はてなキーワード: 婚姻とは
https://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2020/10/28/234504
ちゃんと考えて置かなければならないことは、結婚して子作りして家作りしてというのは、ありとあらゆる動物が行っているもので、まぁパートナーなり結婚相手が欲しいというのは、動物の普遍的な欲求なのだろう。そこに財産と相続を絡めて、日本では戸籍を、ヨーロッパなどではキリスト教における某と結びつけたりなんかして、まぁ法律的な意味と宗教的な意味を持つわけだ。まぁ日本では宗教的な意味の婚姻ってのは戦前までの話(だったっけ?)で、実際の結婚式というのはただのファッションだが、ヨーロッパでは教会で挙式を上げなければ結婚とはならなかったり、法律的にも市長さんと夫婦そろって面談しなければ結婚とはならなかったり、なかなか面倒ではある。手続き上は日本の結婚はフランスのパックスやスウェーデンのサンボと変わらないものである。まぁ戦前の文化が残っているので、実際には家族間の某が色々あるわけだけど、でも両親がそんなこと重きをおいてる世代の結婚もだいぶ減ってきたのではなかろうか。知らんけど。
話はそれたけど、結婚したくてもできない人たちが欲しているのは、動物的本能の結婚でありまして、制度上の結婚ではないと考える。結婚したいと望んでいる女性が、財産が欲しい!!!が第一ではないだろう。二人で一緒に生きていく誓をたてること、これこそが結婚に憧れる人が望んでいることだと思う。こと日本において、ファッション上の結婚なら金払えば挙式できるんだから、いくらでもしたらいいし、人生で一度も入ったことのない教会で神に永遠の愛を誓えばいいと思うけど、でもきっとそういうことでもないんだろう。彼ら彼女らは戸籍というものをどう考えているのか、単なるお役所での事務手続きをどう思っているのかはわからないが、その手続が動物的本能を満たすのか、それともファッション的に挙式することで動物的本能を満たすのか、なかなか興味深い話ではある。まぁ多分本当のところは、法律婚ができないから、認めてもらえてないからしたいというのが一番ではないかと思うが。知らんけど。
昨日とある増田に書き込んだところ、他の増田に「セックスのことばっかり考えてるんじゃないの?」とコメントいただいた。
よく、高度経済成長以降に近代の家族制度が変容したことが語られる。
1961年の農業基本法の趣旨の一つは、大家族による人数をかけた従来の農業経営に機械化のメスを入れるものだった。
こうして農村部を中心に最後まで残っていた江戸時代以来の大きな家族というものが解体され、教科書で習うような核家族化が進む。
はてなでよく家族形態や婚姻形態の変化や現状の課題が俎上となるけど、その淵源の一つにこの法律を位置付けられる。
私はよく、こうした大家族から各家族への変化を「サザエさんのような家」から「クレヨンしんちゃんのような家」への変容と紹介する。
何と無くイメージできると思うが、一つ世帯に三世代が住みさらには「オジオバ」「オイメイ」が同居する形態は、近年かなり少なくなったと思う。
サザエさんの時代はまだこれが一般にイメージしやすかったのだろう。
クレヨンしんちゃんの時代になると、みさえは熊本、ヒロシは秋田からやってきて埼玉で家族を作る。
郊外に住宅が広がって平成狸合戦ぽんぽこみたいになる世代。ニュータウンの時代。
オマセなカツオくんや多感な年頃のワカメちゃんに、サザエさんやマスオさんはどう対処するのか。こればっかり考えている。
こうしたとき、波平さんやフネさんがいるってことはとっても重要だ。
きっと波平やフネは、それぞれの立場で子供達に姉のしていることを時に上手く見せないようにしたり、時が来たらしっかり教えたりとかしていたのではないか。
少なくとも、大家族の形態ではそうした機会を持ちやすいのではないかと考えている。
一方、クレヨンしんちゃんの家庭ではなかなかこういうことは難しい。
初期クレヨンしんちゃんで、みさえとひろしが夕食の時に今晩セックスしたいかどうか子供にバレないように特定のサイン・符丁を出して確認し合う場面がある。
しんちゃんがこれに気づいて乱入してきてギャグになるのだが、非常に象徴的なシーンと思う。時代は変容していることがここからはわかる。
核家族では、子供への教育や性生活といったものが、夫婦に集中して責任としてのしかかるのだ。
もちろん家父長主義的な家族形態に戻るべきという主張をしたいわけではない。
大家族のデメリットを克服しようとして現代がある(とナイーブかもしれないが信じたい)。
ただ、平成狸合戦ぽんぽこに一抹の寂しさを見るように、個人的にはここにはかつてへの憧憬がある。だからサザエさんとマスオさんのセックスばかり考えてしまう。
今を生きる現代人として、現代にとってより良い、より楽しい、よりポジティブな、より効率的な、より費用対効果のある家庭像あるいは地域社会像というものを常に思索しながら、自分も家族と日々を過ごしていきたい。
https://survey.gov-online.go.jp/h29/h29-kazoku/2-2.html
29.3%「婚姻をする以上、夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきであり、現在の法律を改める必要はない」
42.5%「夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には、夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない」
24.4%「夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望していても、夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが、婚姻によって名字(姓)を改めた人が婚姻前の名字(姓)を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては、かまわない」
「夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には、夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない」と答えた者のうち、「実際に別姓を希望する」と答えた者の割合が19.8%、「別姓を希望しない」と答えた者の割合が47.4%、「どちらともいえない」と答えた者の割合が32.1%。
子無し30代。
なにがって、とにかく性格が合わない。
こんなの結婚前に気づけよって言われるかもしれないけど、付き合うのと結婚するのじゃ全然違う。
彼氏ならどうでもいいことでも、今後数十年一緒に暮らして子育てしていくパートナーじゃどうでもよくなくなる。それは多分向こうも同じ。
もう無理だな〜と思ったのは旦那の「俺はずっと我慢してきた。自分を変えてきた。でも君は変わらないし、謝っても何も許してくれない」という言葉だった。
性格も価値観も合わない、ついでにいえば夜の相性も合わなくなってきた相手と暮らしていく上で、自分も結構ストレスはたまるし実際に蕁麻疹出たり急性胃炎で夜間救急いったり、吐いたりしながらも、長い時間かけて少しづつ努力と妥協しながら家族になっていくんだって信じて頑張ってきた。
でも相手からしたら私は頑張ってなかったらしい。それを聞いて脱力した。
でも根本の考え方が違うから、旦那がそう考えるのも致し方ないのかなと考えてきた。
旦那は
・何か嫌なことがあっても、法に触れない限りは受け入れるのが愛
・(家事とか)気になる方がやればいい。自分のタイミングを相手に押し付けてはいけない。
・諦めが肝心
という考え。
ただでさえ合わない人間同士なんだから、極力話し合って、どうしても変えられない部分が残ったら許しあえばいいと思ってる。
家事とかも気になる方がやればいいって言うのは、気にならない側の主張なのでこっちもまぁ限界がある。
っていうか今までの人生で「気になる方がやればいい」がうまく作用した試しがない。
そう伝えても全然腹落ちしないそうなので、この根本のすれ違いは改善難しいんだなと。
自分は子供欲しいからこうなったらもう早く離婚して欲しいのに、向こうがなかなか応じない。
来週別居する。
この期に及んでも旦那はまだ継続していけると思っているらしい。
==追記==
旦那が努力してきたのは感じてるし、ことあるごとにそれを認めて感謝を口で伝えてきたよ。
でも「そんなの伝わらない」って言われた。どうすればよかったんだろうね。
離婚もなんどもお願いしてる。
旦那がやだやだ言うので保留にしてる。