はてなキーワード: 募金とは
来年の契約更新をぶじ果たしたので、喜びでニヤニヤするほっぺを引き締めつつ閉園前の30分くらい行ってきたけど、カップルと家族連れは4対6くらいの割合でいた。
お目当てのシロクマは例年通り(トータル4回くらいしか来たことないけど)ストレスMAXで病みMAXだったので、わたしもつられて病んで動物園を出た。
外国人カップルの彼氏の方も同じことを彼女に向けて嘆いていた。
動物園に潜む闇だった。パンダはそこそこいい環境なのにね。売れっ子アイドルと地下アイドルくらいの差なのかなこれって。
こんな早くから酔っ払いかよ、まぁ上野だしいるのかなと目をそちらに向けながら歩いていたら、
それは酔っ払いではなく、覚せい剤の疑いで連行される現場だった。
警官が10人くらいひとりの男を円を描いて取り囲んでいたのでさながら動物園にいる動物のようだった。
警察24時みたいな番組にでてくる口調で、麻薬使ってないか調べるっつってんだろうがあ!と警察のほうも一人叫んでいた。
静観するその他。
通り過ぎていく人々。
そんななか唯一、興味本位で近づいてみているらしきおじさん。友だちか?
動物園を出るときは、あぁシロクマたちの環境を改善するにはいくらのお金が必要なんだろうわたしの財力ではむりだけどなけなしの給料を募金しようかなけどパンダに使われるのかなと真剣に鬱になっていたのに、麻薬の取り締まり現場を見たせいで、すべてがなんだかどうでもよくなった。
おっぱい募金そのものは超健全で損する人がいない上に募金までできるという画期的な仕組みだ。
でもどうしてここまで批判されるのだろうか?
それは私たちの文化が、過去から連続的に続いている上で成り立っているものだからである。
古来より女性は差別され続けてきた(今でも一部の地域では過酷な差別をされている人々もいる)。弱者男性も差別され続けてきたという意見に関してはおっぱい募金とは関係がないので、肯定した上で横に置いておく。
その差別の上で避けられない話題が、性的搾取だろう。性的搾取は、古来では強者男性が女性を一方的に物品扱いすることにより発生していた。
だが、女性の権利が向上した現代日本においては、そういった状況は一部を除きあまり見られない。売春もおっぱい募金も本人の意思で行っているものである。しかもおっぱい募金はおっぱいに触れるだけで売春ですらない。握手会と同じようなものである。
では、なぜ性的搾取でないのにここまで批判が起こるのだろうか?
それは、私たちがこれまで歩んできた過去の過ちに近いと感じるからだ。
確かに性的搾取とおっぱい募金では大きく異なる点がある。本人の意思かどうか?という点だ。性的搾取は強制的に奪われているものであり、おっぱい募金は自らの意思で与えているのだ。だが、私たちにそれがわかるだろうか?この女性は自らの意思以外でおっぱい募金をしていないと、誰が言い切れるのだろうか?今はよくても、そのうちに無理やりおっぱい募金をさせられる女性が出てきてしまうのではないのか?
もし仮に、私たちが過去に女性に対しての性的搾取を行っていない文化圏で生まれ育ったのなら、このような不安は生まれてはいないだろう。そして、この大批判は、過去にすでに起こってしまった暗い文化がまた芽生えてしまうのではないのか、という考えから生まれた反応であるため、性的搾取を行っていたという過去を詳しく知らない人からしたら過剰な反応に思えるだろう。
確かにおっぱい募金は法に触れていないし、おっぱいは減らないのに募金は増えるという魔法のようなシステムだ。だが、必要以上にもてはやされてしまうことにより、「私のおっぱいで世界を救いたい!」という純粋なボランティア精神よりも、何か他の利益のためにおっぱい募金に参加する女性が発生してしまうのではないのだろうか。そして、そうなってしまうのではないのかという恐れこそが批判している人々が回避したがっていることなのではないのだろうか。まあ、今現在でもそんな純粋な精神で参加しているのかどうかは神のみぞ知る、といったところだが。
そもそも現実問題現代の日本の恋愛において「おっぱいを触る」のは、セックスの過程でしかありえない。
キスならそこまでやって別れるカップルもいるだろうが、「おっぱいを触る」所まで許したカップルは大体そのままセックスになだれ込むだろう。
つまり、普通に付き合っていた場合、「おっぱいを触る」のにかかる費用は大体「セックスをする所まで持ち込む」のにかかる費用に等しいと考えていい。
ではそれにはいくらかかるか?
大体、デート一回につきディナーが一人3000円、割り勘で支払ったと考えよう。
これは交通費を考えない場合だから交通費を仮に一回のデート辺り300円と仮定すると39,600円…約4万円になる。
彼女と会う為に特別に見た目を整える場合、美容院代が5千円。服を買ったとして、幅があるが少なめに見て1万円と見積もる。
直接の費用だけで約5万5千円。これにデート一回あたりの時間を約2時間と考え、仮に時給千円とした場合月2回×半年の交際期間では24,000円。
55,000+24,000=79,000円。これが大雑把に換算した、「一人の女性と交際してセックスまで漕ぎ着けるのにかかる費用」であり、それは「おっぱいを触るのに要する費用」とほぼ等しい。
(勿論、奢ったり遠距離恋愛だったりしたらもっともっとお金がかかる。)
つまり「おっぱい募金」には本来、一回あたり7万円以上は払って然るべきなのではないか。
「それなりのルックスの女性のおっぱいを触るまで漕ぎ着ける」のには、普通にやっていたらこれだけの時間とお金がかかるのだから
それをたったの千円で済まそうとするのは搾取以外の何物でもないと思う。
きみはレトリックとして
に壁を作るべきだと主張して、その実は読者に
に壁を幻視させようとしてる。実に典型的な「誤った二分法」の応用だ。醜悪極まる。
にあるべきだし、ある。
その前提の上で、嫌悪なく、国内で言えば資金面での反社会性やフロントに立つ人間の身体的精神的リスク、セカンドライフ(ジョブ?)を解決する方向にはどうしたら持っていけるのか、または優良店情報以外に語るべきことはない。新小岩駅前の2000円サロってあれヤバい店だと思うんだけどどの方向性?タケノコかお兄さんか単に年齢なのか、ぐぐっても何もでない……
おっぱい募金批判者A「売春は当然アウトとされているのにおっぱい募金はセーフだなんておかしい」
おっぱい募金擁護者a「普段風俗を批判してない人達がおっぱい募金を批判するなんておかしい」
おっぱい募金批判者B 「一般企業が従業員を無給で慈善活動させた場合ブラック企業として批判されるであろうに、おっぱい募金に限って擁護されるのはおかしい」
おっぱい募金擁護者b 「障害者を利用して儲けている24時間テレビの方がより大規模に行われているのに、おっぱい募金ばかり批判されるのはおかしい」
Bを批判する人「そもそも私は一般企業が従業員を無給で慈善活動させても良いと思ってる」
Aを批判する人2「売春とおっぱい募金を同列に論じるのはおかしい」
aを批判する人2「風俗とおっぱい募金を同列に論じるのはおかしい」
Bを批判する人2「ブラック企業が行わせる慈善活動とおっぱい募金を同列に論じるのはおかしい」
bを批判する人2「24時間テレビとおっぱい募金を同列に論じるのはおかしい」
みたいな流れ見ると、みんな立場とか現状認識とかあまりに違うんだな、インターネットの議論でわかりあうの本当に大変だなあって気分にさせられません?
(A、a、B、bの主張は実際に私が見かけた主張ですが、A、a、B、bを批判する側の主張に対してはこの限りではないです)
社会通念の話になると「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」で終わる。多人数でのアンケートでも取れれば話は別だが、さすがにこの話題でそこまでやる奴はいないだろう。
寄付者は誰なのか
「おっぱいを触らせる事の適正価格」がはっきりしない以上、寄付者が誰なのかがはっきりしないのもしょうがないだろう。ただ、増田が「握手とおっぱいの間に、越えてはいけない壁を感じる」なら、1000円よりは高いのではないか? とすると女性が寄付しているも同然だ、という考え方でもおかしくはないと思う。
ついでに
「おちんちんを触らせる事の適正価格」がはっきりしない、というか値段がつくのか?という問題があるので、同じようには論じられないだろう。
ツイッターで顕名で議論を試みたが誰も食いついて来ないのでこちらに書く。
俺は、握手とおっぱいの間に、越えてはいけない壁を感じるけどね。それは、割と、日本の社会通念に合致していると信じている。もっとも、アイドルグループの握手会もどちらかといえば嫌悪感を感じるし、自分は参加しないと思う。あと、噂される枕営業が本当なら許容しない。多分、本当にあるんだろうが。
寄付者は誰なのか
おっぱい募金の寄付者をおっぱいを触らせた女性と見る意見には違和感を覚える。そういう意見の人は、ビル・ゲイツが氷水をかぶった後に集まった募金はゲイツが寄付者だと見るのだろうか。それとも、Oh cool !と言ったかどうかは知らないが、それを見て実際に出資した人間と見ているのだろうか。桑田佳祐が無償でライブコンサートして、コンサート収益が寄付された場合はどうだろうか。俺は、いずれの場合も、寄付者は、実際にお金を出した人間だと思うぞ。
収益を得ているのは誰なのか
本件では、当事者は、出演者(女性)、主催者(スカパーのチャンネル運営者?)、出捐者(金を投じておっぱいを触った人)がいて、これら三者の関係は日テレの24時間テレビと近いのではないかと考えている。主催者はチャンネル加入者と広告主から対価を得ていて、利益を得ているんだよね。24時間テレビの日テレが広告収入を普通に得ているのと一緒。次に、出演者が出演料を得ていると、24時間と大分似てくるんだけど、ここは俺の持っている情報では不明。そして、出捐者は、性的なサービスの対価を払ってるんだよね?24時間テレビの場合、マラソンを見たりして、感動して募金するわけだが。
主催者が営利でやっているのに、性的なサービスを提供する女性が無償、っていう枠組みは、チャリティーじゃないって批判される24時間テレビよりもさらにチャリティー性が希薄ではないだろうか。(追記 女性たちは大した対価を貰ってないか、無償な気がするので)想像するに、専門チャンネルで自分の専門(AV女優さん)を宣伝できるんだから無償でもペイする、という考え方のようにも思うのだが、星の数ほど出版されるAVの中で、少しでも目立たないと報酬を得られない女優さんたちの立場の弱さにつけ込んだ性的な収奪のようにも思える。実質、テレビ局に対する枕営業、というか。
反射的感情的には、おっぱい募金と子供のマネキンを破壊することに対しては1の無問題、ISISを模したマネキンとキモオタについては4の許すべきでないという感覚を持つけど、そこに違いが発生するのは正しくないと思うので、意見としては仕方なく全てに1の無問題という答えを出す。
おっぱいはとりあえず置いておくとして、子供のマネキンとそれ以外に対して感情面で違いが発生するのはなぜかというのは、まず俺が子供があまり好きでないというのが考えられるが、実際に殴りたいほどかというとそうではない。むしろ子供にキツく当たる大人、厳しい指導をする教師、いじめっ子、などには、俺を子供側に投影して、大人やいじめっ子に憎悪が湧く方だったりする。
また、ISISやイスラム教徒に対しては舌打ちしたくなる苛立ちは湧かないが、ISISは困った存在だし、イスラム教徒も戒律や拘りが強くて気を使わなきゃならなそうであんま関わりたくないという差別かもしれん感情はある。キモオタについては俺自身キモオタなのでキモオタが馬鹿にされるのは嫌だが、キモオタが見苦しいとも思うのでテレビにオタクが出てるとチャンネルをかえるし、喫茶店などでオタ友達が大声で話してたりするとさっさと帰りたくなったりもするわけだ。
色々すっ飛ばして暫定結論を言うと、マイノリティであり弱者であるとする意見に実感(これも感覚に過ぎない)が持ててるかどうかで、それに対する加害可能性に敏感になるか鈍感になるかが別れるっつう普通でつまらなくて自称被差別者が普段から怒ってる話なのかもしれない。「子供は弱い存在っていうけど俺も子供を経験してきてまあ多少精神病んだけど生き抜いたから弱者って言われても実感持てないし世の中に子供一杯いるからマイノリティでもないよね」「イスラム教徒はなんか大変そうだから弱者っぽいし日本だと見ないからマイノリティだよね」「キモオタは俺自身の経験としてキモがられる弱者だしネットにしか友達いないからマイノリティだよね」そして「女は言うまでもなく人類の半分だからマイノリティではないし、肉体的社会的に弱者っていう話には話としては頷けるけど俺童貞だし物理的性暴力そんな見たことない&職歴ないからピンと来ないしむしろ俺の人生の中で女と接する機会のあった学生時代を振り返ればなんか女子ってキラキラしてて眩しいし貴いしクスクス笑ってくるしウェブでは理屈で殴ってきて怖いし母親には逆らえないし強者なんだよな」っていうわけ。
「こっちの方が弱者なんだよ合戦はやめろ」って言うけど、それで弱者という印象を勝ち取れば保護も勝ち取ることに繋がるから有効なんだよなあ。
ただ厄介であり面白いこととして、ウェブ上で自分が弱者だと主張する時はしばしば強い言葉や、筋道だった迫り方になるから、「こっちが弱者なんだよ合戦で勝つ」=「理屈ではそうだけど、主張する能力が高いからあいつらやっぱ強者じゃん」っていう矛盾が発生するって現象。真に弱者であるというポジションを得たいなら、「こんなに辛く生き辛いんだよ、なぜならこうでこうで……」という風に論や証拠を展開して納得させる方向ではなく、かわいそうぶることで憐みを買う方が有効なんだと思うわ。つってもインターネッツは憐みを買おうとする人間にやたら厳しくなる風潮ができてるからそれも難しいんだけど。
自分は会社員ではないが、自分のいる組織でも普通に行われている。
募金箱が回ってきて、○○基金(うちの職場が率先して進めている基金)について「職員も協力するようお願いします」と書いてあり、ご丁寧にも、寄付した人は部署の名前に自分のハンコを押して、隣の人や部署に回していく。
ボーナスで自社製品の購入を強制されたり、ボーナスで自分の自治体の地域振興券を買えと指示されたりする職場があるとのニュースを聞くたびに、「そんな製品やサービスはそもそも失敗だろ(少なくともそんな呼びかけが外部に与える印象的な意味で)」と思っているが、これを企画する上層部の方々は「恥ずかしい」という思いが無いのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20151219184358
在日朝鮮人でも部落出身者でもハンセン病患者でもかまわないけど、差別されがちな人たちが募金活動をやる。
で、普通の日本人たちは彼らにヘイトスピーチをぶつけて、そのたびに募金箱にお金を入れていくってわけ。
おっぱい募金をやめるように訴えた団体がいたのに対して、それを擁護する奴らがわいているけど、自分は後者の方がキモイと思ってしまった。
AVかどうかじゃなくて、「職場でボランティアをやらされる」っていうのが嫌すぎる。
特に擁護派の「おっぱい揉まれた側は笑顔で喜んでいた」っていう意見には驚愕した。「あのキャバクラ嬢は笑顔で接してくれたから俺のことを好きにちがいない」ってぐらい酷い理屈だ。
「笑顔だから喜んでいる」ってのは偏見がひどすぎるし、ブログやツイッターで感想を発信しているのも仕事の一環だと思う。もし当人がすごくorすこし嫌な思いをしていたとしても、職場に言われて半強制みたくやらされた《ボランティア》を悪く言えるわけないじゃん。
たしかに心の底から楽しんでやっていた女性もいたかもしれんが、それなら募金活動には「AV女優」という職種や会社の枠を無くすべきだよ。
本当にやりたい有志だけが自主的組織を作ったらいいじゃないか。それでも反対意見は出ると思うが、「嫌なら嫌と言える」という環境整備は大事だ。
追記
えっ。あれはボランティアじゃなくて、給料をもらってやっている活動だったのか?それならばなおのこと「喜んでおっぱいを揉まれている」っていう擁護派はきもい。仕事でやらされていることを当人たちは拒否しづらいだろうし、多少むりして笑顔を浮かべているって可能性をますます排除できなくなりますわ。
選択肢が無くて選べないという人が出て来た時に備えて設問(c)向けに
0.積極的に絶滅すべきなので募金の価値に関係なく実施すべき、むしろ破壊対象はマネキンでなくてもいい
を追加しておこうか
というイベントを開催した。多くの人が集まり、募金額も多額集まった。しかし、それに対し
**を破壊する事はたとえマネキンであっても**に対する差別(等)を助長する、こういうイベントは問題があるので開催しないでもらいたい
という運動が起きた。
この**が
(a)子供のマネキンを破壊する事は、子供に対する虐待を助長する
(b)ISIS戦士を模したマネキンを破壊する事は、イスラム教徒に対する差別を助長する
(c)いかにもキモオタを模したマネキンを破壊する事は、オタクに対する差別を助長する
どれになるのか、回答が(a)(b)(c)そしておっぱい募金によって違うのであればそれはなぜか、週末暇な方がおられたら回答頂けると嬉しい。
人生の攻略方法は、怒らないこと(反応しないこと)だ。反応してしまうと自分の中のエネルギーを消費してしまい違うことができたかもしれない。もったいない。どうやって怒らない(反応しない)かというと相手のことを理解しようと考えると反応しないで済む。
最近だと「おっぱい募金」「低所得者は食への関心が低い。関心を持って欲しい」みたいな記事を見たけど、全力で持論を書き込むのではなくて、おっぱい募金やめろ派は目を背けることのない綺麗な社会を作ろうとしている気がする。(たぶん違う)
低所得者の食については、政府が毒にも薬にもならない締め方をしたのは自分たちが不利にならないようにしているだけ。(たぶん違う)
そう思うこと、相手の立場に立つことでびっくりするほど怒りの感情は起きない。ただの無関心になる、ということと同義かも。
人生が楽になるよ。