はてなキーワード: 白票とは
つらつらと思いついた屁理屈を書く。
「政治的中立」を厳密に求められるのであるならば、選挙に投票に行くわけにはいかない。
選挙に行く=どこかしらの政党/候補者に投票する=政治的に中立ではないということだから。
つまり、選挙に行くこと自体、個人的には政治的に中立ではないことを表明することになるのだ。
→教育の場で教師の権限を振りかざして一方的なものの見方しか教えないことが問題なのだ。多方面から見ることを検討させなくてよい理由にはならない。
「学校式典時の国家斉唱時の起立を拒否するのは思想信条の自由だから保護されるべき」
ならば、授業開始時に起立・礼・着席って号令に合わせなくても良いんだよな。礼を強要するのは思想信条の自由を侵害していないか?
給食のときに合掌して「いただきます」「ごちそうさまでした」って言わなくても良いんだよな。合掌とか宗教じゃないの?
朝、校門前に立つ先生に「おはようございます」ってあいさつしなくても良いんだよな。あいさつの強要とか、パワハラじゃないの?
「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html
ブコメで「鳥越に投票した人の意見が聞きたい」というものが多くあるので、書こうと思う。以下、候補者・知事の敬称略。
吾輩は「無党派層」である。支持政党はない。ただ、公明党支持者にしつこくされたことがあり、同党は論外だ。自民党も好きではない。猪瀬辞任後の前回の都知事選では、細川・舛添・宇都宮の三択で、宇都宮に入れた。細川は、演説を聞いて「これはダメだ」と思った。見栄っ張りで派手好きな舛添は以前から嫌いだった。このような消去法で宇都宮に入れた。消去法で宇都宮を消さないのだから、吾輩は「リベラル」と呼ばれ得るのかも知れない。
しかしながら、今回、2016年の都知事選で「リベラルが一致して担いだ神輿」には、心底、失望した。何しろ、最初が「都政には興味がなかった」発言である。ジャーナリストの「調べる」「人に伝える」という技能は、行政の手腕には関係がない。そもそも吾輩は、ジャーナリストの鳥越俊太郎に憧れのようなものは抱いていない。テレビで大きな声で堂々と喋る鳥越が、何かに優れた知見・洞察力を持っていると思えたことはない。逆に、「中学生レベルのことも知らないのか」と思ったことはある。なぜ鳥越が「勝てる候補」と看做されたのか、吾輩にはとうてい理解できなかった。
だが、文句を言ったところで、小池、増田以外の選択肢は「野党統一候補」だけで、それが鳥越であるという現実は変えられない。
かくなる次第で、このほどの都知事選挙は、吾輩にとっても、他の多くの人々と同様に、小池・増田・鳥越の三択だった。率直に、どれも選びたくなかった。しかし、「選ばない」という選択肢はない。
真っ先に消去したのが増田である。岩手県知事時代のひどい仕事ぶりについて書かれたネットメディア(吾輩の記憶が正確ならばBlogos)の記事を読んで出した結論だ。
次に消したのが小池であった。東京にとっては福祉が非常に重要な問題だが、小池の政策で、東京が吾輩や吾輩の家族・友人の暮らしよい街になるとは、まるで思えなかった。それに、小池は数年前、とんでもない電波を飛ばしていたことがある。この人を都知事なんかにしてはならない。ぜったいに。
かくして、吾輩に残された選択肢は鳥越のみとなった。しかし、鳥越には入れたくなかった。「都政には関心がない」「私だってバカじゃないのだから、少し勉強すればわかる」と言い放つ無神経な大物にトップに座られても、現場が混乱するだけだ。しばらく、一度選択肢から消した増田や小池の発言を見直しては、やはりダメだと結論を出すというようなことをしていた。そして、あの週刊誌報道がダメ押しになった。そのころには、新聞なども「小池がリード」と報じていた。鳥越は、吾輩が投票しても、どうせ当選などしないだろうと吾輩は確信した。
その段階でも、実は、残る選択肢があった。即ち、棄権か白票・無効票である。だが、香港で雨傘を掲げたデモ隊のことが思い出され、棄権は絶対にできないと思った。
吾輩は、投票日当日まで悩んだ。いっそ、「泡沫」に入れるか? だが、「泡沫」も、今回は名前を書くのもためらわれるような面々だ。
当日。吾輩は投票所に到着するまで、一歩一歩歩きながら、「鳥越、白票、鳥越、白票」と唱え、投票所に入ったときが「鳥越」か「白票」かで決めようと思っていた。だが、横断歩道で信号が変わりそうになって走ったので、わからなくなってしまった。そうなると、「暑い中、せっかく投票所まで来たのだから、何か書くべきだ」という内なる声がしてくる。「何か書く」といっても「鳥越の名前」以外にはないのだったが、投票用紙を受け取り、ブースに向かい、鉛筆を持つまでの間に、「宇都宮の名前」を書こうかなとも思った。あるいはいっそ「舛添の名前」でもいい。しかし「宇都宮」は下の名前が思い出せず(名字だけでもよいのだが)、「ますぞえ」は漢字がわからなかった(ひらがなで書いてもよいのだが)。吾輩は鉛筆を持ち、「鳥」という字を書き始めた。この時点で後戻りできなくなった。最後まで名前を書いた。
投票所を出るとき、吾輩は、かつてないほど悪い事に手を染めたような気がしていた。道徳的に、許されないことをしたような気がしていた。横断歩道の向こうにあるコンビニのトイレに直行して、石鹸で手を洗った。
こうして吾輩は、130万票の1票になったのである。吾輩のような有権者は、他にもいるであろう。ハフポのインタビューへのブコメのいくつかで「ご愁傷様です」と言われ、吾輩は思わずぺこりと頭を下げている。
鳥越のあまりの酷さに小池や増田に手が伸びそうになったが冷静になると二人だって、鳥越が存在しないものと想定しながら見直せば十分酷い。
意思表示としての投票で、白票は棄権の次に愚かしい無駄な行為だと思ってるので、どうするべきかよく考えてみた。
結論として、悩ましい選択に思えていたのは、マスコミおよび与野党の情報誘導に無意識に乗ってしまっているからだと思い至った。
もちろん殆どがいわゆる泡沫で、あからさまに不真面目な主張の者も少なくない。しかしその一方、真剣な政策を組み立てている候補者もちゃんといる。
だから俺は、マスコミが勝手に非民主的な選別をしている残り18人の主張・政策をつぶさに見て、一番マシな候補者に一票投じたいと思う。
どうせどこに入れても(勝ち馬に入れてさえ)色々な意味で死に票になるなら、マスコミ非推薦候補者たちトータルの票数が上がること、またその中でも政策に対して票が付いている状態が、自分の一票の意思表示効果をまだしも最大化できるだろう。
万が一、候補者名や党名(またはそれらを思わせるもの)が、記載台に残ってしまうと
鉛筆の汚れならすぐに落とせるが、油性ペンの汚れは簡単に落ちないから、その記載台は当分使えなくなる。
不正選挙が嫌で油性ペン持っていくのに、公正な選挙にならなきゃ本末転倒だし
記載台が一台使えなくなるということは、他の投票者にとって不利益となる。
投票所で鉛筆が使われているのには、そういう意味もあるんだよ。
後から消しゴムで消したり、集計機を使って白票にする(どんな変態技術だそれ)のが目的ではないんだよ。
Facebookで「油性ペン持参で投票所に行こう!」って呼びかけている元友人に対してこうコメントしようと思ったけど
絡むの面倒だからやめとくよ。
選挙とは、白黒付けられない世の中に、それでも白黒付けてみようってゲームなのに、
そこでも灰色を選択する(白票を投じる)というのは、ゲームの定義に反する行いだから、ゲームに参加してないのと同じになる。
「宝くじを買ったら7億当たるかもしれない」と言う奴と同じくらい馬鹿だと思う。
どちらも可能性は完全には否定出来ないけど、交通事故で死ぬより低い確率だし、ほとんどの場合は投票してもしなくても結果は変わらん。
この日に向けて、多くのメディアや識者や団体が「選挙に行こう!」「投票しよう!」と宣伝が非常に多かった。
政治家の不祥事や政治の分かりにくさで、政治に関心を持つ人が少なくなってきている。
そこで18歳選挙権が認められ、今まで投票できなかった層も新たに投票が可能となり、
「高齢者ばかりに目やお金が向けられている”シルバーデモクラシー”を止めさせよう!」
と行った呼びかけや、高校へ出張講義や若者向けイベントが多く行われた。
これらの取り組みは、とても良いことだし、本当にすべての若者が投票し、高い政治関心を政治に見せ付けることができるならば、
でも僕は、
と仲の良い友人や、初めて投票するかもしれない若者に聞かれたら、
むしろ、投票が面倒くさいなら、投票しなくてもいいんじゃないかな。」
と言うだろう。
現在、僕は政治を分析・研究する政治学を専攻する大学院生で、体系的に10年満たないぐらい政治の研究を行っている。
ハッキリ言って、普段から政治に関心があり、情報を得ている僕でも、
おそらく僕は今回の選挙で、投票用紙に文字を書くことはないだろう。
初めて投票する人や若者が難しく考えて、無理に投票する必要はないと思っている。
少しだけ政治に関心を持ち、いざとなったら行動することができる意識じゃないかなと感じる。
投票に行けと言うのではなく、僕の言いたいことは、
「投票するってどうなんだろうと思ってくれた気持ちを頭の片隅に残しておいて欲しい。
そして投票する、しないに関わらず、今回の選挙後の政治を見ていてほしい。」
ってことだ。
この参議院選挙の後に、
あなたが思いを託した政治家や政党が、どのように政治を行うのか。
本当に、言った通りに政策を進めるのか。
もし全く政治が変わらなくても
誰が政治をしても同じだ」
というように、政治に幻滅しないでほしい。
幻滅するよりも、裏切られた気持ちを覚えておいてほしい。
そして少しだけ政治を考えてほしい。
いずれ再び投票する機会がくる。
その時に、改めて誰に、どこの政党に投票するのかを考えれるようになっていればいい。
選ばれた国会議員は、国民の代表であり、みんなが監視することができる。
だから僕は、
と言うだろう。
今回の選挙に関するブコメの論調を見てると、このフレーズを思い出すんだ…
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/orangestar/20150411/20150411024719.png
俺は民進に入れる→まぁ…それはそれで悪くないけどね…
みたいな
別にネットの向こうの人々の意見を聞く必要がないことは分かってるけど…
なんかこう…目上の人に詰められてるみたいで…しんどい…
私が何を言ったところで選挙の大勢に影響を与えることは無いのだけれど、どういう結果になっても後悔しないように今思っていることくらいは書いておこうと思う。
ここ数日あるいは数週間、ネットで飛び交っている選挙絡みの書き込みを見ていて、もちろんそのすべてに目を通した訳ではないけれど、大体どれも「これこれこういう理由でこの政党を支持する」とか「これこれこういう理由でこの政党は支持しない」という内容のものが多いように思う。
あとは「投票先はどこでもいいから、とにかく選挙に行こう」系の書き込みね。逆張りで「曖昧な考えで投票に行くな」って意見とか、行くにしても「白票はアリかナシか」みたいな議論もあったけど、とにかくこの辺はまとめて、選挙に関心がない層に関するメッセージってことで一括りにさせてもらう。
要するに、どこに投票するか決めてる人がみんなに向けてその理由を説明している(賛同者を募っている)パターンと、選挙に行く行かないについてあれこれ言ってるパターンの2つ以外には、ほとんど選挙に関する書き込みはなかったように思える。
で、私が選挙直前のこの時期にあえて語りたいことは何かというと、実は上記2パターンのどちらでもない。
私は「すでにどこに投票するかを決めている人」に対して、ちょっとしたメッセージを送りたいと思っているのだけれど、その内容は特定の政党の支持を促すものではない。
私が送りたいメッセージ、それは「あなたが投票しようと思っている政党(候補者)、本当にそこに投票しても後悔しないか、もう一度よく考えてみたら?」という単純な内容だ。
なぜ私が今さらこんなことを書いているのかというと、どうも人間というのは大事な選択をするときに、ついつい都合のいいように要点(争点)を絞って、全体像を見ずに決定を下してしまうことがあるように感じたからだ。
あまり当たり前のことをくどくどと書きたくはないけれど、大事なことだから、確認のためにあえて触れておく。
この選挙で勝った政党は、与党となって国政のすべてを左右する権限を手にする可能性がある。
もちろん日本は二院制で、しかも参議院は半数改選だから、現与党が勝たない限り、すぐさまその政党が政権を担う訳ではない。
けれど今回当選した議員は次の衆議院選挙と参議院選挙を終えたあとも現職のままだから、今回の選挙で当選した議員は皆、政権党の一員になる可能性があるといううことだ。
日本は間接民主主義を採用していて、しかも議院内閣制だから、政権党の権力は議席数次第では非常に強いものになる。
もちろん憲法というリミッターが決定的な独裁を喰い止める歯止めになってくれることを期待したいところだけれど、その憲法だって時の政権によって解釈が変わってしまう不安定なものだということはすでに皆が目撃している。
勘違いして欲しくないのは、私は別に現与党である自民党だけに独裁政治の危険があると言っている訳ではないということだ。
今回と次回の参院選挙、そして次の衆院選挙に大勝した政党は、いずれもこの国の行く末を一方的に左右できる圧倒的な強権を手にすることができることを、ぜひ改めて考えて欲しい。
そして、その上で私が皆さんに訴えたいこと、それが「あなたが投票しようと思っている政党(候補者)、本当にそこに投票しても後悔しないか、もう一度よく考えてみたら?」という問いだ。
冒頭でも述べたように、私もこの数週間のうちに随分多くの選挙関連の記事等を読んできた。
右掛かった人の右掛かった主張や、左掛かった人の左掛かった主張など、色々な意見が飛び交っている。
しかし、それらの記事の多くが、ある政党を支持する理由に「経済対策」を挙げ、またある政党を支持しない理由に「安全保障」を挙げ……と、単一争点を以って支持すべき政党を見定めようとする傾向にあるようだった。
いや実際には、記事の筆者たちはもちろん、本来争点にすべき事柄が、決して彼らが強調している政策だけに留まらないことなど承知だろう。
しかし、言及する争点の数が増えれば増えるほど記事の内容は冗長で分かりづらくなるし、説得力も低下してしまう。
何より、記事を書いている本人自身が、その記事で取り上げている分野こそ、今回の選挙における最大の争点だと信じているのだから、その部分をこそ強調して伝えたいと思う気持ちがあるのは当然のことだろう。
けれど私は、有権者たちが特定政党(候補)の支持者によって強調された単一の争点だけを判断基準に今回の選挙に臨むことに、大きな危惧を覚える。
繰り返しになるが、国政選挙の結果はとても重い。
あなたが投票した政党がいざ大勝利を収めたとき、彼らはあなたが最も大切だと考えていた争点については事前の思惑通りに期待する政策を実施してくれるかも知れないが、それ以外のすべての政策についても有無をいわさず実行する権限を手にしている。
もしも、あなたが見落としていた政策の中に、本来あなたが決して看過できない致命的な思想の食い違いが隠されていた場合、彼らはあなたの意思と真逆の方針を打ち出す可能性があるが、それでもあなたは後悔しないと断言できるだろうか。
あなたが今回の選挙で投票しようと考えている政党は、あなたが決して譲れないと考えている事柄について、あなたと同じ立場でいるだろうか。
……このように書くと「すべての政策を、マニフェストを精読することなどできない」と返される方もいるだろう。
確かにその通りである。
すべての政策を精査した上で投票先を決めるというのは、あくまでも理想に過ぎない。
大体において、自分の運命を白紙委任できるような赤の他人が、世の中にそうそう存在するわけはない。
パラパラとマニフェストを流し読みしただけでも、100%信頼できる政党など存在しないということがすぐに分かるはずだ。
あなたが決して譲れないことは何なのか。それを徹底的に自問するのだ。ただし、ひとつに絞ろうとしてはいけない。大抵の人間は決して譲れないことをいくつも持っているはずだ。
すでに投票先を決めている人は、当然、自分が最も譲れないことが何であるか、それを自分で理解していることだろう。
けれど、どうか改めて、他にも譲れないことが無いかどうか、自らに問うてみて欲しい。
きっと、第2第3の「最優先事項」が見つかるはずだ。
最も譲れないもの同士を比較して、その中でどれが妥協可能かを考える。
場合によっては100:0ではなく、80:80などという妥協の仕方もあるかもしれない。
とにかくよく考えて欲しい。
どこに、誰に投票すれば、自分が絶対に譲りたくないものを、極力譲らずに済むのかを。
単一の争点だけにこだわって、サックリと投票先を決めてしまうのはそれほど難しいことではない。
けれど、あなたの大切なモノを少しでも多く守るために、あと一日だけ考えることを放棄しないで欲しい。
あなたが誰に投票したかに関わらず、得票数の多かった者の意見に従うのが民主主義のルールである。
選挙は極めてネガティブな選択であり、妥協の産物である。そのことを噛み締めながら、残された貴重な時間を思慮に費やして貰いたいと願っている。