つまり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端だから即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。
4)
という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。
先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。
“自分の興味や許容範囲を芸術祭に押し付けていいのは、正規に専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。
北海道物産展(別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合はもっとダイレクトに売上が物語ってしまいますけれども。
またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?
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後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味を見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちらから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。
一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。
例えば、『貞本義行は差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想でしかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます。
また、
中韓アニメーターは所詮下請け扱いでまともなクリエイターとして見ていないんでしょう。そうでなければ「かの国の」などと国民全体を侮蔑するような表現は使わないはずです。— aschheimm (@aschheimm) August 9, 2019
貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか貞本さんのツイートはBBCの特集で話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視、ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36
も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパー」かに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。
俺の言うことを信じるな。
あと一つは?
もうあれだろ。お前ら全員ほぼイキかけてるんだろ?気に入らない日本人を見つけて「これが!これこそが日本人!!あー日本人はだめだー」って言って悦に浸ってるんだろ?鼻息フンフン鳴らしてツイート、してるんだろ?俺は!私は!日本人を評価できる立場なんだ、俺はこいつとは違う!優越感に浸ってるんだろ?その上RTといいねで承認欲求まで満たせちゃうからもうこれは「イク」よね。脳内麻薬ドバドバ出ちゃうよね。やめられないよね。
俺は日本を過剰に叩く連中が出てくると危険だと思うんだよ。明治になって過剰に西洋文明を持て囃し、日本を咎めたせいで揺り戻しで武士道、神風特攻とか言い始めた。貴重な美術品は数多く海外に流出して伝統は廃れた。その結果出来上がったのは半端な西洋。そのせいで戦争に負けた。その後も日本人は自分たちはどうあるべきなのかで苦しみ続けている。とりあえず西洋人になろうと必死になっていつの時代も「欧米に比べて日本は〜」とか言ってる。最近では西洋は落ち目だから中国を礼賛してる。もし将来イスラム教が強くなってきたりしたらイスラム教礼賛を始めるんだろうか。日本人がどうあるべきかということを海外をあてにしてないで少しは自分達で考えるべきだ。
昔々ある所に、KKOだが心優しい増田と増田が住んでいました。
ある年の大晦日の事です。
それをアノニマスダイアリーに書き込んで、セルクマし、頂いたはてなスターでお正月の餅を買おうと思ったのです。
「パンティーは5つあるから、餅を買えるぐらいのスターはもらえるだろう。」
「お願いしますね。それから今夜は雪になりますから、気をつけて下さいよ」
家を出て間もなく、雪が降ってきました。
雪はだんだん激しくなったので、増田はせっせと道を急ぎました。
これを見た増田は、そのまま通り過ぎる事が出来ませんでした。
「お地蔵さま。雪が降って寒かろうな。せめて、このパンティーをかぶってくだされ」
増田はお地蔵さまに、書き込むつもりのパンティーをかぶせてやりました。
でも、お地蔵さまは六つなのに、パンティーは五つしかありません。
そこで増田は自分のパンティーを脱いで、最後のお地蔵さまにかぶせてやりました。
家へ帰ると、増田がびっくりして言いました。
「まあまあ、ずいぶん早かったですねぇ。それに、あなたのパンティーはどうしました?」
「まあまあ、それは良い事をしましたねえ。おもちなんて、なくてもいいですよ」
その夜、夜中だと言うのに、ふしぎな歌が聞こえてきました。
ズシーン!
と、何かを置く音がして、そのまま消えてしまいました。
「大惨事武田領侵攻」で、可児の鬼キャラ「むさしちゃん」が武士道を斬り捨てるという掟破りの珍事が発生した。
全国から集まった「織田軍」が侵攻する企図の中で、調略に耐えた高遠城が、武田家の存亡を賭けて信忠軍と真剣勝負をすることに。
「どうせ正面からしか攻撃できんやろ」と高をくくる武田兵の横で、むさしちゃんは突如、三ノ丸の屋上から機関砲のごとく“乱射”。
驚いたことに、瓦の中から種子島のようなものが現れ、鉛玉を自在に繰り出したのである。
こんなことが許されるのか。
「あー森家なら、OK、OK」。
OKだそうです。(増田)
https://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/201809/0011643088.shtml
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56492
ブコメでもかかれてるけど、
「好きでもない男に言い寄られてもきもちわるい」
なんて女たちの間では当然の合言葉。
なんで男たちに言い寄られる女が言うと説得力があるのに、ゲイに言い寄られる男性がいうと何言ってんだコイツってなるんだろう。
で、ちょっとわかった。女性にはジェントルマン精神が育っていないからだ。そして女性にたいしてジェントルマン精神は期待されていない。
ブスに懸想されて逆切れする男は見るからにダサい。謹んでお断りすることこそ紳士の条件という通説はある。
こんな常識は女には通用しない。女は社会的立場が弱い分常に男性にたいして鬱憤がたまっているため、恋愛的立場でいざ強者に躍り出たとたんに異性に対して過分に強く当たりがちである。そこには武士道も紳士道もない。
サシ飲み相手がどんなにデブでブスな女でも、ちゃんとお持ち帰りするor頑張ってお持ち帰りしたけどいたせなかったら申し訳なく思うという精神性が根付いている男性は多い。
以上。
常にジェントルマンを期待される男性が自分に好意を向けるゲイを相手取って器の小さい発言をしたら「なんだコイツ」となってしまうのに対し、
逆に恋愛時に異性を軽んじることによって己の気高さアピール、自己顕示欲へと昇華する女性が同じことをしてもさほど違和感が生じない理由である。