はてなキーワード: ネットスーパーとは
頑張って出したうんこの話です。
====
内も外もじんわり痛く、あまりにも血がボッタボタ出るため、
なんか怖くてここ数日積極的な排便をできずにいたのだが、
流石に出さないと色々ヤベェなと思い、便意が来た際、思い切って踏ん張りにトイレに入った。
全然出てこない。
そこまで来てる感じはあるのに、全く出てこない。
拳?という固さと圧。
流石にケツのキャパオーバーを感じるも、ここまで来ていて出さないわけにはいかないので
力を込めて踏ん張ってみるも、うんともすんとも言わない。うんこだけに。
これは今はちょっと無理だわと思い、一旦ケツの力を抜くことにした。
(ケツから力を抜くと、空気が読めるうんこはスッと肛門前からどいてくれるものだ)
全然動かない。
殺すぞと思った。
普段は温厚なケツも流石に「早く出るか戻るかしろよ」といった感じで不穏な違和感を放ち続ける。
特に痛くはないけどやたらと苦しくて、
以前うんこに踏ん張り過ぎて貧血を起こしてぶっ倒れたことがあるため、
それに、時刻は12時。
このままだと応対ができないため、ケツにはんぱない違和感を抱えつつも
なんとか応急処置(トイレットペーパーでケツをグッとおさえてその上からパンツをはく)をしてトイレを出る。
(そもそもお世話になっている身なので文句もないのだけど)
絶えず「おっ今なら出そうですよ?」みたいな雰囲気の便意が襲ってくるも、
どうせ出ないし、トイレに入ってるうちに来られたら応対できないので
ケツほっぺを優しく揉んだり腰をほんのり回したりなどして必死にケツを鼓舞する。
気分はお産である。私はケツの夫だ。
トイレを出て15分程が過ぎた頃、ようやくおじちゃんが来てくれた。
御礼を申し上げつつ、失礼ながらドアを即閉めしてトイレに駆け込む。
ケツはもう完全に排便したがってる。
私もひり出して早く楽になりたい。
マジで殺すぞと思った。
仕事(在宅)もやらねばならないので本気で焦る。
仕方なく、最終手段に乗り出すことにした。
長い便秘歴を持つ私だので、摘便をするのは初めてではない。
数年前、カロリ○ットに頼りまくっていた時期、
多分油が足りなくてうんこがかつてない程カッチカチに詰まり排便困難になった際に一度だけやっていた。
当時は出口付近を軽くほじったら後はすんなり出た印象だったので、
摘便さんへの信頼感は抜群だった。
今回もよろしくお願いいたしますと念を込め、
ビニル袋を被せた手をうんこにあてる。
なんか思っていた以上に固い。
今回のはこねる前の油粘土といった感じだ。
格段に強くなっている。
とりあえず塊の真ん中らへんをほじってみるも、
周囲のうんこはギチギチに詰まっていてびくともしない。
こんなのってない。
数分粘ってみるも、流石の摘便パワーでも無計画では勝てないと悟り、
ケツをうまい事揉み、外側からうんこの形状を整えてからほじることにした。
今更心配しても一緒な気もするが、痔の事もあるため慎重に揉む。
この作戦はなかなかうまくいった。
小石状のうんこが一つまた一つと落ちていく。
しばらく掘った奥の方に少しやわらかい部分を見つけ、そこを中心に掘り出す。
これが良い判断だったらしく、ケツがにわかに目の光を取り戻す。
出せる!!!!!
なんか腕みたいなの出てきた。
アメリカのハンバーガーショップもびっくりのラージサイズうんこがそこにいた。
体重も1kg以上減った。
これは流したら流したで便器詰まって第二戦突入か?と身構えるも、
完全な勝利である。
ボタボタにかいた脂汗を拭いつつ、
冷えた麦茶をすすりつつ、
もう痔とか排便痛とか出血とか全部無視して、今後はうんこは極力毎日出すと誓った。
---
誰かに話したくて仕事ほっぽいてアカウント作ってまで書きに来てみたものの、
いざ書いてみたらしょうもなさすぎて震えている。
死んでも抱っこ紐に入らない子は素抱っこもさせないと思うが
ベビーカーにはずいぶん長い間お世話になった。
上の子が0歳の時は「抱っこのほうが小回り効くし他人に迷惑もかけないしー」と抱っこばっかりだったけど、下の子を妊娠し、切迫流産気味だと診断されて抱っこ禁止になってからはほぼベビーカー。
下の子が生まれてからは、下の子を抱っこして上の子はベビーカー。(当時2歳なので歩けなくはないのだけど、頻繁に「つかれたーだっこしてー」と座り込むため、既に下の子を抱っこしている状態でベビーカーないと詰む)
もう少し大きくなってからは、上の子には歩いてもらって下の子はベビーカー。まだ上の子も「つかれたーだっこしてー」モードに入ることはあるものの、そう頻繁ではないため、抱っこしながらなんとかベビーカーを押して歩くことができた。
で、ついに下の子がベビーカー卒業。本人の中で「もう死んでもベビーカーには決して乗らない」と決めてしまったらしい。
しかし、ちゃんと歩くかと言うと、歩くわけがない。ほとんどまともに歩かない。大抵は結局抱っこしている。
そして4歳の上の子も、まあまあきちんと歩いてはくれるものの、まだまだ油断は出来ないお年頃である。
抱っこ&手繋ぎ。そして更なる問題は、荷物である。ベビーカーの時はベビーカーにかけていた荷物を、今は手で持っていなければいけないのだ。
財布や携帯、おむつや着替え、そして、出かける時というのは大抵買い物しに行くときなので、買った野菜や肉など。
重い。つーか、物理的に手が足りない。抱っこするのに最低1本、荷物持つのに1本、上の子と手をつなぐために1本。3本必要になる。
結局上の子は1人で歩いてもらうことになる。それでも重いので、せっかくスーパー行ったのに大したものが買えない。
ベビーカーの時、あの「荷物をかけられる」という機能にどれだけ助けられていたか実感している。あの頃は米だって買えた。
片手でベビーカーを押し、もう片手を上の子と繋ぐことが出来た。手が足りなくなることがなかった。
ベビーカー卒業してから、食品はほとんど割高なネットスーパーだし、子供とお出かけすることが減ってしまった。
ベビーカー、あれは本当にいいものだ。育児するのに足りない3本目の腕なのだ。おかげで今までの数年間、外出する自由を得ることが出来た。
嫁は決断が苦手だ。
ネットスーパーの注文も鬼のように時間がかかっているだろうし、
晩飯を考えるのも苦痛だと思う。
そんなもん全然要らなかったなあ。
オムツ換え台なんてベビーベッドで代用できるし(ベビーベッド自体要らない、床に転がす方が楽だという人も多いけど)
ベビーカーってそもそも一人目ならよっぽど田舎でない限り出かける必要自体ないし(買い物は通販とネットスーパーだけで済む)
田舎なら車移動だからやっぱり要らないし、検診とかは中までベビーカー持ち込めない事が多いし。
揺らせるベビーチェアって高い割に本当に効果あるのか疑問だし(効かない子も多いから買うとしても最初はレンタルにしろ、ってのが鉄板アドバイスだよね)
哺乳瓶の消毒なんてレンチンで済むのに。
良く賢しらに「なぜ貧困層は自炊をしないのか?」と煽る馬鹿がいる。
そういう馬鹿に限って、自宅でボーッと待ってればメシが出てくるような生活をしている。
終電も近くまで働いたり、土日も出勤するストレスの高い生活を送ったことも無いようなヤツほどそうやって相手を馬鹿にする。
だから、残念な想像力の人間には理解できない「高ストレス下では意思決定力が鈍る」であるとか「気力」の話はしない。
テレビが映し出す画角の外側を想像できない人間でも判るように、コスパだけで話をする。
ヤカンは持っていて、上水道は引かれており、ガスは使えるとする。
ここでカップラーメンは、伝統的であり満足できる分量であるカップヌードルシーフードBIGを基準にする。
トータル8分+誤差だが、これは待機時間を含む。実働時間は30秒程度となる。
つまり、お湯をわかす準備(10秒程度)+お湯を入れる(10秒程度)+片付ける(10秒程度)
サッポロ一番塩ラーメンに代表されるように基本的に具材を足すのが一般的であり「素」で食うものではない。
野菜を揃え、卵を載せ、各家庭の「具材」の独自性があってこその袋麺なのだ。(それを否定するものではない)
で、良くカップ麺がコスパが良いって話をすると、袋麺と比較する馬鹿が沸くので、ここで比較しておく。
鍋とフライパンと丼、菜箸は持っているという前提を置く。
トータル10分+誤差だが、実働時間は、炒めに3分、準備10秒、丼セット10秒、片付けに5分となる。
ここでは譲歩して、一食分単位に落とし込もう。
つまり、一週間に一度買い物に行き、毎日同じ食生活を送るという前提で使いきれる分量を買ったと想定する。
鍋とフライパンと菜箸、キッチンバサミか包丁とまな板、炊飯器、塩コショウ、茶碗、汁椀、皿、は持っているという前提を置く。
炊飯までの準備が3分程度、炒めに3分、準備1分、盛り付け30秒、片付けに5分となる。
圧倒的にカップ麺が安い。
自炊よりも41%も安い。
しかも大抵の場合、自炊はコンビニでなくスーパーに行くので、プラスで時間がかかる。
つまり煽っている馬鹿は、非常に限定された想像力の上に、具体的な算数すらしていないことが良く判る。(皮肉)
豚骨ラーメンを喰う客に「家で30人前作れば一食300円になるのに、850円も払ってバカなの?」とは聞かないだろう。
寸胴で豚骨煮込む手間は、多少薄らボンヤリとした馬鹿でも想像がつくからだ。
吉野家や松屋に牛丼を喰いに行くオッサンは、牛丼だけに金を払ってるんじゃない。
目の前に牛丼が置かれ、食った後の片付けをする必要がなく、手早く出てくるから金を払うのだ。
食器は必要なく洗う必要もなく、準備も手順もおどろくほど少ない。
「自炊が安いのに」というのは、購入原価以外の手間を金額換算していない。想像力が足りない。
「食生活のバランスが」というのは、ほとんど難癖に近い。低価格でバランスのとれた食事の代替案も無い。
「多少の手間を掛ければ」というのは、もはやコスパの話をしていない。金でなく手間をかけろと言っているからだ。
コスパで計算すれば、どんなコンビニでも手に入るカップ麺に勝るものは無い。
こっちの方が原価が!とかここまで書いても判らない馬鹿は、公園でタンポポでも食ってろ。
俺は疲れてるから塩気のあるシーフードが食いてえんだよ。生臭い草なんぞ食えるか。ヤギかオマエは。
総じて「その程度の手間を」という人間ほど、その手間をかけた経験が無い。
家でボンヤリとしていれば、母親が料理を運んできてくれて、気がつけば洗い物も終わっている生活をしているのだろう。(偏見)
自分が見る食卓以外に、ATMで金をおろし、スーパーで食材を買い込み、調味料を揃え、冷凍食品をやり繰りするという舞台裏が見えていない。
どんなに慣れていて意識せずに運転できたとしても、寝不足の人間は運転してはいけないように、
ほとんど意識せずにできる一人暮らしの自炊生活ですら、気力が削られた状態では、行動できない。
そもそも、カップ麺を食うから貧困なのでは無い。貧困層が自炊したら中流層になれるならみんなしてるわ。
結果じゃなくて経過なんだよ。原因じゃなくて症状なんだよ。阿呆が。
http://anond.hatelabo.jp/20150706232448
「1,000万円はそんなにゼータクじゃないぞ、そんな調子がカネ貯まらないぞ」というレスが多すぎ。
「年収1,000万円日記」の「その1」「その2」読んでない人が多いんだな。
その1
http://anond.hatelabo.jp/20150616210549
その1の2
http://anond.hatelabo.jp/20150616220209
その2
http://anond.hatelabo.jp/20150621151456
「お昼は西友ネットスーパーの、皆さまのお墨付きのカップ焼きそば」