はてなキーワード: 売女とは
もう癖になってて射精する直前に「この売女が!」って言ってから射精することを半ば強いられている
断っておくけどセックスワーカーは立派な仕事だと思うよぶっちゃけ
中学生の頃に友達が同級の女の子と喧嘩した時に「この売女が!」って言ってビビった記憶があるんよ
「えー!!お前そんなこと言っちゃうの!」って
ただ後から訊いてみるとその友達は「売女」っていうワードをとある漫画で知ったらしく女性に使う悪口ってことは知ってるけど意味までは知らなかったんだよね
だからその友達は漫画で知った台詞を使ってみたかっただけのイノセントボーイだったんだな
ただその時の鮮烈な体験が未だに俺の記憶の深い部分に突き刺さったままなんで、なぜか射精するとそれがトリガーになって「この売女が!」っていう台詞がせり上がってくるんだよ
俺はこのAV女優さんにどんだけお世話になってんだよって
なのに「売女」とはどんな恩知らずだよと
まあたぶん俺のこの悩みって人類にとってかなり普遍的な悩みなんだろうけどね
内容はともかく癖が治らないっていう意味においては
癖との付き合い方って難しいよね
映画やドラマだとかアニメだとか漫画だとか、バナナ食ってる女優とかに文句付ける割には
現実問題、ワーキングプア構造故にDQNや半グレやヤクザに都合のいい性欲処理のセフレにされたり、若い人間と付き合ってんだぜ的なステータスのモノ扱いにされたり
ガールズバーや風俗や個人売春させられて性的搾取をされているっていうところには文句言わないよね、それどころかそんなのその売女の自己責任だろ、そうまでして生き恥晒す時点で女性の地位を貶める敵だとまで言われて逆に攻撃される
結局、努力して真っ当な職能を磨いて働いてお金と承認欲求を満たすなんてことができる脳ミソも根性もないけど、楽して社会が構ってくれて金が欲しいだけでしかないんだろうなと思う
まぁDQNとか半グレやヤクザにポリコレ棒で殴りかかってイチャモン付けたら、バットやピストルで殴り返してくるから怖いしお金にならないから都合よくスルーって気持ちはわからんでもないけどさ
世界中の専門家でさえ、どうなるかわからないような生物兵器レベル3クラスの危険なウイルスをただの風邪なんて真意不明の情報を信じ込んで、一時の快楽のためにしょうもない端女やDQNや売女や、くだらない男性アイドルのケツを追っかけ
会話してるだけでITスキルと知能指数が下がっていきそうなくだらない底辺どもと付き合って濃厚接触で、一生後遺症確定で、自己管理もできないダメ人間の扱いを受けてエンジニアとしても社会人としてもエンガチョ扱いで人生ド底辺確定で、人生終了確定で残る選択といえば来世は大好きななろう系異世界に行けると信じて自殺くらいしか残ってないなんてくっだらねー人生だよな
うんその通り。その馬鹿野郎がガールズバーみたいな悪所にわざわざ出向いて、そこのあばずれの甘言にのってホイホイと金を出したことが発端。
でもそれはそれとして、その騒動の余波が家族親類や友人に近所といった周囲に波及したもんだから、悪所通いする性欲猿もゴキブリみたいなあばずれ売女の類いもまとめて社会から消えて欲しい。
特定の性別や嗜好や趣味やなんやかんやを叩く為に書いてはいない
夏に遭った妖怪がおり、未だ夏になると思い出して気分が沈むのでネットの海に流して供養したい、そういう話だよ
オカルト話を期待した人はごめんね
■悪魔爺
趣味を同じくする友人らと遊んだ帰り道、此方を見て悪魔だと罵倒する爺に遭遇した。
一行で済む話なのだが、供養であるのでもう少し語りたい。語るね。
その当時私は二十歳手前くらいの年頃だった。
高校生活は闇色を煮詰めた肥溜めのような暗鬱たる日々だった。要するにカースト最底辺のクソ陰キャだった。
しかしインターネットを通じて共通の趣味を持つ他人と出逢い、親交を得て、なんだ生きるの楽しいじゃん、広いじゃん世界、インターネットありがとう、という救済を得てもいた。
インターネットの海は広く、必然的に現実世界での住所は遠い事が多く、オフ会となれば一大イベントだった。
少なくとも当時の私にとってはそうだった。
大学には行かず就職をする道を選び、そこで働いて得た給料を握り締め、バスに乗り電車に乗り飛行機に乗り、初めて『友達に会いに行く為のひとり旅』を経験した。
うきうきとわくわくでいっぱいだった。
冒頭に一行で纏めた『趣味を同じくする友人らと遊んだ』というのは、つまるところこの『オフ会』の事だ。
集まった面子と一頻り語り合い、飯を食べ、ショッピングに興じ、おやつを食べ、カラオケで歌い、プリを撮り、オフ会は至極健全に盛り上がり、感極まって泣く程楽しかった。
宿を取っていたので、いや、旅行だから泊まりたいじゃんね。日帰りはやってやれないことはないが、余韻に浸る時間が欲しかろう。欲しかったのだ、私は。
ビジホの一室でひとりゆっくりとこの日を噛み締める為の時間が欲しかった。
泊まっていきなよと言ってくれる面子も居たが、それは畏れ多すぎてできなかった。比喩でなく嬉しさで爆発して死ぬと思った。
じゃあ次に逢う時はうちに泊まってねと言ってくれたその友人に、(また逢えるの!!!!????来てもいいの!!!!!!????)と内心で爆発しながら頷いてハグをして手を振った。
その、帰路だ。
とんでもなく楽しかった、私の青春は今からなんだ、皆やさしくて面白くて素敵な人達だったな、等というような幸せに酔いながら人気のない暗い夜の道をひとり歩いていた、その時。
幸せに酔いながら歩いていた、とはいえ、そうかそれでは道の端に寄って自転車の通行を妨げないように歩こう、と思う程度には素面だった。
素面だったが、酔ってもいた。
道の端に寄って歩きながらも心は此処にあらず、楽しかった思い出ばかりを反芻していた。
であるからして、自転車を漕いでいるその人物が割と結構な声量で何か言葉を発しているらしいと気が付いたのは、すれ違うまさにその手前だった。
ところでそのオフ会というのは、ゴスロリを愛好する者達の集いであった。
ゴスロリの是非だのなんだのについてはここでは省く。
初めての友人と初めてのオフ会。
それどころか、皆が皆思い思いに目一杯ドレスアップして集う。
加えて、何より、若かった。
要するにこの日の私は勿論どえれぇ気合を入れたコテコテのゴシックファッションに身を包んでいたのだ。化粧も然り。
ゴシックとか言われてもよう解らんという場合は概念的な魔女を想像して頂ければ、それで解釈はふんわりと一致する。
言われた私はこう思った。
しかしながら見知らぬ爺にすれ違いざま大音量で罵倒されるという体験は思い返す限りこれが初めてであった。
あまりに驚いたものだから足を止めてその爺が去りゆくのをぽかんと見送る格好になってしまったのだが、すれ違い終えて去りゆきながらもまだ尚爺は此方を振り返り振り返り、私を罵倒し続けていた。
否、爺が罵倒していたのは私ではなかった。私を通して何か概念的なものを罵倒し続けていた。
悪魔(チリン)、女(チリン)、売女(チリン)、悪魔(チリリン)、女(チリン)、悪魔(チリン)、悪魔(チリン)、悪魔(チリン……)……
通り魔に遭った気分だった。
しかし私は魔女なので、えぇまぁ売女ではないのでそこは否定しますけど悪魔だったり女だったりはしますね…????????????????
という気分でもあった。
わけが分からなさ過ぎてそういう妖怪なのだと思うことにして正気を保ったのかもしれない。
元より私の好むファッションは一般には受け入れられにくい傾向であることと、虐げに慣れきった高校生活も一因としてあったのかもしれない。
当時の私はこの爺が一体何であるのか全く解らなかったのだ。ただ辛うじて、爺の見た目をしているから爺だということだけは解った。
この妖怪悪魔爺はそれから数年経った今でも夏のこの時期になると私の心の中に勝手に蘇り、なんとも言えず遣る瀬無い虚無感を齎してはベル音を響かせ去っていく。
嘘だ被害妄想だ幻覚だなんだと言われるのも辛い気がしたのでこれまで誰にも言わずにいたのだが、例のポテサラ爺が現れたことにより、おそらく同類の妖怪であろうこの悪魔爺の話もネットの海に流して供養したく、こうして記事を書いている。
「日本軍慰安婦被害者が日本側の基金を受け取らないように勧めた事実はない」という韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の釈明と相反する被害者証言が出てきたことが確認された。
韓国挺身隊研究所研究員出身のキム・ジョンラン氏が2004年に書いた博士論文「日本軍『慰安婦』運動の展開と問題認識に対する研究:挺対協の活動を中心に」によると、1990年代に日本が政府次元の「国家賠償」ではない、市民が集めたアジア平和国民基金を支給しようとした当時の状況が詳細に出ている。
論文によると、挺対協は1997年1月に被害者7人が日本の国民基金を受領することにした事実が明らかになると、「ごく少数のおばあさんの行動は他の多くのおばあさんにさらに屈辱的だ」としてさびしさを示した。
実際に活動家らと国民基金を受領した被害者の間の葛藤を見せる証言もある。論文が引用した証言集で被害者のソク・ボクスンさんは「私たちは年を取ってどんどん死んでいく。どからであれくれるお金を受け取って使って死にたい。多数がこうだ…。おばあさんたちの要求は無理でもなく、そこでこんどはまた挺対協で(国民基金を)与えるなと日本に噂を言いふらしたんだ」と話した。
ソクさんはまた「何であれ何千万ウォンもくれるならそのままおばあさんたちがもらえるよう放っておけばいいのに…おばあさんたちはみんな死にかかっているじゃないか。ところが募金を受け取るな、それを受け取れば汚い金だ、売女だ、こうした耳障りなことばかり言う」と吐露した。
論文によると挺対協は「日本と被害者の間で信頼回復が先行しないため」「国民基金は日本軍慰安婦犯罪に対する免罪符を日本政府に与えるもののため」「被害者の名誉と尊厳をもう一度踏みにじるもの」という理由で国民基金の受領に反対した。当時挺対協は声明で「日本の国民基金を受け取った7人のおばあさんの行動は正しくなかったと評価されるほかない」と言及することもした。
論文著者であるキム氏は中央日報の電話取材に、「論文は具体的な資料に基づいて作成した。当時論文内容に挺対協が反発したり異議を提起したりはしていない」と話した。
これに先立ち日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯のハン・グクヨム運営委員長は20日にソウルの旧日本大使館前で開かれた1440回目の水曜集会で、「日本政府が1994年8月に発表した国民基金を挺対協が受け取れないようにしたという批判を受けている。被害者に受け取るなと勧めたというのは一抹の真実もない歪曲だ」との立場を明らかにした。
ハン委員長は2015年の韓日慰安婦合意後に被害者が日本政府の出資金で設立した「和解・癒やし財団」の支援金を受け取らせないようにしたという疑惑に対しても否定した。彼は「この合意によって韓国政府は国連など国際社会で慰安婦関連発言を中断し、撤去の危険に直面した平和の少女像を守ろうと若い学生たちが寒い冬の道路で夜を明かした。その時の不正義な状況と挫折感を私たちはみんな忘れることはできない。その渦中におばあさんに支援金を受け取るなという原則に外れたことを挺対協がどうしてするだろうか」と話した。
正義連と尹美香(ユン・ミヒャン)前代表をめぐる後援金流用をはじめとする議論は7日に李容洙(イ・ヨンス)さんの記者会見で始まった。李さんは正義連に向け「水曜集会をなくさなければならない。ひとつも役に立たない。参加した学生たちが出した義援金はどこに使ったかもわからない」と批判した。