はてなキーワード: 乗客とは
電車内で、時々自分ルールに従って行動しているらしき謎乗客がいる。
最近見つけたのは、車内やドア横が空いていても常に開く側のドア正面にぴったり張り付いて立つジャージ男。
駅に着くといったん降りて、乗客が乗り終わったら最後に乗り込み再びドア正面にぴったり立つ、の繰り返し。
途中の駅で降りるから終点まで延々とやり続けるわけではないけれど、謎すぎて気になる。
(追記)自分の推理では、多分その人はコミュ障で、「降ります!」と言って人を押しのける勇気がないからドア前に陣取っているのだと思う。(それか過去に押しのけたせいでトラブルに遭ったのかも)
私にも家族にも、今のところ特に障害は無い30代ですが、車椅子の件を見ていてモヤったので吐き出しておく。
首都圏の人の多い駅で、電車が事故などで止まると、他社線での振替輸送の案内がある。
構内にアナウンスもガンガン流れるし、掲示板などで視覚的な案内も出るし、駅員さんに聞けば状況がすぐわかる。
振替輸送のときは、持ってる切符をそのまま使えて、追加でお金を出さなくても、当所の目的地まで行ける。
乗り換えの手間や時間は余計にかかるけど、復旧まで待つよりはマシなら利用させてもらう。
状況にもよるが、鉄道復旧までの間、その区間は代替でバスを運行しているケースをよく聞く。
鉄道側にトラブルがあっても、あの手この手で目的地まで運ぼうとしてくれる。とても有り難いことだと思う。
「JRで車椅子は乗車拒否」の元ブログの記事を読んで引っかかったのは、車椅子を持ち上げる手配をした「駅員D」が登場するまで、私のところには当たり前に伸びてくる、目的地まで運ぼうとする「あの手この手」が見当たらないことだ。
たとえば、私と隣の人が、どちらも東京から横浜までJR東海道線で移動しようとする時。
隣の人はJRから「東海道線止まってるんで一旦山手線で品川まで出て京急線に乗り換えて下さい、その切符で追加料金無しで行けます、ご迷惑をおかけいたします」みたいな対応されてるのに、私だけ「横浜行きは止まってます。外にタクシー乗り場ありますから自腹でどうぞ。あなたは乗せられないので。タクシー乗り場わからない?調べてください。タクシー拾えないかも?いやそこはご自身でどうぞ、こちらでは対応できないんで」って言われたら「は????なんで???(怒)」ってなる。
電車が止まってるのは仕方ない。JRが何もかも面倒みてくれるとは思っていない。でも、隣の人との対応の違いには怒るだろう。なんで私だけ、隣の人には求められないお金や労力を求められてしまうのだ。同じ電車を使って、同じ場所に行こうとしてるのに。
でも、私に「障害」があると、このJRの対応の違いが「正論」としてまかり通ってしまう上に、後でSNSに書こうものならあちこちから駅員の味方が出てきて、私がタコ殴りにされるのだ。
駅員C「来宮駅はお使いいただけませんので、熱海駅までで。その後はご自身でお考えになってください。」
私「どうやって?」
駅員C「タクシーなど」
ここのやり取りが特に、健常者を目的地まで運ぼうとする「あの手この手」感が全く感じられなくて震えた。
ああ、これが、差別か。
駅の設備(今回ならスロープやエレベーター)の不足で移動が制限されてしまう人がいる、ということは、残念ながらよくある。
制限される側から見たら、あっちこっちで災害による運休が発生しているようなものだろう。
しかもこの運休は、電光掲示板にも改札前のホワイトボードにも出ておらず、駅員に尋ねても15分待って「そこは運休です」しか情報が出ないレベルの、ステルス運休だ。ユーザー側で全部把握するのは無理ゲーだろうし、その無理ゲーをやる時間をもっと別のことに使いたいだろう。
JRの予算も無限ではないから、全駅にバリアフリー設備を導入するのは難しいかもしれない。
JRの都合で、一部のユーザーに対する運休区間を発生させているのだ。
バリアフリー対応をしたら運賃が上がる、という意見も見た。気持ちはわかる。JRはけっこう高い。
ということは、私が、あなたが、運休区間を発生させているのだ。
っていう意見を見た。
実際、熱海周辺はあの手この手でバリアフリーに取り組んでいるらしい。素晴らしいことだと思う。
なら駅員A〜Dは、なぜその提案をしなかったんだろうか。
もっと言うなら、もし、バスでバリアフリー対応をカバーしているつもりなら、なぜJRは「バリアフリー振替輸送システム」みたいなものを用意してないんだろうか。
「来宮駅は無人駅で、エレベーターなどの車椅子に対応できる設備もございません。申し訳ありません。代替手段として、熱海駅●●口からバリアフリーのバスが来宮駅前まで出ておりますので、そちらをご利用いただけませんか?来宮駅までの切符をお求めいただければ、そのままバリアフリーバスにご乗車いただけます。お連れ様もご一緒に。いかがでしょうか?」
健常者が大幅遅延や区間運休にぶち当たった時は、このくらいの対応をされている。と思うラインで、今回の伊是名さんへの対応を考えてみた。本来の到着時間には間に合わないが、今ある設備で対応でき、JR側の人員的にも無理が少なく、乗客に調査や予約の手間・過度な経済的負担を課さず、本来の目的地まで運ぶ提案。
これで丸く収まるかどうかはわからない。バスが本当にバリアフリーなのか、駅からバス停まで車椅子にとってどれくらい大変な移動なのか、バスの本数はどれくらいで来宮まで何分かかるのかも知らない。ただ、「隣の人と同じ程度の対応」として考えたら、これくらいになると思う。
箱に乗って柵のむこう側の景色を見ている、三人の人の絵を思い出す。
背が高い人、中くらいの人、低い人。
三人に同じ高さの箱を配ると、背が低い人は柵のむこうが見えない。これは悪しき平等だ。
それぞれに柵のむこうが見える高さの箱を配れば、三人とも景色が見える。
ところで、誰が柵を立てたのか。
現実には、箱を用意するコストがかかる。リソースは無限ではない。
ただ、柵を立てた者が、箱を用意するのが筋ではないか。と思う。
柵を金網に変えてしまえば、箱無しでも三人とも景色が見える。ユニバーサルデザインと呼ばれるものは、これだろう。
電車に限らずあちこちで、柵を金網に変えていければ、車椅子ユーザーにもベビーカーにも、順調に生きれば歳を取って足腰や認知が弱る私やあなたにも、同じ景色が見える世界になる。
頑張るなら、そういう方向で頑張りたいなと思う。
どいつもこいつも路線バスの怖さを分かってない
バス停とか行き先が分からないとかGoogle Mapも使えない情弱としか思えない
ということ それだけだ
駅の改札でSuica失敗しても後ろのやつに「チッ」って言われるぐらいで済むが
バスだと支払い失敗したときに後ろの乗客全員に迷惑をかけるだけでなく
バスの遅延の原因そのものにもなり得るしまだ見ぬ次のバス停以降で待ってる乗客全員に迷惑をかけるからだ
シャトルバスとかリムジンバスならそういう事が起きないからストレスがない
けれど「路線」バスに限ってはこの圧力が凄くて「怖い」と思ってしまうのだ
じゃぁどうすればいいのか
結局チャージが足りない可能性があるしバスはだいたいがオートチャージできない
チャージにビクつきながらバスに乗るなんて怖い以外の何物でもない
後から請求なので(止められていない限り)いつでもいくらでも使える
まぁ実はそのせいでバス会社側に与信失敗というリスクを背負わせてるのだが
そんなリスクを跳ね飛ばすほど便利になって乗客が増えてる(と思う)
・駅の切符売り場で料金表をチェックして切符を買う→改札で切符を見せて乗り降りする
・乗ってから料金をチェックして→そのための小銭を用意して→降りるときに支払う
自分の止まるバス停はいくらになるのかは初めての路線なら1つ前のバス停を過ぎてからでないと分からない、車内が混んでるときにいつ小銭の両替をすればいいのかタイミング見計らうのも大変
降りる時に料金表チェックして、小銭を両替して、支払う、となると最低でも数分間はかかることになり運転手や他の乗客に白い目で見られる
割とバス好きで、バスNAVITIMEに課金してまで変な路線に乗ったりしている。
乗り方がイレギュラーな路線で印象深いのは、日立のあたりの路線バスで、整理券の代わりにNFCが入ったトークンみたいなのが出てくるやつ。
これには乗車したエリアの番号が印刷されているわけでもなく、表示器があるわけでもないので、乗客は自分が乗車したエリアの番号を覚えておかないと支払う料金がわからないという謎システム。
乗り方が分からない
利用する前にバス会社名でググれ。
→大抵のバス会社でホームページ上で乗車するバス停と行き先を入力すれば時刻と運賃が検索できる様になっている。
利用する前にバス会社名でググれ。
繁華街や駅前などの利用者が多いバス停は大抵の路線が通る様になっている。
よほど辺鄙なところに向かうのでなければ、行き先が表示されないという事はない。
よほど辺鄙なところの場合は半日にバス一本というところが多いので、バスではなくレンタカーかタクシーを利用すべきだ。
→運転手は停留所に止まってる時も前後左右の状況に気を配る必要がある。
乗客に顔を向けて応対する余裕はない。
ワンマン運行の限界なのでバス会社にワンマン運行を止めろと言え。
その結果、車掌が復活し人件費で運賃が爆上げになるかもしれんがそれは許容しろ。
運転手が厳しい口調で注意するのはそういう理由があるし、そういう指導をする権限が運転手にはある。
→繁華街など交通量が多い路線は騒音のせいで聞き取りづらく声が大きくなりやすい。
繁華街は普段以上に運転に気を使うので運転手も気が立ってる事が多い。
あと単純に耳が悪い人もいる。
丁寧な応対を望むのならタクシーを利用すべきだ。
→地方の路線バスでも全国相互利用交通系ICカード(SuicaやSUGOCAなど)が使える様になってきている。
独自のICカード導入が早かったせいでSuica対応が遅れた俺の地元のバス会社もようやく対応した。
各バス会社のホームページで使えるICカードの種類が紹介されている。
観光でバスを利用するなら駅や空港にある観光案内所やバスターミナルの案内所を利用しろ。
それらについても各バス会社のホームページ上で紹介されている。
まずバス会社名でググれ。
手間を惜しむなら金を惜しむな。
金を惜しむなら手間を惜しむな。
このツイートで気付いたが、鉄道トラブルに対する対応で、政治的思想も分かるようになったんだな。
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1379404695295324167
左派の人達は、駅員に「どうなってんじゃー!ふざけるなー!!」と詰め寄り、駅員を離さない。駅員が場内アナウンスしようとすると遮る
そいえば京急沿線は左派が弱い地域だったな。ガースーのお膝元でもあるし。乗客もプロと呼ばれるには左派から脱しないといけないのか。
これぐらい離れてるなら大丈夫だろうってやつもお前の想定よりもう二段階ほど離して駐車して。
バス停にベタ付けできれば車椅子の人が乗降するのに板一つでさくっと済むのに
駐車のせいでナナメ進入にならざるをえなくて
私は駅員をしたこともあるし、車椅子ユーザーの方とお付き合いして、約一年間毎週末お出かけしたり、国内外旅行したことがある。
なので、どのように車椅子ユーザーが乗車しているのか、一人のケースについて書きたいと思う。
いつも駅の改札口に行って
「どこまで行かれますか?」
と聞かれるので、行き先を告げたらやってくれる感じ。
改札口までは自力で行っていた。連絡すれば駅員さんが助けに来てくれるけど、それまで待つのも時間がかかる。
私は体力が相当ないほうなんだけど、それでも一人で電動車椅子を介助してきた。降りてもらう、かつバッテリーを外せばなんとか持てる。順番に移動するのだ。ただこれは、この人が片足で立てるから待っててもらうことができた。そうじゃない場合は一人では難しいと思う。
ここから駅員視点だけど、行き先がわかったら自分以外の人がいる駅なら事務所に連絡して介助をお願いする。自分以外はいない駅なら行き先の駅に連絡して一緒にホームに行く。
ホームに着いたら介助する人がいるという信号を運転手に出して待つ。
電車が到着したら乗せてあげて、「〇〇駅までお願いします」と運転手に連絡する。乗車駅ではこんな感じ。
私のいた鉄道では全駅に介助できる駅員がいたからあとは任せるけど、他の鉄道では無人駅もある。
そういう時は人のいる駅から駅員も電車に乗って介助する。だから無人駅から乗る場合は事前連絡したほうが楽なのは間違いない。そうじゃなければ、現地でインターホンとかで呼び出しをしないといけないから時間がかかる。
色々思い出してきたけど、車椅子ユーザーにもいろんな人がいる。
介助はいりませんって人もいる。でもごくたまに、なかなか乗れなかったりすることもあるから、影でそっと見守ったり、カメラで確認したりしてる。
エレベーターはあるけど、どうしても別の改札口から移動したいんじゃという方は、敷地内までは介助してご案内する。
当たり前だけどいろんな人がいるんだなって思いながら仕事してた。
なお、お付き合いしてる人とは海外旅行にも行ったけど、少なくともニューヨークでは駅が介助してくれることなんてなかった!駅員に聞いてもエレベーターがない時もあって、ひたすら階段を電動車椅子を持ってヒーヒー上がってたりした。当然ホームから電車に乗る時も介助はない。
でも他の乗客が助けてくれるんだよね。何も言わずにスッと持ってくれる。彼らにとっては当たり前のことみたいに。
京都や沖縄にも旅行に行ったけど、助けてくれるのはだいたい外国の方。
ノーマライゼーションって、別にお金出して設備整えるだけじゃないよね。そりゃ当然あったほうがいいに決まってるけど、今すぐにできることじゃないし、人口減少社会において、無人駅も完全に支援するってのは実現が難しい。事業者だけでなく、社会全体で助け合いができるといいなと思う。
ある日、女はふと思った。
どうしていつも私ばかり道を譲っているのだろう。
ほとんど同時に回答は出た。なめられているのだ。
女は平均よりも小柄である。手足も比例して短く、肥るとすぐにずんぐりした印象になるので、体重が増えないように気を使っている。
毎日男達がやり取りする過程で生まれる大量の書類を、送付状をかけて三つ折りにしたり、封筒に入れて宛名シールを貼ったりして得た、お小遣い程度の給与で買えるペラペラの服に身を包み、年老いただけで責任の伴う出来事を経てこなかった人間特有の、実年齢の割にのっぺりと奇妙に幼い顔にドラッグストアで買った化粧品をおざなりに塗っている。
電車の座席などに女が座っていて、二つぶんのシートを開けてまた別の乗客が座っている場合など、次の停車駅で乗り込んできた新たな客は決まって女の隣に座る。
女の隣の座席のほうが余裕があるからだ。男の客などは左右の座席にはみ出すほど股を広げていたりするが、女は一人分の指定シートの範囲にすっぽりと収まっている。
車内がやや混み合っているときなど、女の、男の客より体格が劣るぶんだけのゆとりのあるスペースを見つけた乗客は、半ばほっとしたような顔つきで尻を滑り込ませる。
同じ調子で、人々は、道をすれ違うときもごく自然に体躯のいい男を避けて女のほうに寄ってくるのだ。女はさらに彼らを避けるために、体の小ささのぶん狭い歩幅で右に左に細かく蛇行しながら道を歩く羽目になる。物心ついた頃からその繰り返しである。
道いっぱいに広がって、他の人に迷惑をかけないようにしましょう。
幼稚園だったか小学校の頃だかの「交通マナー教室」でそんなことを聞いたような気もするし、少女時代にはそれを守っている「マナーのいい」自分をどこか得意に思っている節もあったけれど、いつの間にやらそんな物分かりよく振る舞っているのは自分だけのようだった。
それどころか得意満面で横一列に肩を並べて笑いあいながら歩くのが当然である。
これは男子中学生、高校生でも、スーツ姿のビジネスマンでも、中高年になっても同じなのが女には不思議でならなかった。
「あれは群れの序列を示していて、一歩後ろに下がると集団での地位が低いと見られるので、横一列にならなくてはいけないのだ」という言説をインターネットで見かけたが、本当なのだろうか。
女は男の集団に入ったことがなかった。彼らとぶつからないようにふらふらと漂いながら机を拭いたり、ゴミを捨てたり、他の女たちと話し合ってバレンタインデーのチョコレートを買ったりしていただけだった。
自分の家族や恋人とも頑なに並んで歩こうとする男も珍しくない。
他人に道を譲る思いやりのないところを大切な人に見せつけたいというのはどういう心境だろう、それならベタベタと腕を組んで引っ付き合って道の端に寄っているほうがまだマシではないかと考えてから、実際女は交際していた男と連れ立って歩いていて、他人とすれ違うときは自分が男の後ろに下がっていたことを思い出した。
女は昨年、仕事帰りに転倒して脚を痛めた。
体のほんの一部を怪我しただけで、これまで何でもなく行ってきた日常の動作が困難になるストレスは大きく、女は半ばヤケクソのような気持ちで松葉杖をつき、歯を食いしばりながら片足を引きずって歩いた。
すると、どういうわけか、これまで当たり前に女が道を譲ることを期待して反対側から歩いてきた人々は、女の杖や引きずった脚に目を留めるとバツの悪そうな顔で避けるようになったのだ。
彼らは、怪我人を思いやる程度には善良なごく普通の人々であった。
平時でも体格のいい人間とぶつかったら、私のほうが転んだり怪我をする可能性が高いことには変わりないのに、松葉杖のようなわかりやすい目印がないときは、彼らはそんなことは気にも留めないのだ。
道端に転がっている小石や落ち葉をいちいち気にしないのと同じだ。軽んじられているのだ。なめられているのだ。
思えば、どんな場面でもそうだった。医者も、タクシーやバスの運転手も、市役所の窓口の職員も、女を見るといつもよりぞんざいで、「そんなことも知らないのか」と言わんばかりの態度で、時にはため口を利く。女は当たり前のようにそれに敬語で従ってきた。
あるときは、さほど狭くもない道で、わざととしか思えない角度で急接近してぶつかってこられたこともあった。自転車ですれ違った男が、気づくと引き返してきていて、追い抜きざまに女の胸を掴んで走り去ったこともあった。
軽んじられているのだ。どんなふうに扱ってもいい存在だと思われているのだ。
女の中で怒りがとぐろを巻いて大きくなった。
松葉杖や車いすなら道を譲るくせに。もっとわかりやすくおばあさんなら道を譲るくせに。私が男だったら道を譲るくせに。
私が女じゃなかったらそんな口を利かないくせに。ぶつかったり体を触ったりしないくせに。
どうして私には何をしてもいいと思ってるんだ。おかしいじゃないか。おかしいじゃないか。おかしいじゃないか。
そういえば、女がまだ小学生か中学生だったころ、叔母と一緒に歩いていたら対向から若者の集団が歩いてきたが、叔母はまったく道を譲ろうとしなかった。
叔母とぶつかりそうになって寸でのところで若者は避け、忌々しそうに「クソババア!」と罵ったが、叔母は涼しい顔で歩き続けた。
思い返せば、これまでにすれ違った数多の人々の中にも、決然とした目つきでまっすぐに道を歩いてくる女たちがいた。
彼女たちは「絶対に道を譲るものか」といわんばかりの、睨みつけるような顔をしていた。
叔母も、あの女たちも、ある日こんなふうに気づいたのだろうか。
「なぜかいつも私ばかり道を譲っている」と、腹を立てて、「もう道を譲るのはやめよう」と思ったのだろうか。
女は心に決めた。
私も譲られるのが当たり前みたいな顔をしている人に譲るのは、もうやめよう。
ぶつかって転んでけがをするかもしれないけど、そのときは怒ればいい。「女だからなめてんだろ」「わざとぶつかっただろ」と。
来宮駅は乗客数一日1,100人程度とのことなので、今回のことがあっても扱いは変わらんよ。
確実に変わるとしたら現在の乗客数2,000人基準がある程度達成されて、次の基準として1,000人以下に法改正されるとき。
大きく勘違いしてるのは、バリアフリー化を進めるべき、っていうのは社会的コンセンサスとして既に存在してる。だからこそ主要駅(それこそ熱海駅)には設備が導入される。今、来宮駅にそれは求められないでしょ、というのが反対者側の意見だと思うよ。