はてなキーワード: ナオキとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 94 | 11301 | 120.2 | 39 |
01 | 78 | 6746 | 86.5 | 32.5 |
02 | 18 | 1821 | 101.2 | 46 |
03 | 15 | 1363 | 90.9 | 65 |
04 | 19 | 982 | 51.7 | 40 |
05 | 16 | 1126 | 70.4 | 59 |
06 | 34 | 3528 | 103.8 | 54 |
07 | 46 | 2946 | 64.0 | 33 |
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10 | 106 | 11102 | 104.7 | 47.5 |
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22 | 165 | 14814 | 89.8 | 41 |
23 | 162 | 14621 | 90.3 | 48 |
1日 | 2514 | 233475 | 92.9 | 42 |
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逆もまたしかり。
「デザイン」とひとくくりにされがちだけど、
畑が全く違うのである。
佐藤ナオキ氏のサイトで作品を見てもらうと分かるように、プロダクト作品が10ページに渡っているのに対して、グラフィックは2ページだ。
その道のプロではないのだ。
パッケージデザインの作品もあるけれど、今回の件と同じく分かりにくいものが目につく。
佐藤ナオキ氏(というかnendo自体)はプロダクトデザインの人、という印象だったので、今回の件はちょっとびっくりした。
例が1つしか示せないのが申し訳ないけど(しかも何年も前のことを未だに言ってて二重にごめん)、セブンイレブンのクソ分かりにくいコーヒーのやつのデザインは、佐藤可士和氏。グラフィックデザイナーです。
あとなんかのブコメで「最終決定はクライアントなので氏を責めるべきではない」というのがあった。
これは一概にそうとは言えなくて、クライアントは言うてもデザインの素人なので、ようわからんが有名な人が良いというんだから良いんだろう、という判断をしてしまうことはある。
クライアントが船頭になって道を誤ってしまうことはよくあるが、今回のは違うと思う。
なんせ素晴らしいプロダクトをたくさん作ってる人なので、本来の土俵じゃないとこでこんな結果になってしまったのはなんとなく悲しい。
https://note.com/violencetomoko/n/n843596d1358c
https://note.com/violencetomoko/n/nafc93aa9aa0b
読んだ。以下ポエム。
頭をかすめたのは『最高の人生の見つけ方』と『ろりともだち』。そのふたつを同列に並べるなよ、という意見はあるだろうが、人生にどん詰まったふたりの男が旅の果てで互いに救い救われるという点で共通する。前者は家族との和解によって、後者はホモソーシャル的な友情によって。これらの作品を補助線に本作を見るならオチから考えて『ろりともだち』の対極に置くと座りがいい。
ナオキはロスジェネ世代として社会から脱落している。そして他方、ホモソーシャルからも脱落している。いじめられていた過去や痴女アバターから逃げ回る姿は、彼がホモソーシャルに迎合できない人間だということを表している。
何にも救われてこなかったロスジェネ中年おじさんがホモソーシャルにも救われないとしたら何が彼を救い得るのか。それはやはり少女によって、ということになるんだろう。
「ナオキにとって、女性は「ファンタジー」です。自身が男である以上どうしたって惹かれてしまう」。うん、だよな。でも実際に女性が、少女がおじさんを救ってくれることはない。おじさんの苦しみはおじさんが処理しろという社会の要請もあるだろうし、そもそも少女がおじさんを救ってくれるなんてまったくもって信じられない。1ピコも現実感がない。おじさんを救い得るのはおじさんしかいない。それでも少女に救われたい。だからおじさんが互いに少女のアバターをかぶった百合になる。
ホナミは強者で「結局強者が弱者を救う話」だと作者は言う。本人がそう言う以上、そう意図したんだろうけど、ちょっと首をかしげる。単純にホナミがそう見える描写に欠けていたのもあるんだけど、死に臨むにあたって寄り添ってくれる存在の不在はとても強者のそれに見えない。彼もまた弱者だったのではないか。ホナミもまた、人生の終わりに「尊敬し尊重に値する存在」をよすがにしたかったのではないか。やはり救い救われるお話だったのではないか。
とはいえ、割合でいうといくらかホナミが「救う側」だったのは疑いようがない。ナオキが女性経験皆無でそれをプレゼントしようという意識があったのは、つまり「女性」を演じようとして実際そうしたことは、直に逢ったときの恥ずかしがりようからもわかる(逆に、ナオキは常に素を出していたので恥ずかしがったりしない。丁寧な感情描写だ)。
「この作品はなんなんだろう」とも作者は言った。読み手の世代や人生によって受け取り方は様々だろうけど、少なくとも私には「ナオキにとってのクラスの女子」を目指した作品のように思われる。
世界の全てに希望が持てないとしても。どうかこの作品が一時のよすがとなって、あなたの中の絶望に、あなたが殺されませんように。
「あの結末は仮想の敗北であり現実の追認だと感じる」とか「VRおじさんも結局現実に会いにいっちゃったじゃん」といったブコメを見たけどそれはさすがに無体な読みだろう。まあ確かに、アバターは宇宙の果てで心中して、中身は現実で生きてるように見えなくもない。『ろりともだち』しつつ『レディ・プレイヤー1』してるように見えなくもない。でもナオキは、ホナミと過ごした日々を人生の糧にしなかったし、できなかった。ロスジェネ世代のどん詰まり方は、それに対する絶望は、そんなことぐらいでどうにか出来るほど生易しいもんじゃない。VRおじさんが恋をしようが99%閉じてしまった人生はひっくり返らない。「レディ・プレイヤーワンはロスジェネを救えない」。みんなもう諦めてしまっている。できるのは一瞬でも夢を見て、現実から目をそらして、痛みを忘れることくらい。その繰り返し。だってキラキラした未来なんて人生のどこをひっくり返しても出てきやしないんだもん。しょうがないさ、それで。
この作品も読み捨てられ、忘れられ、ネットの海に沈む。きっとそんなもんだろう、現実ってのはさ。まあ、それでも生きてる。急速に閉じていく現実に希望を失いながら、何とか目をそらしながら、今日も壁の前で右往左往する。いつかこの心臓が止まるまで。
ナオキくんを好きになった
分かる。
でも彼ら自身「今は人生のロールモデルのない時代」とか言ってるのにも関わらず、ブログでは「我々のようになれる」と信者をだましているんじゃないかと思うんだよな。特にプロ奢、イケハヤ、プロ無職。
ホリエモンのサロンでは事業を始めたりしてるし、落合陽一も大学で人を育てたりしてるからこの二人はそこらの自己啓発ブロガーとは違うと思うけど、プロ奢などの自己啓発でのし上がった奴らについていくのは危険だと思う。
あと彼らは異端だということに気づくべきだと思う。ホリエモンとか私は普通ですアピールを自分の本とかで書いてるけど、やっぱすごい人だよ。普通じゃない。
それから、ホリエモンみたいになりたいって言ってる奴はただ金持ちになりたいだけの奴が多いらしい。
参考)ホリエモンを崇める人は新興宗教に洗脳された信者と似ているhttp://news.livedoor.com/article/detail/14442548/
「新しい生き方」界隈は一体何なんだろうな。
会社や既存の価値に縛られない!といいながら「新しい生き方」に縛られているのは変じゃないか?
肩書に縛られないといいながら「ブロガー」という肩書に縛られていないか?
参考)えらいてんちょうの雑記 出産クラファンしたブロガーのナオキイシイについての記事 http://eraitencho.blogspot.com/2017/11/blog-post.html
ナオキイシイの出産クラファンが話題になった時、俺は何にも思わなかった。
『自分の顔をネットに出して、一生懸命やりますみたいな文章をいっぱい書いて、ここまで身を削ってやるなんて凄いな!面白い人がいるな~』みたいな感じに思ってた。
だから批判意見が噴出しまくった時も『詐欺や犯罪じゃないんだから支援する人の勝手じゃん。批判している人達はお金を取られた訳でもないのになぜ必死なのだろう』なんて思ってた。
ただし俺はあくまでもクラファンを眺めていた一個人で、ナオキイシイに金を出した訳でもない。話に入る権利のないただの傍観者。
『海外旅行中なんだけど、行きの飛行機乗り遅れてチケットキャンセルしたら帰りのチケット代を余計に払わないといけなくなった!お金ピンチだからpolcaで助けて!』
騒動の中身は出産クラファンと同じような感じなんだけど、俺の場合ここではナオキイシイの時のような『誰も騙してないし悪いことをした訳でもないんだからえーやん!』みたいな気持ちにはならなかった。
なんとなくモヤモヤ感があってムカついた。
今回も俺はただの傍観者で、リプライした訳でもないし、ツイッター眺めてたいただけだから何もしていない。
では俺の中でナオキイシイとやぎぺーで、何が違ったのか、ということを考えてみたところ、それは『嫉妬』なのかなと思った。
ナオキイシイは金のないダメ大学生で、ツイッターやブログの様子を見る限りでは俺が見下せそうな存在だと認識→嫉妬しない存在→だから何にも気にならない→寛容になる。
一方やぎぺーは高学歴で信者もたくさん抱えてて会社を起こして自立しているなどの点から俺が嫉妬する対象と認識→そいつらがさらに儲けたり幸せになったらムカつく→寛容にならない。
ナオキイシイの出産クラファン騒動を眺めていた時の俺はリベラルで公平性を持ち、倫理的にも論理的にも物が見られるプチ賢者を気取っていたが、やぎぺーに嫉妬している自身を俯瞰してみるとこんな小さな嫉妬で、思想は簡単に変わってしまうんだなーって思った。
俺みたいなペラペラな賢者気取りは結構多いのではないだろうか。
皆色々言うが結局は多くの場合自分と相手の上下関係に縛られてるだけなのかな、って思った。
スマホによってネットがより一層普及し、とうとう小学生から80代の年寄りまでスマホからwebにアクセスするようになった。
それによって、より多くの弱者が強者の実態を知ることができるようになった。そこから起こる嫉妬や不満が原因となって日本でも弱者と強者が対立関係になったりしてね。
昨年10月
公開した出産クラウドファンディングは賛否両論の企画だった。
企画をざっくり要約すると
・大学生4年 ナオキ イシイ氏とフリーター 夕菜氏との間に子供ができる。
・共に実家は困窮しており支援ができないので、出産費用が足りない。
・お金がなくても出産をできる社会へを名目の元、出産費用をCFで募ろう。
・目標金額は50万 出産予定は4月/4月以降はIT企業勤務予定(内定)
な感じだ。
50万の内訳が出産や出産環境向上の予算として明確になるのであれば、5万程度なら支援しても良いかな。
と思ったことをここに書いておく。
そう思ったことでさえ、いまは恥ずかしいが。
目標金額を30万に落とした出産クラウドファンディングは、
CAMPFIRE社のガイドラインに背くと判断され、審査が通らなかった。
代替え案として、CAMPFIRE社のpolcaというサービスでプロジェクトが実施された。
結果的に、polcaというサービスで、61人の方から46,900円の支援を受けた。
返金を希望している方もいるが、そんな声はなかったかのように報告されている。
先日、ナオキイシイ氏から6単位足りず、留年が確定したことが報告された。
成績発表前に留年は分かっていたとの声もあった。
・本当に実家は困窮しているのか?
・留年が確定していた為、当初50万は学費に使用するつもりだったのでないか?
下書きを公開し、賛否両論ある中で
・恥を忍んで、下書き公開した時点での残り単位数
・利用予定の制度一覧
彼が事細かに、一切の嘘をつかず、誠実に開示する。
それだけで、彼は現在の倍近くの金額を手にしていたのは間違いないだろう。
出産クラウドファンディングが失敗したのではない。
クラウドファンディングで出産の費用を集めようとするのが、悪なのではない。
足元には数え切れないくらいのペットボトルが転がっている。僕は静かに膝を曲げて手探りに一本を手に取る。目の前には積み重なってキラキラ光る透明の塔。静かに立ち上がり塔の天辺に揺れないように慎重に積み上げる。そしてゆっくりと手を離し塔が壊れないのを見届けると、またさっきの作業を繰り返す。屈み、手に取り、積み重ね、透明な塔を高く高く築き上げる。それが僕の、僕たちの生きる目標であり意味なんだから。
目を開けると真っ白だった。しばらく経って目が慣れるとそれは太陽の眩しさだと気付いた。カーテンはつけてないので朝になると日の光で目が覚める。今日はいい天気のようだ。ペットボトルを積み重ねる夢から覚めた僕は、顔を洗い、朝食を食べ、着替え終わると、ペットボトルを詰めた袋と脚立と昼食を片手に公園へと出掛けた。今日も一日が始まる。
公園にはもう土井さんが居てペットボトルを1m半ほど積み上げていた。土井さんは73歳という年齢のためか朝早くから見掛けることが多い。他にも近所にはお年寄りもいるのだけど、公園は少し小高い丘にあるので、足腰の強い土井さん以外を見掛けることは少ない。「おはようございます。何回目ですか?」いつものように挨拶をすると土井さんも挨拶を返してくれる。今の塔は6回目だそうだ。いつもより調子は悪いらしい。僕はお気に入りの芝生の真ん中にあるマンホールに行くと袋の中のペットボトルをばら撒いた。さて、今日はどれくらい積み上げられるかな。
3回目に作り上げた3m強の塔がそよ風で崩れた後、休憩がてら芝生に寝っ転がっていると、ケンスケ君がやってきた。いつものように挨拶を済ませると彼は僕の近くのマンホールに荷を降ろした。彼は筋が良いので楽々と高い塔を積み上げる。これは負けてられないと休憩を終わらせ僕もペットボトルを積み上げ始めた。
ケンスケ君が5m弱の塔を崩してしまった1分後、僕の4m強の塔も崩れてしまった。時間もちょうどお昼くらいだったので、ケンスケ君と一緒に休憩を取ることにした。僕は以前ケンスケ君と一緒にいるところをよく見掛けたナオキ君について尋ねると、彼はペットボトルを積み重ねることを辞めて音楽をやっているらしい。ナオキ君の母親に頼まれたケンスケ君が説得に行っても一向に聞き入れず部屋に籠もっているようだ。近所からも白い目で見られ母親も泣いているそうだ。随分アナログだねと僕が言うとケンスケ君も苦笑した。
僕が小さかった頃、政府によって人類の目的が発表されたとき、馬鹿げているとして聞き入れない人が数多くいたことを覚えている。無視して今までの仕事を続けたり、反抗して異議を唱える人達がいた。音楽をやるのは大抵後者の人だった。でも次第にそんな運動も収まっていった。今までの仕事を続けても誰からも評価されないどころか白い目で見られ、反抗して異議を唱えたところで、ペットボトルを積み重ねることが人類の目標であり意味であることはハッキリしたのだから、狂人としてしか見られなかったから。そういった理由から次第に下火になっていったわけだけど、今でもナオキ君のように、たまにはいるようだ。ただ、誰にも相手にされないので、彼らの大半は何年かしたらまた積み重ねるようになる。まあハシカみたいなものだよとケンスケ君に言おうかと思ったけど、ハシカという言葉の方がアナログのように思えたから言うのはやめておいた。
休憩が終わると僕はまた積み重ね始めた。午後になると、人気の少ない公園だけど春の陽気に誘われて、多くの人が訪れて多くの塔が築かれる。僕はさっきケンスケ君に聞いたナオキ君のことを考える。確かにペットボトルを積み重ねることに何の意味があるのかとは誰しも一度は考える。では逆に何に意味があるのかと考えてみたらどうだろう?確かにペットボトルを積み重ねることに意味はない。でもそれは他の全てと同じくらいに意味がないというだけのことだ。僕は公園に数え切れないくらい聳え立つキラキラと光る塔を見て思う。他の全てと同じくらいに意味はないけど、この綺麗な景色分だけは意味があるんじゃないだろうか。いつかまたナオキ君に会ったら見てもらいたいな。そんなことを考えながら僕はまたペットボトルを積み重ねた。