はてなキーワード: キャパシティーとは
辛い。逃げ場がない。
親は二人とも頭がおかしいほどの学歴厨。勉強だけしてりゃ人生どうにかなるよ!と言われて育てられてきた。お受験してSAPIXで同じような女ばかりのコチコチの中高一貫女子校に入学。
それが正しいと思ってた。おかげで難関大学にも入れたけど、勉強しながら女磨きもして入った女子に比べたら私なんてゴミカスみたいな扱いを受けたわ。
それから喪ブスで30歳で彼氏が居たことも無く、大学でメンタル病んで就活失敗、せっかく入った企業もやめちゃった。
受かったら高給取りになれるけど代わりに激務。
でも、どうせ難しい資格取っても職場でも疎んじられるだろうし、バリキャリ出来るほどのキャパシティーが備わってないんだよね私。
いざ仕事して、何十年働いても、女の私には男の人みたいに支えてくれる女の人は居ないし(男尊女卑な考えでごめんなさい、でも結婚がマジで羨ましいです)ボロボロに疲弊しながら何十年も一人で孤独に意味もなく働くのが目に見えてる。
元々涙もろい性格ではあったが、うつ病になったときは泣く場面ではないのに涙が出るようになった。
例えば、落とし物を拾ってもらい「ありがとうございます」と感謝の気持ちが少し昂ったら涙が出てきたりした。
これは性格的なものというよりは、生理的なものに近いと思う。以降、自分の中で性格的なものの涙と生理的なものの涙を区別している。
覚えていないだけかもしれないが、ありがとうと涙を流すことで得した経験が過去にあるとは思えない。
涙もろいこと自体は性格的なものだと思っているが、疲れているときに出てくる涙は脳のストレスのキャパシティーを超えた時に出てくる生理的なものだと判断している。
という謎の自己肯定感で支えられていた。
頭の回転はそれなりに早いと思っていたので社会に出たら評価されると思っていた。
実際には学歴なんて、長い長い人生マラソンにおいてせいぜい3歩くらいの差でしかなかった。
何物にもなれない。
そのことに気づいたときに、人生をこなす意味が薄れてしまった。
学校の成績はよかった。
それは、大きな集団の中で1番になりたい、というお山の大将根性で頑張れた。
会社や社会においては丁寧にルールが決められるということもない。
その枠組みの中でのみ自我を保ててこれたのだ。
今この文を書いている際も適当に仕上げてしまおう、という熱量のなさが露呈している。
それでも一歩一歩小さい歩幅でも進んでいくしかないんだよなー。
駄文乙でした。
検査頻度と死者数を比べて相関が無いから、PCR検査は役に立たないと本気で信じているのが恐ろしい。
まずね、コロナで大量に死んだあとに検査を増やしても、死者が生き返って死者数が減ったりはしないんだよ?
逆に最初に誰も感染してない所で大量に検査したからといって、数か月後の死者数を減らす効果もない。
PCR検査は、今まさに感染が広まりつつある時に感染者を見つけ出し、感染拡大を抑える効果しかない。
だから、トータルで何件調査して何人死んだかを比べても全く意味がない。
実際に感染拡大期に東京や大阪で起きたのは、症状が怪しいにもかかわらず、
ドイツの事例
・スーパー、ドラッグストア、薬局、ガソリンスタンドなど生活に必要な店以外すべて営業禁止。散髪屋すら✖。
・学校はすべて登校不可
これを半年くらいやってた。それでも減らなかった。陰性証明提出のための抗原検査が週に一回まで無料なので、これが日本が真似できる「全員PCR」に近い事だと思うけど、効果があった/あるのかは疑問。ワクチン接種進んでやっと感染者減った。最近また増えてきてるけど・・・。日本のクラスター戦略真似して濃厚接触者のPCRも追える範囲でやってたけどそれで陽性出た人も普通にスーパーとか行ってたし。
日本在住者全員同時にPCR検査できてなおかつその精度が100%だったと仮定して、見つけた感染者をどうするの?強制入院させたら人権ガー言われるし、そもそも感染者全員入院させるキャパシティーもない。PCRで陽性出た人も結局野放しで普通に買い物行ったり、なんなら陽性だったのを隠して出社・飲み会する人もいるだろう。
結局1人1人が三密を避ける、手洗いうがいしっかりする、サージカルマスクかせめて布マスクをするという基本的な事を守るしかない。そしてこれを医療関係者が口を酸っぱくして言ってるにも関わらず守らない人が多いせいで感染が広まる。有識者とやらは検査したから解決する問題じゃないと分かってるから今さら言わないだけでしょ
誰もが発信できるようになって、誰もが受信できるようになったインターネット。
俺のインターネット。あなたのインターネット。君のインターネット。お姉さんお兄さんお母さんお父さんのインターネット。あいつ達のインターネット。それはきっとそれぞれ違うインターネット。
決して、昔のインターネットは素晴らしいものではなかった。誹謗中傷の数は今とそう変わらなかった。匿名の人間が大量のゴミを残していった。
端的に言うと99%はゴミだった。クソったれ。どうしようもない。残す価値の無い塵芥。
インターネットの利用者は、意識せずとも、現実とネットを分けていた。
別の空間だった。その理由は、インターネットを利用するには、人間がパソコンの前に座る必要があったからだ。
インターネットにアクセスする方法が限られていたからだ。インターネットに情報を残す方法は限られていたからだ。
ごみ溜めと呼ばれていた。アンダーグラウンドで、無意味で金にならないどうしようもないコンテンツが大量に存在して、その無価値なものが無意味に流動していた。
インターネットに集まる人間は、その性質上、日陰者が多かった。悲観主義な奴が多かった。孤独な奴が多かった。
それぞれがみんな足りないモノを求めた。全員ハンドルネームか匿名。著名人や有名人以外はみんな、別人だった。現実にはなりえない何者になろうとした。
現実には存在しない空間を求めた。インターネット上では、現実の何者である必要はない。平等なクソだ。
インターネットは徐々に現実と融合した。どこもかしこも、誰もかれもがスマホを凝視して、インターネットを利用した。
ありとあらゆる問題がインターネットに放り込まれた。政治経済、世の中の流れ、人間、学問、エンタメ、情報に次ぐ情報。
世界についてのすべて。人が喜ぶ、人が妬む、誰もが注目する情報。情報。情報。
人間関係を可視化して、人間の優劣をつけるためのSNSが現れた。
大量の企業が、政治団体が、利用し始めた。ガキから老人までインターネットに内包された。
インターネットはもはや化け物だ。ゴミ山モンスター。ゴミ山モンスターは世界を覆い、人間をインターネットに内包した。粗探し、炎上、政治問題、社会問題。老若男女問わず、情報。情報。情報。
人間は現実の全てをインターネットに切り貼りして、金に変換した。友情も愛情も人間関係も犬も猫も芸術も政治経済も日記も全て。
人間はキャパシティーを超える情報量に混乱し、アメリカ合衆国がネットに翻弄された。
全てが可視化された。全ての傷口がパブリックなものとなり、解剖され弄りまわされ、化膿し、悪化し、感染した。
ネットはクソのはずだ。誰しも認めていたはずだ。ネットはクソだ。ネットは無価値だ。
まるで、人生のようで、だからこそインターネットに夢中になったはずだ。
インターネットは現実のクソではなかったはずだ。インターネット固有のクソであったはずだ。
俺にはクソを選ぶ権利があった。現実のクソとインターネットのクソ。
クソなりにクソの選択肢があった。
今のクソは、現実のクソとインターネットのクソを組み合わせたハイブリットなクソ。
選択肢は一つ。
最高だ。
最高。最高。最高。
私も中学の頃から東京藝大デザイン科志望で、別の理由で高校へ進学しなかった者です。大学受験資格は大検で取りました。
大手の美術研究所に高一の歳から通い続けましたので、あなたが考えているようなことを実行したことになります。
絵が下手だったからという訳ではなく、家族は全員美術系で、私自身も小さい頃から周囲が驚くような絵を描いていて受賞経験もありました。
では何故藝大受験に失敗したかというと、理由は主に2つあります。
藝大受験の一次試験の石膏像は埃ひとつ付いていない真っ白なものが並びます。
陽が当たると白くとんでディティールが全く見えません。
運悪く3列目になってしまった場合、眼が悪いと非常に不利です。
池田満寿夫さんはこのクジ運が悪く、毎回遠くて東京藝大受験に3回失敗したのは有名な話です。
一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。
2つ目は、3年間描き続けて受験のための美術に飽きがきてしまったことです。
高校に行かなくても学べることはたくさんありますし、時間を有効に使えば後々無駄にならない貴重な経験ができるでしょう。
ただ、15か16歳で周囲は浪人生ばかりになるので友だちを作るのにやや馴染みにくいかもしれません。
社会に出てしまえば歳の差は関係ないですが、その年頃では3歳以上の差は大きいです。
それよりアドバイスしたいのは、もし志望する任天堂に入れなかったり、入ったけれど任天堂が合わなかったり、他にもっと興味を惹かれるものを見つけたときに進路変更できる柔軟性とキャパシティーは持ち続けた方がいいということです。
人生は必ずしも思い描いた通りにならないことが多々ありますし、私自身も進路変更して幸せになりました。
道はひとつではないです。
悔いのないように頑張ってください。
上司は数人の社員に大量の仕事を押し付けて他の社員には逆に仕事を再配分しないタイプ。結果10人くらい社員がいるうちの3人だけがめちゃくちゃ忙しく、ほかの7人はそんなに忙しくない(というかほぼ雑務)みたいな状況が生まれる。
俺が新卒入社で入ったときはキャリアが15年くらいある割とバリバリ仕事ができる先輩が3人居て、その3人にすごい仕事が偏っていたという状態だった(ただ、同じ部署ながらも分野が全く違う仕事をしていたので、その仕事がやたら偏る仕組みに気付いたのは2年目になってからだ)。結果、その3人は少し精神を病んでしまい、二人は他部署へ本人希望で異動、一人は会社自体を辞めて転職した。3人ともとても優秀な人だったから、異動した先や転職した先でも頼られてバリバリお仕事をされているらしい。
3人の先輩が口を揃えて言うのは、「上司はやばい」ということ。基本的になぜか仕事は偏るようにしか与えないし、それが明らかにキャパシティーをオーバーしているものだと懇切丁寧に説明しても「それを考えるのが仕事」と言って割り振りを考え直すということをしない。考えるのが仕事なのは貴方もでは?と思うのだが考えない。取り敢えずできそうな奴に全部やらせておけ、という浅い考えが透けて見える。先輩方は「上司がこの部署を離れる原因の5割」くらいなことは言ってから去ってくれたらしいけど、何も変わる様子はない。本人は自分が原因だとは全く思って居ないらしい(直接言われているのに忘れてしまうのだろうか?)。
さて、上のとてもできる先輩たちが居なくなってしまって、今俺の部署にはまだ3年目のペーペーの俺(しかもそれまで他分野の仕事をメインでしてた)、あと余り仕事のできない人たちしか居なくなってしまった。結果、上の先輩たちがやっていた仕事全部を俺が引き受けることになってしまった。普通は有り得ない量である。
話を受けたとき、「まだ経験が浅い自分には到底無理な量であること」「他分野である故に勉強が必要で、サポートもなしにその責任者になれというのはあまりに酷すぎること」というような類の話を懇切丁寧にしたが、上司からは無視された。
上のような立場になって今日で半年である。自部署の社員は誰も助けてくれないが、他部署の人はあまりの惨状を見て(何のミーティングに呼んでも俺が代表として出てくるので「そんなに沢山の仕事をしてるの?それは流石に酷いんじゃない?」と気付いてくれた)色々助けてくれているし、自部署の同じ仕事をしている派遣さんはとても頼りになる。
ただ、本当に量が尋常ではなくて辛い。本当は一つ一つの事柄に対してきちんと熟慮して答えを出すとか、逆にこれは簡略化できるななどと判断を交えながら業務をしたかった。もうとにかく右から左へ流すことしかできない。頭を使わなくちゃいけない仕事なのにロボットにでもなった気分だ。絶対に成果物の質も落ちているのに、成果物の質のことなど何も考えていない上司は品質が保たれていると思っている。気が狂ってる。
辛すぎて会社を辞めようと思ったが、上司はまた自分が原因なんて露ほども思わないのだろうな。先輩たちが辞めたのについてこの間も「何で辞めちゃったんだろうね?」とか呑気なことを言っているのを聞いた。先輩はちゃんと上司の目の前で「貴方も原因の一つです」と言っていたのに。上司が宇宙人みたいで怖い。上司もストレスで頭がおかしくなってるのだろうか。頭がおかしくなっている人はマネージャーをしては駄目なのではないか。
うちの後輩(新卒入社3年目)もそんな感じ。経験や知識も足りてはいないが、それ以上に脳のキャパシティーや理解力が他の新人に比べて大幅に少ない。
自分の持ってた仕事のひとつを彼に引き継ぐように指示されて、作業項目リストやら手順書やら作って読んでもらったり、やって見せてやらせてみて手取り足取り教えたりもしたのだけど駄目。返事は良いが、理解してなくても良い返事をするのが習性になってしまっているのか、そもそも自分が理解できていないということを認識できていないのか、とにかく返事が良くてもそれを信用できない。信用できない事はわかってるので理解度を確認しながら作業してもらうのだけど、ほぼ毎回何か失敗する。数か月頑張ってみたが結局、具体的な事実を積み上げて考えたら彼にはこの仕事を遂行するのに必要な能力が足りない、このまま半年から1年以上教え続けても引き継ぐのは無理という結論にしかならず、それを上司に説明してギブアップ宣言した。
今は、じゃあ何だったら彼にもできるのか、上司や周囲が色々と考えている段階。
>どうすりゃいいんだ。
頑張るのであれば、その人が何を理解できていないのか、その根本を根気強く解きほぐしていくのが正道だと思う。
そうやって解きほぐしてたどり着いた結論は「無理」かも知れないけど、頑張らずに諦めるより納得感が得られる分だけ救いがある。
増田がやろうとしているのは、ブラック企業の社長(増田)がいかに従業員(妻)をやすくこき使うかってことだったりしないか?
家事をアウトソーシングしてもいいといっても、増田がお手伝いさんを雇うほどのお金を奥さんに渡していて、それを自由に使っても良いとしているのかは疑問なんだよね。少なくとも、食事のアウトソーシングに対しては否定的なわけだから、アウトソーシングしてもいいという言葉はダブルバインドしているだけじゃないかと思った。他の増田も指摘しているが、生活費が潤沢にあって、増田がそれをどう使うかに頓着しないというのでないなら、ネットスーパーを使っていいというのも単なるダブルバインドだよね。事実上家事のアウトソーシングを使えないのに、「使ってもいいといっているんだから完璧に家事をしろ」と叱責するのはモラハラで混乱させて家事を自分でやるように仕向けたいだけでしょ。
あと、生産性の向上をわけもなくできる女だったら、結婚なんかせずに一人でバリバリやっているかもしれないよ。
あるいは、増田よりずっと年収の高い男性と結婚してパワーカップルとして生きていっていると思う。
増田が専業主婦になることを強要していないとしたら、専業主婦をしているというのはそういうこと。
奥さんのキャパシティーと置かれた状況で本当に大切なことに時間と労力をかけた結果が今増田が見ているものではないかと思う。今の状況から、何を大切にしているかが透けてみるんだけれど、増田は敢えてそれを見ないようにしているだけじゃないか?