はてなキーワード: 書記とは
面接と聞いていたが、実はグループワークだった。しかも総合職といっしょ。9人。
一人だけアの知り合いがいた。
やっぱり総合職の人間くそ頭悪そうだし、ああいう女と一生付き合いたくねえな。。。
グループワーク、4つほど保険の案が出され、(やすい保険・医療と介護と老後にも備えた保険・一度癌になったひとの保険・今の加入者に対するさらなるサービス)
その中で40分でいい案を選んで、なぜそれを選んだのかを1枚にまとめて提出。多数決は禁止。
ぱっと見た時にこいつらクソ頭悪そうだなあと思ったが、ちゃんと論理的に話す能力はあってよかった。
途中でそれぞれの保険や会社の現状なども追加されて割とパニックを誘う。
書記をやったが最後のまとめに5分割いたにもかかわらずうまく書けなかった。あと書記とか初めてでよくわからん。
最後に振り返りとして、グループワークでは、目的の確認と役割分担が大事とのことを教わる。
帰りはこの前あったアの人と総合職糞だなあ就活辛いなあみたいな話をしながら帰る。ついでに名刺交換みたいにLINEも交換する。
そのあとは5kmほどランニングをする。筋肉量を図ったら足と腕の筋肉だけやけに少なくて悲しい気分になったので今度からそれらを鍛える。
はっきり言ってしまえば、虐殺器官のトリックもハーモニーのアイディアも、SF的観点からするとさして目新しいものではない凡庸なものだ。
にも関わらず、「夭逝の天才作家」として祭り上げられる以前から○○おじさんを含むめんどくさい連中に評価されている理由は何かと考えると、ディティールの積み上げる圧倒的なリアリティにあるのだと思う。
虐殺器官に出てくる心理的マスキング処理、ハーモニーに出てくるアマゾンめいた個人評価のスター、これらは今現在からの延長線上の未来として演算される現実的なもので、一部の組織や企業内では既に現実のものとして実装されているものであろう。
彼の死から早6年、彼の最後の作品である屍者の帝国が、Project itohの最初の映像作品として公開される、それも彼が最も愛した映画という形をとってだ。
6年間、それはあまりにも長い時間でした。僕らの好きだった計劃さんは、どうしようもなくめんどくさい(そして愛すべき)はてダの映画おじさんという存在から、いつの間にかに「夭逝の天才作家」という世間を騒がすアイドルになっていてProject itohなるものが始動してしまう始末。
それでも、それでも、Projectに苦虫を噛み潰したような表情で立ちすくむ○○おじさんたちも、御大の小説が映像化されることには公開される前は素直に喜んで胸のときめきを抑えきれなかったはず、そう公開される前は。なんなんですか、いざ公開されたとなればハダリーたんのおっぱいとか階差機関に対する言及はあれども映画そのものに対しては皆口をつぐみ、挙句の果てに「地獄はここにあるんですよ」と指差す始末。
はっきり言おう、○○おじさんたちは生前の計劃さんから何も学んでいないと。
映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。
批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評と規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。
だから、こいつは映画批評じゃない。まさに印象批評的で、規範批評的で、それはすべて、ぼくが紹介する映画を魅力的に見せるためにとった戦略だ。
このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。
「おかえり、フライデー」
人間は死亡すると、生前に比べて21g体重が減少することが確認されている。それが霊素の重さ、いわば魂の重さだ。我々は魂が抜けた肉体に擬似霊素をインストールすることによって死者を蘇らせる。
原作は我らが伊藤計劃、そして円城塔。といってもたった30枚の遺稿は映画化にあたってオミットされている。メディアミックスなるものは今日当たり前のものになりつつあるのに、なぜかこと映画化に関しては地雷であるという評価が当然のものになりつつある、特にマンガやアニメの原作付きのものに関しては顕著だ。本作もその類に漏れず、○○おじさん達から大変な不評を買ってしまっているが、伊藤作品の映像化という観点からすれば私は十二分に楽しむことができる傑作だと思った。
原作付き映画に何を期待するかは人によってそれぞれ違うが、原作のストーリー通りに話が展開するだとか、セリフを忠実に再現するだとか、冒頭の30枚を残すだとか、少なくとも私はそういったことには重みを置かない。小説には文字の、映画には映像の文法がそれぞれあるのだから、単に忠実に再現するだけでは翻訳として成り立たないし、少なくともメディアミックスとしての価値はない。それは原作ファンを称するクラスタに向けた言い訳に過ぎず、怠惰な姿勢だと思う。
文字とはすなわち情報であり、映像もすなわち情報である。その違いがどこにあるかというとtxtファイルとwmvファイルの容量を比べるまでもなく、圧倒的な情報量にある。つまり同じシーンを描写するにあっても、映像化のためには不足する情報を画面に徹底的に描き込まなければならない。では不足する情報をどこから補ってくるかといえばやはり原作であるのだが、単に帰納的演算に基づいて情報を付加すると、あたかもjpeg画像を拡大したように荒く違和感を感じるものになってしまう。そこで映像化にあたっては、原作を入念に読み込み世界観を理解したうえで、原作に存在しなかった情報を加えることでディティールを明確にする。一方でその情報量が過剰であるが故に、人は文字を3時間追うことができても、映像を3時間観ることは困難なのもまた事実(現実的には予算だとか尺の問題だが)。そこで行われるのは物語の圧縮である。先に述べた情報の付加と異なり、如何に情報量を減らさずに短い時間に収めるか、如何にディティールを残したまま圧縮できるかが肝になる。
こうして完成した映像作品は、個々人の頭の中に存在する「原作」とは違ったものとなっているので、ほぼ確実に違和感を与えることになる、場合によってはそれが不評の原因になるかもしれない。だが、ここであえて言わせてもらえば、その違和感こそがメディアミックスとしての醍醐味であって、映画を見る楽しみの観点であろうと。
私はかつて植民地だった地域によくある上海の租界のような場所が好きだ。それは現実の宗主国の建築物を現地にある材料で模したまがい物に過ぎないのだけれども、望郷の念からか過剰に演出されたそれらの建物は本物のフランスやイギリスの建物より本物らしく見える。例えるなら歌舞伎の女形が女性より女らしいようなものだ。
映像化された屍者の帝国に、私は原作より原作らしいもの、あるいは書かれることがなかった、この世界線には存在しない真の原作の面影を感じることができたと思う。
ボンベイにたむろする屍者の労働者、○○おじさんにも大好評だった圧倒的なディティールの階差機関、白く荒涼としたカザフスタン、目黒雅叙園に相撲の浮世絵ジャパン、映像化に際して付加された情報量についてだけでも映画として申し分ない。かつて彼が愛していた世界観型の映画のように、産業革命の時代に屍者技術なるものが存在した場合どんな世の中になるかというSF的観点なif、たったひとつの嘘による世界構築がなされている。
「あなたにもう一度逢いたかった、聞かせて欲しかった、あなたの言葉の続きを。」
原作ではフライデーが円城塔で、ワトソンが伊藤計劃にあたる。彼が残したテキストを読み足りない情報を補って、作家伊藤計劃を脳内にエミュレートして続編を書くという行為を考えれば当然の配役である。小説のエピローグで、彼岸に渡ったワトソンを思ってフライデーは自らの意思を持ち動き出す。一方、映画ではその立場が逆転して、ワトソンが円城塔でフライデーが伊藤計劃にあたり、旅の目的は伊藤計劃の復活である。映画の文法としては旅の目的の明確化だが、○○おじさんにとっての不評の元凶となる改変だ。BLだノイタミナだとdisる気持ちもわからなくはないけど、ヴィクターの書記を手に入れて伊藤計劃を復活させるという話が映像化第一弾として公開されることに意味を感じる。
冒頭にも書いたが伊藤計劃の小説は言ってしまえばそんなでもないし、同じようなものを書ける人は出てくる。けど、彼の映画批評のような愛と薀蓄に溢れた文書を書ける人はもう出てこないような気がする。それでも彼がもし生きていればこの映画をどう評論しただろうか、死んだ彼がこの映画を見たらどう評論しただろうか。
うちの母親は、真の意味で「子育てが趣味」という人間だ。徹頭徹尾子供のことのみを考えて生きていて、非実用的な私物は一切買わず娯楽の類にも興味がない。最近少しパソコンを始めたようだが、それも「PTAの書記になったから」というだけの理由だった。さすがに友人は少数いて月に一度くらい食事に出かけている。それがほぼ唯一の散財だ。専業主婦になる前一年ほど就いていた仕事も小学校の家庭科教師というのだから、筋金入りとしか言いようがない。二十四で初めての子供を産み(僕のことだ)、その後さらに追加で三人を産んだ。最後に生まれた娘が重度の知能障害だったのでより深く面倒を見なければならず、五人目は断念したようだが、後々になって「欲しくなかったの?」と訊いたら即答で「欲しかったよ」と言われて少々唖然とした。
それなりに広い二階建ての家を毎日隅々まで掃除し、大量の衣服を洗濯してアイロンがけし、夕飯も惣菜で済まさずに手作りする。これは明確に仕事の一環として行っていて、特に料理は全く好きでないらしい。前日の肉じゃがを再利用してコロッケを作るような工夫を見せながら(抜群に美味い)、自分は白米と沢庵で済ませていたりする。自分のことに関心がなく、そして外の世界にもほぼ関心がない。生粋の箱入り娘として育てられていて、男性経験も父以外には一人もない。よく昼ドラで描かれるような「専業主婦」とは対極に位置する存在だと思われる。
そんな彼女の一番の教育方針は「兄弟間で差を付けない」というものだ。僕は長男であり次男は三歳下、三男は四歳下なのだが「面倒を見ろ」と言われた記憶はない。「お兄ちゃんなんだから」と何かを我慢させられたこともない。小遣いは学年に応じて決められていて、同じ学年になれば同じ額が支払われた。僕が小四になって希望して塾に行ったので、弟達が四年生になった時も同じように(希望を訊いた上で)塾通いを許可した。子供が増えるほど家計は切迫していたに違いなく、これは想像以上にきつかったはずだ。
そしてこの方針を徹底している最も象徴的なことが、僕の呼び名だ。僕は家族全員から下の名前で呼ばれている。弟からも妹からも呼び捨てだ。「兄さん」などと呼ばれるのは想像しただけで寒気がする。これは間違いなく親が「兄」という呼び名を使わなかったことが理由で、つまるところ僕は家族の中で「兄」として扱われたことが一度もないのだ。だからよく、他人に「長男だ」と言うと「そうは見えない」と驚かれる。
この育て方の結果として、うちは兄弟仲が異常に良い。あたりまえのように一緒に食事やカラオケに行くし、仕事や好きな漫画について何時間でも話し続ける。弟二人は特に年子だから僕以上に関係が深く、対戦ゲームを一晩中遊んでいる様子を度々見かけていた。世間一般のイメージする「兄弟」というよりはどちらかというと「幼馴染」に近いようにも思うが、しかし僕にとってこれこそが兄弟関係以外の何者でもなく、それはすなわち母の教育の成功を意味しているのだと思う。
そもそも複数の兄弟を分け隔てなく育てるというのは、土台無理な話なのだ。あまりに手間がかかりすぎる。自分の好きなことは一切できないような生活にならざるを得ないだろう。だからこれは、うちの母に限定された教育法だ。彼女は「私欲を滅して子育てに魂を捧げるのだ」といった大層な決意を持って臨んだわけではない。単に自然に子育てをしたらそうなっただけのことなのだ。そう、彼女はある意味では自分の欲望に忠実に生きている。
現在、四人の子供は全員成人し、男三人はみな就職してそれぞれの仕事に励んでいる。すべからく子供は大人になり、親から離れてどこかへ行く。あたりまえのことだ。だがそれは母親にとっては唯一の趣味がなくなることを意味する。
だから四人目の娘が重度の知的障害者だったのは、(いろいろなものに目をつぶって言うと)僕たち家族にはとても良いことだった。今でも二歳児程度の知能発育である妹は、これ以上成長しない。彼女は永遠に子供のままであり、それはそのまま永遠に子育てが続くことを意味する。母親にとって、それはきっと幸福なことなのだと思う。
4人で協力して一つのものを作るってプロジェクトを始めた。決められたテーマから各グループで具体的にそれを満たす案を練って作るって感じ。
全員が部活のメンバーで、上田先輩(意識高い)、大城先輩(技術力高い)、友達の加賀、増田。今回ウザいのは上田先輩。
最初っから上田は「忙しいからアイディア出しには参加しない」って言ってんの。最初のその時点から「じゃあ入るなやクソが だいたいお前の技術分野でも無いだろ」って思ってたけど、いろいろお世話になっているし一応先輩だしでチームに入れた。
今日はプロジェクトの開始記念って感じで色々と手伝ってくれる大人の方と会議した。今考えてる案を話して「目的が分かりにくいから、こう変えた方がいいんじゃないかな」とかアドバイス貰った。「なるほど」と思って、アイディアを持ってきた私と、一部制作を始めている大城先輩と問題点を洗い出して何に注力するべきか議論してた。んで意識を共有してきたところに、何もやっていない上田が割って入ってくる。
「お互い思っていること紙に書きだそう 何が問題点なのか書かないと分からない 俺が書くと時間かかるから自分で書いていって」
いや分かってないのは完全にお前だけだし、まだ実際の作業とか出来てないから加賀はパソコンで会話の書記とかしてくれてるじゃん。おとなしくしろや。クソが。
百歩譲ってわからないんだったら迷惑掛けないように自分でまとめろ。
しかも、施設の利用時間があと30分とかだしもう時間ないだろ。
大城先輩は私みたいにガキじゃないから、参加して紙に書いて議論に参加しているけど、上田は相変わらず的はずれな事しか言っていない。
私「いやさっきAの方が楽って言いました(あぁ~~~~帰ってアニメ見たい)」
上田「でも○○が…」
私「(お前今なにも作業に参加してないだろ 専門外のこと口出しするな…)」
なんやかんやで、適当に話してたら残り5分とかになって片付け始めた。
大人の手伝いの人が「なかなか白熱してたねぇ」って言うと、
ホントきんんんんもちわるい 思ってるのお前だけって気づかないの
大城先輩とか加賀とかは割りと褒めたりして”議論”をしてたんだけど、上田だけdisの塊を投げ続けるだけって感じだった。
んじゃ時間だし帰るかって感じのタイミングで、上田が手伝いの大人の人と就活の話をし始めた。
もう退室時間だって片付けもう始まってるじゃん。迷惑だから帰ろうと思わないの?
書くタイミングなくなったから今書くけど、私と大城先輩が技術的に可能か検証するために勝手にプロトタイプ作ってたら上田が
とか言ってきて、”開発しやすいように”と謎の理由を付けて更に使う技術に制約すらつけてきた。
意見出ししない言っておきながら、クソみたいに会議長引かせたり、使う技術に制約つけてきたり。
上田居ないほうが絶対楽だったわ。あーーーーーーーーーーーーつまんね
ツイッターも意識高い系のツイートしかしないし、無駄に忙しい忙しいとかしか言ってない。
やりきれる気がしない。
古いアニメを持ち出すが、ゼロの使い魔のアニメ2期のEDの歌詞に『よそ見してたでしょっ 他の女の子』
という歌詞がある、これは主人公であるサイトがルイズの視点から見るとしょっちゅうシエスタやキュルケに色目を使い目移りしているように見えるということを示唆している。
しかし読者や主人公からすれば主人公であるところのサイトがずっとルイズが好きなのは明らかである。
では何故そのようなすれちがいが発生するのか、これをゲーテの名作であるところの"若きウェルテルの悩み"を読んでいたところ思いついたのでここに記してみる。
若きウェルテルの悩みはウェルテルがロッテに猛烈な恋をするが、既婚者であるロッテとの恋はどうやっても叶えられないことに絶望し最後には自殺をするという壮絶な内容であるが
ロッテが結婚したからといってすぐ自殺をしてしまったほけではなく、当然そこには過程がある。
ウェルテルはロッテがすでに婚約者であったがためにいったんよその土地へ行くがまた戻ってきてしまう、そして戻ってきたときにはロッテはすでに結婚しており以前住んでいたときの住民の近況は変化していた。
作中のエピソードでウェルテルがある口下手な作男と非常に仲良くなり、その男はある後家さんのところで働いており非常にその女主人を慕っており、女主人のほうも作男を優遇しておりにくからず思っているということが語られる。
ウェルテルがよその土地から戻ってみると、その男はウェルテルが留守にしているあいだにその女主人と腕ずくで思いを遂げようとしたがそれを快く思わない女主人の弟の介入もあり拒否され解雇されてしまう。
もちろんウェルテルはこの作男にロッテへの強烈な横恋慕をしている自分を重ねあわせて同情する、そしてこの作男は最後には後任の男を殺してしまうのだ。
作男がこの後任の男を殺したのにはもちろん理由があって、何故か女主人はこの後任の男と結婚しそうな気配があったらしい(なぜこうなったのかは私にはわからない)
ウェルテルは後任の男を殺してしまったこの作男を強烈に弁護するが周りからは受け入れられない。
他にもロッテに恋し、それを打ち明けた結果免職になり気が狂ってしまった書記の話などが語られる。
もしもまともに恋愛ができたならば当然この書記はウェルテルにとっての恋敵なわけだが、ウェルテルはこの気が狂った書記の話に対してはげしく感動をしてしまう。
なぜなら、この書記はウェルテルがやりたいと思ってできなかったことをした結果狂気の道におちいったからだ、それに対して深い同情を覚えて感動をしたわけだ、しかしこれはウェルテルにとっては絶望への一歩だったと思う。
さて前述の作男の裁判をした結果、弁護は受け入れられずウェルテルはロッテとの交流も断たれてしまい、最終的に自殺の道を選ぶことになる。
では何故ウェルテルは自殺をしたのか? ロッテが婚約しているにしても、結婚前に告白すれば万が一でも受け入れられたのではないか?もしくは他の女性を探すとかロッテを略奪するとかさまざまな道があるのではないかと読者が思うのは当然である。
しかしこれらの道はすべてウェルテルからするとすでに検討された、というか現実に試行してみたようなものなのだ。ウェルテルは発狂した男や殺人を犯してしまった作男を見て、自分の思いをうち明けたり略奪をしようとすれば同じ結末になることに気がついてしまったのだ。
とはいっても、他の土地へ移るというのもすでにやってしまった道であり、どうやってもロッテへの想いを抑えることはできないと悟ったから最終的に自殺をするわけである。
ではどうしてこういう考えに至るのかというと、告白やら略奪といった行為は男性にとって非常にリスクのともなう行為だからだ。
古来から女性には恋愛や結婚に弱い拒否権はあっても、誰々と結婚したいといった能動的な権利は与えられてこなかった、つまり求婚は基本的に男性から行われてきたのである、これは現代でもある程度同じ傾向が見られるといっていいだろう。
フィクションであれば"すばらしい新世界"などで女性から直截なセックスを求められ野蛮人(旧世代人)のジョンがショックを受けるといったような話があるが、だからこそ現実ではそうはなっていなかったということがわかる。
それはともかく、女性から求愛をするというのは稀であるというのがわかると思う、これは"据え膳食わぬは男の恥"という故事成語からもめったにあることではなくそのような事までさせてしまったのだから男は責任を取れという意味合いであると思う。
つまり求愛は男性から基本的に行われ、女性はせいぜい思わせぶりな行動しかとれずあなたは私をどう思っているのか?ということは聞けないのである、聞けば実質それは告白と同じである。
そして万が一その告白が拒否されればそれは恥ずかしいことであり自分の自尊心を大いに傷つけることになる。しかしそういったことを聞かずある程度まで仲良くする分にはまったく問題がなくノーリスクなわけである、女性の側からするとやきもきするかもしれないが男性の側からすると告白はリスクの伴う行為であり確証を得るまでは動けないのである。
告白を行うムードまでもっていけたら実質告白前に勝負は決まっており勝ちも同然である。
ある程度の仲まで持っていくのはノーリスクなのだから青年男性はいろんな女性とある程度に仲よくなったりするわけであり、それは意中の女性がいたとしてもまだ彼氏彼女の関係になっていなかったらそうなのである。
それはリスク分散という側面もあるし、単に女性と話すスキルを上げたいというのもあるだろうし、告白し失敗した場合に自分の精神を守るための布石だったり、一人の女性だけに入れ込んでいるのは怖がられそうという判断のためだったりするだろう。
しかしこれは女性の側から見たら、男性はいろんな女性に目移りしたりデレデレしているように見えるのではないかと思った。私は好きとは言わないけどあなたからは言って欲しいというわけである。好きと言ってくれなかったらそれまでの愛が憎しみに変わったりすることもあるわけで、
たとえ男の方は意中の女性のことをずっと一途に慕っていたとしてもそうなったりする。
こういうことを考えていたら、そういえばゼロの使い魔のEDにそういうような歌詞があったなと思いだされてたので文章にまとめた。
ともあれ恋愛弱者に対して死刑宣告をするような本だった、途中まであまり面白くなかったがロッテに告白して爆死した男にウェルテルが同情したあたりから面白かった。
この記事を読んで思い出した。
入会なんて聞いてない ―― 父親たちの語るPTA(前編)
http://synodos.jp/society/5096
子供が通っている学校のPTA保護者の部は、執行部といくつかの委員会から成り立っている。
各委員会には委員長と副委員長が各一名、その他は平委員という感じ。
通常の委員会に加えて年数回ある総会にも参加しなければならない。
当然これらの集まりは基本平日であり、まじめに全部参加していたら有給なんて吹っ飛ぶ。というかおそらく足りない。
保護者は通常、児童一人につき最低二回(場合に寄っては三回)、何かしらの役員をやらなくてはいけない。
免除はない。保護者本人が入院中か妊娠中の場合に限り、その年の役員は免除される。
八年の間に役員を五回か六回は引き受けなければならない計算になる。
しかし夫婦ともにここ数年で持病持ちとなってしまい、互いに休職や退職を何度か経験しているような状態。
正直無理ゲー。
だけどもやらないわけにはいかない。
一回目の役員はそれなりにこなして、二回目の役員を引き受けることになった。
委員会最初の集まりで委員長と副を決めるのだが、私はこの日仕事が休めなかったため欠席。
その夜、知らない番号から電話がかかってきて「あなたが委員長に決定しましたのでよろしくお願いします」と言われた。相手は執行部の役員だった。
ええええええええええ。
「家庭の事情で平日の役員会には参加できないので、申し訳ないのですが委員長は・・・」と断ると、電話の向こうからキレ気味の声が聞こえる。
「仕事しているのもご家庭の事情があるのも、皆さん子育てしていて大変なのは同じなので!!」
ごもっとも。
「・・・すみません、考えさせてください」と言いながら会話を終える。
大体なんで面識ない人が連絡網にも載せていない私の携帯番号知ってるんだよ、誰だよ勝手に番号教えたの。
翌日仕事を終えると、昨日とはまた別の、知らない番号で着信履歴が埋まっていた。
着信攻撃に恐怖しながら電話に出ると、副委員長になったという人からの挨拶だった。
後日、執行部役員さんに「やはり引き受けるのは難しいので辞退させてください」と連絡。
そしたら役員さん、こう仰る。
「それならば委員全員を集めて、ご自身の事情をすべてお話して、全員の賛同を得てください。それならば引き受けなくても結構です。」
家庭の事情を?
全員に?
そうなの?そこまでしなくちゃいけないの?
おまけにこっちは今休みも取れなくて、平日帰宅できるのが21時過ぎで、土日もどうなるか分からない状態で、招集なんてできないですよ。ああああああ。
会話の中で「役員っていうのは保護者としての義務なんですよ」「責任感がない」「保護者失格」って言われたときはさすがに後で泣いた。
みんな大変なのは分かってる。
独身時代にはボランティア活動や小学校の手伝いをしていたこともあるので、そういう活動自体が嫌というわけではない。
そこまで言わなくちゃいけないの?
役員できなくなった人は親を辞めなくちゃいけないの?
PTAを退会したら楽になるのかな、と思った。
でも退会するのにもエネルギーが必要なのかと思うとなかなか踏み出せない。
世の中の保護者は大変な状況下でもPTAの仕事をこなしてるんだよね。
役員できない自分が悪くて、ただ逃げてるだけなんじゃないかと考えてしまう。
はあ。
>>
2008年11月28日に機関紙「北教」で、「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」と厳しく非難、2009年12月28日に朝鮮日報の取材に対し、昨年「韓国側の主張が正当だ」という学習資料を配付した北海道教職員組合の信岡聡書記次長が「(独島が)明確に日本のものだと主張できるだけの根拠は発見できなかった。生徒の正しい判断を助けるため、われわれが判断したことを学習資料に盛り込んだ」「日本の竹島領有権主張は、(日露)戦争中に用途が生まれ、主張し始めたものだ。明確に日本の領土だと主張できるだけの(歴史的)根拠を探し出すことはできなかった」「日本の教育には、“近隣諸国条項”というものがある。教科書を叙述する際、教室で生徒たちに教える際、近隣の国に配慮しなければならない、という原則だ。まだ解決していない問題を教科書に載せることは、この原則から外れている」と語った。(韓国に領有権があるとは主張していない)
これら主張に対し、拓殖大学教授の下條正男は「竹島が韓国の領土で日本の領土でないという歴史的見解を示せ」という趣旨の公開質問状を示した[6]。また、維新政党・新風とも連携し[7]、北海道教職員組合の竹島問題に関する見解など4項目からなる公開質問状を送付した。
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私がこれから書くことはある県の私立高校であった男子寮内での体罰の実情です。2008年の話なので一昔です。
最初に言いますが私はこの現場から逃げました。自分に矛先が向く前に逃げました(転校しました)。
凄まじい暴力にあった友人を見捨てました。本当に申し訳なかったし、クリスチャンに足を一歩踏み入れた今、あの時公に告発しなかった事にとても後悔しています。
あの時、知識があれば共産党の市議会議員団とか革新系政党の議員にでも封書を送っておけば取り上げてくれたと思います。ですがあの時の私は若く脊髄反射右翼でしたので真っ向から敵視していました。こういうひずみを正す活動に定評があることを知りませんでした。
すこし長くなりますし、文才もありません。ですが、速読でもいいので軽く読み通していただければ幸いです。すべて事実です。わかる人にはわかるようになっています。
日付は日記をつけていなかったのでありませんが単純な時系列で書いています。
私が入った高校は今時珍しく少々昭和の雰囲気の残る学校で、学校の教師も元自衛官が多く、校則も結構硬めでした。まあ人生の先輩諸氏が言う”ゆとり”を正すのには最適です。
私は2008年にその県からはるか南にある県から入学してきました。
入学の理由は頭が悪いのと、手に食をつけるような勉強がしたかったから。その学校は進学系学科もあれば専門系何でもござれの総合的な高校でした。
又、その学校の寮は新築ということもあり、私のような馬鹿の夢をふくらませるのには十分でした。
入学前のオリエンテーリングの日、すさまじい遠隔地に住んでいたので飛行機でその県へ飛び、電車などを乗り継いで学校へ向かいました。
内容は他愛もなく、入学前に学習しておく課題を渡されたのと、入学生の心得の説明を受けた程度で、その後寮で入寮希望者に対しての説明を受ける予定でしたが、日帰りということもあり、飛行機の都合で受けることができませんでした。
この時の説明を寮の友人にあとから聞いたのですが、とても威圧的だったようです。
4月。入学&入寮日。よそよそしく先輩方が寮内の説明をしてくれました。ですがなんとも言えない雰囲気がありました。よそよそしすぎたのです。
入学式の際たまたま話す機会のあった寮生の2年生の先輩に話を聞くと、「お前には言っておくけど、明日”挨拶の訓練”がある。一応気をつけろ。」とだけ言われました。
なんか妙な感じだったので少し掘り下げましたが、「今からでも先輩にはきちんと挨拶しとけば大丈夫だから。」とだけ言われただけで詳しくは話そうとしませんでした。
私は基本臆病なので言いようのない不安感につつまれつつ夜を明かしました。
翌日。授業が終わったあと寮で本を読んでいると、寮内放送で寮生の代表である3年生の寮長から「新入生は今すぐ集まるように。」と招集がかかり、新入生は急いで集会フロアに集まりました。100人は体育座りできるくらいの広い部屋です。
そこに行ってみるとびっくり。部屋が暗くなっています。
中に入ると先輩方が無言で座って威圧感があり皆戸惑いながら座りました。
長くなるので先輩方の発言は取り上げませんが、そこで行われたのは訓練が行われる前まで先輩に挨拶をしなかった奴の吊し上げでした。
吊し上げの内容を要約すると、「お前、神経図太いな。何様だ!」という感じです。先輩からの平手打ちと本気の蹴り、背中を踏みつけるなどの暴力が飛びかっていました、
寮の総責任者である、元自衛官の寮監(舎監)も黙認しじっと見ているだけでした。私は国家主義者なので国家の防人たる自衛官を貶したくはありませんが、元自衛官というのはこんな人間なんだと感じました。人間性を疑いました。
この時はこれだけでも随分とショックだったのですが後々ショッキングなことがどんどん続きます。
ただし、全てについて書くと冗長になるので私が逃げるまで複数回あった中の代表的な”ミーティング”という名の吊し上げパーティーを取り上げたいと思います。
7月。”ミーティング”が開かれました。内容は「消灯時間後にふらついた奴を罰する」という内容でした。もちろん全寮生強制参加です。
寮長が「正直に前に出てこい。俺は目星がついている。」といった具合で炙り出す方法で、全員が正座をさせられていました。
つまるところ寮長の把握している奴が出てくるまでは、全員正座のままだぞという心理的な作戦もあるわけです。
そんな状況を把握できるような人はすぐに前にでてきましたが、殴られるやもしれない場所に行かなければならない恐怖から言い出せない人もいました。Y君です。
Y君は前に出ずに、先輩にひきずり出されました。私も出歩いていたのですが正直に前に出たのでひたすらあやまって許してもらえましたが、Y君は地獄へ突き落とされます。
Y君は前科があり、何度も寮の規則に違反することがありました。おとなしいのですが、ルールを守るのが下手だったのです。具体的に言うと掃除を真面目にやらないなどです。
Y君が前にひきずり出されるまで2時間近く正座させられていました。同級生たちも同情より恨みが勝ってしまったのです。彼を皆で罰するべきだという空気が出てきました。
そして寮長が言った一言で私は凍りつきました。「おまえは本気叩かれないとわからない」。
場所を移し寮の集会フロアの隣にある講義室に集まるよう言われ、机をどかし、フラットになった部屋の床の上に正座させられました。そこで行われたのはリンチと行ってもいい凄惨なケツバットでした。
寮長が「おまえらは正座をやめていい。こいつはずっと嘘をついてお前らに苦痛を与え続けた。だれかこいつを叩きたい奴はいるか。」と言い、まずは2年や3年の先輩の一部がY君の尻を棒で思い切り叩きました。
さすがに1年生は加わらずに静観すると思っていたのですが、計算違いで、実際には「おまえのせいだ!ふざけんな!」や「おまえ気持ち悪いんだよ!」とか罵声を浴びせしまいには名乗りでて殴り始めました。少なくとも20発以上は殴られていました。
私はその時頭の中で当時読んでいた歴史として日本の共産主義運動を振り返る本(失念しました。)の内容を思い出し、その中の山岳ベース事件の”総括”を思い出しました。まさに同じような空間が目の前にできてしまったのです。
ですが私は止めませんでした、殴られる友人を目の前にして、ただ体育座りをして静観していました。自分もああ言う立場になりたくありませんでしたから。
このあとY君は保護者に寮の現状を言い、学校側にも寮内で学生同士による体罰が行われているという話が行きました。ですが結局Y君は退寮し、遠くから通学することになり、寮監は詫びの印的に解雇され、新しい寮監が招聘され着任しました。
ですが、そもそも校長が体罰をしりつつ黙認していることもあり、寮監が変わった所で”ミーティング”は続くことになります。
その中で私は寮内での発言力が強くなりました。理由は寮長や先輩と懇意になったからです。懇意になった理由は私の持っている技術的な知識を使って上級生の困りごとを解消したからです。
私は書記に任命され、寮の会議に出席することができるようになりました。それからというものミーティングの開催日時を事前に知る立場となったため、一部の寮生には議事を漏らして品行方正にするよう警告を出すようにしていました。
ですが私はその中でも恐怖でいっぱいでした。権力につくと権力の論理に取り込まれてしまうのではないかという恐怖が襲ってきたのです。
「いつかは自分が人に危害を加えないといけない立場になるかもしれない。」綺麗事を言っているのではありません。人に恨まれるのが怖い臆病な性格から出た考え方です。
私は母に電話をし、寮の現状を学校に言うように働きかけました。
寮内では「誰かがチクった」と話題になりましたが、私は知らぬ顔で生活していました。
ある日カウンセラーの教師から「話がある。」と呼ばれ、カウンセリング室で話をしました。
母から話を聞いたとのことで、寮のことについての話でした。そのカウンセリング教師が言ったことは「君は疑われるようなことをやっていないんだろ。」「それじゃあそれでいいじゃないか。」でした。
本質がまるでわかっていない発言に私は唖然としました。また、同日校長にも呼ばれましたが、「君はしっかり勉強をがんばって!」「国家資格を取れば奨学金ももらえるし、君が好きな本も買える。努力しなさい。」と全然寮の内部については触れない不毛な話し合いになりました。
私は入学して9ヶ月後の12月、寮外の友人はおろか寮内で自分と考えを分かち合った仲間とさえまともな挨拶をかわさずに、生まれた地元の進学校へ夜逃げのようにして転校しました。
転校に関しては学校同士のコンセンサスが必要なようで、出ようとした高校が私の転学に関する事務処理の段取りを無視した行動に激怒したようですが、逃げ出すために何ふり構っていられませんでした。
進学校に行けたのは、逃げ出したい思いで勉強したのと、地元の友人を通して転校先の教頭と話し合いができたおかげでした。
転校してからというもの、良い友人と理知的で議論が出来、しっかりとした社会観念を持つ教師陣に恵まれ2011年に私は普通科を卒業しました。
余談ですが、卒業した高校で友人同士の議論や教師との対話を行い、知識で武装するという考え方を手に入れることも出来ました。そして、私の持っていた思想が感情に基づくものであったことも議論や対話の中で批判され、恥ずかしながら理論武装・自己思想の体系化をするという事を恩師から学びました。これは今でも続いています。
私は2つの学校で経験した対比的な環境が今の私の生き方の礎になりました。
昨今話題になっている”教師から生徒への暴行”ですが”生徒から生徒への暴行”を組織ぐるみで学校の教師や責任者が見てみぬふりをする現状を知っていただきたくて書きました。
読んでいただいた皆様の中に何か感じるものがあれば幸いです。