はてなキーワード: 婚姻とは
婚姻関係に出生は義務ではないし、男女雇用機会均等法のおかげで出産年齢の女性が多く社会に出ている。
私はなんのルール違反も犯していないし、共同体の規則に則って生きているだけなので義務は果たしているし、適正価格でライドしてますよ。
もしも今後「婚姻関係にある男女は必ず子を成しなさい」という法律ができるのであれば離婚してパートナーシップを取得するけれど、そうでない以上は制度を存分に使わせてもらうわ。
何なら出産適齢期ど真ん中だけど産みたくない。
夫とのセックスは好きなのでピルで避妊している。夫も同じく、子供はいらない生き方をしている人なのでありがたい。
ソースは忘れたけど、少子化少子化と言いつつも結婚した夫婦の出生率はさして変わっていないらしい。婚姻率の低下が少子化の根本的な原因らしい。私達夫婦は結婚したけど、それでも私は子供は産みたくない。
そもそも子育てって、現代の娯楽とは正反対の位置にある労働なのだよな。
都会で好きなように働いて好きなように遊ぶ生き方の中にはどうしたって子育ては組み込めない。
子供に一切の見返りを求めず、責任だけを負い、子供だけの為に金をじゃんじゃか使い奉仕する重労働のボランティア。
無理無理。ごめんだけど降りさせていただきます。子供がいることで豊かな生活を送れる人たちは確かに居るのかもしれないけど、少なくとも我々の感性では夫婦二人で好きなように生きるが勝ち。
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
https://togetter.com/li/1585951
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1585951
グラフ見れば同い年婚も昔から一定数あって別にレアなものではなく、それは減ってないのに
夫年上婚は夫が1歳年上ってものまで減っているのが分かるのに
全体的に減少傾向で、「女性年上パターン」は近年の男女平等で若干増えたので、少ない数字を維持しているというに過ぎない。元々の数が少なすぎるものを引き合いに出しても見誤るだけ。
とか、他に多数いる「氷河期おっさんと結婚する女が減ったんだー」とかって
記事もグラフも見ないでタイトルだけ見て「夫年上婚=1歳差からではなく、夫がかなり年上の結婚だけを示している」と思ってるんだろうか。
1歳年上の男をおっさんだから嫌!なんていう女そうそういないだろうし、
2018年の時点で氷河期おっさんの1歳年下の女も氷河期おばさんで、それが若くて金持ちの男と結婚出来る事なんかほぼないだろうに。
1歳差ですら減ってて同い年は維持してるのって、「学生時代の同級生同士で結婚」ってのは変わらず維持してるけどそれ以外が激減、って事なのかな。
社会人になった後に出来た知り合いだと、1歳差くらいはほぼ変わらない扱いだろうし。
なんか否定的な意見が多いけど、大人の人間の生活において、セックスが幸福のために重要て普通に受け入れられてる話だよね。民事ではセックスレスは離婚理由にもなるし。少なくとも一定数の人にとっては、婚姻の維持よりも重要ってことだね。
ネットでこの手の意見出すと、僻みが知らんけど、すぐに「性依存症!」って診断する人出てくるよね。性依存症の定義を知ってるんだろうか?モテない知識ない人間は無視してればいいと思うよ。
ちなみに非小児性愛者でもセックス未経験者はそれなりにいると思うけど、単に「出来なかった」か、そもそも無性愛者だったって場合が多いんだよね。一方で小児性愛者は、その辺の登下校中の児童を誘拐するなり騙すなりでその気になれば大人よりも簡単に行為に及べてしまう。相手が児童だから立件リスクもはるかに少ない。だから余計に問題が根深い。
※被害の訴えなど緊急性の高いものは除く。(大人にも通常行う真偽判定は必要。)
高校生など未成年との性的関係は、同意があったとしても(「真摯な恋愛感情に基づくもの」と主張したとしても)、淫行として処罰される可能性がある。
なぜか?法的解釈では未成年は「心身の未成熟」であり、「それに乗じた」同意は無効だよね、マインドコントロールだよね、ということだからである。
そう、未成年は個体差はあれ、心身が未成熟なのである。そういうことになっている。事実、そういう根拠に基づいて罰を受けた者がいる。(婚姻までいくとやっと認められる)
故に、未成年が述べる意見というのは「心身の未成熟」に乗じて、他の成熟した大人が刷り込んだものである可能性が高い。恋愛感情がそうなのだから、当該者にとってエモーショナルな意見ほどそう見るべきだ。
それを未成年自身が「自分の意見」だと言っても、それは認めるべきではないのである。なぜなら「未成熟」だから。そういうことになっている。
身近で留まる場合は「子供の言うことだから」と無効化が働くことがままあるが、ひとたびメディアに流れればその言葉は大人の主張よりも人の印象に残る。大人からの反論は「大人げない」という悪印象により阻害もされる。
前述の通り未成年は「未成熟」であり、その意見とは基本的に「未成熟」に乗じて刷り込まれた大人の意見である可能性が高い。
未成年という属性を利用して未成年に外に向けて主張させることは、「未成年性の搾取」に他ならない。
当該未成年が成人して成熟したとき、自らの主張を自らで恥じ、精神的苦痛を抱えるもしくは自己正当化のために過激化し新たな「未成年性」を利用する危険性もある。
大人はこういったことから未成年を守らなければならない。だから自分の意見(だと思っている大人の意見)を大っぴらに言うようなことは、諸未成年のために阻止・無効化すべき(できれば優しく諭すべき)なのである。
男は女を見下して、馬鹿な女が好き。
知的障害者の未婚率は97%なのに、知的障害者の中では女性が婚姻関係に引きずり込まれ、同程度の症状の男性よりも結婚する割合が少しあがる。
複合姓がかっこいいので複合姓にしようという話になり、手続きを調べていたが、国際結婚で姓を変更するには同姓にする特段の理由が必要で、その理由書を家裁にサブミットしなくてはならない。そこでふと思ったんだが、夫婦同姓でなければいけない理由って、ほぼない。
子供がいて親子関係をわかりやすくしたいので、はまあわかる。しかし増田夫妻には子供はいないし予定もない。
仕事はそれぞれキャリアを積んでいるので、複合姓でもいいが別に変更前の姓でもいい。というかその方が楽だ。
基本的に日本の民法は婚姻してから子供をもうけることを前提にしているので、婚姻時に子供がいないのは普通だと思う。だとしたら、子供ができてから姓を揃えるんで良くないか?
結婚したら姓を揃えよというなら、子供ができてから婚姻するのが法律と実際の妥協点か?
しみじみ考えて思いついた理由が、名前が一緒だと信用のある方の配偶者の名前で金が借りやすいとかくらいしかなかった。そしたらそれぞれ信用があって子供のいない夫婦が姓を揃える理由ってマジでないと思う。
むしろ婚姻時は夫婦別姓が基本で、どうしても同姓にしたい理由がある(すでに子供がいる、片方に資力がなく相手の名義で借金したい)カップルが特別に申請するって方が筋な気がする。子供が生まれたら出生届と一緒に姓を揃えればよい。
*書き忘れたがそういうわけで、かっこいいから以外に姓の変更を家裁に申し立てる理由がなくて困った。氏の変更の許可はわりと厳しいらしく(犯罪とかに悪用する奴いそうだしな)、日本人同士だと問答無用で同姓になるのに運用が真逆で不思議だ。