はてなキーワード: ペットボトルとは
足元にペットボトル置いてるの知らんのか
割と似たような食生活していて親近感わく。
鍋やるときは具材(豆腐、もやし、鶏肉、白菜、ほうれん草)、うどん2~3回、雑炊とやって2.5日くらい持たしてる。
同じようにカレーも一気に8食くらい作って、ごはん+うどん+パンにつけて食べてた。卵やウインナー、納豆、福神漬けで味を変える。
週一でこういうのをやり、あとは普通にラーメンとかパスタとか、親子丼とか作ってた。
こんな感じで学生時代月2万以内に収めてたな。
社会人になってからは健康重視で炭水化物減らしたから月3万くらいになったけど、
とにかくお金がなかった時があった。
派遣の仕事をしていて、電話1本で休めるし責任がない。そもそも病んでたけれど病院に行くお金も時間もないし、診断を受けて保護を受ける気がなかった。
9-18時働いて、20-翌8時まで働いて、仮眠して12-21時働いて、休んで。
そして疲れすぎて9-18を仮病で休んだ。
出勤するお金がなかった。派遣会社の人に交通費を借りて出勤したこともあった。
出勤したら、ご飯を食べなければミスするしお腹の音も恥ずかしいからご飯代がかかる。見栄っ張りだから。
外に出てると外食の誘惑がすごい。でもそんなお金がなかったから外出したくなかった。
家にいれば食べなくてふらついても誰の迷惑にもならない。
お風呂に入る水道代も勿体ない。家にいればお風呂に入らなくても誰の迷惑にもならない。
食べるものは無いし、食欲もない。
米は炊いたきり炊飯器に放置して異臭を放ったから、それは掃除したけれど炊飯器はそのまま使ってない。(5年後にやっと捨てた)。
菓子パンを食べすぎて胃腸炎になってから食べたいと思えなくなった。
多分、煎餅やポテチを食べてたような気がする。ぜんぜん覚えてない。
あ、思い出した。人からもらったお菓子を食べてた。お饅頭とかモナカとか。あとはフリカケを指でつまんで食べてた。フリカケはよく食べてた。
何を飲んでいたか覚えてないけど、ペットボトルのゴミが大量に出るから多分ペットボトル。それに水道水を入れて。
何がきっかけか全く思い出せないけれど、気付いたらベッドから起き上がろうとしなくなってた。会社への休み連絡はちゃんと入れてたけど。
ベッドに横たわってフリカケをつまんで、多分スマホを眺めてた。何かアニメとかゲーム実況とかをずーっと見ていたと思うけど何を見ていたか全く思い出せない。あとはずっとパズルゲームをしてた。延々と。懸賞つきのやつ。ただスマホを眺めてる時間が全く苦しくなくて、暇とも感じなくて、ずっとずっとずっとスマホを見ていた。
起き上がるのはほぼトイレだけ。
そのうち、ハエが飛び始めた。
風呂でみる3角の小さいヤツじゃない。
外で見る大きな丸いヤツじゃない。
スマホを見てるから調べたら、肉に湧くハエだった。え、集られるの?生きてるけどなぁと思った。うじまではわかなかったし噛まれたーとかも特になかったけど肉にわくハエは印象的だった。
私の状況を知ってる人はきっといたけれど、別に心配の連絡なんかは来たことがなかったと思う。それかスルーしたか。別に大丈夫だと思ってるから。大丈夫大丈夫ってきっと返してる。
死にたいけれど死にたいことは普通で、別に気合い入れて自殺する気はなかったし。
多分偶然、友人が遊びに誘ってきた。
2週間ぶりに風呂に入った。
外に出た。
今までも多分夜には何回か歩いてたけれど、明るい時間を歩いた。
自分では至って普通を装ったつもりだったけど、友人から見たらどうだったかは分からない。久しぶりに外に出ることは言えてなかった気がする。
友人の馴染みのカフェに行ったから、カフェのマスターさんが、死なないでよって声掛けてきたのは印象的だった。死にそうに見えるのかなと思った。
それからぽつぽつ仕事に行っては、外に出られなくなることの繰り返しだった。
そうだ、そういえば毎週、お芝居(アクターの方)のためにでかけていたんだった。
それも休むようになった気がする。
それを休んでまで、この派遣の生活を続ける意味…?とかも多分思った。
それでも暫く、外に出れない→ぽつぽつ働くを繰り返す。
何かの拍子に、これは多分ウツでしょと思った。ウツなら治るでしょ。とかは元から知ってたので、検索をかけた。自分でできる対処法。
すごく効いたのは些細なことを褒めまくること。寝返りを打った、すごいことだ。腕を持ち上げた、なんて素晴らしい!
足を床につける…つけられるだろうか…できた!すごい!
みたいな。心の中で。あと口に出して。
ちなみに多分同時期だと思うけれど、もちろん滞納していた家賃の催促が来た。実は、家賃滞納で1度実家に払ってもらったことがあった。
2度目。頼れない。
ああ、
もう、貧乏に飽きた。
心底飽きた。
アクターの方の教室は質が合わず、業界にも馴染めず、そもそも期待されてないのが分かってた。お芝居するのももうわりと嫌いだった。昔は好きだったけど。
もう、来週から来ないかもしれない。お金が無くて。仲の良かった教室の人に話した。
実家に帰って続ければ?とか言われる。
今更実家に帰って迷惑かけてまで続ける意味を見いだせない規模の教室だった。
その価値観が、合わなかった。
もう辞めようと心に決めた。辞めたら家賃が払えるから。家賃よりも高い教室料金だった。コネで入っていたので、教室料金を滞納するとコネ元に迷惑がかかるから、こちらを優先していたのでした。
それが正しいかどうかとかではなく、本当に、感覚が狂ってるから貧困になるんだと思う。
・
無事に働けるようになって、もう結構な年数が経つ。
当時、ベッドに転がる自分は当たり前にクサイけれど、すえた臭いの中に甘ったるい、気持ち悪い匂いがしていた。
多分、よく馴染みのあるあの臭いなんだろうと思った。
やっとベッドのシーツを変えた時に、お茶をこぼしたシミだと思っていたものが、人型にずっと広がっていたことを知った。
意識さえ手放せば、このまま、このまま全てが進行したのだろうなぁと思った。
よく生きてたな。
具体的に性的嗜好を限定してほぼ無関係のものを示しているのでちょっとちがうのでは?
方向性としては
ペットボトルのドリンクを飲む男性のキャッチコピーに「SUCK IT!」とか書いて
ペットボトル容器の口へあてがい方やファッションとか表情といったものについて表現方法の如何で見られ方がかわる
みたいな感じじゃないかなと思うんだけどどうかな
今の若い人々には全く想像がつかないかもしれないが、30年くらい前になると、道端のそこイラ中にゴミが捨てられていた。雑誌やペットボトルなんか車の窓からポイポイ捨てる人たちがいた。おもむろに車を止めて道路に灰皿の中をザバッと開けて立ち去る人もいた。
もう10年位遡ると、通勤ラッシュの地下鉄の中でタバコを吸う人がいた。窓も開けられない地下鉄の社内は煙草の煙が充満していた。
今、ポイ捨てする人たちや電車の中でタバコを吸う人はいるだろうか?いるにはいるが、絶滅危惧種だし、それはだめなことだと社会的なコンセンサスが取れている。
日本ではタバコは男が吸うものだったし、ゴミをポイポイ捨てるのも男性が多かった。道端になんの躊躇もなくゴミを捨てることはどこか男らしい、という認識があったように思う。
タバコで言えば、女性は煙を吸わされる、臭くなる、服を焦がされる、というやはり被害者な立場であることが多かったし、子供の目にタバコの火が入って失明したなんていう事故を知っている人もいただろう。
こういう問題について当時のやっていた人々(主に男性なんだが)「ルールとか関係ないわ、俺はやるわ」っていう人とか「いやいや、タバコとか取り上げようっツーの?人権侵害だろ?」とか「ゴミ持ち歩くのってうっとおしいし、ポイ捨ての何が問題なの?」とかそういう人はわんさかいたのだが、今ではポイ捨てする人もほとんどいないし、タバコは喫煙所で吸うことが守られている。
ポイ捨て問題については「汚くて嫌だからやめてほしい」という意見はあったし、タバコについても「臭くて嫌だ」という意見はあった。たが、ここは論点にならなかった。というよりもちょっと後に出てきた論点だったと思う。そもそもそういう人々は多かったのだが、これらの問題に対応するときの最初の論点ではなかった、とでも言ったほうがいいだろうか。
タバコをそこいら中で吸うことの危険性や健康に対する問題というのが啓蒙されていたし、ゴミを捨てることについても環境問題何かと絡めていたと思う。つまり、物理的で客観的に確認できることを問題にしていた。なので、メディアも動きやすかったように思う。
これらの問題はつまるところ
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
の合計だった。
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
こちらの式の前半、戦いに持ち出せるカードが少ないのだ。まず、色っぽい写真や萌キャラのメディアを公の場に張り出すことの物理的な問題ってなんだろう、と思うと、なかなか見つからない。主観的な問題はわんさか出てくる。
「環境型セクハラだ!」とか「性的搾取だ!」と言ったところで「お前の感情論にそれっぽい理屈つけただけだろ」と言われてしまうのだ。当然ひどい嫌悪感を持つ人々はいて、私は彼らにも慮る必要はあると思っている。もうちょっと言うならば、もっと適切な表現ややり方は模索すべきじゃないのかと思う。だって、これは差別問題だから。
海外でもこういったアウトプットを問題にするのは昔はやった。レースクイーンは性的搾取だとかその手のやつで、このときも「いや、これ私がプロとして自分で選択してやってるんですけど、私はこの仕事に誇りを感じている」とか「アンチのせいで私は職を失ってしまった、これからどうやって生きていけばいいのよ」と同性からも反発を食らっていたのは覚えている。
海外ではこういったアウトプットを直接的にぶん殴るよりは、教育を変えていくようにシフトしたように感じている。そして環境型セクハラと言っていいようなメディアは姿を消した。色っぽい表紙の雑誌は未だに公然と売られているが。
フランスではポルノ雑誌がそこかしこで売られているというのは「男女ともにそれがもはや環境型セクハラとして感じられなくなった」または「特定の人にはそれは未だに環境型セクハラだが、誰も同意できなくなった」ということでもあるだろう。
タバコもポイ捨ても社会的なコンセンサスが取れたことで新しい問題を生み出した。それは当初の反対派が想定しなかった方向に転がった、ということでもある。海外でも同じだろう。おそらくフランスでは今でもキオスクでエロ本売るなっていう人々はいるだろうけど、今の時点ではおそらく男女ともに「え、なんで?」ってなるようにアップデートされてしまっている。だが、それでもいいようには思う、何故か。
海外のフェミニズムたちの活動における最も重要な成果は「誰が言ったかにかかわらずそれは議論に値するトピックだ」と誰もが考えるようになったことだと思うからだ。そしてそこには教育が重要であると言ってもいい。そしてこのトピックは「性教育」の一項目だったりもする。子どもたちが目にする最初の多様性は男女や人種だからかもしれない、単純で理解しやすいからかもしれない。
なので、日本のフェミニストたちは海外の性教育を一度見てみることをおすすめすするし、そういう書籍を発行したりしてもいいかもしれない。
庭にはペットボトルとか洗剤やカップ麺の容器が散乱していて、窓から見える室内にも空いたティッシュ箱や使い古されたであろう電池の山が詰まれている。家は家で、トタンの屋根はあちこち剥がれて庭や道にまで落ちているし、あろうことか玄関の扉すら壊れているのか存在していない。まぁ、あの家に泥棒で入ろうなんて人はいないだろうが………。
普通に通りがかった人であれば廃屋だと思うだろう。玄関扉が無いんだもの。
でも、そこには独りの老婆が住んでいる。歳は80代くらいだろうか。いつも近所のお年寄り方と井戸端会議をしているので、心身はまぁまぁ健康のようだ。庭には時々洗濯物が掛かっているので、最低限の家事もしているのだろう。
ただ、流石に足腰は年相応に悪くなっているのであろう、歩く様子は結構大変そうだし、自力で一軒家をメンテナンスするのはなかなか難しいだろう。かといって家事代行を頼むような余裕も無いから、家は年々荒れていき気付けばゴミ屋敷…というのが現状という感じだろうか。実際、ストリートビューで見た数年前の近所の画像だと、荒れてはいたものの今よりは多少マシなものだった(別にその家の確認のために見たわけではないが)。
一昔前であれば多くの人には頼れる子や親族がいて、彼女のような境遇にあれば一緒に住むなり時々でも世話しに行くなりする人がいたのだろう。実際、自分の祖母も限界集落のような田舎に住んでいたが、親の兄弟が交替で定期的に通っていたので、祖母は90代で死ぬまで綺麗な自宅で過ごすことができていた。
でも昨今は独居老人というのがテレビでもよく取り上げられるし、実際にこうやって目にするケースもある。恐らく頼れる親族がいないのだろう。
自分の場合もきょうだい揃って子供はいないし、頼る相手としてどうかはともかく甥姪すらいない。平均寿命から考えれば、もしも伴侶に先立たれたら独りだ。その時にある程度の蓄えが無ければ、自分もそういう風に身の回りのことも満足に出来ずに朽ちていくのかと思うと、暗澹とした気分になる。
いや、彼女は別に今を不幸だとは思っていないかもしれない。ただ、自分がそういう境遇に至るのが怖いのだ。
だったらお前が彼女を助けられるのかと言われたら、それは難しい。ちょっとしたことでも一度何か助けたりでもしたら、近所で顔見知りだとズルズルと引き込まれそうな気もするので、変に関わり合いを持つつもりはない。他の人達もおそらく同じように考えているから、現状なのだろうとは思う。そして自分がそういう境遇になった時も、まぁ周辺住民が助けてくれるなんてことはきっと無いだろう。
別に誰かに看取ってほしいとか構ってほしいとか、そういうのは無いんだ。ただ、歳を取って弱ってきた時に頼れる人なり金なりを作っておかないと、自分にとっては厳しい老後になるだろうなという、そこはかとない怖ろしさを感じるのだ………。