はてなキーワード: 寿退社とは
同じ正社員って すくなくとも俺の会社の 同じ等級の 同じ年齢の 同期は 残業代除けば同じ給料だったぞ。
って話をしているんだが
同じ等級の 同じ年齢 で 男子手当とか 女子手当とか そういう物があるのか?って話だよ。
だから、平均を取るなって言ってるだろ。
男子手当とか 女子手当とか そういう物がある なら 文句を言えば良い。
そもそも 正社員と言っても 男子と女子では業界も違うし 職種も違う。それに寿退社が多い女子は 等級が高い職員が少なめだし
それは 制度のせいもあるが 本人の希望もあり何ともいえないって話で
だから平均を取るなって言ってるのに、平均取るとと返されても話が前に進まない。
男子と女子では正社員という漠然としたカテゴリーで 平均とれるほど 同じじゃ無いんだよ。
男子手当とか 女子手当とか そういう物があるなら即座に廃し運動すべき。
女子が駄目だ、男子が良い なんて話は一言もしてない。 性別が違う物に対して 平均取って比べても 意味が無いって言ってるだけ。
>寿退社なんてあたりまな時代だったのに、申し訳ないってことはなかったろ。
いやいやいや、就職してすぐ寿退社なんてなったら新人教育にかけた費用が回収できないから、彼氏がいる女は就職に不利だと、少なくとも10年くらい前は普通に言われてたよ。
あーなるほど、高学歴化の流れを受けて、晩婚化の流れはあるとは思うが
寿退社なんてあたりまな時代だったのに、申し訳ないってことはなかったろ。
結婚して、2-3年で退職というのは、みんなわかってた流れだし、それを非難するよう時代はなかったと思うけど?
むしろ、育児休暇なり、勤務時間を2割カットできる3割カットできる(6時間労働制)労働体型など 育児にはどこの会社も力を入れていただはずだが?
2000年代中盤~後半に向けて、すでに晩婚化、少子化が問題になっていて、制度自体は充実し始めているはず。
20代後半まではいいとして、20代後半に出産を持ってくるために、みんな頑張ってる。ってところだとおもうよ。
http://www.garbagenews.net/archives/1880396.html
いちおう、見てみたけど、うちらの親の世代だと、まだそんなに晩婚化という程でもない。
せっかく総合職で採用した女性に寿退社されちゃうってことはさ、
それだけその会社に魅力がないってだけのことだよなあw
結婚しても働き続ける女性は普通にたくさんいるし、育児支援なりなんなりを拡充して
結婚後もその総合職を働き続けさせることで、「会社が総合職女性を育てるのに掛かったコスト」を
つまり辞めた女性は「こんなクソ会社辞めるいいきっかけが出来たわラッキー」て位じゃないの?
まあ悪魔の証明なんだよ
あと教育リソースが無駄になったってのは、職場での総合職教育の話なら寿退社させないような仕組みなり
マインドコントロールなりできなかった御社の不手際だし、その前段階、大学までの話なら全く余計なお世話だよなあ
無駄かどうか判断できるのは金出した親と本人だけでしょ 防衛大だって任官拒否できるんだから(まさに無駄)
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
そこを絶対に勘違いしないでほしい。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
正直、SEにまったく興味はなかった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の12月、寿退社した先輩の後釜にあてがわれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
翌年の12月、辞表を提出した。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
私立なのに、職員の給料も決して高くはない。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
文系の情報系の学科を卒業して、おめでたい頭で何となくSEになって二年目になりました
情報系の学科ではあったけど、SEだのPGだのに就くのは男子学生のうち6割、女子学生では1割いないような感じ
で、非コミュと半ヒキと地頭の悪さで競争率の低そうなSE職についてめでたくその1割に当選
私以外は大体プログラミング楽しい~とか、そういう子ばっかりの中での1割
ちなみにプログラミングの授業は大嫌い。未だに関数がー引数がーポインタがーって意味分かんない。
授業でやったのよりよっぽど分かりやすくて、今になって初めて知ることがたくさんあった
でも別に向上心はないので「そうなんだーすごいなーへー」という感想しか浮かばない
保守開発メインだから今までの開発step数って3桁行かないし、使ったのは「=」と「if文」が精々
仕事で使うのはCでもJAVAでもないけど、そんなことも分かってなかったの?って呆れられるだろうなー
こんな私でも応用情報が余裕で取れているし、来週受ける上位資格も難なく取れそう
SEって馬鹿でもなれるしお給料いいしで良い仕事だよ!と、後輩には勧めておいた
ただし毎晩終電帰り・残業120時間超でも残業代出るのは30時間まで・仕事が終わらないなら土日は潰れて当たり前なのが気にならなければね、というのは黙っているけれど
職場結婚率は割りと低いけど、他の職場の同業種の人との結婚率はめちゃくちゃ多い。
三年以内に寿退社する人もとても多い。仕事きついし辞めたい女側と、家のことして癒してくれる子がいい男側の需要と供給が程よくマッチングしてるんだろうな。
マザコン少年の末路は図書館で入らないのようなので、行われる理由を調べてみた
http://okwave.jp/qa/q3256158.html
・女性は結婚して3年たったら退職という意識がいまだなお残っている
・休暇自体とることを嫌がるので育休自体とりづらい(退職するしかない)
つまり女性差別が行われるのは女性の方にも原因があるということになる
もっとも、政府の方も男を労働に専念させるために女は寿退社するように仕向けてきたというのがあるので、ことは単純ではないのだが
トラバするほどのことじゃないけど、今の自分には思う所があった。
俺は自分で言うのもなんだけどそこそこ能力がある第二新卒()。その能力と若さを買われて今の会社に入ったんだけど、元増田の中でちょっと出て来た「逆転現象」が今まさに起こっている状態。マネージャーが俺より仕事ができないのだ。
入ってそんなに経ってないから遠慮してる…というか様子を見てるけど、マネージャー全然できない。まあぶっちゃけweb制作なんだけど、コード書いたらカラム落とすわデザインやりゃあーデザインパーツパクって来たなって丸分かりだわ、phpさわりゃ超初歩的な設定忘れてエラー出すわ。できるだけコード使い回そうとして別案件のソースのまま使っちゃうし。ついでにこの時代でこの職業のくせにスマホ触ったこともない。その上30代も中盤に差し掛かるキャリアウーマン()のくせに寿退社に憧れてる素振りも見せる。逃げようと思えば逃げれるっていいたいの?ばかなの?つかなんでマネやってんの?って思う。マジで。
マネージャーは統括が仕事だからってんならいいよ、でもさ違うんだよね。一番スキルがある人間が就くべきポストなんだよね、そこ、うちの会社ではさ。お前が理解できないせいで通せないアイデアぼろぼろあるっつーの。女のヒスマジウザイから黙ってるけどさ。
ちょっと話がそれた。ムカつきが蘇った。
まあ彼女は彼女なりに会社に必要な何かがあるんだろう、俺にはまだ分からない… と思いたい。
もっと上の人間はさすがによく見てて、面談でやっぱ言われた。年齢差と能力差と上司部下の関係のこととか色々。うまく誘導してあいつも育てるつもりでやってくれってさ。その時はそうだなって納得したけど、やっぱり俺はまだまだそんなに器がでかくなくて、女だっていうことを武器にしてきたらぶち切れそうになるし頭悪いから〜とか言われると部下がいる人間が一言でもそういうこと言うなよと思う。お前のそういう逃げの態度はさ、俺ら全員がそう見られるってことなんだよね。アイツ失敗してお客さんに大迷惑かけたけど俺はできるから!って言って回りたい。けど一度失敗したらやっぱり、その部下はもっとできないんだろうなと思われるのが現実。
実際これ、どうやって乗り越えるのが一番いいんだろう?元増田がそこをうまく乗り越えないと…とか書いてるけど、マジでどうやって丸くおさめるんだろうなと思うよ。
向上心のある人間と仕事をしたい。刺激し合える人と仕事がしたい。えー難しいね、もっと分かりやすく、あれ教えて、これ教えて、これ調べて、って、同じ部の人間に言われるの、もう、嫌だ。
主婦と呼ばれる人のうち、
という人の生活が気になった。
人それぞれなのは百も承知なのだけど、どうしてそうしたのだろう。
家事が好きなのか?料理が上手なのか?夫の収入が十分にあるからそのぶん家事を…という感じなのだろうか?夫の母が専業主婦だったりして夫も妻に完璧な家事を求めるのか?
自分は家事や家計管理が疎かになることより自分の収入が減る方が怖い。いやそもそも家事がさほど好きではないというか苦手だ。
あと妊娠出産育児の間と親の介護が必要な間、収入が減ったり休職したりすることが物凄く怖い。お金のことを思うと子供は作れないとすら考えてしまう。
こういうこと言いながらも、自分は家計を支えているわけでもなければ仕事ができる人間であるわけでもないのだが。能力も資格もない一般職OL。結婚→寿退社→主婦が当たり前のような。
そもそも私は結婚に向いていないのだろうな。
この話には二つの異なる問題がある。
一つは
「何が問題なんだ?」と思うものも居るかもしれないが、スキル、知識、人脈において代えがたい人と言うのはいるもので、これが抜けることに対するフォローの問題。
もちろん、これらの人が転職する事態も同じ問題を発生させるし、問題の程度に男女差はない。
転職は福利厚生の向上などである程度の対応が可能だが、「育児をしたい」や「結婚して家庭」と言う欲求はフォローが効かない。
女性に批判が集まりやすいのは、実際少なからず寿退社が存在するからで、数年にわたる長期プロジェクトなどを任せにくい状況に一役買っている。
もちろん、結婚した相手の都合(転職など)が理由であったりもするが、会社からしてみれば、それで救われるわけでもなしと言ったところ。
二つ目は
こちらは、すでにある仕事というよりも、将来を見越して投資したリソースの問題。
会社の新人育成も似たようなものだが、女性は上記で挙げたような理由により、このリソースをつぎ込みにくい側面を持つ。
投資するリソースが大きければ大きいほど、それを無駄にされるダメージが大きくなるので、通常は契約で縛ることになる。
自治医大などがあるが、「職業選択の自由」を掲げる一派からは、これすらも憲法に抵触するという主張も有り、これらの話で譲歩はあり得ないと思える。
思考実験として、市井の人はどのレベルでなら、それを問題だと思うだろうかを考えてみるのも面白い。
このケースなら、システムに批判が集まるだろう。
「無駄な投資を止めろ」であるとか、「契約で縛れ」とかである。
(これは言い換えればリソースの浪費に対する批判であるが、おそらくここでは作った「箱」に批判が向くはず)
政治家二世が参加者であれば、「金を返せ、犯罪だ」とまで行くかもしれぬ。
おそらくではあるが、政治家二世の「職業選択の自由」は左側の人間からも忘れ去られるのではないか?
仮に金額の多寡が問題であるとするなら、さて幾らなら許容範囲か。
このケースはどうであろう。
もちろん、発生頻度のとてつもなく低い仮定ではあるが、やってしまったらニュースにはなりそうだ。
育成するための設備や関わった人たちのコスト、組織としての面子、とんでもないダメージだろう。
もちろん、余剰育成はしているだろうから、プロジェクトへの損害は軽微になるとしても、だ。
こうした、多大なリソースを使う極小枠で、そこへ志願しておいての辞退は、さてどのレベルなら「職業選択の自由」だと言えるだろう。
「職業選択の自由」を絶対不可侵とするなら、どれだけのレベルでリソースが使われようが、個人が非難されてはいけないはず。
けれど、市井の判断として、おそらくそこまでの絶対視はないだろう。
今回のケース「学生の育成程度」の話題ならば、ほとんどの人は「職業選択の自由」を優先するのは確か。
だから、「医学部」の話を「文学部」などと比較するのだよね、必要なリソース(お金だけじゃないよ?臨床の現場とか含めて)が違いすぎるのに。
と、ここまで書いておいてなんだが、おそらくその主婦が事故の現場などで人を助ければ、市井は大絶賛だろう。
家庭が安定したら、どこかで医学知識を活用してくれるかもしれず、ずっと死蔵するのが「社会的損失」程度の話でもある。
「犯罪」といったから皆が議論してるともいえ、これで学生が一人でも自身の身の振り方を真剣に考えたなら、むしろ御大は上手くやったのではなかろか。
http://anond.hatelabo.jp/20110107214632
概ね賛同。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
社会とは、そうして渡っていくものだと思い込んでいた。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
専業主婦になりたい20、30歳代女性が増えている。不景気の影響もあって、若い女性が仕事をしてキャリアが積み上がっていくケースが少なくなっているせいらしい。希望を失った彼女たちは、その代わりにパンを焼いたり、料理に手間をかけたりといった、専業主婦としての生き方に、魅力を感じている。
国立社会保障・人口問題研究所が行った「第4回全国家庭動向調査」で、「夫は外で働き、妻は主婦業に専念」という考えに「賛成」と答えた既婚女性が1993年の調査開始以来、初めて増加に転じた。08年7月1日に調査票を配布し、有効回答を1万192票得た。このうち妻が回答した6870票を対象に分析した。
年齢別に見ると、賛成派は60歳代がもっとも多く半数を超え、次いで29歳以下が47.9%で、前回調査(03年)を12ポイント上回った。
20歳代女性の専業主婦志向が上昇しているのはなぜか。日本女子大学現代女性キャリア研究所客員研究員の石崎裕子さんは、
「女性が仕事を通して自己実現を果たすには、依然として高いハードルが存在しています。さらに、不景気の影響で、就職難だったり、非正規雇用が増えたりと、若い女性が、仕事を通してキャリアを積み重ねていくことに対して、希望が持ちにくい状況になっています。このような将来に対する先の見えない不安感を抱えた中で、専業主婦という選択が、結婚後も仕事を続けていくことと比べたとき、若い女性たちにとって、より魅力的な選択肢として浮上しているようです」
と話す。
前出の調査で30歳代にも専業主婦志向が目立った。「夫は外で働き、妻は主婦業に専念」との考えに41.7%が賛成し、前回調査を7ポイント上回った。
就職氷河期を経験した30歳代は、仕事に就くことの大変さを実感している。ところが、『アエラ(AERA)』(10年4月26日)の「結婚と仕事 不器用世代が願う『新・寿退社』」と題する記事では、キャリアを積んだ女性が結婚を機にあっさりと会社を辞める姿が報じられている。
例えば、氷河期まっただ中の01年に外資系金融会社に就職した既婚女性(30)は、深夜3時にタクシーで帰宅する生活が続いていた。仕事を家に持ち帰ることもあった。家庭を実感できず、「キャリアやお金がいくらあっても人生の最後には残らない」「夫婦の絆を失うことのほうが怖い」。そう思って会社を辞めた。専業主婦になってからは毎日の生活に幸せを感じ、「もう二度と働きたいとは思わない」という。
寿退社が決まった女性(28)は、「仕事は好きだけど、家庭がおろそかになるとストレスを感じる。両方を手に入れるのが難しいなら、仕事はしたくない」と専業主婦の道を選んだ。
ただ、こうした若い女性の専業主婦志向は今に始まったことではないようだ。「1998年版厚生白書」(厚生労働省)によると、夫婦の役割分担が「男は仕事、女は家事」から「男は仕事、女は仕事と家事」を経て、「男は仕事と家事、女は家事と趣味(的仕事)」に変わった。「新・専業主婦志向」と名付けられ、生活のためのパートやキャリアウーマンといった働き方を嫌うが、社会とつながっていたいため、趣味や趣味的仕事は欠かせないのだという。
前出の石崎さんは、女性誌『VERY(ヴェリィ)』(光文社)に、「新・専業主婦志向」の女性たちが憧れるライフスタイルが創刊以来ずっと描かれている、と指摘する。生活感を巧みに隠しながら、夫という経済的基盤のもとで、レストランでのランチやお稽古事を楽しむ幸福な専業主婦像は、それまでの主婦イメージを大きく塗り替えた。
最近の若い女性の専業主婦志向も、この延長線上にあると石崎さんは考える。不景気の中で節約を心がけつつも、自らパンを焼いたり、料理にほんのひと手間かけてみたりといったように、主婦として生活自体に楽しみを見出そうとする傾向がみられるという。
「夫や子どものために自分自身を犠牲にして主婦業に専念するというよりも、むしろ、専業主婦という生き方を通して、一人の女性としていつまでも魅力的でありたいという思いが感じられる」
http://anond.hatelabo.jp/20100304131301
なんで年齢が問題になるのか理解したから、真面目に答えておくけどさ。増田でその質問意味なくね?
私が就職戦線にいたころは、女性は「クリスマスケーキ」でさ。25過ぎると売れ残るとか言われて。女性が会社勤めするってのは、要するに「出来るだけ良い企業に入って、年収の高い旦那さんを見つけて、勤めて3年から5年で寿退社する」って前提だったのね。今みたいに「女だって稼いで当然だろ」なんて、だあれも思ってなかったから「もちろん、勤めるなら一生の仕事と思ってます。会社に骨埋めます」なんて女の子は採用されなかったよ。
私の年代で転勤族に嫁いだ人は、自分の仕事は行く先々でパートを探すのが精一杯。それも土地によっては同じ業種の仕事が見つかるとは限らないから、業種が変わればゼロからやり直しで30代で10代の子に使われてたりしたなあ。
真面目で有能で仕事に意欲がある人間ほど、採用されない時代の育ちからすれば、元増田みたいに「一生の仕事をものにしたい」って人は応援したいのさ。
銀行に勤めた友達と何年かぶりに会って、年収の話になったんだけど、私より3割がた近く低い収入で、倍近いグレード(家とか車とかから見てね)の生活をしていてびっくりした。ちゃんと経理が出来ると、お金の運用自体がまるっきり違うんだよね。頭いい人は同じ年収でもグレード高い生活できたりするよ。
それに、外注ったって、身内に頼めれば、そんなに高いことにはならないし、育児休暇(もちろん取りにくい状況なのはわかってるよ)も保育園(3歳児までは待機児童でいっぱいなのも知ってるよ)もある。今は介護保険がある(始めてみたら、利用者が多くて、早くも財政がパンクしていて、いろいろ方針を切り換えてるのも知ってるよ)から介護もだいぶお金かからなくはなったしね。
元増田が女性だから、転勤うんぬんが問題になっているようだけど、兄は結婚10年目から単身赴任で、しかもちょくちょく外国に出張に行く仕事で、めったに家に帰ってこない。10歳だった子供は、今25歳でもう働いてる。その15年間、兄が家に居なかったことを家族の誰かがとがめたって話は聞かない。男だったら仕事優先で単身赴任なんて当たり前だろって増田も思うでしょ? 女だって当たり前でいいんじゃないの? 今元増田が付き合ってる彼が「男はいいけど、女はダメだ」とか言う奴なら、とっとと別れればいいと思う。「男だろうと女だろうと家族が離れて住むなんてダメ」と言うのなら、話し合う余地もあるだろうけど。
問題はある。でも、それを乗り越える方法がある限り、意志を持ち続けるかどうかが決め手になると思うんだ。もしかすると、マジで育児手当が充実して、5年もすれば仕事しながら子供を育てるのがラクになる可能性だってあるしね。
厳しいから出来ないって言ってたら、なあんにも先に進まないよ。