はてなキーワード: 人民裁判とは
BLM便乗で白人至上主義者が調子乗ってるから潰さないとまた「日本のマンガは白人を崇拝しすぎ。もっとアジア人蔑視描写を喜びなさい」って圧が来るぞ
「〇〇は白人崇拝・黒人蔑視」とBLM人民裁判で決定 → 電凸で潰す、潰れなければ「〇〇は白人!」と叫ぶというコンボが全てに適用されるが、人民裁判を扇動してるのは白人富裕層だから、実際に黒人が声を上げてても言ってることは人種差別とか白人の更なる地位向上に繋がる内容の場合が多い
今メディアは米国に握られてるが奴らは日本語が分かるわけではないので、特にオタク界隈ではそれを利用して先手先手で「日本でBLMを押し付けると白人の地位が下がり、中国・日本の地位が上がる」という雰囲気を作っていかないとまた「アメコミ以外のマンガのクレカ決済禁止」とかムチャクチャ言ってくるぞ
昔好きだった映画の続編が出るたびに「ポリコレのプロパガンダになってるんだろうなぁ」と気分が落ち込む。
この作品はポリコレが魅力的で素晴らしいと思ってるんじゃない、ポリコレが正しいからねじ込んでるに過ぎないと感じる。
これで男だけが不利してるんだったらまぁしょうがないな、女性の時代なんだから引きこもってるわ、我慢するわってなってるんだけど、
どうも女も、自分の作った創作は取り下げられるは、グラビアは批判されるわで自由じゃないみたい。
いつも自分の知らないところで人民裁判が行われて、思想の検閲チェックを常になされてる、十分今の時代はディストピアなんじゃないかと思う。
ジョーカーや天気の子を見た時の解放感は何だったんだろう。pornhubを見ている時の、自由で救われてる感じは何なんだろう。
昔はくだらないと思っていた少年誌のパンチラが救いのように感じる。「正しくないもの」が自分の居場所になってしまっている。
ああ、俺も正しさというものを疑わず、その答え合わせで喜ぶような人間だったらよかったのになぁと思う。
資生堂 アネッサ筋肉CM取り下げか 性暴力抗議デモ「オナニー」発言の弁護士出演で抗議殺到
判決文読まずに、司法のルールも知らずに「私が有罪と思ったことを無罪にするな」と主張するのって「オナニー」じゃないの?
「司法が市民感覚と乖離してる~」ってお決まりのフレーズ言うかもしれんけど、市民感覚に最大限寄り添った市民感覚通りの裁判をなんていうか知ってる?
「人民裁判」っていうんだよ。それを是とするなら法律いらないんじゃない?
推定無罪原則を破棄して「合意の証明」を求めたりするのもそう。オナニー。
君が大手を振って外歩いてられるのなんでか知ってるか?「犯してない罪を着せられない」という当たり前のことが守られてるからだぞ。
それを自ら破壊しようとしてどうするんだ。あ、対象は男だけですか?
弁護士と資生堂の表現の自由を奪う。使った資金や作った人の労力、思い入れなど微塵も考えずに表現を踏み潰した。
こいつらどれだけ腐ってるの?思慮が足りないの?自分のこと以外考えられないの?
嫌なら見るな、買うなで終わりだろ。
CM潰しを呼び掛けたり、不買運動を呼び掛けたり、海外に拡散しての不買すら狙ったり。
資生堂が寛容でよかったな。
今回の件で思ったわ。
こいつら、人治主義目指してるだけだ。自分たちが決定権を持ってる人治主義を。
もともと支持してなかったけど、今後とも絶対に支持しない。
邪魔する奴がいたらそっちを支持するし、なんなら私も邪魔する。
前半は、何をもって「繁殖成功」とするかの価値観に乖離があることを無視した暴論。
父親として選ばれてるのが品行方正才色兼備な男だけでない時点で無意味な空論。
行わないと種の断絶を招きます。
言葉足らずだったわ。
違います。男性はあらゆる面で女性に優しくすることを強要されます。女性専用車両などがいい例。「協力」と言いつつ強制。
男女共同参画予算がなぜ「優遇や配慮」になるのかわかりかねます。むしろ男女平等に近づいたほうが出生率は上がると見込まれます。
女性センター等、女性だけの為に予算をつぎ込むのは男女平等ではありません。女性優遇です。
女子大は、大学が男性のみの教育機関であった時代の名残ですよね。ただ、近年の学習では女子だけの教育機関では女子は成績が向上するという結果もありますので、社会にプラスになるのでしたら残す意義はあるのではないでしょうか。
差別に残す意義はありません。
しかし不思議ですね。こうした女子大は基本的に家政学など「女性らしい」学部が多いため、私個人は廃しても問題はないと思っていますが、こういう女子大卒の女性はあなたの望む出生率に貢献するタイプの女性が多いです。なのになぜ
ええ、配慮ではありませんね。
それを男性がしぶしぶ耐えてるのは、「女性を大事に」規範の押し付けあってのこと。
司法での圧倒的優遇とは?まさか、女親が親権を取りやすいだとか、裁判官は女容疑者に甘いだとか、ネットde真実を信じているのですか?
事実、誘拐同然の連れ去り離婚で親権を取ってる例や、物証もなければ状況的に不可能な痴漢冤罪が有罪になった例が多々あります。
セクハラは恐ろしい。社会生活を営む男にとってこれ以上恐ろしいものは「痴漢」くらいのモノだろう。
その恐ろしさ故、セクハラに関しては全く女性に同情できないし、
そもそも回避するために「近寄らない」という選択をせざるを得ない。その恐ろしさを簡単にまとめる。
「セクハラ」には具体的な言動に紐づいた定義が存在しない。これは誰しも知ってることである。
何気ない誉め言葉すらセクハラ。話のとっかかりに家族構成を聞いてもセクハラ。
受け手が「セクハラ」ととったらなんでもセクハラというのは全く過言ではない。
しかも恐ろしいことに行動者が誰か、ということで恐ろしくボーダーラインが変わるのである。
増田にもはてブにも「まっとうな人間はセクハラの基準なんか分かる」と書いてるが、ここを念頭に置いてない。
君らが知ってるのは「君らのセクハラ基準」であり、万人に適用できるものではない。
「人間扱いすれば大丈夫」?それって万人の「人間扱い」が統一されてないと無意味だよね。
昨日だか一昨日かのホットエントリ入りした増田にも書いてあったが、「自覚のないセクハラ」というものが存在するようだ。
大変、恐ろしい。上記の変動ボーダーと合わせるとまさに縦横斜め予測不可能なセクハラ定義が完成するだろう。
例えば詐欺罪などでは「犯罪を行う意図」が問われるが、セクハラは問われない。
客観的具体的なボーダーもない為、本当に「受け手がどうとったか」しか判定基準がないのだ。
犯罪を告発するにあたって、告発者にはその犯罪を実証する責任があり、被告にはない。
しかし、セクハラ(というか性犯罪全般)についてはどういう訳か「被害者を疑うのはセカンドレイプ」という風潮がある。
「セカンドレイプ」。恐ろしく強い言葉だ。「レイプ」。自分が他人を犯罪者だと告発するその時、根拠を求められたら「レイプ」。
言うまでもなくレイプは刑法犯であり、許されざるものだ。ゆえに重い刑があり、ゆえに慎重に裁かねばならないはずだ。
なのに、その告発を疑ったら「レイプ」。これでは発言者の発言をうのみにする以外は許されないではないか。
皆さんもご存知のことと思うが、世間を騒がせたmetooなどもこのルールが適用された。
もとTBSの某ジャーナリストの件など、二度にわたって不起訴の事件を疑ることすら「セカンドレイプ」とされている。
さて、metooの話が出たところでセクハラの恐ろしさの本質、私刑について語りたい。
本来、犯罪は告発があって司法の裁きがあって初めて刑が下されるものである。
SNS、メディアも誰も彼もが全く何一つ物証のない、本人の証言のみの告発をあたかも事実であるかのように報道する。
被告発者の名誉も、社会的地位も、経済的損失も一切お構いなし。
ひとたびmetooを受けたものは社会的に殺されるといっても過言ではない。
そもそも、「セクハラ罪」というモノが存在しない以上、加害者が受けうる刑は「企業等の規則で定められたもの」「法の線を踏み越えた分の刑」だけのはずである。
にも拘らず、かくのごとき印象論による社会的制裁が下されるのは本当に正しいのか?
ここまでセクハラの恐ろしさをつづってきた。
読んでる被害者がいればこう思ったかもしれない。「どうすればいいのか?」
私からいえることはシンプルである。ここまでに書かれた恐ろしさ、それを払拭し公正な裁きに訴えればいいのだ。
具体的には以下。
・自分に対する「セクハラ」の定義を定め、具体的なブラックリストを周囲に配布する。その際、属人的な分け隔てをしない。
・ブラックリスト外の言動で法に触れていないものは何であってもセクハラ扱いしない。
・公開せず、順に上位者に相談する。組織内でもみつぶされたら司法に訴える。
・被害者の証言のみで成立する司法に賛同しない意思を明確にする。
・「セクハラ」の具体的かつ最大公約数的な定義をブラックリストとして作成し、それを基に「セクハラ罪」の法制化を目指す
痴漢冤罪の恐れを抱く男性にさんざん掛けられた言葉に「だったらまず男が痴漢をなくせよ。非難しろよ」という言葉があるが、それと同じである。
男性は恐れている。属人的であやふやでしかも覚えのない「セクハラ」で社会的リンチを受ける現状を恐れている。
その恐れを払しょくしない、する気もないならもうこちらとしては取りうる道は一つだけだ。
「ハラミ会」「MGTOW」はそれぞれ違う理由ではあるが、根本的には「もう嫌気がさしてる」ということに尽きるだろう。
君らだって自分を殺しうる恐ろしい存在と一緒にいるのは嫌だろう?
だったら男性がそう思ったってそう行動したって非難できる筋合いはあるまい。それを強制するのは「セクハラ」じゃないのか?