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2023-01-22

anond:20230119194429

ブクマカ「今だ!!いくぞ!!サンダーボルト!!」

ブクマカは、強力な雷の魔法を繰り出した。

弱者男性馬鹿!?この私が負けるだと!?

増田「これで終わりだ!!食らえ!!増田真空飛び膝蹴り!!」

ブクマカ魔法を受けた弱者男性に、増田は間髪入れずに飛び膝蹴りを食らわせた。

弱者男性「そんな……!こんなところで……!ぐあああああ!!!

こうして、ついに弱者男性は倒れた。

ブクマカ「やったな!」

増田「あぁ、なんとか倒せたようだ」

うつぶやいた瞬間、突然地面が大きく揺れ始めた。そして、地面に亀裂が入り、そこから大量の魔物が現れた。

増田「なんだ!?こいつらは!?

ブクマカ「まずい、弱者男性が倒れた影響で、下僕魔物たちが出てきたんだ!」

増田「早く逃げるぞ!!」

ブクマカ増田必死に逃げ出したが、既に周りを取り囲まれていた。

ブクマカくそっ!逃げられないぞ……!」

増田増田流奥義!増田連殺剣!!」

増田必死になって応戦したが、あまりにも数が多すぎた。

ブクマカ「いでよ!!土人形!!」

ブクマカは、召喚魔法を使って自らの分身を生み出した。しかし、それでも劣勢は変わらなかった。

ブクマカ「このままでは全滅してしまう……。こうなれば仕方がない」

ブクマカは、ある秘策を実行しようとしていた。

ブクマカ「聞いてくれ!俺が囮になるから、その間にお前はここから脱出するんだ!」

増田「何を言っている!?そんなことをしたら、ブクマカはどうなる!?

ブクマカ「俺はここで死ぬわけにはいかない……。だが、この状況を打開するにはこれしかない!!」

増田「嫌だ!絶対に見捨てないぞ!!」

ブクマカ「言う通りにしてくれ!さもないと2人とも殺されてしまう!!」

増田「……わかった。必ず生きて再会しよう」

ブクマカ「もちろんだ!いくぞ!!」

ブクマカ決死覚悟で、魔物たちの群れに突っ込んでいった。

2023-01-11

今日もお天道様に向かって、

「ご視聴ありがとうございます!」と日々の感謝を心の中で叫ぶ。

音は真空を伝達しないのか知らないが、私というチャンネルを見守るお天道様に対して、今日感謝を叫ぶのだ。

今日チャンネル登録よろしくお願いします!」

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-02

正直、もうコミケ大手サークル以外厳しいと思う

先日開催された冬コミに3年ぶりに参加した。コロナ対応のためチケット制になり、入場者数がかつてと比べて減っていることを、情報として知ってはいた。知ってはいたんだが…。

しかしそれがここまでダイレクトに売り上げに直結するとは思わんかった。具体的に書くと三分の一くらいになった。へこむぜ。

ジャンル情報評論。いわゆる批評誌を個人で出している。

8年前から冬コミ新刊を出して、それをチャンスがあれば文学フリマなんかに持ち込んで…というサイクルで参加していた。

刊行をそこにあわせているのもあるんだろうけど、やっぱり数を頒布できるのはコミケ。目を引く表紙にしていたこともあって結構ジャケ買いっぽい人に手に取ってもらえてた印象がある。

そんでTwitterの知り合いの人が20~30人くらい毎回きてて、その人たちにも手にとってもらえたりする。

ありがたいことに、継続しているうちにだんだん部数がはけるようになり、コロナ直前のコミケでは新刊をxxx部くらい頒布できていたのよ。

これ大手サークルとかと比べればみそっかすもいいところの数だとは思うんだけど、体感としてはxxx部頒布するってなると(開場直後、大手サークルに長蛇の列ができる1時間くらいを除いては)断続的に人がきて、まあぼちぼち対応していると終了時間になっている、という感じなので、結構「売れている」感がある。うれしいことに。

今回もだいたいxxxxくらい刷ってコミケ頒布、その後文フリとかで残りを…というサイクルを想定していたわけです。

甘かった。見通しが。人が来ないことの影響をもろに被った。

物理的に人がいるということが、増田のような零細サークルにとってめちゃくちゃデカかったんだと再認識した。

2019年の冬コミの累計入場者数が75万人(4日間開催)で今回が入場制限の結果18万人(2日間開催)だから、一日あたりの入場者数はだいたい半分くらいになっていると思うんだけど、まさにそれがダイレクトにきた。

知り合いもたぶんいつもの三分の一くらいしか会場には来なくて、ゆるいオフ会みたいな雰囲気もだいぶ減った。

批評を読むような層にとっては優先度がコミケ文学フリマなのかなあ。確かに文学フリマは入場料タダだし、人もめっちゃくるようになっているみたいだし、昨年5月文学フリマ東京はたしかにゆるいオフ会みたいな空気継続している雰囲気はあった。

今回ははじめてBOOTH通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが、それでもかつてのコミケでの頒布数には到底およばない。

やはり増田のような零細個人サークルを支えていたのは、偶然目にとめてもらった結果のジャケ買いなのだBOOTHジャケ買いは発生しようがないからな。

たくさん売るためにやってるんじゃない。自分の納得したものをかたちにできたか否かが大事なのだ

それでも、終了時間になっても在庫の山がうずたかく残っているのは、やっぱりつらかった。

会場の様子をふりかえってみると、相変わらず成人向けのあたりはわりとたくさん人がいて、まあ評論はいものとおり真空地帯だったんだが、真空ぶりに拍車がかかっていたんよな。成人向けのところも以前のような芋を洗うような混雑ぶりではなさそうだったし、知り合いにきいたところ、11時ごろには人気サークルはほぼ完売御礼で、最速の入場時間以外だと消化試合もいいところだったそうだ。

コミケで数を頒布できていたのは、ある種のおこぼれにあずかれていたが故だと今回強く実感しました。

でもそのおこぼれこそが全体としての即売会を(特に評論のような非メジャージャンルを)活性化させていたんです。

今年からはまた準備会対応も変わってくるんでしょうが、入場制限のある限り、コミケ大手サークル以外には厳しい場所であり続けると思う。

以上、一参加者からの雑感でした。やり場のない気持ちを書き残したくてはじめて匿名ダイアリー使ったわ。

ほかの参加者からコロナ禍のコミケがどうみえていたのか、わたし気になります



追記

こんな読まれると思ってなかったんで部数だけ隠しました!恥ずかしい!

以下、ブックマークその他諸々のコメントに返信しておくわね。

yakitori-siro この増田は儲からなくて辛いんじゃなくて、トラフィックがないから「ちょっと興味があるかも」な層に手にとってもらうことすらできない、同好の士になりうる相手リーチできない辛さを言ってるんだよね

これはほんとにその通りで、意を汲んでいただいて涙出ました。あと人が来ないと暇な時間が増えるんすよ。それが切実につらくかなしい。

anond:20230102104156

いや。凄いわかるよ。今は知らんけど、昔は告知らしい告知も自分アカウントでだけみたいな弱小評論でも、それなりに通りがかりに面白いと思って買ってくれる人が居たし。そこにコミケ価値があったよ。

評論なんて手間考えたら、元々合理的では無いんだから。手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話なのに。知りもしないのに「電子しろ時代遅れ!」みたいな茶々は本当にゴロツキの言い草しかない。そういうヤツがでかい顔している所がはてなのろくでもない所だよなぁ…

おわかりいただけてとってもうれしいです。まじで、「手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話」なんすよ。それが金銭とどうしても関係ちゃうからめんどくせえあれが発生するとは思うんだけど…

https://twitter.com/wind_steed/status/1609957333576351745

話題増田読んだ。

前回に比べたら今回相当人の流れあったんだけど、適度に空いてるからコロナ前の倍以上の速度で人が移動してたんよ。その速度で移動してるとサークルに目を向けるのは無理。ポスターとかあっても無理。

あー、これ意識してなかったけど人がいないと人間の移動スピードあがるというのは確かにそうかも。

他、コロナ運動不足→体力減退で巡回できなくなっているとかはその発想はなかったんでおもしろかった。検証できるもんでもないし流石に妥当な推論とも思えないけど…。あとなんでもかんでも少子高齢化に結び付けるのはちょっと安易すぎでは?と思いつつ、参加者高齢化はたしかにあるよね。

razik C99〜101までマイナー島でサークル参加してるけど、おおむね同じ感想。島自体閑古鳥なのに周りが早めに撤収するから、後半は尚更人が来ないという負のスパイラルに陥っている。

odakaho 2日間とも行ったけど、午後入場だと過疎島回る時間が全くないのよ。15時くらいにはみんな撤収始めてるし・・。

うそう、書き忘れたけどご指摘の通りサークル撤収めっちゃはやいんすよね。体感、15時くらいにはほぼおしまい空気になってる。

いままでは、打ち上げサークル参加組と合流するために非サークル参加の人もだらだら居残ってたりしたんだけど、まあ気楽に打ち上げというのもまだちょっと厳しいし、それならだらだらせずにさっと帰るわな。

ka-ka_xyz "今回ははじめてBOOTH通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが" 評論島、通販してるとこが他のジャンルと比べて少ない気が。もっと通販して欲しいの。

これまではTwitterの知り合いには自家通販してたんですけど、BOOTH使ってみたら思いのほか手に取ってもらえてるんで、なんかいままですまんかった…という気持ちです。正直ここまでインフラみたいになってると思ってませんでした。pixivあんまり影響力強めるのもよくないなとは思いつつ、やっぱクレカ決済とかできると楽ですもんね。頒布するほうも金銭トラブルを避けられるし、そこらへんの安心手数料分で買ってるとおもえば、まあ仕方ないのかなあ、という気持ちになりつつあります

amunku この増田はまだ見栄張ってるかもしれなくて今やほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない。買い手も金がないか大手しか見ない。コミケアマチュア作家祭りではなくなり大手芸能人企業のイベになった

ほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない」はさすがに盛りすぎでは?「ほとんど」のサークルが一部もはけてなかったらさすがにみんなのむせび泣きが会場に響いてると思う。

deztecjp 以前の1/3ならxxx部程度かな。それだけ売れていても「大手サークル以外厳しいと思う」といわれると、「あー、そうですかー」な感想を持つ。人間は、すぐ高い水準が当たり前になって、満足するということを知らない。

三分の一に減ったことをショックだったっつってんの!xxx部でたから売れてんじゃんとかそういうのではないわけ。

IthacaChasma ずっと参加してる人によると、一昨年の冬の売上が一番悲惨で、去年の夏で少し回復、この冬はこれでも大分回復してきたらしい。夏はもっと入場できるようになると良いね

しかに一昨年は去年より入場絞ってること考えるとマジでやばそうですね。私個人のことを書いておくと、一昨年はコロナそもそも中止になるんじゃないかと思って申し込みせず、また開催時の感染状況から一般参加見送りました。

いちばん苦しい時期に逃げ出しといてなにいまさらつらいつらいいってんねんみたいな論評をみかけましたけど、この判断自体が不適当だったとは今でも思ってません。自分家族の命を危険さらリスクを負ってまで「場の継続」に奉仕することは、ちょっとできない。つらい時期を支えたことを誇るのはいい。でもそれを他者をくさす道具として使うのはくそダサいですよ。

gooeyblob チケット制となるとかなり億劫度が高くなるよね 自分も完全に行く気無くしてしまった/評論系でxxx部って相当売れてる方じゃない?

おっしゃる通り、どちらかといえば売れているほうだと思いますマジで表紙に気合い入れてジャケ買いしてもらえるようにしてたので…

anond:20230102104156

ジャケ買い狙いのようなことやってるから参加者減少の影響をダイレクトに受けてるだけじゃないの

ジャケ買い狙いなのに増減に一喜一憂できるの本気で謎なんだけど

中身で勝負すれ、中身で

ext3 評論ジャケ買いさせてる時点でなんか詐欺臭くないですかね?今まで騙せてたのが騙せなくなって正常なレベルに戻っただけでは?

あのですね、「目を惹く表紙であること」は、書籍を手に取ってもらうための必要条件だと思います。たくさん本が並んでるなかでまず入ってくる情報って表紙だけでしょ?

「中身で勝負すれ」って、まず中身に触れてもらえなきゃお話にならんわけ。表紙で興味をもってもらい、手に取って中身をみてもらえるかがまず超重要です。これは前提。

加えて、わざわざ批評を本という物質にするんだから、その物質がなにかしらの批評性をおびてよいわけで、すなわち「どのような表紙にするか」というのも一つの批評なの。「目を惹くこと」・「批評の内容を端的に象徴するようなものであること」、この二つの緊張関係のなかで表紙を設定することはまさしく批評実践なのであって、だから増減に一喜一憂するのは批評実践のある部分の成否がそこに託されているからなんですねえ。だから表紙も「中身」の一つといえる。表紙/中身などという単純な二分法を自明のものとする素朴さにやすらっているうちは、もう少し謙虚な態度でインターネットをなさったほうがよいかもしれませんね。

anond:20230102104156

刷っても損しかないんだからnoteにとうこうとかでいいじゃん。

なんならそこに有料記事入れれば印刷と違って赤字0だし、金払うやつが可視化されて承認も満たされるだろ。

なぜわざんざ刷る?

あのねえ、書籍として物質化すること、そしてそれを誰かに手に取ってもらえることのうれしさを舐めすぎ。

きみもわざわざ刷ってみたらわかるよ。

https://twitter.com/puyotaroh/status/1609816866356342785

この評論サークル主の発言も、「これまで当日の偶然買いの成功体験に頼りすぎてて、事前のSNSでの告知を怠っていたのでは。そもそも普段からどんな批評本を書いてるか発信してたの?」との感想しかならないんだよなぁ。

インターネット軍師、乙です!!!!!SNS宣伝しとらんかったらコロナ前にxxx部も頒布できるわけねえやろがい!

それを踏まえたうえで、入場制限のせいで偶然性がもろに縮減していることの厳しさをいってるわけ。

https://twitter.com/soramimi__cake/status/1609867980325937152

この増田自体は(特にブコメに反応してる追記)大変嫌らしい書き振りで、こういう自分のノリに合わせてくれないとあからさまに不機嫌かつ見下しモードになるような人が表現活動(笑)から撤退していくなら日本言論はなんぼかマシになるんじゃないかと思いましたまる

おめえ、コミケが思わしくなかったところでお気持ち表明してみたら雑言及の雨嵐を食らってんだから「不機嫌かつ見下しモード」にもなろうってもんですよ。こちとら匿名だしここでしか反論できないわけだからね。「表現活動(笑)から撤退していく」ことはないんで、そこんとこよろしく

xevra 語尾がですます統一されてなくて読んでて気持ち悪くなった。増田は文筆業向いてねーわ

気持ち悪くなってくれてなにより。お前はインターネット文章読むの向いてないよ。

https://twitter.com/taka_humo/status/1609916648844308481

ボクの知り合いのサークル大手でも何でもない所でもしっかり完売してたし別に大手から厳しい・厳しくないとかでないんじゃないかなあ(しかも1人は評論島)

そもそもコミケってあの場の空気を楽しむイベントであって〇部頒布出来たとかそういう話をする場では無いと思う

「あの場の空気を楽しむ」って、もし全然頒布できなかったら地獄みてえな空気になると思うんだけど、それを楽しめるのはいかれたマゾサイコ野郎だけやろがい!まったく手に取ってもらえなかったけど、コミケ空気が楽しめてよかったなあ、ってなるわけあるか!皆目見当違い!

空気を楽しむためにも手に取ってもらうためいろいろやったりするわけだし、コミケ自体が人たくさんいたほうが偶然性が高まって手に取ってもらいやすいでしょ。

https://twitter.com/gouranga_/status/1609835382912475138

扱う部数が大きい大手サークルの苦労心労は中小とは比較にならんよ。タイトルも含め全般的想像力が足りない

大手の苦労とここで書いてる「そもそも手に取ってもらえなくなってる」厳しさは別問題でしょ?でかいお金を動かすシビアから生じる問題の話をしているわけじゃない。それを関連づけちゃうのが豊かな想像力ってわけね。ファックユー!

まあタイトルはバズ狙いであれしたのは認めます。結果アテンション集めたからセーフ!

https://twitter.com/yellow_0918/status/1609889858520240128

バズろうとして滑り散らかした事をここに堂々と書ける精神も凄いし、隅から隅までキモ過ぎる文章の書き方や中身も含めて過去の栄光に縋ってるだけの老害にいつ気付けるんだろうという哀れみしか出てこない

既に400もブックマークついてんだから、「バズろうとして」るんじゃなくて現にバズってんだよタコ文体含めての芸だからね。それで狙い通りバズらせたわたくしの力量を素直に称賛なさいな。こんなことくらい誰でもできらあってんならやってみなせえ。「キモ過ぎる文章」に「哀れみ」を表明せずにはおられなかったお前が「キモ過ぎる」し「哀れ」。




その他、脊髄反射でろくに読みもせずコメントするやつわらわらで引くわ。本を読みなさいね

せっかくですし、わたくしからは蓮実重彦映画から解放小津安二郎麦秋』を見る』をおすすめしておきましょう。

予備校生向けの講演を書籍化した短いパンフレットですけど、わたしたちがいか映画を「みそこなっているか」がわかる、とっても啓蒙的な本です。

これ、文庫とかで気軽にアクセスできるようにしてくれ~

思った以上に拡散してしまいましたが、これはわたくしの出した本がコロナ前より手に取ってもらえなくて悲しいな~以上のことではないです。そして「厳しいと思う」のは気持ち問題以上のことではない。でもその気持ちこそがやっぱり大事なのだ。しょせん戯れにすることなのですから

適当に書き散らかしたやつが長年やってるはてなブログと比べてあまり簡単アテンション集めるのでビビるビビますはてなブックマーク、ほんといやなサービス

気に入らないやつらに全レスしたろうかと思ったけど正月休みの使い方としてあまり不毛なのでやめます。が、安全から石投げられんのも気に入らんので、適宜こちからボール投げ返すわね。

貼れるリンクの数に制限あるみたいだったんで、コメント返信続きは以下のエントリで。一部をこっちに移しました。

https://anond.hatelabo.jp/20230103130457

Twitterの@kondohiさんは追記部分をぜひ読んでくれな!お友達がいたら伝えてあげてくれ!

2022-12-25

[]

真空部品とかをかいあつめることにより、なんか冷却装置みたいなのを作る。そのたぐいの妄想についてやめにしよう。コスパという観点からみあわない。

2022-12-24

ビッグバンを模式するために使われる風船のたとえをもって「全てが中心だ」と言い張る人がいる。

しかしこれは屁理屈だ。

普通人間はそんなふうには考えない。

膨張の基点は風船のゴム膜の中にではなくそれによって包まれている空気に満たされた空間の内部に一点だけ見出すのがまっとうな考えだろう。

ここから類推するならこの宇宙の中心はこの宇宙には無い。

たとえばこの宇宙三次元多様体の膜のようなものだと仮定するならその中心は四次元以上の座標系のある一点から放射状に膜が広がっていったと見ることができるだろう。

宇宙の全ての点で点同士が離れあっているというのはいわばコリオリみたいな見かけの現象だ。

次元真空のゆらぎから宇宙構成する一点ができたという仮説に基づくなら、その宇宙の一点が三次元に収まっているのあえていうなら最初の瞬間だけであり、それ以降は一点に収まってたものは、各々一点から四次元以上の意味での距離において等距離だけ遠ざかっているということである。見かけ各点同士が遠ざかっているのは、一点に対する離れ方が等距離からであり、実際の我々は絶えず高次元上の一点からまっすぐにどこかへと移動しているのだ。いきなり真空のゆらぎに無限次元仮定するのはオッカムの剃刀からしても妥当ではなかろうが、とにかく、最低でも膨張の基点に原点をおいたときその座標を構成する変数のうち4つ以上の変数絶対値が絶えず増加するような高次元旅行を我々はしているのだと思う。

2022-12-15

anond:20221215225309

真空で吸い付くカップランダム回転のブラシで自動乳首めしてくれるマシン買ったけど

胸元でウィンウィンなってるモーター音で冷静になって捨てた

2022-11-14

真空って言葉、誇大表現だよな

真空ってJIS定義だと

真空とは、通常の大気圧より低い圧力の気体で満たされた空間内の状態で、圧力のものではない」らしい。

「真」って言葉使ってる割に、ヘボすぎやろ。もっと厳しい条件つけといてほしかったわ。

ちなみに、英語だとvacuumらしい。

真空って言葉、誇大表現だよな

真空ってJIS定義だと

真空とは、通常の大気圧より低い圧力の気体で満たされた空間内の状態で、圧力のものではない」らしい。

「真」って言葉使ってる割に、ヘボすぎやろ。もっと厳しい条件つけといてほしかったわ。

ちなみに、英語だとvacuumらしい。

2022-11-11

旨いベーコンを食べたい

自作するのでオススメレシピを教えておくんなまし。

チップは桜の予定。

面倒なので大量作成して真空保存します。

スーパーで買える材料にしてください。

2022-11-03

anond:20221103104624

水煮にして密閉瓶で真空保存が基本では?

2022-10-18

富士山バス横転事故の基礎知識

バスが急坂でブレーキが効かなくなって横転事故を起こした件で、個人バスを所有する変態さんが検証動画を出しているが、

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1959853

 

前提の知識全然共有されてないのが気になった。なので説明を書く事にするよ。

 

バスの2速=乗用車の1速

まず元記事バス個人所有氏は2速で下ってるんだが、バストラックというのは2速で発進する。1速は急勾配での坂道発進とかの緊急用で普通は使わないのだ。

乗用車オートマだと「PRND21」とレンジが分かれていて、2、1レンジではギアが固定される。峠の下りでは2速で下ると思う。1速に入れるって事は余り無いと思われる。その1速に入れてると思ってくれていい。普段じゃそんな運転する機会はないと思う。

因みに乗用車AT軽トラバン以外では4~5速あるよ。

 

バスは回転を上げて走行しない

動画では2速で下って回転数がレッドゾーンに入って警報が鳴っているが、これはデモンストレーションでやっている事で、普通バストラックではこういう運転はしない。

バストラックは大体100万キロ走って廃車になるのだが、そのディーゼルエンジンも精々オーバーホール一回程度でその距離を走り切る。乗用車と比べると非常に頑丈なエンジンなのだ

だが頑丈に作ってあるために作動部が重い。その為にオーバーレブ(回転数数オーバー)に大変弱いのだ。ガソリン乗用車のつもりでシフトアップを引っ張る走り方をしていると壊れてしまうのだな。

から彼の道路での実際の走り方は3速でリターダー動作(後述)か2速でオーバーレブしない速度って事になる。

 

バストラの下り急勾配での走り方

アクセルブレーキも踏まず、エンジンブレーキだけで抑速する。また、バストラには排気ブレーキとリターダーというエンブレの強力版が付いており、そのスイッチハンドル左手にある。車種によるがウインカーレバーを向こうに押すタイプと、ウインカー別に短いレバーが生えているのがある。動画でカチカチ言ってるやつだ。

これのスイッチを入れたり切ったりして速度を調節する。

ヘアピンではぐっと速度を落とす必要があるのでそこだけで足ブレーキを踏む。ブレーキ「ずっと踏みっぱなし」は絶対NGだ。というかそんな運転するのはちょっと考えられない。

 

ブレーキ異常にはフェードとヴェーパーロックがある

ブレーキを踏みっぱなしにして加熱させるとブレーキが効かなくなるが、その原因は2つある。

フェード

ブレーキライニング押し付けられる摩擦材)が熱で滑りやすくなる事。「段々効かなくなる」のが特徴。

フェードが起きると独特の匂いがする。東武東上線とか伊勢崎線の古い電車で駅に着いた時に床下とホームの隙間から香ばしい匂いががした事ないだろうか?実はこれがフェードの匂いなんですな。MT車クラッチを滑らした時とかも同じ匂いがするよ。

ブレーキシューレジンが灼ける匂いらしい。

電車ブレーキはどれも同じ構造なのに東武の旧型車だけがあの匂いするんですな、不思議である

あの匂いがしても東武電車普通に走れるが、車だともうダメ。冷えると効きは幾分戻るがシューが変質してしまっているので交換か灼けた表面を削らないと効きは元に戻らない。

ヴェーパーロック

ブレーキ油が沸騰して水泡が出来る事。「突然、全く効かなくなる」という恐ろしい特徴がある。

ブレーキペダルの踏力の伝達には分子量の高いアルコールなどの液体を使っている。液体は圧縮できないからそのまま力が伝わるが、これが沸騰して水泡が出来てしまうと体積が千倍にもなり、また気体は圧縮できるから踏力が気体の圧縮に使われてブレーキを押す力にならない。

 

この両者は相反するものじゃなくて連続して起こる事もある。フェードが起きるとブレーキが効きにくくなるのでより強く踏まないとならない。そうすると発生する熱量が増えてそれでヴェーパーロックが起きてしまう。

  

で、増田見立てだとこの事故の原因はヴェーパーロックだ。その理由には更にバス構造を知ってもらう必要がある。

 

バスホイールパークブレーキ

バスサイドブレーキは、乗用車のように手でギギギと絞り上げるようなものではなくて、運転席の小さいレバーを倒すと全力で掛かるようになっている。

元々、バストラもハンドル式だったが、掛かる場所が違った。サイドブレーキミッションについていたのだ。

昔のバス終点に着くと、「ユッサユッサ」と揺れていたのを覚えているだろうか?これは車輪ではなくてミッション軸にサイドブレーキが掛かっていたからで、そこと車輪の間にあるシャフトデファレンシャルギアの隙間、自在ジョイントのたわみのせいでユッサユッサしてたのだ。

だがこれはジャッキアップすた時などにデファレンシャルギアのせいでサイドブレーキが掛かっていない状態になり危ない。また急勾配で確実に止まっていられる事が車両法で定めらると、手で絞り上げる式では確実性と力が足りない。

なので、ブレーキのバネを普段は高圧空気で抑えておき、空気を抜くと強力なバネが全力でブレーキシュー押し付けるという方式に変更された。

画像を見たら一目瞭然だが、https://www.tbk-jp.com/products/brake_01.php

普段ブレーキブレーキシューは共用になっている。

 

さて、変態バス氏の動画を見返して欲しいが、4:40頃から事故車両ブレーキ痕が続いている。

これはサイドブレーキ作用して後タイヤロックしたって事である

サイドと足ブレーキシューが共用だ。もしフェードが原因だったらロックできないのではないか

だとすると消去法でヴェーパーロックという事になる。

 

バスブレーキ構造は、前がディスク、後ろがドラムというのが一般的だ。

見てもらうと一目瞭然だが、google:image:バスドラムブレーキ バスディスクブレーキ

ドラムというのは熱がこもりやすいがシュー摺動部とピストン距離がある上に接触部が狭いところがあるので熱が伝わりにくく、ヴェーパーロックは起こりにい。

一方、ディスク式は摺動部とピストンが近い上に接触面積も大きいので熱が伝わりやすい。故にこっちの方がヴェーパーロックはし易いのだ。

から後輪ドラムのフェードは大したことが無く、故にサイドブレーキは効いたが前輪のヴェーパーロックが来て全く減速できなくなったと考えるものである

 

サイドブレーキが効いても減速できなかった理由は、一つは荷重問題下りでは車体がつんのめっているか荷重は前に移動する。だから後輪はロックしてスリップするがグリップ力が足りず減速できない。

この荷重移動を利用したのがドリフト走行なのね。ブレーキで前に荷重が移動している時にハンドルを切ると普段より舵が効く。前輪を中心に車がスピンしようとするからそこでサイドブレーキを引くと後輪が滑りだすってわけだね。

もう一つはホイールパークブレーキのせい。レバー倒すと後輪に全力でブレーキが掛かるので走行ならいきなりロックする。スリップ状態タイヤ摩擦力が低くなるから減速力が足りないって事になる。

また後ろがスリップしているから操縦も難しくなる。

 

排気ブレーキ

よく出てくる排気ブレーキとは何かだが、エンジンブレーキを強力にする仕組みだ。

エンジンは2回転する間にピストンが2往復して1サイクルとなるが、爆発(燃焼)工程の前に空気圧縮せねばならない。ディーゼルでは断熱圧縮で熱くなった所に経由を噴霧して燃焼させる。この圧縮には力が居るのでエネルギーロスだ。

圧縮の後に燃焼がなければロスだけが存在する事になる。エンブレはこの圧縮のロスを抑速に使っている。

排気ブレーキはここで更に排気管を塞いでしまうのだ。エンジン圧縮ロスで虐められているのに更にペッと吐き出した息まで塞がれてしまう。とんだ意地悪だ。苦しいようやってられないよう、って事で更に速度が落ちてしまう。

排気ブレーキ作動中は「ドドドド」とエンジン音が野太くなって、解除時には「プシュ!」というのが特徴だ。

 

リターダー

リターダーにはオイル式などもあって、これはオイル抵抗エネルギーロスをさせようというもの。木の板でかき混ぜる草津温泉の湯もみは水の抵抗があって結構大変、汗が出ちゃう。これと同じ仕組みだから湯もみブレーキと覚えてもらって差支えない。

でも日本バス一般的なのは圧縮解放式ってやつで、これはエンブレの超々強力版である

エンブレは圧縮ロスを利用するものだが、ピストン圧縮された空気はその後どうなる?燃料が無くて燃焼されなくても、圧縮された空気はバネみたいにピストンを押し戻すのだ。

そこで圧縮解放式では意地悪して圧縮しきったところで排気バルブをちょっと開いてしまうのだ。すると圧縮空気は逃げてしまう。

更にまたすぐに閉じてしまう。すると今度は1気圧の所からピストンを引いていく事になるので真空ポンプの負荷が出来る。これで超強力なエンブレが出来るという訳だ。

新宿区牛込柳町交差点は急坂の底にあり、自転車で通る時に坂の上から一気に下りその勢いで向こう側の坂を上りたくなる。が、この交差点には信号があるのでそれをさせず停止状態からエッチラオッチラ上る羽目になる。

故に圧縮解放リターダーは柳町信号ブレーキと覚えてもらって差支えない。

圧縮開放式は空気圧縮されたところでバルブを開くので動作中は「ンババババ」と結構派手な音がする。

因みにVTECみたいな可変複数カムによって実現されている。バストラもハイテクなのだ

 

整備不良の可能性はないのか?

ある。

ブレーキ液には高分子アルコールを使うが、これは水を吸う。すると沸点が下がる。ブレーキは水が掛かる足回りにあって、そのピストンにはゴムのパッキンで水を防ぎ、ブレーキ液が漏出するのを防いでいる。

しかし窓をカッパギで拭いた時、水は残らないがなんかしっとりしているよね?あれが蓄積して水を吸い、200度以上ある沸点が150度くらいまで下がってしまう。この為に車検の度にブレーキ液は交換するのである

因みにレースではもっと沸点が高いシリコン系が使われるが、これは親水性が無いので混入した水が水のままで存在してしまう。するとピストンが100度になると容易に沸騰してヴェーパーロックを起こし危険である。だから公道での使用禁止されている。レースカーはレースごと、雨が降ったら走行ごとにブレーキ液を入れ換える。ブレーキ液にアルコール系を使うのはこのせいだ。

からもしも車検(1年)ごとにブレーキ液を交換していなかったら沸点が下がりヴェーパーロックはし易くなる。この辺は国交省調査を待つしか無いと思う。

また、少しではあるが、高山に上がって気圧が下がると沸点も下がる。

 

最後になるが、大型2種免許は他の免許取得後3年経たないと受験資格が無い。プロ中のプロドライバーで、フェードしたりヴェーパーロックさせたりする運転というのはちょっと考えにくいんだよね。急坂であれば排気やリターダーのオンオフだけで慎重に下り足ブレーキには頼らないものなのだ。だから増田ちょっと腑に落ちない事故なのだ

2022-10-15

ギルティ無料だったのでプレイしてみたがトレモ(ミッションモード)で力尽きた

簡単ミッションゲームを学ぼうってのがあるんすよ。

「通常→しゃがみ通常(アッパー)→超必殺技をつなげよう」

CPUランダムに取るガードに合わせて中段攻撃か下段攻撃選択しよう」

キャラ毎の典型的フレーム有利コンボに対して割り込みを狙おう」(いやマジでここまで練習出来るのは凄いと思う)

みたいなのがズラーっと何百個も練習できるんだけど、これのコンボ系や割り込み系が無理すぎる。

最初に大きくつまずいたのが「通常→しゃがみ通常(アッパー)→超必殺技をつなげよう」の所。

お手本動画通りにコマンドを入れても入力が遅くて追いつかない。

コマンドはA ⇨↓B ⇨ →\↓/←→B みたいな感じなんだけど、この↓Bを入れた後の→\↓/←→Bの入力猶予が0.3秒ぐらいしかない。

もう完全に指が追いつかない。

30回やって1回ぐらいは成功するので「お手本動画詐欺」ってことはなくて単に俺の指が遅いだけっぽい。

まあトレモの中だけなら飛ばせば終わりなんだけど、結局は実戦で超必殺技入れようとしたらこれやることになるのがキツい。

下段キック差し込んでから真空波動拳コマンドみたいのは他ゲーでも沢山やったけどギルティで求められるものスピードが早すぎる。

実際トレモの中でも「相手がヒット後に遅い技で追撃仕掛けてくるからガードして弾いたれ」みたいなのがあるんだが、俺の目で見ると繋がってるとしか思えない攻撃を俺が←押してガードさせてる自キャラは弾いている。

早すぎる……なんだこのスピードは?

更に恐ろしいのが2択攻撃回避練習だ。

来ると分かってる基本コンボなら割り込めても、2択をしかけてくるから後出しジャンケンボコったれは無理すぎて。

たとえば「相手の空中攻撃をこっちがガードしたの見ると同時にA「必殺技入力して再度飛び上がって特殊投げ」B「そのまま地面に降りてしゃがみキック」を選択してくるからどっちか見て適切に対処しろ」っていうのがある。

やることは簡単で、まず←を入れて空中攻撃をガード、その後Aだったらこっちは対空アッパー(↓Bとか)を入力、Bだったら/(←↓)を入れてガードというだけなんだがこれがもう見きれない。

とにかく空中攻撃を←入れてガードしたら、素早く/(←↓)を入れてガード方向を切り替えておいて相手が飛んでたら攻撃ボタンを押すだけという単純作業なのだが動きが早すぎる。

ぶっちゃけ俺の反応速度では「とりまガード成功。じゃあ/入れるか」ってやるだけでもたまに失敗する。

頭の中で/を入れるための処理をしている最中に同時に相手が再び飛び上がるか警戒するのにメモリが足りてない。

当然これらはミッションモード用に抜粋された典型的シチュエーションであり、実戦においてはこれがもっと複雑に絡み合ってくる上に更にその数もキャラごと技ごと、どっちが画面端にいるか、お互いが使っているキャラの大きさ、残っているゲージ、加速度的に情報は増え続けるわけだ。

こんなんまともに考えたら負けなわけだから、そりゃ素人同士がギルティやったらひとまず暴れまくるのが正解になる。

実際、俺の地元学生時代ちょっと流行ったときアクセルっていう鎖鎌使いで遠くからヨーンって鎖伸ばしまくってくるか、弾持ちキャラであるカイ辺りを使ってずっと波動拳してるか、やけくそになってチップっていう紙装甲でレバガチャするかが正解みたいになってた。

それが如何にレベルが低いのかは大会動画を見てよく分かったが、何故こんなレベルの低い試合しか俺たちが出来てなかったのかはよく分かった。

そもそもギルティは攻め有利なバランスで有利フレームゴリ押ししながらゲージ貯めて無理を通すみたいなバランスらしいが、俺たちのレベルはもうそなのは関係ない。

ジャンケンスピードが早すぎて誰も後出しできない中で、とにかく比較的強い形に拳を握ってボコボコ殴り合って気づいたら相手の指が折れて勝つ以外の試合の形を知らないのだ。

なんだこのゲームは。

ゲームとして成立させるのが難しすぎる。

ちょっと対人してみたけど、やっぱり真面目にやると何も出来ずに負けるが暴れたらちょっとは削れる感じだ。

でもちょっと削った所で誤差なので俺はもう無理だ。

とはいえ初心者同士で戦って勝つなら多分暴れたほうが勝つんだろうが、それはもうゲームと呼べるのかという疑問しかない。

畜生メルブラだったら俺でもゲームっぽく成立したのにギルティは無理すぎる。

早すぎて自分が何をやっているのかも何をやるべきだったのかも分からない。

CPUとやっていても有利Fだから入ったのか単に相手舐めプしてたから入ったのか分からない攻撃が多すぎる。

キャラはカッコイイカワイイけど試合に勝った負けたの理由がよくわからねえから面白くねえ。

もう無理だ。

ミッションモードに帰ろう。

そしてその中で死のう。

俺のギルティは終わった。

2022-09-26

真空断熱の水筒

涼しくなったか今日ホットお茶を飲もうと思って真空断熱の水筒を出してお湯を入れたら、断熱効果が無くなって外側がすっごい熱くなったわ。

新しいの買わないと行けない。

2022-08-23

光速の○パーセント」という表記の仕方を見るたびに興味深いと思う

真空中の光の速さという絶対的基準値かつ最大値がまずあり、それと比べてどのくらい遅いか表現する記法

おそらく相対論かなにかで速度を求める方程式を解いた結果、v=0.98cみたいに算出されたのを口述しようとすると「光速の98パーセントの速さ」のように表記したくなったのだろう

他に類を見ない

なんらかの物理定数と比べてどのくらい小さい、この小さいという比べ方が希少

2022-08-16

anond:20220816125221

リアリティが無い

スターウォーズ原作者の「俺の宇宙では真空でも音がする」ばりの暴論、思考停止

から叩いて良い作品、筆を折るべき

2022-07-29

ずっと気になっている。時間停止したときに停止者の時間だけ動くのはいいとして。

空気時間は止まらないのだろうか、と。

衣服時間は止まらないのか、とか。

 

ネットでは「時間逆行中は空気を吸うことが出来ないので酸素マスクをつける」という方法

時間が逆行しているなら空気もそうなるのでは?という疑問に一定のアンサーを出していた。

酸素マスク内の酸素には適用されないのかという疑問はある。

 

なんかの漫画小説アニメでは

時間停止中に移動すると元の場所真空になり停止解除すると周囲の空気が吸い込まれる」

といった描写があった(気がする。どの作品かわかる人は教えてほしい)

 

大体の場合はなんか面倒くさいか

「停止者に直接触れているもの時間停止状態を解除される」

みたいな設定にしてあったりする。

 

じゃあそういう設定だとしたらおしっこ尿道を離れた瞬間に空中で停止し、

うんこはケツ肉から離れた瞬間空中で停止してしまうんだろうか。

うんこおしっこ時間停止解除してすればいいだけと言われればそうなんだが。

2022-07-17

Amazon Echo buds レビュー

◆購入

Echo Buds (エコーバッズ) 第2世代 - アクティブノイズキャンセリング付き完全ワイヤレスイヤホン with Alexa

プライムデーで半額(6千円くらい)になってたので購入。

今までAppleの有線イヤフォン派だったのでワイヤレス初。

インナーイヤー型を好んでいたのでカナル型も初めてだしノイズキャンセリングも初めて。その上でレビュー

◆良かったところ

ノイズキャンセリングが思ったよりすごかった。

うちの家が大通り沿いにあるので普段から割と音に囲まれ生活なので、あー〝静か〟ってこんなだったわ...と思ってちょっと感動した。真空空間というか。

ノイキャン機能を使わず環境音が適度に聞こえるモードもあるので、外で使う時とかは危険回避のためにこっちのモードにしようと思う。

あとはまだ使ってないけどワークアウト機能があって、アレクサ音声で起動可、走った距離とかも計測可能みたいで、これは使ってみたい。

カナル型に関しても思ったより良かった。初期設備でカナルがs-xlまでサイズ用意されていて、セットアップの時に機械判定でフィットテストしてくれるので、殆どの人はどれかのサイズが合うと思う。

素材も硬めだから、フィットしすぎることがなかったのもよい(柔らかいゴムみたいなカナル型の吸盤みたいなフィット感が嫌いです)

あとワイヤレスって楽だね。本体を放っておけることや、線の絡まりを気にしたり、ぐるぐる巻きにしてしまったりしなくていいのは良い。

音質は本当に普通。(簡単イコライザーアプリから設定可能

◆良くなかったところ

当然なんだけど充電が必要なところ。有線を使ってるとイヤフォンに充電が必要なんて考えられない。やっぱり面倒。

あとなくすのがやっぱり怖い。echo budsは探すモードがあるので、イヤフォン片耳ずつの場所はある程度特定出来るし、家の中での紛失とかは余裕だと思う。けどやっぱり有線に比べると失くす可能性がダンチだし怖い。充電器となるケースを失くしてもアウトなので気持ち的に落ち着かない。

Echo budsは左右のタップ操作可能になっていて、1タップから3タップ、長押しで左右の操作指定できるようになってる。

めっちゃ便利じゃん!と思ったんだけど、使ってみたらすごく不便だった。

1〜3タップまで操作指定できるんだけど、なぜかタップ数によって指定できる操作に限りがあって、1タップに至っては左右共に〝再生/停止〟しか指定ができない。2クリック指定できる操作が少ない。

個人的には左右1クリックで音量アップダウンを設定したかったんだけど、1タップ指定可能操作再生、停止のみなので仕方なく音量のアップダウンは左右の3タップ操作に設定した。(2タップ操作でも音量操作指定項目はない)音量1上げるために3回もイヤフォンタップするの面倒すぎわろた。

しかも最大に不便なのが、タップが人の手じゃなくても反応してしまう所。

要するに布が擦れただけでもタップ感知するため、寝ながら音楽を聴いていると勝手タップ操作有効になってしまうのだ。

自分は長押し操作アレクサの起動を指定していたので、横向きに寝転んで音楽を聴いていたら勝手アレクサが起動しまくる。控えめに言って最悪だった。

タップ操作を非有効にすることも可能なのだけど、一気にオフすることができなくて、操作画面で1タップの左右操作設定、2タップの左右操作設定...という形で個別タップ数✖︎左右✖︎操作項目を選んでいちいち全てを手動オフしないといけない。すっごく面倒臭いので寝ながら音楽聴くことを諦めた。多分1週間後にはタップ操作自体放棄していると思う。

今思い出せる事はこれくらい。

6千円でノイズキャンセリングワイヤレス、ワークアウト機能、探す機能などが搭載されていることを考えるとものすごい値段設定だと思う。

が、結局は自分の求めてるものが手に入らない限りはお得とか関係ないので自分には良い買い物ではなかった。

次買うなら聞けるなら他の機能はいらん、というかんじで2〜3千円のワイヤレスを買うと思う。失くしてもまぁしゃーないと思える額だし。

自分はこういう使い方してて便利だよとかあったら教えてほしいな。

2022-07-09

anond:20220709094809

銃を構えた瞬間にSP真空投げすれば防げた事件だった

2022-06-28

ダイソーの500円真空タンブラー

氷をいれて炭酸水飲んでるんだが、全く氷が溶けない。すごすぎる。どうなってんのこれ?

2022-06-25

anond:20200715083258

コーヒーの飲み方を根本的に変えてくれる真空断熱マグがいいよ

2022-06-12

真空空気に浮く。

とても軽くて丈夫な素材で真空容器を作れば、宇宙まで浮かぶかな。

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