はてなキーワード: ゾーニングとは
これまで、フェミニズムにはわりと好意的なつもりだったが、国連団体を経由して報道の自由に圧力をかける今回の事態を見て考えが変わった。これはさすがにやりすぎだ。
個人的には、性表現自体はゾーニングの上で規制をかけてもよいと考えていたのだが、今回のように報道に圧力をかけるのは問題外。報道の自由が保たれない国なんて、どんどん腐っていくに決まっている。
なので、これからはフェミニズムに批判的なコメントや増田を書くようにしようと思う。
正直なところ、性表現など女性の在り方に直接関係ないのだから後回し(やらないでいいとは思っていない)にして、例の映画監督だとか、性被害のような女性の尊厳に関わるテーマについて重点的に運動してほしかった。
日本でも「metoo」運動とかに重点をおけば、社会からの同意も得られやすかったと思う。何より、私たち女性の生き方を大きく変える運動になったと思う。
フェミニズム自体の思想には今も共感はしているのだが、いわゆる「ツイフェミ」たちに思想が食われてしまって台無しにされてるのが残念だ(今回の報道圧力もそういう一環だろう)。
職場だったら、女子社員が特定の弱者男性を嫌って、むやみに遠ざけようとしたり、口をきかないのがハラスメントになる。
あるいは女子社員が同僚のイケメンと手をつないだり、じゃれ合って、それを周囲に見せつけたら、「環境型セクハラ」だろう。
女性はイケメンの彼氏と仲良くすればいいし、キモメンとのお付き合いは断ってよい。嫌いなやつを無視することだって自由だ。
無論、カップルで手をつないで街を歩くと、非モテ男性たちに不快感・屈辱感を与えるかもしれない。だが、それは人権問題ではない。
ーー私はずっとそう考えてきた。ところが、近年には萌え絵とか、漫画とか、広告表現のゾーニングが問題になっている。
フェミニストいわく、「女性への配慮が足りない」とか、「性犯罪・セクハラを助長している」とのこと。
それならば、カップルが街中で手をつなぐ行為も、(一部の)弱者男性に不快感を与えてはいる。それに女性が自身の好みにもとづいて男を選別するのは、裏を返せば弱者男性を排斥することだ。女のそういう欲望は、自分が嫌いな相手を排除してもいいと、イジメ・差別につながっていく可能性がある。
いずれにせよ、性的欲望に基づいて人を選別したり、そのさまを周囲に見せつける行為は、職場のハラスメントとして禁止されている。これは当人同士が納得していたとしても、まわりの同僚に迷惑になるから禁止なのだ。
それにも関わらず、街中で男女が手をつないでいいのだろうか? また、カップル描写のある広告は、ゾーニングせずに世の中に出していいのか?
ましてフェミニストが主張するごとく、街中や新聞広告にも公共性があるという話をするならば、そこでは職場と同様、「カップルでつるむな」「恋愛はよそでやれ」という規範が適用されるべきではないか。
近年、フェミニストが所謂「萌えキャラ」にクレームをつけて炎上する事が頻繁に起こっている。
それに対して、萌え表現に難癖をつけて表現の自由を侵害するフェミニストが許せないという所謂「表現の自由戦士」と呼ばれる人たちが反発し、フェミニストとの間で激しく対立している。
ちなみに自分は「表現の自由戦士」側ではないことを初めに断っておくが、自分の感覚はオタクでもフェミニストでもない一般人の感覚と近いはずだ。そして、世間の一般人の多くは萌え表現の価値を理解していないし、大して必要な物とは考えていないので、萌え表現が問題になった時の反応としては、フェミニストが騒ぐほど萌えキャラが問題になるようには思えないが逆に「なんでオタクの方も、たかが絵に執着するの?」だったりするのだ。
世間一般のごく普通の人にも大抵は好きなアーティストや作品等があるが、それほど執着が強くないのだ。だから、萌え表現を攻撃されて普段は大人しいオタクが激怒する様を見て「ここまで執着するのは何か怪しい」と思ってしまうし、マスコミ等により植え付けられたオタクに対するネガティブなイメージを思い起こして異様に思ってしまうのである。
自分も全ての「萌えキャラ」炎上案件とその顛末をを詳細に把握している訳では無いが、気づいた事は独立した運営が存在したり既存の作品とコラボした案件では抗議後も運営や作品は続いているという事だ。
表現の自由戦士は萌え表現に対するフェミニストからの抗議を「燃やしに来た」とか「焼きに来た」と言ったり、過去の炎上案件を「燃やされた」とか「焼かれた」と表現するが、運営や作者が修正したりパネルなどの広告を引っ込めれば、それ以上は執拗に追及したり運営や作品の発表を停止に追い込むような事まではしていないのだ。常識的にはフェミニストの抗議よりも国家権力による検閲の方が表現の自由に対しては脅威なのだ。
一方で、炎上の結果コラボレーション撤回に追い込まれてしまったのは「温泉むすめ」のキャラクター「熱海初夏」だ。
「温泉むすめ」を「性差別で性搾取」であると発言した仁藤夢乃氏は無戸籍で学校に行ったことがない女性や小卒で売春以外に仕事がない女性などを保護し就学や職業訓練の支援活動をしているが、保護している女性を連れて熱海に旅行へ行ったことに表現の自由戦士たちが反応し、「熱海初夏」の画像が「嫌がらせ」として大量に貼られる事態が発生し、見かねた熱海の温泉むすめとコラボしている現地の居酒屋店主が表現の自由戦士達に苦言を呈すると、怒った表現の自由戦士達は居酒屋に対する悪質なデマを拡散し、それを反表現規制派で知られる大田区議会議員おぎの稔氏が表現の自由戦士を諫めると、あろうことか味方のはずのおぎの稔氏に対して「フェミを擁護するな」と殺害予告し炎上が延焼する事態に発展してしまった。とうとう営業上の弊害が大き過ぎたのか心が折れたのか当該居酒屋が公認を撤回し「熱海初夏」のパネルを返上。熱海で「温泉むすめ」と提携している施設は当該居酒屋1件のみだったため「熱海初夏」は設定のみ存在するキャラクターになってしまった。
「熱海初夏」を焼き尽くしたのは「温泉むすめ」を守ると言っていたはずの表現の自由戦士なのだ。
自分もラディカル・フェミニズムには賛同できないので、仁藤夢乃氏の主張に全面的には賛同できないが、仁藤氏の活動には頭が下がるし敬意も感じている。世の中の責任ある地位・立場の全てが保守主義者で占められてしまうと救われない人が必ず発生してしまうので、仁藤氏のような人は社会に必要なのだ。
そして、熱海の居酒屋店主が料理人として客に安全で美味しい料理を提供しスタッフを雇用し賃金を払うという経営者としての社会的責任を果たすにあたり、営業ツールとして「温泉むすめ」を利用する事は何も悪いことでは無い。それに対してオタクと同じ熱量で「温泉むすめ」に対する愛情を持てとかフェミニストと闘えとか要求すべきでないし、店主は経営者なのだからドライに割り切った判断をしたとしても責められる理由は一つも無いのである。
そのコンセプトで作った漫画は、一般漫画の範囲内なのかエロ漫画に相当するかどっちだと思いますか?
エロ自体への批判より、見たくないのに見せられたエロに対する批判が多いのならばもっとはっきりエロを確立すればよい。
なのに今はエロとうたってないコンテンツにもエロ広告が出てきたりする。なぜか。
ひとえにむっつりどもが悪い。
あれ?ニュースを見たくてこのコンテンツを眺めていたらなんだかえっちな漫画の広告が出てきたぞ…あれあれ?うっかりクリックしちゃった…あ~見るつもりはなかったのにな~ナンデダロ?みたいな顔をしたいすべてのむっつりのせいでゾーニングがぼやっとしているのだ。
スポーツのファンは専門の雑誌を買ったりするだろ。グルメ好きはグルメコンテンツを堂々と楽しむだろ。
エロ好きも堂々としようよ。
エロ専門のSNSがあっていいじゃない。エロ専門のアプリがあっていいじゃない。エロしか乗ってない新聞があっていいじゃない。
エロコンテンツは経済をまわすんだよ。本来忌むべきものではない。だって本能なんだもの。
男が悪いとか女が悪いとかじゃない、むっつりがこのゾーニングを阻害している。
むっつりよ、立ち上がれ。素直になれ。