はてなキーワード: 漫才とは
人が書いた台本があってそれに沿って人が演じて表現している漫才・コント・バラエティが規制されるなら(もう既に大概規制されてるけど)人が書いて作られてる漫画やアニメやドラマや映画だって当然規制されるよな
生まれて50年この方、まじで「笑いが人生に必要」的な感覚もわからんし、ブクマで「笑い」でなんかぼやかすのも理解の範疇外だし、
ましてや「笑い」だから意味あったとか違うとかもサッパリわからんが。
漫才見ずに50年生きれる俺という人間がいる時点で、漫才もお笑いも不要と言っていいし、
だというのにお笑いを盾に存在意義があるとかバカにしか見えないわけだが
お前らには必要かもしれんが、それ絶対に必須じゃないし、なかったらなかったで、もっとマシな娯楽が人気になってたんじゃないすかね
中島らも著作のエッセイか啓蒙かまぼこ新聞かなにかで、ダウンタウンが登場した当時の関西人がかれらの漫才から受けた「新しい笑い」の体験が、結構生々しく書かれていたのを憶えている。単なる『あいうえお』でネタを創り上げたそのセンスは、決してどこかのギャグ漫画の二番煎じや、何匹目かのドジョウではない。
今日のSNSで春風亭昇太師匠が結構な言われようだったのを見て、自分が高校生の時に林家木久扇師匠が地元に来た時のことを思い出した。
高校2年か3年の時に、文化学習という名目で地元の文化会館で落語を鑑賞するという機会があった。
出演者は笑点で有名な林家木久扇師匠一門。私は東北の地方都市で、人口も10万人を下回るこの町に有名人が来るなんてと胸を踊らせたが、同級生の大半が興味なさそうにしていた。
いざ始まるとお弟子さんが先陣を切って落語を披露してくれた。内容は面白いのに、女子生徒は明らかにつまらなさそうにしている。別に主催者でもないのに、私は申し訳なさを抱きながら高座を見続けた。
そして、林家木久扇師匠の番が来た。流石にテレビに長年出続けているだけあってか場内は待ってましたという万雷の拍手。
どういった内容だったかは忘れてしまったが、落語に興味がない若者相手でも笑えるようなものだったはず。
始まって数分。1時間以上も落語を味わった高校生の反応が重い。最初は期待が勝っていたものの次第に疲れが出てきたのか笑いが薄い。
そんな中で木久扇師匠が噛んだ。明らかに噛んだ。言葉を借りれば素人にも分かるレベルで噛んだ。それ以降、何度も噛んだ。
おいおい大丈夫か?と思っているとまた噛んだ。と、勝手な心配をしていると、木久扇師匠は手のひらを大きく広げ、自分の頬に向かって強く振りかぶった。
パチンという音が広がると会場が一気にどっと沸いた。何やってんだよという笑いに近かったと思う。
私は笑いと一緒に驚きを抱いた。
明らかなミスをした状況下でも笑いに昇華させるベテランの力を目の当たりにしたから。
それまで漫才を始めとするお笑いというのは一言一句間違えないことが良いと思っていた。ただ、平手打ちをした木久扇師匠を見たら、完璧ではないけど笑わせる力、臨機応変さを見る・聴く魅力が落語というかお笑いに含まれているような気がした。
その後、木久扇師匠は何回か噛んだが1番の盛り上がりだった。流石だった。
文化会館を出て、あの状況下だと自分はどう対処するだろうと思ってしまった。
いやあの瞬間では苦笑いしかできないような気がする。言い訳をするような気がする。
松本人志の性加害報道が取り沙汰された後、このような動画が発掘・RTされてた。
https://x.com/karate_fighter_/status/1671784145092239361?s=46&t=2K4OW3kjh3NOSzlKqM0y8g
この動画への引リツは批判とドン引きが大半だ。当然である。当時小学生でこれらを毎週見てた俺でもドン引きするし、PTAがこれらの番組から子供を守りたかった気持ちもよくわかる。(一応世代として弁解をさせてもらうと、キャシィ塚本をはじめとしたごっつのコントに対しては、当時であってもこれで笑って本当に良いのだろうかという多少の罪悪感を持ちながら視聴していたファンが多かったように思う。)
今回の騒動で気づいたのは、視聴者の笑いに対する価値観のアップデートは知らず知らずのうちに行われて、また供給者もそれを機微に感知して絶妙なチューニングを施してきたんだなあという事だ。ごっつまで遡らなくても、ほんの10年前のお笑いをみると、セクハラ・パワハラ・差別的笑いが横行している。今でもオンラインアーカイブなどでも視聴可能だが、ここで具体的な番組名を出して配信停止になると嫌だから書くのは控える。
この間のM-1でも「不倫」に関するボケを入れていたコンビがいた。これはそのコンビの漫才中で1,2を争うくらい爆笑をもたらしていたが、もちろんリアルのリテラシーからして不倫は許される行為ではない。不倫で傷ついている人間はたくさんいるからだ。それらの人の事を慮らずに笑いにするとは何事だ!という批判も今後十分に考えられる。
なにが言いたいかというと、今の笑っているコンテンツが10年後、20年後も生きているかなんてのは誰にもわからない。今の価値観で過去を批判するというのは、将来自分の首を絞めかねない危うい行為であるのだ。
ラジオを引き合いに出して、今の基準で叩くのは後出しジャンケンがすぎる。
今好感度で売ってるトップ芸人も若手時代はかなり際どい話をラジオでしたら漫才に入れてるしな。うっかり貼って叩かれたら嫌だから具体的には書かないけどな。
トトトトトムブラウン作者の零がこれでMAD作っても面白くなる気がしないって言ってて思ったけど。
決勝に出てたコンビの漫才・コントでも、タイムラインは極めて直線的だったりする。
基本的にはAとBの交互進行で、時々AABBと連続したり食い気味に入ることはあっても基本的には直線的。
ところがトムブラウンの今回のネタは映像編集やってる人はわかると思うけど、タイムラインとレイヤー管理をしてるとしっくりくる進行だった。
・喋り方の緩急ではなく、フレーム管理由来の加速と減速が取り入れられている
・モーションをコンポーネント化してロジカルに足し算引き算を行ってる
なんか機能的なんよね考え方が。
繰り返しの中でネタを足すのが1-2個とバラつきがあるのも、リズムを盤面で把握できてるから詰め込めるだけ詰めてるって感じするし。
ボケ:「昨日、スーパーで買い物をしていたら、となりのレジで泣いている子供がいたんですよ。」 ツッコミ:「あら、それはかわいそう。なんで泣いていたの?」 ボケ:「レジのお姉さんにガムをくれとねだっていたみたいなんですけど、買ってはいけないって言われて。」 ツッコミ:「あー、親からガムを買うことを禁止されていたんでしょうね。」 ボケ:「でもかわいそうだったので、こっそりガムを1個渡したんです。」 ツッコミ:「えー!それはいけないでしょう。親の教育方針に反するし、見ず知らずの子供に勝手にガムを渡すのは危険です。」 ボケ:「じゃあ、次は2個渡しましょう。」 ツッコミ:「绝对不行!」
なんかやたら中毒性あるなと思って何回か見ながらわかってきたので解説したい。
元動画:https://www.youtube.com/watch?v=k_kwUKn8HLs
このネタを一言で表すとグロいピタゴラスイッチ・リズムネタである。小さい子供にもウケてるのはグロい部分はわからずピタゴラスイッチ+オノマトペ多めのリズムネタになってるからだと思われる。順を追って解説する。
2. 起:どんな漫才、役割をするか説明するパート 0:26-1:00
3. 承:どんどん展開1:00-
3.1. 展開1:パターンの紹介, -1:38
3.2. 展開2: クロロホルムの登場 -2:06
3.3. 展開3:矢が増えてリズムが増える -2:39
3.4. 展開4:鉄兜で先のリズムにオノマトペが増える -3:10
3.5. 展開5:喉をぶっ刺す+釈迦でオノマトペ追加 -3:45
4. 転:オチ 4:29-
※計4分25秒ほどのネタで敗者復活戦の持ち時間4分から25秒ほどオーバーしてるが、ここでは言及しない。
この構成は漫才によくあり、1は直接ネタに関わってこないので省略する。
ここからネタの展開が始まる。展開6まであるが、ピタゴラスイッチが増えていき、そのときの反応音でオノマトペも増えいていきリズムができていくのがこのネタの肝である。なお、ピタゴラスイッチ部分は2パートある。
迷惑客(ツッコミ布川)の歌:「ロンリー・チャップリン (時が過ぎ 省略) あなたが消えても きっと待つわ 少年のように♪」
歌からわかるように、このリズムネタのベースリズムは鈴木聖美、Rats&Starの 「ロンリー・チャップリン」である。
大丈夫ですか?
オノマトペが3種類登場する。
このネタがリズムネタであることが初見でもわかり始めるのはこの辺りからである。
スマホカメラのセルフタイマーセットが入りだす。この辺からピタゴラスイッチもやりだしてることがわかる。
鉄兜によりオノマトペが増える。
ついには最後のツッコミ台詞が消える。おそらくテンポとリズムの邪魔になるからと思われる
最終的に登場するオノマトペは以下になる。
ピタゴラ準備パート:前半のここだけで15種類ほどのオノマトペが出てくる
1. (ガシ省略) ボキー
2. (大丈夫です)カッx2 (プシュンx2のオノマトペは混ざって消える)
3. シュッ(クロロホルムを布?に浸す音)
4. パッ (クロロホルムを嗅がす音)
5. プシュンx (矢を上に放つ)
6. (鉄兜)スポッ
7. (手に数珠つけて)カチカチポッ
13. (喉元を)ズバッズバッ
14. (血が流れて)シャー
15. (鍵盤ハーモニカ)スポ
ヒューヒューの呼吸音が鍵盤ハーモニカの具体的な音になり、音が増える。
1. ミミソ~ミソミ ドレミ ソ ミ x2
3. (自分の首を掴む) ガシ
4. (自分の首を折る)ボキ
5. ブシュンx (矢が落ちてくる)
11. ドクンドクン(鼓動再開)
以上より、このネタはオノマトペが20種類以上豊富に出るネタなので、子供に人気があり謎の中毒性があるのかもしれない。
転結は省略
最初わからなかったが、このネタがピタゴラスイッチでもあることを念頭に考えればわかってくる。自分が生きてると最後に相手を蘇生する場合、人工呼吸などの蘇生法を行わなければならなくなりピタゴラスイッチが成立しなくなるのである。自分たちが死んでる間にも蘇生用ピタゴラスイッチを動作させるためには自分も死んでいる必要がある。
AMラジオが好きでよく聴くんだけど、軽く苦痛なのは、芸人の世界の内輪ネタがちょくちょく入ってくること。
この10数年のラジオの大きな変化の一つは、お笑い芸人がMCのラジオが飛躍的に増えたことだろう。ナイツやパンサー向井が代表的なラジオMCになっていることが象徴的だ。
ナイツも向井も別に嫌いではなく、お笑い芸人界以外の話題をしている時は普通に面白く聴いているが、ここ数日は「M-1すごかったですね!」をあらゆる番組でしつこく聞かされ続けて、正直うんざりしている。
もともとM-1でやっているような漫才が大の苦手で、ラジオであまりに話題にしているので我慢して観てみたが、案の定さっぱり面白さがわからなかった。ただただひたすら喧しいだけで、結局チャンネルを変えてしまった。M-1の話題が消え去るまで、ラジオを聴くのが苦痛な日々が続く。
情報番組から紅白の司会に至るまで、お笑い芸人出身の人間が担うことが普通になり、既にお笑い芸人は日本社会の権力的な地位にあると言える。だからM-1で、若手芸人たちがあんなに必死で真剣になるのだろうけど、そう考えると余計に笑えない。
毎年M-1で侃々諤々やってるけどみんなもっと検索ちゃんネタ祭りを見てのんびり笑えばいいのにってなる
みんなの好きなトム・ブラウンも出てるぞ
モグライダーもウエストランドも検索ちゃんでのネタがめちゃくちゃ面白かったし
東京03のはこの時代に大丈夫かと不安に思わせといてある一点からめちゃくちゃあざやかに好悪が反転するマジかよ!という快感のあるネタで単独だけじゃなくてこれがテレビで見れることに感謝してしまう
一言で言えば「風刺として成立しておらず、その結果何やりたいのかよくわからない雑談になった」からだ
「結局詐欺師とか学者風の人って冷静に話を聞くとくだらないこと言ってるだけだよね」という風刺を目指していたのはわかる
ただ、それなのに初っ端から「どう思うか」という曖昧さを残す表現をする時点で学者や詐欺師風刺ネタとしてはもう大滑りだよね
学者、詐欺師ともに「どう思うか」などと言った曖昧な表現は避け、内容はどうであれ何かしらの理屈を構築して断言をするのが当たり前だからだ
おそらく詐欺師(多分中田敦彦)のマネをして風刺をするつもりだったんだろうけど、風刺する対象への観察が足りていないため風刺として成立してないし浅い漫才になった
その結果、風刺を知らない客には何を言っているのか理解されず、風刺が好きな自称賢い客にはレベルの低い風刺のつもりの風刺にすらなってない何かとして受け止められた
ファンにはウケた漫才だったが本番ダダ滑りだったということは要はそういうことだろう
賢くもないのにラーメンズになろうとするな
[B! お笑い] 令和ロマン髙比良くるまの漫才過剰考察|番外編
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/korekara.news/rensai/7939/
electrolite 事情があり仕方なくM1を初めて見たが、つまらないネタをテンションで誤魔化すコンビが多くて観客の声と司会者のヨイショがないと成り立たない酷いものだった。たけしやダウンタウンのような天才はそうそう出てこない
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irohasy 普段お笑い見ないけど〜しょうがなくM-1見たけど〜 なんでそんなやつがわざわざこんな記事見て感想記してんだよ。 気持ち悪いからどっか行けよホントに。
2023/12/25 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
自由闊達な議論が交わされるはずのソーシャルブックマークがこれでいいのか、、、?
ノンスタ石田が優勝したときの自分たちの漫才について振り返るときの語り口がほぼアンチみたいになってるのがそれだよな。自分を曲げてまで勝つのか、自分を曲げずに敗れるのか