かってのなろう小説ではお兄さま(魔法科高校の劣等生)に代表されるような圧倒的チートスペック主人公が雑魚をなぎ払いながらやれやれしてハーレムを築いていた。
たとえば今絶賛アニメ化中のRE:ゼロから始める異世界生活の主人公は元ヒッキーである。
ただしホーリーランドよろしく引きこもり鍛錬法により膂力はそれなりにあるのでそこら辺のヒッキーよりは強い。
とはいえ彼の戦闘力がチートクラスかといえば全くそんなことはない。
引きこもりを100人集めて殴りあわせたらトップ10に入れるかもしれないが健康な男子100人を集めたら30位程度だろう。
とてもチートとは呼べない。
死んだら特定の時間まで自動的にリセットされるコンティニュー能力を持っていることを含めてもとてもお兄様クラスには歯がたたないだろう。
なろう小説主人公の凡人化は現代っ子の目標と自信の低さを表しているといえるだろう。
かっての現代っ子は自分が実は特別な力を持っている可能性を信じることが出来たのでお兄様に感情移入が出来た。
また自分が実際それなりに頭がいいと思っていたりその気になれば努力できると思っていたので策士や努力家にも感情移入できた。
自分が努力できるなんて信じられないし頭がいいなんて思ってない可能性なんて感じない。
頑張ってわずかな可能性を開花させるなんてとてもじゃないけど無理なので降って湧いたちょっとした幸運を大事にするぐらいが関の山。
そんな心境が今のなろう主人公に現れているのだ。
若者が根拠の無い自身を持っている姿は実際滑稽ではあるし、後に黒歴史とした笑い者になるのも目に見えている。
それが人生のネタバレ加速によって幼少期から刷り込まれ「根拠の無い自信=人間の恥」とインプットされていったのだ。
そうして若いながら自信もなければ高い目標ももたない「賢い」子供達であふれたのが今の時代なのだ。
だが国全体で見れば挑戦心のある若者の減少は国の将来性が縮められている状態に他ならない。
「恥を知れ」と叫んで回るのをテレビでネットで現実で繰り返し続けた果てにあるのがこれである。
wikipedia 調べだけど、 魔法科高校の劣等生の連載開始が2008年10月12日、 Re:ゼロから始める異世界生活の連載開始が2012年4月。
同じくwikipedia 調べだけど、 ログ・ホライズン 2010年4月13日 - ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 2013年1月15日 - ↑ 主人公強め 主人公弱め ↓ この素晴らしい世界...
このすば、アニメ見ただけだけどあのパーティーの中では主人公がいちばん有能じゃなかった?
運と知能が少し高いというだけで、基本弱いよ。 攻撃力ならめぐみんやアクア、防御はダクネスが優れているわけだし。
カエルをひとりで倒してたイメージが強かったのだけど、 たしかに実際の戦闘力としてはたいしたことないのか。 ありがと。