はてなキーワード: 居候とは
なんなの俺も居候したいンデスけど
所長は高齢で、もう仕事なんかしてない。会計担当みたいな請求書だけ発行する人。論理思考が衰えている。
年間売上は1000万くらい。地方だし固定費は100万から150万くらいだと思う。俺の年収は300万。
10年勤めて、ここ5年以上、仕事は俺が95%全部やってる。それでもまだ所長宛に電話してくるお客さんも多い。
独立しても良くて3割引き抜けるかどうかだと思う。いや、多分もっと低いかもしれない。
でもPCもロクに使えない所長に実務能力は最早ないから、仕事は破綻するはず。破綻した後、その客が俺に来るかは分からない。
高齢とはいえ、仕事してないんだから死ぬまで引退しないと思う。あと10年いるかもしんない。そう思うと辛い。
しかし、独立の話を見たり聞いたりするとやっぱり悲惨。仕事ゼロで借金まみれなら正直まだいい。バイトしながら電話を待つ日々なんてとても無理だ。
だから、恐らく現状維持でもマシなんだと思う。一人なら生きていける金はあるんだから。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/lazy_investor
のブコメを読んで「種銭がない」「投資に回す金がない」というコメントが気になりました。私自身は今40代で、お金がなかった20代の頃から投資をしてきました。当時からやってきてよかったと思っているので理由を2つ紹介します。
私のお金がなかったというレベルはどの程度かというと、20代の頃にフリーランスのプログラマで年間売上200万円以下というぐらいです。知り合いの家に居候しており、デートのお金がなくてキャッシングを使ったこともあります。食事は100円ローソン(当時はSHOP99)でした。
当時やっていたのは自動の貯金と、投資信託の自動積み立てです。自動の貯金は銀行がやっているサービスです。一度設定するといつでも引き出せる定期預金にいれてくれます。地味なサービスなので知られていませんがほとんどの銀行が提供しています。
私は自動の貯金に5000円、投資信託に5000円を毎月積み立てるようにしました。当時の私にとって1万円というのは大きな額でしたがたまにパチンコに行ってしまうような生活だったので、最初から自動で引き落とされていれば気になりませんでした。
これは「20万円の給料から1万円貯金しろと言われるとほとんどの人ができないが、19万円で生活しろといわれるとほとんどの人はできる」というような法則です。この金額で2年ぐらい継続しました。
2年ぐらいすると30万円ぐらい手付かずのお金があるという状態になりました。それまで収入が低いこととお金の管理ができないことから貯金は0だったのが、気がついていたら貯金できていたのです。30万円というのは当時の私にとって大金で、ちょっとした物なら買えるという嬉しさもありましたし、貯金が自分にもできたという自信もつきました。一番大きいのは貧しい生活の中で「何かあっても30万円あるしな」という気持ちの余裕ができたことです。そのお金があって初めて「ちょっと新しいことを勉強しようか」「新しいことを初めてみようか」という前向きな気持ち、自分へ投資しようという気持ちができた気がします。
次にこれが結構大事で、投資を始めて何年か後にリーマンショックがきて投資してた金額の評価額が4割減ぐらいになりました。初めての暴落の経験だったのでショックでしたが、2年程度で勝手に回復し、またプラスに転じました。この経験で、「これがいわゆる長期投資なら大丈夫」というのかと自分ごととして理解できました。その後、幸いプログラマとしてそこそこ成功した私は今は当時の数百倍以上の金額を運用するようになりましたが、この時の数十万円程度の暴落と回復を経験してなければ、資産の大半を投資に回し、日々数百万円が上下するような生活には耐えられなかったと思います。
つまりいざ種銭ができて本格的に運用を始めるとなった時に、小さい額での実体験がすごく大事になるということです。
種銭がなくても投資をして株価の上下を経験し長期であれば勝てるということを経験してほしい、そして貯金ができてない人には少しの金額でも積み立てることが生活の質の向上につながるということを強く勧めたくて書きました。
投資をしろというのは強くは言いにくいですが、投資が苦手な人でも自動の貯蓄はおすすめです。いま貯金がないという人はぜひ!
三菱UFJ:https://www.bk.mufg.jp/tameru/yen/tsumitate/btm/index.html
SMBC:https://www.smbc.co.jp/kojin/special/new-recruit/minaoshi/type-a/04/
みずほ:https://www.mizuhobank.co.jp/retail/products/deposit/teiki/t_teiki.html
ドルコスト平均法はまやかしです。リスク分散できていません。私が積立から始めたのは単に毎月それだけしか捻出できなかっただけでドルコスト平均法を意識していたわけでも推奨しているわけでもありません。長期では上がるという戦略なので普通の人は余剰金の中で買えるだけその瞬間に買うのが正解だと思ってます。
全てを現金で持っておくというのも投資の選択であると自覚しているかどうかは大事かもしれません。現金はその額が減ることはありませんが、インフレにより相対的に価値が下がることがあります。現金もまた50年後はわからないのです。うまい棒でいうなら昔10円だったのが今は12円です。これは日本円に投資してたら約2割損したようなものです。このエントリは、将来資産運用をやりたいが種銭がないので始められないと思っている人に「今始めておくのは無駄ではないし、むしろ種銭が少ないうちから初めておくメリットもある」ということが伝わればいいなと思ってます。
rci いいかげん妻子がいるとマウント取れるという発想から抜け出してほしい
deztecjp ナチュラルに繰り出される「居候」差別にウンザリ。「敵」を貶めるためなら、手段を選ばないのは、左右を問わないな。確実かつ明らかに問題である点だけを批判するのでは、満足できないのだろうか。
quick_past ミソジが生み出した鏡
senbuu 誰か知らんが、青識亜論みたいな奴じゃね? ネットでモラルに反することをしていたなら、それはネトウヨと呼ばれてしかるべき奴だ。ネトウヨか否かは思想の左右でなくモラルの上下で決まるというのが、わが考え。
どちらが真実かはかなりどうでもいい
彼はエリートであるという肩書きでかなり発言力を得ていた人物で、それに対して暇な空白は多くの人に今までの京大院卒のエリートではなく実際は居候無職である印象付けようとした。そして彼の仮説が真実かどうかはともかく肩書きを壊すことに成功した時点で暇な空白の勝利なんだよ
ここからシュナムルが逆転するには暇な空白の嘘を完膚なきまでに否定する他ない。具体的には卒業証明書を発行してあげたり、住民票をあげたりとかが考えられるけど、実行するには身バレリスクが高すぎるのでできない。
それこそ暇な空白みたいに実名だしてやっていくならそれも一つの手だけど、彼は多くの人から恨みを買ってることは本人も重々承知しているだろうし恐ろしくてまともな精神状態なら仮に本当にエリートだとしても居候無職ということにしてTwitter辞めるよ
ただ、妻の実家依存が多く、月に1度は一週間帰省する。無論、俺は留守番。
義両親も子供を甘やかすから未就学児の長男はジジババに懐きまくって、俺は二の次。
どうやら、4人家族になったと思っていたのは俺だけのようです。
実際は、妻+子供二人+ジジババの5人家族のようです。俺はきっと居候。
ちなみに、俺の両親には妻が会いたくないそうなので、年に数回会うかどうかです。おかしいね。
実際は俺が婿に行ったのかな?妻は俺の名字になったのにね?俺の名字の我が家に俺は不要なのかな?必要なのは俺の月給だけかな?
俺を捨てようと思ったら粗大ごみになるのかな?生ごみかな?それとも資源ごみかな?ゴミ捨て場に居れば回収してくれるかな?
もう居なくていいよね?居なくなっていいよね?だって俺がいるだけで機嫌悪そうだもんね?俺は必死に取り繕ってるけどね?
うまくできなくてごめんね。察してあげられなくてごめんね。先読みして家事とか済ませられなくてごめんね。思考を読んで先回りできなくてごめんね。
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・・・・・・・・・はぁ、苦しみたくないから事故か何かで即死したい。保険金も出るし。あとは家族5人で幸せになってください。
本当の父親は他の女と出て行ったらしい。
だが父親代わりに居候していた男がいた。あくまで居候で、家に収入は入れていなかった。
母からも同じような臭いがしており、私はそれがあまり好きではなかった。
たまに気が向いたり、私がミスをすれば怒鳴りつけられ、殴る蹴る、また踏みつけられたり罵ってきた末、
反省を促す名目でベランダに収集日に出すまで置いていたゴミ袋たちと一緒に立たされ、一晩中起き続けることを強要する男の何がいいのかと思っていた。
助けてくれない母に絶望するのは、早かった。
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私はあまり出来の良い子ではなかった。
兄が2人いたが、長男は心に病を抱え、次男は多様な才能に恵まれていた。
私は宙ぶらりんで、何にも興味を示せず、かといって何でも中程度は出来ていたつもりではあったが、
だが母は満足が出来なかった。
なまじ次男が多才なので、私は長男を反面教師に、次男を比較対象に、親たちから圧迫の日々を過ごした。
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たまに夜に2人の嬌声が聞こえるが、幼かった私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って震えていた。
ある日母が妊娠し、妹が出来た。
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初めての保護対象。
最初は嫌悪しかなく、意味が分からぬままただ漠然と突きつけられただけ。
その子を抱え、服を握られた時
何にも興味がなく、怠惰で愚暗な日々で、強いて言えば唯一取柄と言えることが惰弱さな自分に、何かが芽生えた。
そんな気がした。
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しばらく先、ある朝居候の男は酒におぼれ暴れ、母も荒れていた。
長男は入院し、次男は他県の大学へ行っており、家には私と妹だけだった。
一騒動の後、男は家を出て行った。
妹は何が何かも分からず私の服の裾を赤子の頃のように掴んでいた。
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それ以来母はよく泣き、そして苛立ちを自分らに向け、
より一層の支配欲に飢え、私や妹にその矛先は向き、ヒステリーさが加速していた。
妹へ向かぬよう先立って私は母と対峙する日が増えていった。
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大学へ進学するのだろうと漠然と思っていたが、ある問題が発生した。
金である。
母は次男の大学費用の為に無理をして金を捻出しており、私の為の分はないそうだ。
実父から送られてくる毎月の養育費は、ほぼ次男の為だけに私の分まで使われていた。
何なら母のタバコと、ネトゲのオンゲ課金から、ネトゲ中に食べる菓子代に消えていた。
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「大学へ行くのなら自費で生活費を稼ぎ、奨学金を借りながら独力で行け」
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母にそう言われ、私は推薦入学を受けようとしたが、悲しいかな私は求めていた大学への推薦は叶わなかった。
就職・通常の試験を受け希望大学を目指す・ランクをいくつか落とした大学への入学・実父へ直談判する・母に頭を下げ素直に支配され支援を受ける…そして果てには自殺まで。
本当に本当に思い悩み続けた。
だが、結局は進学をしようとなり、1年浪人期間を設け、貯金の時間を作る事とした。
実家暮らしで1年の浪人をし、その間働いて大学の初年度費用と、当面の生活費を稼いでから進学しようと。
その話を母にし、母も了解したが、しかしその後続く母の言葉に目の前が真っ暗になった。
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「家に毎月5万は入れてくれるのよね?もちろん食費や衣服も自腹よね?
大学を目指したいと言うけれど働きながらなんでしょう?もちろん払ってくれるわよね?」
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足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥った。
呆れた、が正しいかもしれない。
怒り、とも違う、胃に何キロもの鉄アレイを捻じ込まれたかのような感覚だ。
ただの高校生上がりが、毎月5万家に入れて、食費を稼ぎ、参考書や塾、対策試験の受講、その他諸費を賄えるか。
計算したが、当時の最低賃金は今よりも低く、困難極まる事は火を見るより明らかだった。
そう考えるのも仕方のない事だったのかもしれない。
その頃の私は、母を母と思えず、嫌悪にまみれ、見るだけで憎悪が湧くようだった。
炊事、洗濯、寝具から衣服、携帯代まで確かに当時自分のバイト代である程度賄っていたが、
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その時、私は子供の浅慮な考えながら独り立ちを決意した。