はてなキーワード: 孤立とは
いじめに加担した?
いるよね、「俺たちに従わないから無視した」をこういう風に言い換えるクズ。
苛められっこの人格を尊重しなかったお前らの罪を相手に着せんなやクズ。
話し合いの内容は、
時間がかかったんだな!
元増田だ。
他の友達はみんな離れていった後で、私しか居ない状況だったのは確かだ。
いじめに加担した?
奴が周囲に溶け込もうと一切努力をせず、人の言葉に耳を一切貸さず
「話し合った」とは書いてあるが何をどう話し合ったかは書いてないのも、
話し合いの内容は、
「嘘はみんなが傷つくからやめたほうが良い」「本気で心配している人も居る」「今ならまだ間に合う」→あっそ、でも嘘はやめないから!!!!
「嘘をつき続ける理由は?」→この世界は腐っている!(何度聞いても良く分からなかった)
「あなたの事を信用したのに裏切られたと思う人も居る」→知らないし!!
「○○を××されたらどう思うか?」「あなたのXXXXXという発言は自分が言われたらどう思うか」(奴がしたことをやられたらどう思うか聞いた)
→そんなの嫌に決まってるじゃん(だがやめる気は一切無い)
「タックルされたら痛いからやめてほしい」→私は痛くないから、の一点張り
「逆に、私に対して嫌なところはあるのか?」→特に無い
途中で、自分がやりすぎたことも、取り返しのつかない状況だというのも分かったのかもしれない。
「大学行ったら直す!お前は金輪際話しかけてくるな関わってくるなタヒね」と一言残して終わった。
その後関わろうにも逃げるし避ける。しかし、やりたい放題、我侭放題、その他状況一切変わらなかった。
で?
もろ、いじめじゃん。
それを庇うお前も同罪のクズ。虐めの加担者。
苛められっこの孤立に協力した罪は重い。
思ってもないことは例えにも出ない。人をゴキブリになど普通は例えないし、
それはお前が苛められっこを人とも思ってない証拠。
就職するという道に全く魅力を感じなくなった自分は先輩のすすめもあって博士後期課程に進学したけれど、卒業のめどが立つまで「博士ってどうですか?」と進学を考えている後輩から質問される度に「魔が差した」と答えていた。
その頃、研究の進捗も見えず、先行きも不透明で、いつも追い詰められていたような気がする。
親からはいい歳して仕事もしていないニート扱いで、モラトリアムを延長しているだけではないかという疑念の目を常に向けられていた。
博士後期課程進学者で「死んじゃおっかなー」と思っている人は結構多いと思う。
そういう生活をずっと続けていて、論文が通ってめどがついたら、ちょっとは楽になったけれど、心の中には変わらず焦燥感が続いていた。
逆に、その焦燥感がPh.D ディフェンスの想定問答を作るのに役立ったのかもしれない。自分の研究を否定する質問を考えつく限り列挙し、それら全てに答えを持って臨んだので、教授陣からの質問は楽にこなせた。誰も自分ほど自分の研究を理解していないので、自分が思うほどの弱点を突ける人が居なかったというただそれだけのこと。
研究は基本的に孤立無援でやっていく感じで、精神的に相当きつい。シーナアイエンガーか誰かが研究職のことを牢獄で誰からも応援されずただがむしゃらにペダルをこぎ続ける作業と称していたけれど、うまい表現だなと思ってる。
会社はチームプレーなので仕事について先輩や上司に相談することもできるし、ミスっても連帯責任だから先輩や上司と解決すればいい。
まあ、就職先では博士の学位を持っているのがチームで自分しかいなくて、過度な期待と羨望の目を向けられて、潰されていくのだが、それはまた別の話。
逆の立場だった。
新卒の時、チューターについていた1年先輩の人間がパワハラしてくる女だった。
ネチネチ何分でも嫌味の混じった『教育』してくるくせに、大切なことは何一つ教えてくれない。
部署の他の人間はチューターの味方で助けてくれる人はいなかった。
最初は意気揚々と入社して人のために役に立つ仕事、早く一人前になって頑張りたい!なーんて思ってたのに
毎日毎日さまざまな理不尽な否定を繰り返され、相談できる人も頼れる人もなくただただ辛かった。
だんだん自己肯定感が薄くなり、「私がいけないんだ。全て私が無能なせいだ」という思いに支配された。
通勤路で、行きは仕事に行きたくなくて泣き、帰りは否定されぐちゃぐちゃになった気持ちを抱えて泣いた。
結局体を壊したのを契機に仕事を辞めた。
新卒で入って8ヶ月くらいしか勤めなかったけど、辞めて良かったと思ってる。
潰されてめちゃくちゃになっていたメンタルは、新しい環境でなんとか元に戻ったけど それまでに年単位で時間がかかってしまった。
元増田の隣の部署の新人の話が、自分の昔の環境と似ていてつい思い出してしまった。
味方がいるよって教えてあげてほしい。
そして人事なりコンプラなりにもちゃんと教えてやってくれ。パワハラ野郎がずっと教育係であるならば、苦労して採用した人間を毎年潰していくだけだぞって。
ハグプリの最新話は主人公はなが過去受けた虐めがテーマだった。
友達が虐められていたので庇ったらはなが虐められるようになってしまったが、友達はいじめが怖くて助ける事が出来ず、はなは孤立し引きこもり寸前まで追い詰められたと言う話だ。
はなは友達を恨んでおらず、余計な事をして友達に嫌われたかもしれない事を気に病んでおり笑顔で友達を許した。
私は過去虐められた事もあり、こういう描写を見るたびにモヤモヤする。
虐められっ子が虐めを恨むのは美しくないし、少なくともプリキュアには相応しくないが、美しい物語は傷つけられ苦しんだ虐められっ子に人一倍タフで美しい心を求めがちだと思う。
聲の形にしても、主人公やイケメンの受けた虐めの傷は赤裸々に書かれるが、美しいヒロインは主人公からのいじめを「自分に踏み込んできてくれた」と喜んでおり、猛烈に虐めた主人公を虐めから庇おうとする。
色々な作品を思い出してると、虐めに怒り許さないと言う当たり前の心を美しく書いた3月のライオンのような描写は何気に珍しかったのではなかろうかと思い至り、ひなちゃんのように優しく正しい娘が安易に虐めっ子を許す展開にしなかった事は素晴らしかったんだなと思った。
まず社会的に「私はロリコンだ」とは大っぴらに言えない(って事にしといてくれ)
相手がロリコンなら友達になれるかもしれないが、そうじゃなかったら軽蔑さるわけだ
そして例え相手がロリコンだとしても、大っぴらに言うやつを避けるかもしれない
わかり易い例でロリコンを出したが
オタクや腐女子、アメリカで言えば右翼、犯罪者なんかもそうかもしれない
独裁国家における反逆者もそうかも(進撃の巨人でそんなのやってたな)
この現象何て言うんだろ
前からよく考える
ちなみに現代社会でこういう現象が起こる場合、匿名性を持った会合やサービスが持て囃される傾向にある
突き詰めると人狼みたいになるのかね?
組込み界では今時のプログラミング界隈の常識の多くが通用しない。最初にあなたが相手にするのはRAM 1kB, ROM 4kB、クロック 20MHzなどというMCUである。
使用する言語はC99かアセンブラである。幸か不幸かC++を使わされることもある。既にC++で書かれたプロダクトに係わってはならない。
当然フロントエンド界隈などのようなイミュータブルインスタンスを大量に使い捨てる富豪的な言語やアプローチの採用は難しいだろう。
トラブルが起きたときにプログラムだけでなく回路図を読んでハード側に問題があるこを示せないと極めて立場が悪くなる。
むしろプログラムし易いコンポーネントの選択や回路構成に積極的に口を出していかないと動かない責任だけがソフト担当者に投げられて割を食う。
開発環境はWindows上のEclipseベースの統合環境が使えれば上等であり、運が悪ければMCUメーカーお仕着せのクソIDEを使わせられる。Macで優雅に開発することはまずあり得ないだろう。
底辺企業でバージョンコントロールシステムの導入のための意識改革は簡単ではない。もし強行に導入しようとすればあなたは孤立する。
誰かがIoTだ、機械学習だの言い始めても社全体として主力製品を作るのでなければ本気で取り組んではいけない。あなたがそのテクノロジーを理解していても誰もサポートもメンテもしてくれないのだから。
今回のような災害が起こって、北海道全停電とか関空孤立とかそういう事態が起こったとき、第一義的には電力会社や空港の管理会社が対応すべきであっても、一民間会社が対処できるレベルを越えていたら地元自治体や国が何を優先して復旧すべきか判断して補助する必要があると思うんだけど、みんな技術的な知識がなさすぎて、判断不能な状態に陥ってないか。
福島第一原発の事故のときも、豊洲市場の移転問題のときも、結局政治的な権力を握っている人物が技術的な内容を理解できないがゆえに雰囲気で「これは大丈夫そう」「これはたぶんヤバい」みたいな判断をしてるように見える。東京電力とか、直接豊洲市場の建築に関わった人々はそれなりに技術的な根拠を理解しているはずだけど、大人の事情で表に出せないことや偉い人に説明しても分かってもらえないことが多すぎて、結局話が変な方向にそれて行ってしまっているんじゃないか。
もう少し理系の専門知識を持った人間が自治体や政治の世界で権力を握るべきだと思う。あと、専門的な内容を素人にも分かるように説明できる人間を養成しておかないと、こういう時に「こうこうこういう理由でこの発電所は動かせないんです。まずこの発電所を復旧させてはじめてこちらの発電所も復旧させられます」みたいな話がなかなか権力者に伝わらなくて、対応が遅れるように思うんだけど。
特に役所なんかは法律系の知識に強い人間が威張りがちだけど、法律の知識なんてこういう非常事態のときには全く役に立ちゃしない。文系人間は自分の限界をわきまえて、理系の専門家をもっと大事にすべきだと思う。
ちびだからハゲだから死にたいっていうのは、もちろんそんな自分を見られるのが恥ずかしいから。
貧乏だから死にたいっていうのは、他人より劣った生活しかできないのが恥ずかしいから。
無職だからとか底辺職だから死にたいっていうのは、そんな職にしかつけないと思われるのが恥ずかしいから。
ぼっちだから死にたいっていうのは、他人と打ち解ける力がないのを知られるのが恥ずかしいとか、単純にそんな自分を見られるのが恥ずかしいから。
自分が他人よりも劣っていると思うと、他人と会うのが本当に恥ずかしくて会えなくなるよ。そんでますます孤立するよ。孤立してるのは恥ずかしいし辛いよ。
あ、病気で耐えがたいくらい辛いからっていうのは例外だろうか。
はー死にたい。