はてなキーワード: セルフイメージとは
ここ5年くらい、欲しくて欲しくて思い詰めているようなアクセサリーがあった。ピアスとネックレスのセットで約70万円。いやいや70万てwwと自分でも無用の長物だと分かっているんだけど、それがあれば自分は自分を好きになれる、より素晴らしい自分になれる気がして、だから欲しくて仕方なかった。
店頭にも足を運び現物も見た。とても素敵だ。これをつけてシャツにタイトスカートにハイヒールを合わせてオフィスを闊歩したら、どんなにか気分がいいだろうと思った。そのアクセサリーがあれば、「おしゃれで仕事ができる美人」というセルフイメージが持てる気がした。
勤続10年目なので、会社から祝金が出る。なので、それを原資に足して買おうと決めた矢先、異動が決まった。異動先はこれまでいた経営部門と違い現場仕事が多く、タイトスカートもハイヒールも縁遠い雰囲気だった。仕事自体は面白そうなのでまあいいのだが、そう思うともはやあのアクセサリーは何の意味もなさなかった。現場で汗を流すのに、おしゃれである必要もなければ美人である必要もない。そもそも私の新しい仕事は、作業着と安全靴が支給されるような世界なのだ。
年間120日とかの休みの日(しかも全然出かけないこともある)につけるアクセサリーに70万払うのもバカバカしいので、あのピアスとネックレスは購入しないこととした。あんなに欲しくて、毎日HPやInstagramを見ていたのに、びっくりだ。つまるところ、私はあの綺麗なアクセサリーそのものが欲しかったのではなくて、「あの素敵なアクセサリーをつけてバリバリ働く私」が欲しかったんだな、と思った。
・多目的トイレを不適切に使ったこと(利用者・公共への迷惑、適切に利用できなくなる恐れ)
⇒森ビルに謝罪すればよい、マスコミを通じて世間に謝罪する必要なし
・関係女性も共犯とはいえ、女性の好意を利用して安い金で性処理に使ったこと(性の買い叩き)
⇒関係した女性に謝罪すればよい、マスコミを通じて世間に謝罪する必要なし
・実態がアレにも関わらず、わざわざクリーンなセルフイメージを作って仕事したこと(企業への迷惑、金銭の問題)
・多目的トイレを不適切に使ったこと(利用者・公共への迷惑、適切に利用できなくなる恐れ)
・関係女性も共犯とはいえ、女性の好意を利用して安い金で性処理に使ったこと(性の買い叩き)
・実態がアレにも関わらず、わざわざクリーンなセルフイメージを作って仕事したこと(企業への迷惑、金銭の問題)
くらいだと思うんだけど、会見なんだったんだろう。
渡部だけの問題でないこと(出演番組)にも突っ込んでて、ちょっとズレてんじゃないのって印象の方が強かった。
公開処刑みたいなことして溜飲下げたかったのか? って気持ちになってしまう。渡部の罪の話に集中できない(それが狙いか?)
あと、何言っても否定されてボロクソ言われるの分かってて正直なこと言える人もいない(それひっくるめて誠実であれというのは分からなくもないが暴力的ではある)と思うから、何でそのやり方なの?って感じ。
渡部に石を投げていいのは被害者であって、関係者でもない取材陣や我々ではない。
メディアがこれやったら、関係者でなくても石投げていいんだなって思っちゃうし、人間の教育にもよくない気がする。何回暴力を誘導して再生産するんだろう。本当に不思議だ。
我々がやっていいことは渡部を裁くことではなく、
彼の出る番組を見るか否か決めること
彼に関連するものを消費するか否か決めること
くらいなのに、どこまで自分達に裁量があると思ってるんだろう。
倫理観ない奴が渡部に倫理観の話しても……って気になっちゃうな。
とても残念だった。
最悪の気分だ。
追記しとく
渡部のやったことをメディアが発信することで、その使い方を知らなかった人まで知ってしまう。
そうなると、適切に使ってた人もそういう目で見られる可能性が出てくるから、かなり使いづらくなりそう(周りを気にするなら切羽詰まってないってことだから大した損害ではないだろとか言われたら悲しい)
あと、その使い方を真似る人も出ると思う。そしたら、本来の利用者が使えなくなって困ることも考えられる。
メディアが騒いだせいって言ってしまえばそうだねとしか言えないが、これがゲスで有名な芸能人とかなら大して取り上げられなかったと思う。クリーンなイメージをわざわざ作ってた渡部だからこそだとは思う。
風俗でお金落として遊んだり、女の子にシャンパンとか飲ませるような遊び方だったら、こうはならなかったのでは。
もしくは、プレイとして結構な金払ってとかなら性的嗜好なんだね……でも多目的トイレは駄目だよね……で済んだかもしれない。
自分は世界の渡部とか言って貴族みたいな振る舞いしといて他人は買い叩いて便器みたいな扱いしてたら、そりゃ派手に取り上げるよなという感覚。
成年向漫画を描いている。
性別は非公開。
今更男になりたいと思わないのでトランスではないが、こんなことなら男に生まれたかったと何度か泣いたことはある。
少し前にXジェンダーなるものを知り、自分がそうなのかただ拗らせているだけなのかわからず悩んでいる。
数ヶ月前に『女性エロ漫画家リスト』なるものがネットで出回っているらしいことを知った。
もし自分があれに載ったらと思うとゾッとした。
作品そのものに関係のない性別なんかでまとめられ個人情報を晒しあげられるなんて迷惑でしかない。
女の子っぽくない趣味嗜好は親含む周囲からあまり理解を得られず異端児扱いをされ、女子からも男子からも浮いていたから。
いつしか一括りに女とか言うな!とジェンダー観を拗らせていった。
そんな子供時代を過ごした私は成長後、ネットやSNSに触れ見た目の性別で判断されない素晴らしさに感動した。
ありのままの趣味嗜好を呟いても「いやアナタ女でしょ笑」って言われない。
下らない下ネタを一緒になって笑ってくれる、男か女かもわからない顔も知らないフォロワー達…
あまりに居心地が良すぎた。
抑圧的だった幼少期の反動から私はありのままの自分でSNSを謳歌した。
ただ、それも長くは続かなかった。
当時は大っぴらに女性と主張することもないが聞かれれば正直に性を明かすスタンスでやっていた。
男性向エロ漫画を描いている人間が女とわかった途端、それまでなかった所謂セクハラリプや質問をする輩が出現した。
性別を知る前と後で絡み方の毛色が変わった人がいた。
何というか率直にショックだった。
私はただ皆で下ネタを、女子の臀部とかについての話を馬鹿みたいに楽しみたかっただけなのに。
「女の人がどういうつもりでエロ漫画を?お金の為?本当に楽しいの?ヤられる女に自己投影しているの?」
という質問も定期的にあった。
最初は素直に「女の人の裸が好きで楽しくて描いてるんですよ」と言っていたが最終的にうるせえ!!!という気持ちしか残らなかった。
結局ネットでも性別を出すことは自分にとって不愉快なハンデでしかなかったと悟った私はSNSで自分が女である事実を抹消しようとした。
Twitterの検索欄で自分のID+女、等で呟きを抽出し性別がわかるツイートを時間を掛けながらコツコツ削除していった。
SNSにアップする写真に手元や身体の一部がなるべく写らないよう注意した。
とにかく自分を隠しに隠した。
そして数年が経った。
フォロワーの大多数は新陳代謝で入れ替わり、殆どが昔の私を知らない人達になった(と思う)
一部の顔見知りを除き、私の性別をちゃんと知る人はほぼほぼいない筈。
居たとしても女と認めてしまわなければ誤魔化せる。
…そう思っている。
ここで改めて、もし自分が例のリスト入りをしてしまったら…ということに想いを馳せる。
ここまで徹底してやったのに。
本当に恐ろしく、最悪の気分になるだろう。
多分膝から崩れ落ちると思う。
リスイン後も私自身が認めてしまわなければきっとそれまで通りでいれるのだろう。
というか触れない以外のムーブが出来ない。
(煽り耐性的なものが皆無の性格上、やめろ!!!と言いたい気持ちでいっぱいになるとは思うが)
それに「性別の問題は自分にとってデリケートなことだから触れないでほしい」
いくら最近LGBTに理解がある人が増えたからと言って不特定多数にTwitterで打ち明けるメリットよりデメリットの方を考えてしまう。
元々社交的でもないのに界隈内で腫れ物扱いされたら、親しい人達に気を遣わせたらと思うとあまりにしんどい。
正直忌々しいまである。
何でわざわざ性別で括ってまとめる?
放っておいてくれよ。
うるせえよ。
でもこっちは生身の人間なんだよ。
どれもこれも無いち◯ぽ擦って最高にシコれると思うものを描いたんだ。
もしあれに見つかったら、これまで作り上げてきたセルフイメージがズタズタになってしまうのではないかと思うと恐怖しかない。
しんどい。
何だかんだ性別に一番囚われてるのは自分自身なんだとわかってる。
でも情けないことに、今でもいい歳こいて自分が何者かわからない。
創作の場だけは自分が外見の性を気にせずいられる自由な場所だった。
作品にまで性別を紐付けられてしまったら、一体私はどうなるのだろう。
ただただそっとしておいてほしい。
どうせ他人の性別を一括りにして下世話に騒ぐ奴には何言ったって響かないだろうけど、ちょっと興味本位くらい気持ちで作家のことを知りたいだけのピュアな読者さん。
巨乳女性の意見が聞きたいみたいなブコメをいくつか見たような気がするから、一巨乳女性として気持ちを書くよ。ちなみに巨乳という言葉は嫌い。美しくないから。
あ、アンダーが70もあったら巨乳じゃないというなら、すみません。無視してくださいね。
・初めて男性からの露骨な視線を感じたのは大学一年のころ、駅のホームですれ違ったサラリーマン。その頃すでにDカップくらいあって、でも胸が大きいと思っていなかった(ぼんやりした子だったので、セルフイメージが曖昧だった)ので、そんな視線を向けられることに恐怖した。
・新卒で入った会社、女性が多くておおよそみんな仲良かった。ある時、会社の懇親会でお酒が入った女性たちに「胸おっきいよね、いいね、触らせて」と言われ、うまく断れずにまごまごしている内に、3〜4人の女性に一度に手を伸ばされ触られた。心底嫌だった。
・可愛いと思ったブラジャー、Dカップまでしかなかったりする。男性なら足が大きすぎ(小さすぎ)て欲しいスニーカーのサイズが存在しない感じか。仕方ないけど、つまんないよね。
・恋人が喜んでくれるのはうれしいが、喜ばれすぎるとこいつは私の人格より胸が好きなのかと思う。そんなことを思う自分がめんどくさい。適切なサイズだったら思わなかっただろうか。
②例のポスターについて
・若いころは胸を強調させられた女性のイラストを心底嫌だと思っていた。
・私からは男性向けの巨乳イラストはひどく下品に見えて、私も同じように下品なものとして見られているのだろうかと思っていた。
・若く未熟であった私の中では、イラストの巨乳への視線と生身の自分の胸への視線が混同されていたように思う。
・年齢を重ねて、変に胸を強調せずに、それでいて変に隠しすぎることもない服装をうまく身につけられるようになってからは、他者の視線も気にならなくなった。
・見られていないのか、見られていても気にならなくなったのかは分からない。
・そして今の私から例のポスターについては、若い頃の嫌だった記憶に引きずられて多少の嫌悪感はあるものの、他人事であり、あまり感想はない。
・でもやっぱり公共の場所で女性の身体の一部が強調された絵を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。
・巨乳なんて言って多くの人は特別視するけど、私にとっては24時間365日身体にくっついていて、まったくもってただの身体の一部でしかない。手の甲のホクロや、左右が少し非対称な頭蓋骨と何も変わらない。
・ただ、取り外し不可能で、隠し倒すことも困難なものではあるので、みんなあんまり特別視しないでよ、とは思う。
【追記】
あまり周りに胸の大きな女性がいないので、そのくらい大きく構えてもいいのかなと思ったよ。
ひみつだよ。
というか、増田以外は使ってないよ。
ひとつだけ、これは私が書いたよ。おっさん呼ばわりされてちょっと悲しかったな。
他のみなさんも、反応してくれてありがとう。
自己責任論は間違っている、ということに気づくことができるのはバブル世代と氷河期世代が全滅してからなんだろうな。
バブル世代は自分の能力とは無関係に成功したから自己責任論は都合が良い。
氷河期世代は自分の能力と無関係に失敗してるやつが多い中、成功することができた、発言力を持つことのできたやつは、自分に能力があると思いたいので自己責任論に走る。
たまたま他より恵まれた環境にいただけだ、ということを真正面から捉えると、有能な自分のセルフイメージが崩れ、認知的不協和を起こす。だから認めない。
その両方を見ている世代は、全ては運だ、と気づくことができる。小さいときから天災も多く経験してるしね。
仕事で英語が公用語のところで働くことになり、メールから会話から英語がメインになって自分でも英語を話さないと意思疎通が厳しくなってきたので喋りだした。そりゃもう全然つっかえて言葉が出てこないし「ああこいつバカなんだな」って思われてる雰囲気を感じるし日本語喋れない奴らは諦めて喋りかけてこなくなったりしたけど、失うものが自分のセルフイメージくらいしかないので馬鹿になったつもりで短文とか単語で話すようにしてたらなんとかコミュニケーション取れるようになってきた。みんな優しい人で良かった。
正直やっと「訊きに行く」「訊き返す」がちょっと出来るようになっただけでネイティブ同士の会話は雰囲気しかわからないし電話会議もほとんどついていけない。でも自分なりに手応えは感じている。やっぱり実際に使われている英語に大量に触れるのは一番いいし、自分が本当に話したいことを英語で組み立てるのが一番やる気出る。映画とか小説とかネットの記事とかオンライン英会話とか天気の話とか自己紹介とかどうでもいいんだよ。資料読んで人に聞いて色んなこと繋いで金回さなきゃこっちのおちんぎんがなくなるんだよ。Small talkなんざおまけだよ、出来た方が百倍いいけどな。若いうちにもっとちゃんと勉強しときゃよかったと思ったけど、やっぱ必要がないとやんないわこんな七面倒くさい事。
何年もアメリカにいた人でも英語忘れてたりするし、聞き取れるようになるまで2年かかったとかも聞くし、10年は死にたい気持ちがキープされると思った方がよさそうだ。「過去の自分を超えればいい」って考えるとそれもまた自分を追い詰めるので、「三歩進んで二歩下がる」くらいで頑張るわ。周りの日本語喋る外国人見てても流暢な人なんてごく一部だし、逆もまた然りで「英語喋ってる日本人」が全員ネイティブレベルで英語を喋ってるわけじゃない。片言だろうが仕事が片付きゃそれでいいのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20190726171905
第4章 傷つかないためのセルフコントロール術 ~モラ夫への対処法 その2~
人にやさしくされたかったら、「人にやさしくする」、人に愛されたかったら「自分から愛する」
①負の感情を全て吐き出す
②モラ夫に対して感謝できることを探す
③モラ夫に対して謝ることを探す
①モラ夫の好きなこと:好きなことは本人の能力
②モラ夫の夢:できない理由は気にしない
③モラ夫のほめられるところ:行動、才能、長所
④モラ夫と一緒にやってみたいこと:どんなささいなことでも
「勝手に出掛けやがって」→「ぼくちゃん、ひとりでさびしかったんでしゅ。不安だったんでしゅ」という心の声が隠れている。「ぼくちゃん寂しかったんでしゅか」という優しい気持ちで接する。
ストレスが溜まる前にためない工夫を
①女友達とのおしゃべり
②ひとりきりで、泣いて、叫んで、吐き出して
③あなただけの楽しみを持つ
スルーとは、傍観者になる、気にしない、聞き流す、逆転の発想をする
①傍観者になる・・・他人事だと思えば、モラ夫の言葉はあなたの心に入ってこなくなる。
②気にしない・・・・「気にしない」を徹底する。
思考が変わると、行動が変わる。行動が変わると、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変わると運命が変わる。 ウィリアム・ジェームズ
③聞き流す・・・・・「まぁいいか」という鈍感な心で聞き流す。
④逆転の発想をする・ゲーム感覚でモラ夫とのやりとりを遊ぶ余裕を持つ。
9、どんなことにでも、感謝する癖をつけよう
①口角を3ミリあげる。
③上の歯が全部見えるように、頬の筋肉が痛くなるまで笑って、30秒キープする。
モラ夫を夫に持つ奥様は、自分を否定し、「セルフイメージ」を低下させてしまう。
①自分を好きではない、自信が持てない、自分の短所を気にしすぎる、人の評価が気になりすぎる。
②他人の短所・嫌なところを見るとその人が嫌いになる、一緒にいると苦しくなる
④世の中はつらい、いいことがないと思い込む
⑤「自分には特別な才能がない」と思い込み、義務的な働きに一生懸命になる。
セルフイメージを高めるには、自分のことを認めて、ほめてくれる人と一緒にいることが最善。
①自己暗示をかける。
③自分のいいところを紙に書く。
④③で書き出したいいところを声に出して読む。
第5章 モラ夫と「別れる?」「別れない?」 ~それぞれの選択に向けて~
2、愛とは溢れたり、枯れたりの繰り返し
愛は本当に不思議なもので、完璧な結婚なんてない。どんな結婚でも悩みは多かれ少なかれある
太陽は何よりも人を癒す強い力があります。あなたが太陽のように大きな心でモラ夫を包み込み、温かい眼差しで向き合うことで、周りの人にも幸せが広がっていくはずです。
太陽になるためには、まず自分をほめて好きになることが第一歩です。
「わたしはすごい。疲れているのに夕飯の買い物に行った」
どんなことでもいいので、自分がやったことは全部「すごい」とほめてください。
まずは、大切な自分自身をほめてあげてください。
そして、どんどんほめ癖がついてきたら、今度は他の人を褒めてみてください。
それを続けることで、あなたは太陽になれるのです。ぜひ今日から、「自分太陽計画」を始めてみましょう。
6、それでも別れを選ぶあなたへ
これだけは考えておきましょう
①離婚後に名乗る姓 ②住む場所 ③最低半年の生活費 ④仕事 ⑤心を許せる相談相手 ⑥強い心を持つこと:後悔しない心、「自分の離婚は、幸せになるための最善の選択だった」と信じること
マスコミや記者を悪者に仕立て上げることは、マスコミや記者が保育園関係者を糾弾することと構造が同じではないか。真に糾弾すべきものは、人では図らずも結果として事故を起こした運転者らであるのかもしれないし、人以外のものでは不十分な安全対策、進まない法整備、安全対策の現状への間違った認識などであるのかもしれない。にも関わらずそちらの方へ話が向かっていないのであれば、保育園関係者を愚かにも糾弾するように見えるマスコミや記者と変わりはしない。糾弾すべき方向が完全に間違っている。
今回の事故に明確な悪者はいない。保育士は最善を尽くしていた。運転者にも悪意はなささそうだ。行政もできる範囲で注意を払っていた。警察も救急もちゃんと機能していた。強いて言うなら悪者は、歩行者に安全な社会環境を作ってこれなかった過去の俺らだ。なれば今回の悪者は人ではない。悪者は無形で目にはさやかに見えないもので、整備されていない車両用防護柵や、法整備が追いついていない現状や、日本社会は歩行者優先でドライバー側も歩行者の安全をいつも気にかける世界一交通マナーの素晴らしい国であるという俺らの間違ったセルフイメージなどではないのか。
そして俺らは子供じゃないが、今回のように信号待ちをしているときに車が高速で突っ込んできたとしたら、誰がよけて無傷でいられると言えるのだろう。信号を待つとき大抵の俺らは、ぼーっとしているかスマホをいじっているかのどちらかだ。はたして突っ込んでくる車に対応できるだろうか。
明日の俺らが歩く道に、ガードポールのない交差点があったとしたら、明日は俺らが死ぬのかもしれない。
確かに今回の会見の酷さは凄まじく、メディアの取材姿勢について問題にすべきではある。あれはクソだ。判断能力のある人間が発すべき言葉じゃないものが多々あった。しかしメディアを糾弾したところで事故は無くならないわけですよ。事故の発生とメディアにはなんの関わりもない。
またメディアの態度は受け手の態度でもある。逆説的に、もし今回の会見がこれほど酷いものでなければ、これほどに拡散することはあっただろうか。購読料金を払う新聞と違い、テレビは視聴者数が広告収入に直結する。すなわちテレビは話題になる画を撮ることが善なのだ。それが何十年と続き今回のような記者会見の空気が醸成されてきた。責任は俺らにもあるんだ。現に今回の記者会見で騒いでしまった。今回騒いだことにより、感情的で印象的な画が撮れれば視聴率が上がることを再び証明してしまったんだ。
残念だが方法は二つしかない。口を出したいような記者会見があったとしても見て視聴率を上げることをせず、絶対に中継で見ることをせず、そして過去のことになってから声を上げてあれはダメだったと指摘すること。メディアを形作ってきたのと同じくらいの時間がメディアをこれから形づくるためには必要かもしれない。長い長い戦いをしなければならない。
PS:日本における子供の交通事故での死者数は、減少を続けている。しかし負傷者数は人口の減少にも関わらず増加している。
たぶんだけど「他人のお世話もうやめてえよ〜〜〜」って言って実際にやめたいのよね元増田は。
共働きで家事と育児の負担がだいぶ自分に偏っている現状にとても不満があり、でもそれをなんらかの原因で口に出せず強く抑圧されているのが文章から伝わってくる。
とても沢山のことに怒っているのに、「お母さんはこうしたい」って一言も子供に伝えられてないのが抑圧の現れだなって思うわ。
でもいいのよ、お母さんだってああしたいこうしたいって言ってさ。アイメッセージすごく大事よ。
「靴下が汚れると洗濯が面倒になって嫌だから靴を履いて!」って言っていいのよ。
もし子供が裸足になって怪我をするのが心配なら「裸足になると怪我をするよ!」とだけ言っといて好きにさせりゃいいのよ。公園で裸足で走り回ってする怪我程度なら自己責任ですむんだから大丈夫よ。
夕方遅くなってきたし、「もう帰ろう」って言ったけど相変わらずニヤニヤ。
「あ"あ"〜おかあさんお母さん寒いしお腹減ってもう疲れたから帰りたい。帰る支度するわ〜」って言って公園の入り口行って立ってりゃいいのよ。来ないなら適当にスマホでも見てていいわよ。そのうち退屈になってついてくるから大丈夫よ。ついてこなかったらそれはそれで、その分子供の面倒つきっきりで見てる時間が減ってラッキーと思うといいわよ。
帰りの道中で期待たっぷりに言ってやんのよ。「ええ〜〜靴下本当に洗ってくれるの〜?? うわ〜お母さん楽しみだわあ!!111 お母さんが洗うより綺麗に洗えたりするのかしら〜!!?????」とかプライドを煽りに煽ることで、5歳のガキの中で母親より靴下を綺麗に洗い得意満面のセルフイメージが直ちに醸成され、家に帰ればすぐに風呂場へ直行して「どうやって洗えばいいの〜?」とか言い出すわよ。
風呂に入る余力があるなら靴下洗うついでに2人でシャワーすませちゃうのもきっといいわね。面倒なら風呂なんか入らなくていいわよ1日くらい。
不運にも靴下を洗いたがるそぶりを見せないようなら靴下のことは後日考えればいいわよ。なんなら捨てちゃってもいいわね。間違ってもその日のうちに自分だけで洗おうなんて考えちゃダメよ。
「んー。。。なんか、疲れちゃったから」
「あ"あ"あ"あ"おかあさんももう疲れちゃったあ"あ"あ"あ"めんどくせ〜今日はご飯も作りたくないしコンビニ行こうあ"あ"あ"あ"〜〜〜〜〜〜〜」
って言って夕飯は作らないでいいのよ。コンビニじゃなく外食でもいいし出前でピザ取ってもいいしなんなら飯の体裁をなしてなくてアイスとお菓子だけとかでもいいのよ。毎日やるわけでもないんだから自分が食べたいもの食べていいのよ。付け加えておくと子供が食べたいものとか子供の好きそうなものとか余計なこと考えるんじゃないわよ。
ちなみに増田が子供と一緒に食べた人生で一番やばい夕飯はビスケットサンド(アイス)とファミマのアメリカンドッグとフランクフルトと明太チーズもんじゃ味のじゃがりこよ。ファミマスイーツも2つほど買ったけど食い切れなくて翌日のおやつにしたわ。参考にするといいわよ。
まさかとは思うけどこんな状況でご亭主のためにちゃんとした夕飯こしらえて用意しておくのが日常なんて自殺行為やってるなら今すぐやめるのをお勧めするわよ。共働きなんだし帰りが遅いなら外で適当に食べてもらうのが一番よ。
きっと増田はいいお母さんでいたいし、人からいいお母さんだと思われたいのね。お子さんもいい子になって欲しいし、人からいい子だと思って欲しいのね。
でもずっとずっと「素敵なお母さんと可愛い娘」の顔してられる母子なんか、本当に限られた才能を持った一握りの人間だけなのよ。元増田書いちゃった時点で、残念ながら増田にはそういう才能はないってことなのよ。
だから、こういうオカマみたいな口調のクソダラ親が提案するようなろくでもない過ごし方も、そういう親子になるための踏み台だと思って一度試しにやってみて欲しいのよ。
(追記しました)
横だけど私は若い頃、自分に無駄に自信がありすぎてダメ男に気づくのが遅れるきらいがあったw
普通の人なら即切り必至の酷い暴言を吐きかけられても、なんか気のせいだったかな?みたいに思って思考停止してたというか。
自分は蝶よ花よと愛されまくっているという認知の歪みが強固に出来上がってた。
昔痩せてた人がいつのまにかブクブクに太っていた事に気付かなくて、ズボンがピチピチになっても私痩せてるから~とか言って気付いていない、現実見れてない、というのに近いかもしれない。
散々虐められて酷い目に遭わされてるのに何時までも愛されてる自分・愛されてしかるべき自分、というセルフイメージを手離せないでいた。
現実は、そんなに大切にして特する価値なんか一切持たない女だったから、家族からも知り合いからも彼氏からもゴミ扱いされてたんだけど、それが不思議と自分の目には見えていなかった。今思えばあからさまに袖にされてたし、兄弟や友人()達などとは一目見てわかるほどに差をつけられて冷遇されてたのに。
本当は兄弟間でも友人間でも恋愛関係でもいつも三番手四番手以下の保険的存在だったのに。
でもどんなに蹴っても幸せそうにしてたから、私はとても利用しやすい奴だったろうなと思う。
当時の私は自分愛され神話の他にもう一つの傲慢さを持っていて、それは、私が好きになった相手は皆私と同じかそれ以上には心の優しい親切で誠実な人達に違いないと思ってたという事。
だから例えば自分の彼氏がいつも女をゴミ扱いして取っ替え引っ替えしてばかりいる人だって、そういう兆候があったり人づてに聴かされたりしても、右から左に受け流してそんなことは知らなかった事にしてた。
とにかく幸せな妄想ワールドを生きていたという感じでありつつ、だけれどもいつも訳のわからない不快感ばかり募って苛々していたが、原因が自分ではさっぱりわからずにいた。
【追記】
どうしてそんな状態から立ち直れたのか?というブコメをされましたが、単に自分のATフィールドの強度を超えるトラブルに見舞われて痛さのあまりに我にかえったただけの事だと思います。
あ、「どうして」じゃなくて「何処で」立ち直ったのか?でしたね。
転機は何度かあったのですが、一番効いたのは二十歳位の頃に親友との関係でトラブルを起こした事です。親友本人はいいよいいよ気にしてないよ~♪と言っていましたが、第三者から「お前のせいで優秀な親友さんの可能性が潰されてしまう。お前の様な邪悪な寄生虫は死になさい」と面と向かって言われてしまった事です。
何故そんなにも強烈な言葉をぶつけられる事になったのかというと、当時私は親友と二個イチで行動していたのですが、自信満々に振る舞うが無能で容姿も悪い私と、色々な才能を持ち見た目も可愛いけれど極度に自信無さそうに振る舞う親友、という絵面が、他人の目には私が一方的に親友を虐め支配しているようにしか見えなかったからでした。
それに実際のところ私は自分の思い上がりから私達に近付いて来た人は私に用があるのかと思い込んで、その様に対応していましたし、才能溢れる親友を常に羨んでいたのも事実です。
第三者から罵倒をされて初めて、私は親友を虐めていたのか?という疑問を持ち、自分の中の「自分優しくて気のいい人間である」神話が崩壊し、私達に近付いて来る人の皆が私に用はなく、私はただひたすら邪魔なだけだったという事に気付いたのです。
(しかしそんな強烈なトラブルを起こして後も、妄想上の自分と現実の自分が解離してるせいで何度もトラブルを起こしたのですが。)
あとは漫画や小説など創作物などの影響とか。それとブログやTwitterで自分の事を書いた(そして馬鹿だの幼稚だのとリプライされまくった)のが運の尽きもとい考えを改める切っ掛けになったんじゃないかと思います。