はてなキーワード: 叶姉妹とは
クラウドファンディングで資金調達した場合、掲げた目標の達成義務がそれなりに生じる。
彼女が掲げた目標は、フォトブックを作成しコミケに参加すること。
つまり、コミケで彼女に会うために出資する人がいる可能性がある。
しかし、彼女は芸能人であるためコミケ参加にはコミケスタッフの協力が不可欠。
つまり、無関係な第三者(コミケスタッフ)をクラウドファンディングの達成義務に巻き込んでいる。
事前の打ち合わせもなくね。
クラウドファンディングに赤の他人を巻き込むのはNG。
今回の場合、カメラマンも決まってないのに、コミケスタッフが無償で協力することだけは決まっているワケさ。ワッハハハ
無論、コミケ側は「知るかバーカ」と断れる。むしろ抽選から落とすだろうけど…その場合の出資者の怒りが彼女だけでなく、コミケ側に向く可能性もある。場外乱闘必死。
正直、早めに炎上して取りやめて正解。
彼女の方も、クラウドファンディングをよく理解して無い出資者を集めてたので、トラブルに発展した可能性ある。
コミケへの認識不足知識不足は、叶姉妹の例を学べば今からでも十分対応可能だと思うけどさ、よく調べもせず、いきなりお金が絡むことを勝手にやって、巻き込んで、
近づいたらヤバイ系で、付き合う必要も義務もコミケ側に無いでしょ。
クラウドファンディングでコミケを口に出さなければ、普通にフォトブック出来たでしょ。
小林幸子の時点でニコニコか角川あたりがサポートしてそうではあるし、
叶姉妹にいたってはあれはもう完全に最初から繋がってただろう。あまりにも流れがスムーズすぎる。
とらのあなやメロブの同人ショップが、自分とこで専売にしてる作家に対して、
新刊のジャンルを打診してくるなんて話は中堅同人作家の間では常識だしね。似たようなもんだろう。
何にせよ成功例が出てしまった以上、イナゴがやってくるのは避けられない。
新しいものを取り込んで変化することができた。
アニメのパチンコやソシャゲなども当初はひどく嫌われていたが、今やオタク文化の一部として認められている。
パチンコ中毒のおっさんも、ソシャゲにはまるDQNもオタクの一員になったのだ。
そもそも、今人気の萌系やエロ同人だって、元から主流だったわけじゃないのだ
そういった新しいものを取り込んでくれる可能性があるから、人や金も集まってきてここまで続いてきたのだ。
「コミケに芸能人が一般参加する」というたいへん大きな変化をオタクは受け入れだしていた。
しかし、今回の真木よう子の件で、オタクは自信の排他性を自覚してしまった。
これはオタクに、他者を排除しなければオタク文化は維持できないという意識を与えだしている。
これは危ない。
勘違いしないでほしいが真木よう子を追い出したのが間違っているということではない。
しかし、この事件を通して、オタクたちが文化の変容に対する恐怖心を強めてしまったことが危ないのだ。
主にコミケにオタク文化を知らない一般人が来るようになったら?という恐怖を抱いているようだが、
前述の通りそのような「客層の変化」はこれまでもオタク文化が通ってきた道なのだ。
自分にとっては初めてCDを買った人だ。小遣いをためて買いに行ったのが懐かしい。
ミュウツーの逆襲のEDテーマ曲な~まだCDが小さくて、縦長ケースだった時代。
あとクレしん映画の曲もいいし、ダンロンアニメで急に盆踊りソング始まった時は笑ったよ。
もともと紅白でのドハデな衣装とか、人間離れした1人のキャラクター感があった。
コミケ参加前年からコツコツとニコ動に歌ってみた投稿したりしてる。
アニキはるろ剣で知った。それを初め、ガンダムでオタク界隈での地位は確固たるものになった感がある。
オタクアピールもずっと前からしているので、急に参加したいと言い出したわけではない。
オーモーイーガーシュンヲ カーケーヌケテー
元々普通の人間じゃないですよっぽい特殊なキャラクター性を付けて芸能人やってる。
上のヤツラに倣ってか当初「ジョジョ好きアピール」をする所から始めたが、なんか取って付けた感あった
少し雲行きが怪しかったが、参加にあたって勉強します!頑張ります!アピールが功を奏して受け入れる声が大きくなってた印象。
おまえ誰だよ
チョロいってのとは違うだろ
叶姉妹は「元々トップクラスであったオモシロさと知名度」「オタク界隈との潜在的親和性の高さ」「入念な仁義の切り方」という成功要件があって成功したのに
要件考えず結果だけ見て「チョロい!参入!」ってお前はダメな中小企業の社長さんか
小林幸子と叶姉妹って存在が記号的で分かりやすいから、オタクは許容しやすそう。「ロボ」とか「乳」とか。
記号で処理できる情報しか送るつもりがなさそうだし、複雑であいまいな態度は取らないから、扱いやすいんじゃね、人間だけど限りなく二次元的というか。
真木よう子も、わりと二次元的なタレントだと思ってたけど、謝罪リリースの「背景に事務所います臭」がダメだったかもね。
事務所主導の戦略だとするとオタクからは嫌われるだろうと思うし、個人主導のクリエイティブ発露だったんなら、撤退はしなかっただろうし。
コミケ村の守護神となった叶姉妹と村民が平和に暮らしているところにある日突然ブルドーザーで村の入口を破壊して入ってきた真木よう子の物語を描いたらコミケで売れるのでは?
オタクってやっぱりちょろいんでは?
小林幸子や叶姉妹は「オー、スシオイシイデスネー! ニホンジンミンナヤサシイデース」ってタイプの外国人旅行者だったから受け入れられたけど、真木よう子は「(醤油くさい街ね! どうして英語の使える店員がいないの? クレジットカードも使えないなんて!)」ってタイプの外国人旅行者に見えたから拒絶されたということなのだろうか
https://anond.hatelabo.jp/20170828024450
記事内の、オタ・非オタであるか、アマチュア・プロ(法人)であるか、営利・非営利であるか、などは本件に関係ない見当違いな意見だと思う。
真木よう子のコミケ参戦はコミケの目的に反している。というより、全くの逆の考え方をしていると思うのだ。(目的と理念については後述)
コミケは同好の士の為の場だと思う。自分の好きなものを表現したり、見つけたり、仲間を探したり、そういう場ではないだろうか?
しかし今回の真木よう子の作品は、そこに当てはまるように思えないのだ。
理由は、彼女のクラウドファンディングのページにある。参考:https://camp-fire.jp/projects/view/40020
皆様と一緒にフォトマガジンを作ろうと、試みて居ります。 出版社を挟まず、皆様の御希望の写真、ワタクシの本音。等、多数載せる予定で御座います。
とある。
つまり皆様と一緒に、皆様のご希望の写真+αをクラウドファンディング――出資者を募って皆様のお金で作ろうとしている。
先述した内容の通り、コミケが同好の士の為の場だとしたら、彼女は一体なにが好きなのだろう?
写真だろうか、それとも二番目のワタクシの本音だろうか、あるいは自分自身が好きでそれを表現したいと考えているのか。
究極的に創作はそういうもので、何らかの形式やジャンルを倣って表現するのは、その為の手段のはずだ。
彼女が自分自身を写真という媒体で表現したいなら、写真という手法で自分というオリジナルのジャンル(或いは自分の好きなもの)を表現するとも解釈できる。
しかし今回の件は違う。
彼女は、皆様をしきりに強調している。
皆様のお金で、皆様の御希望の写真を、皆様と一緒に作りたい、と。
さて、最初に『全く逆の考えをしている』と述べたのはこの為である。
つまり、彼女は表現者として自己から他者へ好きなものを提供するのではなく、他者から自己へ好きなものを提供してほしいと言っているように思えるのだ。
クラウドファンディングの使用は、この点をより顕著にしている。
より皆様とお近づきになりたく、この様な企画を思いつきました。
とあるのもそうだ。
上記の文は明らかに、好きなものを外に出したい=表現したいとは書かれていない。
(もし自分の本音やそれに類する表現したい内容があるなら、ここに書かないのは不自然だ。穿った見方をすれば、他者の好きなもの(或いは自己への好意)を内に取り込みたいようにも見える)
この根本的な表現の間違いが、"真木よう子コミケ参戦問題"の肝だと思う。
自分の好きなもの(内)を他者(外)へ出す、のではなく、他者の好きなもの(外)を自分(内)へ入れる、という目的では、まるで読者(受け手)の目的である。
例え結果的には同じ出版物であっても、コミケの、そして表現者の目的に反しているという点が、この件の問題ではないだろうか。
真木よう子氏は既に本件について謝罪しており参加中止を表明している。ネット上のコメントやまとめには、当記事と同じような発言も幾つか見られる。
それをわざわざ取り上げ反論したのは、記事の内容に不満があったからだ。
筆者に悪気があったとは思わない。コミケ文化を憂慮して書かれた記事だと思うが、結果として悪い印象を与えていないだろうか。
彼は真木よう子氏に問題はないとし、各々の批判に問題のない理由を挙げている。
(なお、当記事への批判は以下が該当するように思われる。しかし交流と表現は別物であり、作家は表現を前提に交流している。当記事の反論はその表現が目的に反しているというものだ)
彼のいうように、オタ・非オタ、アマチュアや法人、営利や非営利はコミケには関係ない。それには同意だ。
だが、最終的にオタが非オタを排除したような結論になっているのはどうなのだろう。
とあるにも関わらず、皮肉にもこの記事はその境界問題を蒸し返しているように思える。
個人的な話をさせてもらえば、自分が子供の時分は、まだオタクが犯罪者予備軍という印象が強く、オタクというだけで世間から白い目で見られる時代だった。
だが、様々なメディアを介して有名になり人気も上がり色々な人が集まるようになり、現在は既にオタクと一般人の境界は限りなく薄く微かなものになったと思う。
そうした時代にあって、この記事は結局はオタクと一般人(あるいはそれに類する言葉)の影に怯えているように見えるのだ。
彼にはそう思えたのかもしれないし、実際そのような考えの人もいるかもしれないが、オタクであるかどうかはこの問題を正しく捉えていると思えない。
と言っているではないか。
コミケの参加に関わる内容は、コミケ参加者とすべきで、不要な言葉のくくりを認めるべきではないのだ。
これからの時代に大切なのは、曖昧な境界に怯えるのではなく、境界を取り払い同じであると主張する勇気ではないだろうか。
最初、タイトルに理念と書かず目的にしたのは直観的なものでした。(タイトルを先につけた)
なんとなくコミケの理念なんて仰々しいものでなく、もっと単純で根本的なものだと思ったからです。
記事を書いている途中で見つけたのですが、http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf
コミックマーケットは同人誌を中心としてすべての表現者を許容し継続することを目的とした表現の可能性を広げる為の「場」である
とあります。
当記事は、その理念の前半の表現者について、表現の目的に反している、延いてはコミケの目的を満たしてないと論じて、後付けですが一応タイトル回収?できているのではないでしょうか。
いやほんと、長々と失礼しました。
そういった状況でありながらも、コミケという自分たちの居場所を確立していたのに、
よりによって、その「犯罪者扱いや蔑み・馬鹿にしてきた側の」当のTVやメディアが、
ビジネスチャンスと見るや、手のひらを返して、今度は利用しようとし、
いざ知らず、安易に「ビジネス」として利用している(と見て取れる)
ことに対する反発。
②仮にこのケースが認められてしまうと、成功譚として認知され、
同様のケースが続々と起こってきて、自分たちの居場所が奪われてしまう、
または、純粋な即売会とはかけ離れた資本主義的な様相を(より一層)
③一般のファンをあの冬の会場の中の行列や、苛酷な環境の中に、
行かせようとしていることに対する疑問や、一般ファンが多数流入することでの
(例えば、列の最後尾の人が札を持つ事などの)、暗黙のマナーが守られるのか、
トラブルが起こるのではないか(もし、トラブルが起こった場合、
④自費出版が基本である同人誌に、クラウドファンディングという形で、
資金力を使って、参入しようとしてきていることに対するある種の嫉妬。
「芸能人」が「芸能人という肩書きを使って(表明して)、大々的に参入しようとする」
となると、その参入障壁というのはかなり高くなるのではないかと思うところ。
叶姉妹の場合は、その障壁をクリアする位の完璧な対応をとったと評価されているから、
受け入れられただけで、通常は、かなり難しいことなのかな、とは思った。
一方で、狭量とか心が狭いと言われるのかもしれないけれど、
自分たちの居場所を馬鹿にしたり踏み台や利用しようとしている、
果たして心情的に納得できるかというと、難しいところがあるかなとも思ったところ。
クラウドファンディングについては、どうなんだろう。
あーなんかわかる。
しょこたんならわかってくれるけど、真木よう子はSNSでどんだけ丁寧に対応しても、結局マンガとか同人誌とかそういう方面には歩み寄ってくれないもんな。
俺の思いも、この記事主と同じ意見と言っていい、と思っている。
では真木さんと叶姉妹、何が違ったのだろうか。更に言えば小林幸子とどう違っていたのだろうか。
彼女らも売名行為であり、稼ぎの1つとしてやっていたと言っても良い。
実際、芸能人や有名人でない大手サークルは彼女ら以上にコミケを稼ぎの場として利用しており
コミケだけで500万1000万円を稼いでいる。そんな大手サークルを批判せず真木さんにだけ批判を集中
するのは偏った見かただ。
俺が思うに真木さんの手法、手順が一部の人の強い反感をかってしまったことだ。
twitterやクラウドファンディングを使ってあからさまに稼ぐことだけを目的にしているような
私は探してみた。叶姉妹をみて私もコミケが1つの手段であることを知った
だから私もやってみたい。
という風に段階を経てやっていれば批判は少なかったように思う。
こんなこと言う俺だが、叶姉妹がコミケ視察に来ていた話を見た時、強く批判をしていた。
ただでさえ混雑している中、追っかけるマスコミもいるからコミケに来ている一般の人の
迷惑だと。
出店をした今回、彼女らは売切れた場合や転売屋対策をしっかり行った。だから俺は
叶姉妹はしっかり手順を踏んでやった。このことが評価するところなのだ。
真木さんはコミケ委員会の精神やルールに反したから、多くの批判を浴びたわけではない。
モラルを踏みにじったわけでもない。
言い方、表現の仕方が反感をかった。
今後、コミケに参加したいという芸能人や有名人が出てくる可能性はある。
有名人だからこそ、細心の注意と敬意を払いながら行わなければ、批判は一気に集まる。
今回残念ながら真木さんは辞退を表明したが、いい教訓になったのではないかと思う。
真木よう子の件。
それを排除したオタク達はおかしい。確かにそうなのかもしれない。
真木よう子は悪くない。それも賛成しよう。
『圧倒的にセンスがない』。
コミケは別にオタク要素がなきゃ売っちゃいけないルールはない。それはおおいにその通り。
老若男女、古今東西のオタクが一同に会する『オタクの祭典』であることもまた事実。
そこで本を売ると宣言した以上、オタク層を意識しないことは得策とは言えないし、
おそらくは真木陣営もその層の新規開拓を狙ってのことと容易に想像できる。
既存のファンとの交流であればそれこそファンミーティングを開けば良いのだし、
そもそもクラウドファンディングで投資をする人物は少しでも彼女に興味があるわけだから。
旗色が悪いと見るやコミケ出場を撤回したあたりからもそこは間違いないように思う。
以上を前提として、ここ最近でコミケで名を上げた芸能人を見てみると…
幸子しかり、西川くんしかり、叶姉妹しかり、ちゃんとオタク層向けのマーケティングをしてきているのだ。
対して。
彼女は一体何をしにくるのだろう?
彼女は『コミケで売れたい』ために何をするつもりだったのだろう?
彼女は『コミケで売れたい』と願う他の同人作家と席を争うに足りただろうか?
だから、私はこう思う。
軽くぐぐって出てきた数字なので、多少の誤差と拾いそびれはあると思う。
500円の本と4500円のTシャツを持ち込み2hで完売(部数わからず誰かフォロー希望。2h完売ってことは1500〜2000くらい?1500で75万、2000で100万、3000で150万の売上。Tシャツが500部換算で225万)
2000円の本を3000部完売 = 600万円
4500円のTシャツを500枚完売 = 225万円 計825万円(追加で通販アリ)
TMRのおっちゃんの薄い本の単価が異常に安い(これは頒布どころか赤字だろ)のと、叶姉妹の本の単価がどう見てもがっつりとした利幅確保前提で設計されてるのが気になる。
Tシャツ4500円ってのはデザフェスあたりで出てくるシャツと比較してもいい値段だとは思うが、この辺はプレミアとして妥当と言い張ればまあ、妥当なのかなあ。
「芸能人のコミケ参加」でひとくくりにされがちな3サークルではあるけれど、実績を並べてみると
と、3者でだいぶ様子が違うんじゃないの?という気がする
この問いを考えたやつは誰なんだ。芸能人というのはそれ自体がブランドだ。だから即売会に既に確立したブランドが入り込むことは忌み嫌われるわけだ。叶姉妹も自分たちの写真集を売っていればだめだっただろう。しかし彼らは他ジャンルの同人誌を発表するという方法で筋は通した。建前上、サークル主が金持ちだろうがなかろうが、たまたまどんな職業についていようが、それ自体は参加資格を疑われるようなものではない。
「真木よう子って誰?」という問いはこれを拡張するものだ。彼女が出してくるのは職業ジャンルのコンテンツなのだろう。しかし彼女には芸能人としての地位がない、ようだ。彼女が誰なのかを誰も知らなければそれは実質的に一般サークルと変わらないということをオタク達が承認することになる。この転がりの良いフレーズがどこからどのようにして来たのかは追及されるべきではなかろうか。