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はてなキーワード: 音感とは

2017-08-25

絶対音感

40になろうとしてる者だが

音楽をやってみようと思う

そのなかで

絶対音感というのを身に付けたいと思った

が、調べてみると

○才からでないと無理ですとか

大人の人なら(無理だから)別のプログラム(相対音感)を用意してますとか

そういうのばかりだ

またピアノ関連のブログをみていると

なにか上から目線のような書き込みが多い

子供と一緒に音楽やってます系、家系がみんな音楽に囲まれてて系

音楽とは音を楽しむと書いて音楽という

これじゃあ楽しむ前に、学ぶ前に挫けさせるようなものではないか

から俺はこの年齢からだが絶対音感について学ぼうと思う

○才だあ?(確か最大7歳くらいまでに絶対音感教育を受けていないと身につかないらしい)、

じゃあ俺が39歳で習得できたら世界的快挙だろ?

そう感じながら教材を調べる

2017-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20170204013924

さいころにちょっとでも楽器に触ってると音感が身について音楽聞くの楽しくなるよ、あと好きな曲を自分演奏できたりいろいろ、そんな具合でふつうの人が音楽に親しめば文化の振興につながるんでない?

2016-12-14

絶対音感 と 相対音感

http://raykawamoto.hatenablog.com/entry/2016/12/14/180939

相対音感絶対音感イメージPythonで書いてみた。

相対音感 Aの値は任意に設定可

A=440

S=[]

for n in range(12):

S.append(A * (2**(1/12))**n)

print(S)

絶対音感 絶対的周波数テーブル

S=(440.0, 466.1637615180899, 493.8833012561241, 523.2511306011974, 554.3652619537443, 587.3295358348153, 622.253967444162, 659.2551138257401, 698.456462866008, 739.988845423269, 783.990871963499, 830.6093951598907)

print(S)

辞書型にして、音名と関連づける。

相対音感は±50セントの幅を許容し、高低差も認識

絶対音感は精度が高くなればなるほど許容範囲が狭くなる。

そんなイメージではないかと考えています

2016-07-28

友人がジャニーズになった話

わたしは踊ることが好きだ。

初めて踊ったのは4歳の頃。

そこからのめり込みジャズバレエヒップホップに一通り経験してきた。

踊ることで生計を立てていく難しさを実感しながらもインストラクターバイトの掛け持ちをしつつ、たまにバックダンサーとしてアーティストのバックで踊らせてもらっている。


同じスクールには、同じ頃から通っていたとてもダンスの上手い華のある子達が何人もいた。1人は早々にダンサーを諦めアイドルの道へ行った。彼女は今も輝いている。ちがう1人はダンサーとして、パフォーマーとして某大人グループにいる。そしてまた別の彼女も違うグループではあるがアイドルの道を選んだ。彼女は今も踊っているのだろうか。余談である彼女たちとは某大型歌番組に私がバックダンサーとして出演した際に舞台裏で会うことが出来た。


彼女たちとは別に、またひとり、アイドルの道を選んだ人がいる。彼はスクールに通い始めた時期も同じでとても仲がよかった。わたしの比ではないくらい上手であった。音感が違った。そんな彼はある日いきなりわたしに、事務所が決まった、と告げてきた。

てっきりこの頃一大勢力を誇る某三代目さんがいる事務所だと思ったのだが違った。ジャニーズだった。彼もまたアイドルの道を選んだのだ。彼が活動を始めてからしばらくは連絡を取り合っていたが、たまたまわたしが彼の知り合いだと知らない知人が彼のファンだと知ってしまう機会があり、そこから怖くなって彼と連絡を取ることはなくなった。ありがたいことに私自身にも仕事がやってきたタイミングでもあった。



彼は何故ジャニーズを選んだのだろうか、と考えたことがある。踊ることで生きていくという意志を持っていた彼だった。イントラとして、ダンサーとして生きていく難しさは私が今身をもって感じているし、彼もきっと気づいていた。そんな彼が選択したのがアイドルだった。アイドルなら踊れるし生きていける、彼の名前はそこからしばらく検索していない。彼の母経由で近況を聞くことはあるが。



昔のように、彼と一緒に踊ることはもう無理であろうが、もしかしたら彼と同じ番組に出ることや舞台に出ることはありうるかもしれない。そのときまでに私は恥ずかしくない実力を身につけないといけないし、もし彼が手を抜いて踊っていたら罵倒する準備は出来ている。


それが実現するのは数年後なのかはたまた数ヶ月後なのだろうか。

2016-06-22

趣味がもてない。

どうも創作系の趣味ができない。

音楽(DTM)やプログラミング趣味でやっていたりする人たちをかっこいいなぁと思っていて自分もやってみたいと思う。

けども、じゃあ自分趣味でやってる人たちよりも音楽を愛しているかというとそうではないし音感もない。

プログラミングだっていったってサンプルコード程度しか書けないし、ネットでよく見る「作りたいものを作れば上達する」論も作りたいものがないから、上達しなさそうと思ってやらないでいる。

まり自分には創造性のかけらもやる気もない。

憧ればかりが募ってつらい。

2016-05-01

絶対音感とか相対音感とかよく知らんけど、採譜能力がずば抜けてる人は尊敬してる。

セッションだと何のキーの上の何のコードの上かが既に分かってるから絶対音感に頼る必要はあまりないのよな。あるに超したことはないが。

というか、即興やる人と耳コピヲタク以外絶対音感って必要ないんじゃないかなぁ。

あと絶対音感ってAbsolute pitchだと思ってたらPerfectも使われるんだね。和訳気持ち悪いのかと思っていたら元から変だった。

すごい、すご~い!絶対音感あるよ!

anond:20160428121056

音感があって、それがもの凄く精密で認識速度が速くて、複数の音を同時に処理できて、長いフレーズ記憶できて、ものすごく難しいフレーズ演奏できる技能があって、そういうのを「絶対音感」って言ってるんだろうな。

音感がある。

絶対音感は、平均律 A=440Hz 固定ド に特化し、長期記憶に格納されてる。

相対音感は、音の高低を感じている。固定ドだけでなく、移動ドにも対応できる。基準音は可変で、絶対的基準は長期記憶はできていない。

絶対音感 って Perfect pitch っておかしくね? Absolute pitch じゃないと Relative pitch とは対にならんと思う。

固定基準音感・可変基準音感の方がいいのではないか。

2016-04-28

anond:20160428212454

「相対尺度のどれかひとつを固定」というのが、音感場合幼児期でないとできないとされている。

分かるのは「音階」じゃないぞ。

anond:20160428121056

音感ってのは「音階」がわかるんじゃなくて、「音高・音名」がわかる。

世間一般で考えられている「秘技!絶対音感!」は中二病の症状だがな。

音階」というのが、なんのことを指しているのか……謎だ。

anond:20160428210506

絶対音感幼児期しか習得できないが、相対音感は「それなり」に習得できる。

絶対音感っても、相対音感で補完されるものだし。絶対音感価値って音叉1本分1000円くらいだよね。

追記 匿名だし、別人だし^^;

我が輩には絶対音感絶対に無い。楽器確認せずに採譜すると……調を間違えるんだから絶対音感は無い。

間違って覚えると修整が大変なのだ

絶対音感ってなんなんだよ。

anond:20160428173952

絶対に誤解してるよな。

音の高さを、基準比較して、判断できるのが相対音感

音の高さを、基準比較することなしに判断できるのが絶対音感

A=440Hzとかの基準音を暗記してるってことなのに。

なぜか、曲を聴くだけで「すべてがわかる」も~の~~~~~すご~~~~い特殊能力だと誤解されてる。

そういうのは、絶対音感じゃなくて、天才というのだ。モーツアルトとかの逸話にあるやつ。

音感の処理能力が高いのと、もの凄く記憶力がよいんだよな。

perfect pitch って大げさ

anond:20160428121056

日本語だと、「絶対音感」 英語だと「perfect pitch」完璧な音高だ。

相対 relativeと対になるのは Absolute なのにな。

他に比較することなしになのに、絶対の持つ別の意味が強調されすぎwww

音の高さが分かって、ドレミで言えるとか、楽器で弾けるとか、相対音感でもできるわけだが。

「すごい!絶対音感があるよ」が、「すごい絶対音感があるよ」になって一人歩き。

絶対音感」って本があって、これ絶対世間一般に誤解を広めたな。

絶対音感神話」とか「あなた音感は何型か? -絶対音感の誤解- Kindle版」とか

こういうのを読まないとな。

http://anond.hatelabo.jp/20160428113146

たぶん増田と同じ程度に絶対音感を持ってるけど、

カラオケでどれだけキー変えても迷わず歌えるし、増田提示するような場面で困った事はないかな。

(頭の中の鍵盤で最初の音を数えれば、それを基準にその後も問題なく歌える)


世間では絶対音感がもてはやされてるけど、自分感覚としては

絶対音感自分の中の基準をもとに、一つの音の絶対的な音の高さを測る能力)と

相対音感(二つの音間の具体的な幅を測る能力)は別の能力だと思うし、

訓練次第でどうにでもなると思う。

絶対音感保持のメリット

自分は一応絶対音感がある(但し机を叩く音が音階に聴こえない程度のもの)。

世の中的には絶対音感があると有利と言われているけれど、最近そうでもないんじゃないかと思い始めた。

絶対音感保持最大のデメリットとしては、転調が苦手になること。

結構これ致命的なんじゃないかと思う。

絶対音感がなければ、キーボードではトランスポーズ機能を駆使すればて12キーで弾ける必要はなくなるし。

バンドVo.にキー変えてって言われても動じずに済む。

絶対音感があることのメリットってなんだろうね。

ジャズの難しいテンションの音なんかも判別やすくなるというけれど、ややこしい音は自分もよくわからないw

それに鋭い相対音感があれば、そんな音も度数でわかってしまうのではないだろうか。

増田にいる絶対音感保持者にその辺聞いてみたいです。

2015-10-25

人と話していると

何を言っているか理解できないときが増えてきた。

聴力が衰えてきたわけでなく、相手がきちんとした日本語

話している内容が聞き取れないことが多い。

からって英語や他の言語がはなせるわけでもない。

そして話している相手の口元や表情をみて言葉理解するしかないが、

しばしば相手に「じっとみすぎで不快だ」という

ニュアンスのことをいわれることがある。ごめんなさい。

相手の表情が見えない電話やましてや複数人で話している

ラジオなんて本当に理解ができていない。

そういえば昔から音痴だったし音感が悪かったな。

どうすればいいものか。

2015-08-05

まれた時から不公平じゃない人間なんて、この世にいません

http://anond.hatelabo.jp/20150805150144

 

容姿、知力、体力、免疫力精神力人格創作力、生活環境、全てにおいて究極の人間はいません。

今まで地上に産まれ人間すべてに望むものがあったのに手に入らなったものがあります

どれだけ容姿がよくても音感がない人や頭がよくても色盲な人など、

結局当事者にとって欲しいもの現実が一致しないなんてことは当たり前のことです。

 

というか、自分にないから欲しがるんです。

逆に元々持って生まれてきたら欲しいなんて思いません。

あなた指が10本あるのに指が10本欲しいなんて思いますか?

無いから集めようとする手に入れようとするんです。

それが人間原動力です。

まり不公平なことを受け入れることから始めないと、何もしようとしない人間になります

現実アニメ漫画じゃないんです。

欲しいもの努力しないと手に入らないし、絶対に手に入るとも限らないんです。

不公平なこの世界もっと受け入れてください。認めてあげてください。

 

その中でできることは、努力しかないんです。

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627005351

 もう見ていないかもしれないけれども、何十年も前に大学合唱をやっていたおっさんとして書いておこうかと思う。

 ぼくは元増田よりも遥かに音楽に疎いのに合唱を始めてしまった。高校での選択は美術だったし、合唱団に入った時点では音符の読み方すら怪しかった。

 それでも4年間続けたのは、合唱団技術志向が弱かったことに加えて、大学での人間関係の中心が合唱団になってしまたからだ。さすがに音符は読めるようにはなったものの、音感リズム感が悪いままでも引退まで居座ってしまった。

 とはいえ、さすがに居心地が悪くなった時期はあった。技術的にはお話にならないレベルなので、運営のほうに回ろうとしたのだが、人間関係をこじらせてしまい、結局は平団員として4年間を過ごした。技術もない、人間関係も良くないということになれば、さすがにこのまま合唱団に居続けてよいものか悩むことになる。後輩からすれば、存在価値のない先輩という位置づけになっていたかもしれない。

 なので、元増田

辞めたらサークル人達には何と思われるのだろう。あいつらは口では「いなくなってさびしい」などと言うのだろうが、本心ではきっと「お前みたいなやる気のない奴はさっさと辞めてくれ」と思うに違いない。少なくとも俺の本心を知られたらそうなることには間違いない。友達を失うのは怖い。なんで上手くなる義務があるんだ。俺は歌うのが好きなだけなのに。

 という心情はわからないでもない。ぼくも「自分なんてサークルからいなくなったほうが、みんなが喜ぶに違いない」「自分合唱団にとっての癌だ」とかよく思っていた。

 けれども、おっさんになって思うことは、それはそれで自意識過剰だったということだ。周囲の人は元増田がいようが、いなくなろうがたいして気にしない(と思う)。企業のような営利組織であれば話は別だが、大学サークルで「いなくなってほしい」と思われるためには憎悪対象にまで上り詰めなくてはならない。そこまで至っていないのなら「いても、いなくても構わない」だろうし、ステージチケット負担などを考えれば「いてくれたほうが助かる」というのが本音に近いところだろう。

 あと一つ言えば、元増田合唱団をやめる必要はないが、どこか別のところに居場所をつくったほうがいい。合唱団しか場所がないから、なんとかしてそれにすがりつこうとする。だが、その必死さがかえって合唱団に居続けることを難しくしてしまう。ぼくの場合には大学ゼミだった。ゼミでも大して馴染めていたわけではないが、ゼミが駄目ならサークルが、サークルが駄目ならゼミがあると思えるだけで、ずいぶんと心理的に楽になる。そうなれば、合唱団の友人たちとも余裕をもって付き合えるようになるのではないかと思う。

 もちろん、元増田の状況はぼくの状況とは違うかもしれないが、もうちょっと気楽に考えて良いと思う。良くも悪くも、周囲の人間元増田のことをそこまで気にかけて生きているわけではない。

2015-06-26

φ(..)メモメモ

http://raykawamoto.hatenablog.com/entry/2015/06/24/192658

なかなか進まんけど、kindle本にはここまでの記事は全部網羅されてたかな?

コメントする方法が見つけられない。

絶対音感は相対音感で補完しないと「88鍵を満遍なく記憶させるような訓練」が必要になるのではないでしょうか?

2014-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20140709060515

絶対音感と言っても実はいろんなレベルがあって、生活音も全てピッチがわかる・オケチューニングセント単位でわかる、とかいレベルからピアノの音を当てるのは得意だけど他の音になるとよくわからない、といったものであるんだけど、元増田はかなり精密にわかるようだね。

日本では「絶対音感神話」みたいなのがあって熱心な親が多いのだけれど、中途半端絶対音感 (というのも妙な言葉だが、上記のように耳に馴染んだ楽器の音ならわかる、あたりのレベル)だと逆に相対音感を身につける邪魔になることもあるそうだ。例えば次の調査:

http://www.human.niigata-u.ac.jp/~psy/miyazaki/Papers/Report1999/Report1999.html

元増田吹奏楽をやってたそうだけど、移調楽器は得意? 階名(移動ド)で歌える? 自分ピアノの鍵盤・譜面の音高・固定ドのラベルの3者ががっちりくっついちゃってるので、移調して弾くのがすげー苦手 (頭の中で演算しないと弾けない)。移調が楽にできるようになる練習って何かある?

2012-06-29

大阪文楽問題をめぐる公開メールを一読して

大阪文楽問題に関して公開されたメールを一読した。

http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html

かいことは直に読んでもらえばいいので特に言わないが、少し書いておきたい。

最初に、市長とその周辺の人たちが何を考えているのか、手短にまとめておきたいと思う。

まず、大阪府市の負担軽減を視野に入れた、文楽に対する姿勢の見直し。たとえば橋爪紳也顧問が、

文化施策ではなく観光施策の枠で、「文楽再興」の議論を起こしたい。

と書き、あるいは池末浩規参与も、

大阪市としては「文化財保護」に与する必要はなく、市が出金するとすれば、それは市民や来街者、観光客から見て魅力になっているような文楽に、必要かつ可能な範囲で援助をするというものになるはずです。

と書いているように、大阪府市としては文化保護名目での補助はしない、ということだ。(ただし、国が負担を認めるまで育成費用の補助4000万程度は出すそうだ)

そして、

再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する

参与も書いているが、観客動員一定目標をおき、その達成のためより効果的なプロデュースマネジメント必要であるからそのために改革をしようとなる。

この点については実は私も同感で、文楽を全体として統括的にマネジメントプロデュースすることができてないのではないかという不満は以前から感じていた。それに、どうしてもお役所仕事なのでスマートとは言い難く、大阪弁で言えば「もっちゃり」した感じにならざるを得ない。

さらに技芸員の意識改革を促している。旧来の殻に閉じこもっていてはダメではないかというわけだ。「意識改革」の具体的な中身としては、ミニ公演などのプロモーションはタダでやるべきなんじゃないのかとか、もっと観客の声を聞くべきだなどなど。

あるいはメールで技芸員の公務員化について触れられているのももっともなところで、たぶんこの辺りの感覚は長年のファンをやっている年寄りなら分かると思うし、東京歌舞伎座近くの某所で同様の会話をして嘆きあったりもした経験が私にはある。

まり、全ては、

今回橋下市長のリーダーシップのもと、文楽は「無形文化財として淡々と維持する」(旧来の考え方)ものから、「再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する」(新たな考え方)というものシフトしようとしているところです。

という参与意図に集約されるのであって、これは賛否様々な意見があるところではないか

私は、過去文楽劇場に足しげく通い、図書閲覧室へもよくお邪魔をして勉強させてもらい、職員の方々にも大変にお世話になった経験を持っているけれども、文楽に関しては非常に悲観的な立場をとっている。

文楽はもうすぐ死に絶える。事実文楽協会ができたころ、「文楽という芸は苔むした立派な梅の古木のようなものであって、じきに枯れる運命だが、無様な姿で枯らしてしまうのは忍びない。だから、せめて姿かたちはそのままに美しいまま死んでもらおう」という発想が背景にあったように記憶している。

文楽というのは本当に維持が難しい事業で、語り一つとっても、過去現在でこれだけ音楽環境が変わってしまうと、語りを成立させる音感がまるっきり違ってしまう。成長してから訓練でどうにかなるレベルの問題では、おそらくないはずだ。もちろん、浄瑠璃を理解するための前提知識なども違う。

から、近い将来、死亡宣告を言い渡す時期がくるし、税金を投入するならなおさら、本物・本格の保存が不可能になったときに、とっとと文楽の維持なんぞやめるべきであり、それこそがこの偉大な芸の先人たちを辱めない、唯一の道だと、私は思う。

その意味で、安易に文化を守れ伝統を守れと言ってみたり、反橋下の立場からついでに文楽を守れと言ったりする人たちとは、私は全く異なる。税金を投入する以上、真に偉大な芸としての文楽の古格が維持されなければならないし、それが無理なら文化だろうが伝統だろうが、潔く捨ててよい。今に生きない伝統など意味はない。本当に感動的な人形浄瑠璃は、過去の記録映画となって保存されている。無意味に惜しむ必要必然性も、どこにもない。

逆に言えば、まだ今の年寄りの技芸員が生きている間、なんとか細々とでも古格が出来ているならば保存するべきであって、それは与えられたミッションが達成されているとして認めればいいんだろうと思う。

観客が入るか入らないかは、この際どうでもよい。文楽は昔から客の入らない芸で、貧乏話極貧赤貧エピソードに事欠かない。問題は本格ができるかどうかだ。それに尽きる。

そこで、大阪市プロジェクトに話を戻すと、これをそのままやると、もちろんマネジメント改善など賛成できる部分もあるのだけれども、人形浄瑠璃の中身そのものに大きな影響を与えると思う。

下市長が面白い例を出している。

ある大物タレントさんが、これまた大物歌舞伎役者歌舞伎に誘われて歌舞伎を観に行きましたが、つまらない、分からんと言ってすぐに帰ったそうです。その歌舞伎役者さんは、この大物タレントさんにどこがつまらないのか、どこがダメなのか必死になって聞き出し、これまで自分では気付かなかった新たな視点での指摘事項を改善しつつ、歌舞伎面白さを説き続け、誘い続けたそうです。この大物歌舞伎役者さんは、観客からの厳しい指摘が公演を面白くする一番のカギと言われています

くその通りで、歌舞伎ならこれでいい。だから歌舞伎はどんどん変質していった(いっている)し、古格を守ることはそもそもできず、またそれで構わない芸能だという一面がある。

文楽だって客の意見には常に真摯だったのだ。

わざわざ語り手である太夫と三味線弾きの前に毎日座る客というのが大昔はいた。誰が出てきてもとりあえず批評批判する怖い客として知られ、しかし語り手も三味線もこういうお客を大事にしたらしい。

今でもこの種の客気質は、こと大阪年寄りに関する限り健在で、今の源太夫が綱太夫のころ、あるお爺さんが私に、

「織太夫でまだ若かったころは将来どんなもんになるかと思てたけど、綱太夫はホンマあかん。感動がないわ」

と言い、また、文楽人間国宝としてたびたび言及される住太夫についても、

「もう限界やっちゅうのは本人がよう分かってるやろ、あの年やし」

と言いきっていたものだ。あるいは別のお婆さんは、

「綱太夫の発声は変や。高音に行くと喉がつまってくる。あんな語り方はあらへんよ」

とばっさり批評したものだった。ちなみに、この綱太夫はその後人間国宝になってしまうわけだが。

そういう厳しいことをいう熱心なファンがいたからこそ、この芸に携わる人たちは鍛えられていったわけだ。

しかし、そういう耳も目も肥えた客の厳しい意見と、観客動員を増やすための批判は異なる。観客動員を増やそうとすると、中身が変質して古格が維持できなくなるのは、火を見るより明らかだ。そこで上演されるものは、300年続いてきた人形浄瑠璃ではない、何か別のモノだろう。

実際のところ、今でも中身は変質している。例えば、もっと重要な場面を語る「切場語り」を今やっている人たちのあと、一体だれが後を継げるのだろうか。おそらく、有資格者は誰もいない。

あるいは、今は文楽を「見に行く」というが、そもそもは「聴きに行く」ものであった。人形浄瑠璃と単なる人形劇は違うが、視覚の刺激に慣れた現代の観客にとって「見る」を重んじた方がはるかに分かりよくなっている。

その他、細かい部分で古格と言えるものが本当に継承できるのか、できていたのかどうか、はなはだ疑問だ。

はいえ、それでも歌舞伎とは比べ物にならない程度に本格の古格を守って来たのが文楽であって、それはかつてある歌舞伎ファンが文楽を見て「古いのが残っていていいなぁ」と言ったように、もう比較にならないと思う。

そこに、この大阪市プロジェクトとなると、人形浄瑠璃は完全に変質してしまう。本当に守るべき古格は、もうどうでもよくなってしまうだろうし、決定的に死んでしまうだろう。

と書くと、やや刺激的かもしれないが、なんのことはない、文楽の死なぞ最初から知れたことであり、それがちょっとばかり早くなるに過ぎない。「苔むした立派な梅の古木」がもう枯れると、知れ切っていたことなのだ

このプロジェクトを書いた池末参与善意に違いないし、文楽の再興が魅力ある観光都市としての大阪にとり大きな資源だと考えているはずだ。また、文楽に携わる人たちも、継承にはチャレンジや変化が必要だとする人たちも少なくないだろう(私は、文楽がいろいろなチャレンジや、同時代に観客に受け入れられる努力もされてきたこともまた知っている)。

よく分かる。

しかし、私はそこで一つだけ希望を言いたい。

もしこのプロジェクトをそのまま実行するならば、人形浄瑠璃文楽という看板は取り下げてもらいたい。

300年続いた本当に偉大な、世界のどこにも負けない本物の芸は死に、何か別の人形劇、「文楽のようなもの」が続いていくことになるだろう。そこで「人形浄瑠璃文楽」の看板を掲げることは、ウソだし、なによりも文字通り命を削ってこの芸に打ちこんできた偉大な先人たち、まさに大阪の先人たちに対する侮辱に他ならない。

この人形劇観光資源としてどう活用したって構わない。だけど、文楽はもう死んだことを認めてほしい。いや、認めるべきだ。そうして、過去のものとなった文楽の真の偉大さだけは、せめて守ってほしい。それだけが、せめてもの私の小さな希望だ。

(追記)

以下は私のTwitterアカウントなので、もしご意見などがあれば、ぜひ遠慮なく私に書いていただきたいと思う。文楽は私にとってただ好きというだけでなく、重いものでもあるから

https://twitter.com/#!/SignorTaki

2012-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20120409151128

そういうのを絶対音感って言うんだってさ。とっくに知ってるのかもしれないけど。

マージンを持ってない音感

調律師にはもってこいだな。あと、音を聞き分けるアナログ電気技術者か。

音感絶望的までに無い

ある音が鳴る。

ピアノでそれを鳴らしてみる。

違う。


別の音が鳴る。

またピアノで鳴らしてみる。

違う。

これの繰り返し。

2011-11-06

オペラ座の怪人』25周年記念公演の上映は、音がズレているらしい

劇場で上映されている、『オペラ座の怪人』25周年記念公演 in ロンドンは音がずれています

これから見に行こうと考えている方(特に絶対音感のある方)は、ご注意ください。

私は、途中で気持ち悪くなり、退場いたしました。

なぜ音がズレているのか問い合わせメールを出したところ、

東宝東和株式会社様より、回答をいただきました。

以下、共有のため転載いたします。

---------------------------------------------------------

本日映画オペラ座の怪人25周年記念公演」の上映を

観させていただきました。

音が半音下がっている箇所がありました。

私は絶対音感があるので、音のゆらぎが気持ち悪くなり

中退場致しました。

ソフト化の際には、修正されますか?

ご回答のほどよろしくお願い致します。

---------------------------------------------------------

ご指摘の件、ロンドンUniversal Pictures International(UPI)に

問い合わせたところ、以下のことが判明いたしました。

この公演の撮影は、フレームレイトが25フレームの規格の機材で行われました。

この規格では1秒間に25コマの映像が収録されます

収録された映像劇場デジタル上映をするためには、

DCP(Digital Cinema Package)という世界規格に変換する必要がありました。

この規格のフレームレイト24フレーム、すなわち1秒間に24コマの映像が収録

されます

音程の差は、この変換によって生じたものと考えられます

収録音声を早回しにすると音が高くなり、

遅回しにすると音が低くなる現象は、容易に想像できるかと思います

今回は、1秒間25コマの速度で収録された音声を

1秒間24コマのスピード再生することとなり、25分の1秒分遅回しにすることに

よって、

その分、音程が低くなったというのが、理論上考えられることです

非常に微少なスピードであるので、これによって半音以上の音程差が生じると

は考えにくく、

絶対的に音感の鋭敏な方には判る可能性がある一方、

ほとんどの方が聴感していないのが実情です

UPIでは、DCP上映にあたり同様の指摘を受けたのは、今回が初めてという説明です

更に日本国内のスタジオに取材してみたところ、楽器や声の音質や、旋律、音の

高低により、

特に差が目立って聴こえる箇所があるのかも知れない、ということです

音程の問題を解消する手段としては、音声のスピードを変えずに再生するため、

映像を毎秒1コマずつ間引いて24フレームに合わせる方法がありますが、

これを用いると、今度は映像の方に飛んでいるような現象が生じる可能性があり、

理想的な手段とはいえません。

DCPが世界規格であるのなら、

なぜフレームレイトの違う機材で撮影を行ったのか、という疑問が生まれますが、

これはアナログ時代から世界各地で異なるビデオ信号採用されていた歴史があり、

それに伴い英国では25フレームというフレームレイトが一般的で、

機材もその規格のものが多いのが実情のようです

UPIとしては、日本での上映を心待ちにされているお客様のために最速の実現を

目指した結果、

限られた時間環境の中で出来うる限り最良の映像と音声を送ったつもりだった

ということです

お叱りを受けながら不謹慎なことを申し上げるようですが、

これまでの説明で我々の理解するかぎり、ご指摘くださったお客様は、

ごく少数の並ならぬ鋭敏な音感の持ち主でいらっしゃるということが言えそうです

ただ、劇場上映にあたっては、乗り越えがたい事情により、

我慢を強いることとなりましたことをお詫び申し上げるとともに、ご理解を賜れ

ればと存じます

今回のご指摘を真摯に受け止め、今後の課題とさせていただきます

なお、DVDおよびブルーレイにつきましては、音程の問題を修正し、

Really Useful Group(RUG)の監修と承認を受けたものを発売する旨、UPIの確

認を取りました。

日本で発売されるDVDおよびブルーレイは、UPIの制作するマスターに基づくもの

です

東宝東和株式会社

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