はてなキーワード: トーンポリシングとは
10月30日 オープンレター差出人の方々にメールをし、炎上する可能性が認められるので、オープンレターの本文から実名を削除し、賛同者の方々のお名前を非公開にすべきではと提案
10月31日 メールでの議論の後、差出人のうちのお一方から、当方の懸念はごもっともだが、それなら礪波が名前を外せばよいし、声をかけた差出人・賛同者の方へ個別に連絡するのでよいのでは、オープンレターの今後をどうすべきかを今すぐ決めろというのは強引であり、勝手なトーンポリシングのようで、イラっとした、との旨を伝えられました。
このご発言について、他の差出人の皆様から特に意見もありませんでしたので、オープンレターの今後の運用方針について差出人の皆様と私自身の考えが相容れないと判断し(agree to disagree)、差出人として辞退したい旨をお伝えしました。
https://www.akitonami.com/post/%E8%88%87%E9%82%A3%E8%A6%87-%E6%BD%A4-%E6%A7%98
うるせー、トーンポリシングなげんぞ!!
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
なんか個人の感想なんですが、左の人ほど自説を批判されたときの反発が「表現の自由がないのか」とか言うんが不思議なんですけど、逆なんですよね。表現の自由があるから批判してるんですが。
批判が即ち規制・抑圧とイコールになっちゃってる?ように見える。誰と戦ってるんだ?
逆に言うと「お前の口から出る批判は、批判でなく他者の表現の抑圧を企図したものである」と言う自己紹介ってこと?で合ってるのかな。
「トーンポリシング!トーンポリシング!」とか喚く人ほどトーンポリシングしているというか。特権階級にしか表現させねーよ?を推進してるのって誰なんですかね?
お前の言う表現の自由とやらは"誰"に"限定"したものを念頭に置いているんだい?言ってみろ。
名誉棄損にならない甘受すべき範囲の物言いはあるでしょう、表現の自由のコストとして。撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけ。
いうてリョナとかグロとかも個人的にNotForMeなんですが、稀に遭遇してしまってショック受けてしまいますがそれも自由のコスト支払いでしょう。じゃけん適切にゾーニングしましょうね~。有名税じゃないけど、自由税。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/rikomuranaka/n/n001f291ae02e
村中璃子氏って典型的な「科学の声を聞け」「わきまえない女」なんだけど、党派性陣取りゲームに人生オールインしてるエセ左派が理屈で勝てんから「態度が悪いからダメ」ってトーンポリシングおっぱじめるんよな。
実際のコメント。noteでTwitterの反応をみたらもっと激しいんだろうな
T_Tachibana ところで村中氏はワクチン被害を訴えている女の子(女性)たちと話をした事はあるのかな? もしかして「あんたたちの症状はただの思い込みだ、仮病だ!!」って面と向かって言うのかな?
anatadehanai HPVワクチン勧奨再開は支持するし朝日はじめメディアの責任も重いと思うけど、村中氏は村中氏で間接的にワクチン不安派の感情を逆撫でし、態度硬化させた面はあると思うよ。そこは自分の発言も振り返ってほしい。
font-da 村中さんが生み出した言説で何が起きたのかについては、議論が必要だと思う。私は正直、女性ではなく子宮を守りたかった人、という感想を持ってる。 https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b335507.html
takehiko-i-hayashi 村中氏は膠着状況を打破した立役者ではあることは大いに認めるけれど、筆致が無闇に攻撃的すぎて繊細な事案に関するものを信任するのは難しい人だと思う。被害者会等への筆致は「態度が悪い」では済まないレベルだよ
言い方って大事だよ
何かに抗議するにしても、もしも温和な方法で解決できれば余計な争いが生まれない気がするのだけど
まあわかる、トーンポリシングを問題にするときの理由の一つに「温和な言い方では黙殺される」というものがある
「毎回同じ人に名指しで抗議しているわけじゃないでしょう?」ということを言いたい
そりゃ言う側は毎度毎度「あいつら」に対して「何度同じことを言わせるんだよ!」と思っているかもしれないのだが
言われた側は名指しで指摘されるのは初めてかもしれない
言う側は何度も言ってきたことでうんざりしているってのもとてもよく共感できるんだが……
名指しで言われた側が「ああそうか、確かにご指摘の通りまずかった」となる可能性はあるだろうと
言う側としては名指しで抗議される前に襟を正せと思うかもしれない
だがこうも思う、「いつまで大声を上げなければいけないんだろう」と
遠くない未来に「もう黙殺されることは少なくなったのに、あの人はいつまでたっても過激な抗議の仕方をやめないんだな」となるかもしれないと想像する
フェミだか女だかがなにか言ってる?!!ガ〜〜〜!表現規制〜〜!!表現の自由〜〜〜!!!!規制反対規制反対ま〜〜〜ん!これだからフェミは〜〜!!
ってやってる人たちとの対話は無理すぎる。
そもそもTwitterで一般人が個人的な感想を書いた程度のことを「攻撃」と表現する、そう受け取る側にこそ認知の歪みがあるし、攻撃的だと思うよ。
被害妄想がこの調子で悪化していくと、ただのTwitter上の感想を「誹謗中傷」「(オタク)差別」と呼ぶようになるんだろうね。
みんなから指摘されてるように、Twitterが何なのかを落ち着いて考え直した方がいいよ。
yas-mal 一個人のTweet程度のものを「攻撃」「殴りつける」と責めて黙らせようとする社会の方が僕は怖い。/穏当なお手紙を書いて、結果的に設定が変わった場合でも、反フェミの人は「攻撃されたー」って言いそうだし。
cinefuk 目についたものをTwitterに投稿すると『投稿する前に権利者に問い合わせて、許諾もらうか交渉・すり合わせして投稿しろ』と言われるの、これ表現規制じゃねーの?まあ「裏から手を回して圧力を隠蔽しろ」と言うなら…
snobbishinsomniac Twitterでただ思ったことを書くのが「攻撃」ですか。それを見つけた担当者が自主的に修正に動いただけに見えるけど。/ 公開質問状でさえ圧力とか言われるのに伝え方が悪いというのはトーンポリシングだよ。
el-condor あの程度の批判を「攻撃」というの繊細すぎて議論に向かないと思う。この人の基準にかかると普通の公開質問状まで「攻撃」扱いになりそう(公開質問状を攻撃の手段として使う奴もいるけどね)
kutabirehateko Twitterって個人の感想だと思ってたんどけど、増田は公的な意見書か何かだと思ってんのかな。
夜這いを期待してるだったり、スカートめくりだったりの設定は正直時代錯誤だし、そりゃ不快な人にとっては不快だろうなと思うけど、
「こんなものが置いてあったんだけど!キー!」ってキレてたら今までのこともあるしそりゃ反発食らうわな。
特に村おこし系のコンテンツが好きな奴ってオタクの中でもアクティブな奴らが多いし、村の中で関わってる人も思い入れが強いんだよな。
村(町)が好きで、そこにいる人も好きで、どうにかしてその場所を存続させたいって思いがある中で色々やってることの一つなんだから、それを「こんなもん置くな!」みたいな反応されたらな・・・
「こういう設定や描写が好きな人がいるのかもしれないが、自分は少しいやな気持になった。もうちょっと丸い表現なら気持ちよく温泉に入れたので、文面を修正して欲しい」
くらいのレベルならそこまで炎上したり反発されたりしなかったと思うんだけどな。
https://anond.hatelabo.jp/20211110151428
いや、ダメだろ。
フェ「私はどんなことがあろうとも村人!」
フェ「今私のいうことに反論したな!お前が人狼だ!早く吊って!」
フェ「なんで私の言うこと無視するの!トーンポリシングトーンポリシング!早く吊って!」
……「なんなのあの人」「ゲームにならないしあの人議論の邪魔だから追放するか」「せやな」
フェ「なんなのこのゲーム!人狼ゲームやってたらみんなから人狼って呼ばれました!これって差別ですよね!」
……「ゲームのルールを理解してない」「そういえばウマ娘で著作権者のいうことに従ったら皮肉を言ってた人たちもフェミニストだったな」「自分がいつでも正しいって思ってるんだろうな」
こんな感じでしょ。