はてなキーワード: スカッとは
知る人ぞ知るTwitter界の頂上決戦「暇空vs堀口裁判」に判決がくだされた。(まぁ、控訴したら裁判は続くだろうが、便宜上の表現とご理解いただきたい)
結果は原告の請求棄却、費用は原告負担。つまりは暇空側の敗北だ。正直堀口のことはほとんど知らないのだが、暇空のことは誰から構わず噛み付くおっさんという印象で、爆撃のような連投ツイートや信者というファンネルでターゲットを攻撃しまくっていて「何かやだなー」と思っていたので、彼が負けて正直スカッとした。
ただ、おれはTwitterでどちらもフォローしていない。なぜこの顛末を把握してるかと言うと、俺がフォローしているITエンジニアたちがどちらかをフォローしてるため、さまざまな情報がRTという形でTLに流れてきたのだ。
割合は暇空フォロワーのアカウントが多い。そのため、今回の棄却に「司法はあっちサイドか…」とか「暇空堀口裁判とかまだやってたの?」とか悔しさを馴染ませるエアリプしてたりするのだ。堀口サイドの方は勝訴を喜び過去の暇空の醜聞も拾ってきては、追いツイートするといった有様だ。
興味深いのは有名なエンジニアで日頃は高度な技術論を展開してる人の中にも、暇空信者が多いということ。なんでこんな頭の良い人がこんな人間に傾倒するんだと不思議に思ってたが、ネトウヨにも医者や士業、実業家が多いそうだから案外そんなものだろう。
後、具体な統計こそとっていないが、システム屋は暇空サイドでOS・ソフト屋は堀口サイドが多いようにも思えた。これも何か傾向があるのだろうか。
主人公が未来予知能力で将来スパイダーウーマンになる3人のうち一人の名前がアーニャなので実質スパイファミリー
google "お産 救急車" 破水や陣痛で救急車を呼ぶのは日本では推奨されていないんだけど、NYFDの主人公の同僚(ベン・パーカー)の義理の妹が破水したとき救急車呼んでたよ(そのあとのお約束カーチェイスのため作劇上の必要性優先。日本のテレビだとテロップでエクスキューズが出るか)
主人公らが攻撃系の特殊能力を持っていないからしょうがないんだけど、敵との戦いが「未来予知で都合がいいことが起きるのを利用する」(だけ)だからスカッとしないんですよね
ウーピーゴールドバーグマシンやボンバーマンみたいに「敵にとっての事故が起こる場所を作ってそこに嵌める」ではなくて爆発の破片が飛んでくるタイミングを予想する、とか、崩れてくる看板が直撃する場所を利用する、だから避けようがない。運でピンチを乗り切り不運で悪役は倒される。
…これ楽しいか?
シナリオ教室で「偶然は使いすぎちゃダメだよ」って言われるのが何故なのか身に染みるプロットでした
うちの旦那は「客観的に見れば」良いとされている旦那だと思う。
年収は私の5倍近くあるし、私も一応正社員だけど年収は全然敵わない。
もともとマメで家事をよく手伝ってくれる人で、コロナきっかけで在宅勤務中心となってからは
仕事の合間にちょこちょこ家事をこなしている様で、私が7時か8時ぐらいに帰ってくる時には
掃除も洗濯も皿洗いなんかもほぼ終わっていて、ご飯の支度までしてある。
ゴミ出しなんかも私は出勤だからと始めの頃は出していたが(それまでは夫が担当)
何度か忘れる事があっていつの間にか旦那が出す様になり、そのまま定着してしまった。
もちろん帰る事にはゴミはまとまってるし、いつの間にか私部屋含め回収されている。
その時やってなくても夜寝る前にはやっている様だ。
細かい家事も含め旦那が日中と寝る前、朝にやってしまい、私が家でやる事はほぼ無い。
まだ子供はいないが旦那義実家は電車で20~30分程度の所にあり、もし子供が出来たらフルサポート体制はばっちりだそうだ。
義両親も特に嫌味を言ったりしてこない普通の人で、色々差し入れくれたりサポートはしてくれるが
口は出して来ないので、良い人なんだろうなとは思っている。
私実家と違って義両親共々固い仕事で収入もあるのか、羽振り良いなと感じる面が多々ある。
旦那自身は良くも悪くも普通の良い人で、押しの弱い点が気になる以外は穏やかで一緒にいてストレスは感じない筈だった。
外見も他人から見れば「かっこいい旦那さんね」と言われる程度には悪くないと思う。
私両親や親族にも信頼されている。というか私実家の自営業の経営が悪化した時に、旦那から旦那父→旦那父知人経由で
仕事や人材を口利いて貰い、経営は何とか持ち直した事もあり、逆に私両親の方が旦那家に頭が上がらない状態……
一見すると特に問題無い環境に思えるかもしれないが、正直私は苦痛を感じている。
家の中で私がやる事なさすぎて、私の「役割」が全く無いからだ。
一方で私は結婚するまでは週1で母に来てもらってたまった家事をして貰っていた。
「一応一人暮らしだったけど子供部屋おばさんみたいなものだったね」と姉に言われてグサリときたが事実なので反論出来なかった。
今でこそ旦那がしているが、私がやっていた時はストレス溜まっていたのかなと思う時もある。
仕事で疲れて、家に帰る頃にはクタクタで、今日こそ頑張ろうと思いながらも何も出来ない。
基本的に定時か残業一時間程度で帰れるし休日も暦通りだから、客観的に見ればブラック企業でも無いと思う。
人間関係で大きなストレスがある訳でも無いのに、家に帰るとクタクタで疲れてしまっている。
休日も疲れて一日中寝ていたり、ストレス解消でゲームをしてしまったりしている。
旦那はその間に副業を始めて年間だと200万ちょっと稼いでいるそうだ。ますます立つ瀬がない。
仕事が原因で疲れているのだから、家事専念したいと仕事辞めたいと申し出た事があった。
旦那は私が良いならと賛成してくれたが、両親や姉に猛反対された。
「お前は楽をしたいだけ、旦那君にこれ以上甘える気なのか」
「どうせ仕事を辞めたい言い訳、辞めた所で家事なんてしないだろう」
「旦那君程とは言わなくてもせめて半々やれば良いのに、あなたの家の事なんだから」
「子供がいるならまだ分かるが居ないのに仕事辞める必要が無い、旦那に寄生したいだけでは?」
そうは言っても人間の出来が違うんだろうから旦那には簡単な事でも私には難しいと反論したかったが
さすがに情けなくなって出来なかった。結局退職の話は先延ばしになっている。
子供が出来たらと思ったし旦那も望んではいるが、このまま子供が出来て主婦になると
家庭に縛られ押し込められてしまう気がして、レス気味になってしまった。この二年間は殆ど出来ていない。
この先も子供が出来てしまうと、全ての自由を奪われ家庭に閉じ込められてしまうのが怖くて、ますます子供からは遠ざかっていってしまう。
旦那とも子供は欲しいよねって結婚前に同意した筈なのに、このままだと無理だろう。
こんな状態でも文句を言わず、私に気を使っている旦那の人間性が、私と違いすぎて更に辛くなる悪循環。
正直、自分自身もそうだし、それ以上に旦那や旦那に味方する人達が憎くて憎くてたまらなくなってきてしまっている……
一度だけ正直に仲の良かった友人に愚痴った事がある。
旦那から必要とされていない様で辛いと。まるで言葉や肉体での暴力の無い、真綿で首を締められる様なDVを受けている気分だと。
「我ながら贅沢だと思うけど…」って前置きして話したが、友人には「何それ?ただの自慢?」と言われて、以来FOされてしまった。
ある事無い事…実際には無い事無い事言ってる。
例えば「旦那は帰って寝るだけで全く家事しない」とか「在宅勤務を理由に仕事中は何もしてくれない、粗大ゴミみたい」とか。
本当の事を知らない友人からは「そっちの旦那も何もしないのね~」と同意されるが、少しスカッとすると同時に後ろめたさも感じてしまう。
客観的に見れば多少恵まれている方なのに、どうして私はここまで苦しいのか、自分ですらよく分からなくなってきている。
昨年、旦那は年末年始の旅行を計画してくれたが、結構強い調子で断ってしまった。
気まずいのもあって、年末年始は部屋にほぼ引きこもって会話もほとんど無かった。
旦那は話しかけたり、謝ってきたけど、不機嫌な風にして追い返してしまった。
気分転換すら出来ず、いっそ離婚して全てをやり直した方が良いのかな?
今の貯金と慰謝料か家があれば、最悪この先ずっとお一人様でも細々と暮らしていけると思う。
そんな破滅的な事すら考えてしまう自分自身がたまらなく一番辛い。
社内のほぼ全員が社内ニートである会社で働いたことがあるだろうか。
強制的にクビになるまで意地でもしがみつくその根性、そして増やすだけ無駄な仕事を勝手に増やす愚かさ。
利益を追求するチームと、社内ニートとして仕事っぽいことをしているその他のチームがいるのである。
まあ滅ぶ寸前だったら転職すればよい。
しかしである。社内ニートの連中は暇な時間をなんとか仕事に変換したいらしい。
そこでここでは連中が駆使している暇つぶし創出のちょっとしたテクニック集を開陳する。
1. 議論
だれかが議論をするといい始めた時は、大抵暇な時だ。
社内SNSでテキストベースで議論し始めたり、誰か特定の人間を集めて会議室で議論したりする。
だがこれらの議論はあまり生産的ではなく、生産的であろうとするが、無能なので何も生み出さない。
ずれたことを言うことに慣れきっているので、こんな議論さえある:
「俺たちの目的は社会貢献だ。社会に貢献するためには社会の不安定要因を見つける必要がある。ハッタショが社会を不安定化させているのではないか。もしそうだとすると、ハッタショを更生するには周囲のサポートがいるのではないか。もしそうだとすると、サポート要員を確保するために人件費を与える必要がある。もしそうだとすると、利益になるビジネスモデルがない限りそのような人件費は払われない。もしそうだとすると、利益に頼らない方法を見つける必要がある。」
こいつがハッタショについて議論し始めたのは、普段からハッタショにムカついていてスカッとしたい以外の理由はなく、ハッタショを更生するビジネスなどやる気は微塵もない。
「もしそうだとすると」が多すぎて、前提が崩れるとすべての議論が無駄になるのである。
2. 調査
調査というのは議論の次に多い言葉だ。まともな調査をする人もいるが、大抵の場合は信頼できないソースを引っ張り出し、自説を補強する以外のことはしない。
そもそもググって情報を見つけることを「調査」と仰々しくいうほどのことではないだろう。だが、そういって仰々しくいうと、本格的な情報を調べるように見せかけることができる。
信頼できる調査とそうでない調査の違いは、その努力の方向性である。
一時情報源を見るために論文を翻訳する人たちや、バグの原因究明のためにデバッグしている人たちはかなり努力しているが、ツイートを引用するだけの連中は脳が足りない。
3. 発信
社会貢献は世間に影響を与えられてこそであるといい、匿名のアカウントを使って炎上や工作活動を行う。
これを最も好んで「暇つぶし」にしている人もいる。会社の目的に合致していればまだしも、ただのインプレ稼ぎに成り下がっていることが多い。
例えば画像生成AIでどんな絵が生成できるか検証してみました、みたいな連中だ。
まだ未検証のうちはそれでいいかもしれないが、何度も生成してどういうものか分かった段階でまだ続けようとしても生産的ではないだろう。
そもそも画像生成のAIをどうやって利益に変換するつもりなのか。そういう根本的な発想が抜けている。
社員のほぼ全員が社内ニートというのだから、そもそも会社としての仕事がなんであったのか誰もわからない状態になることがある。
そういう時に、誰かが暇潰しのための議論で「こういうツールがあったらなぁ」などといい始める。
それでエンジニアが実際にそういうツールを作ると、「なんかちょっと違うんだよなぁ、僕が研究してきた哲学をもっと含ませて欲しいんだよね」と理解不能なことを言う。
だからツールも作ったきりで発展しない。利益に繋げようという意欲がない。
「インフラの監視」といって、無理やり仕事を作り出そうとする人もいるが、インフラのインシデントが常日頃から膨大に発生するようなことはない。
監視のための仕組みをもっと徹底して導入するだの、k8sを使うだのいって無理やり仕事を増やそうとするが、コストにしかならない。
イベントを開いて人を集めれば、確かに社の知名度を高めたり、イベントから収益を得たりは可能だろう。
ただ利益の決定打には及ばない。場合によってはコストの方が高くつく。
被災地にプレゼントを、などと言うが、被災地が今欲しいのは水と食料であるという基本的な部分の認識すら欠如し、頓珍漢なものをプレゼントしようとする。
8. PoC
会社にまともな仕事は存在するのか?と疑心暗鬼になっているエンジニアがPoCをし始める。
これはこれで、後々役に立つことはある。実運用で適用可能な技術も多い。
しかし、一部のエンジニアは漠然と「すごいこと」をやろうとしており、それが厳密に言語化されないので、PoCの方向性があちらこちらに行く。
利益に貢献するようなサービスを運用しているとして、その運用時にマニュアル作業が発生していることがある。
これらを自動化するツールを作る提案をすれば、暇つぶしもできるし、生産性向上によって時間的余裕を創出できる。
まあ、時間的余裕を創出するからこそ社内ニートがより深刻化するのだが。
最新技術の勉強をするといって、技術書を読む。場合によっては、勉強会を開く。
例えばマイクロサービスアーキテクチャを正しく運用するには、とかそういったことだ。
桐島の死に逃げいいなあ
本人のやったことはドア爆破だけで死人ゼロだからさっさと捕まって10年程度で出てきたほうが楽だったんだろうにな
名乗った時はスカっとしてスカッとしながら死んでいったのかな
スカッと感のためだけに長い時を生きてきたのか?
「竜の子」と契約してしまい、やがて人間をやめて竜の子と融合して永遠に生きる存在「成竜」となる代わりに、それまでは超能力使いまくれるみたいな世界観
直角は能力を使って核兵器を全世界にボンボン落としまくり国内では富士山にも落とし大惨事
主人公が直角を止めに彼の元へたどり着いたら、ガリガリに痩せた状態で座り込んでいた
直角はそれまで厨二病のような思想論を長文で垂れ流し仲間をつくり啓蒙していたが
「僕には思想なんてない。一番嫌いなのは自分なんだ。竜になるのも願い下げだ」と言い残し唐突死
同行者によれば直角はもう何日も水さえ口にしておらず、餓死だった
「あんたそりゃないでしょ」と主人公が掴みかかるも、もう死んでいる直角相手ではなにも意味がない
死に逃げ、いいよなあ
投稿しようと思ってた話
ある日、私が朝の電車に乗ると隣に座っている人のことも気にせず、化粧をする女性がいました
皆同じ事を思っているらしく「じろーっ」と女性の方を見ているのですが、女性は全く気にする素振りはありません。そんな時、ある一人の男性が「えらいね〜あなた」と唐突に女性へ言いました
女性も思わず化粧の手を止めて「そうかしら?どうもありがとう」と笑顔で男性に返しました
「どこがえらいんだ?意味分からない」私は呆れてその場を去ろうとしたその時でした
女性は顔を真っ赤にして、しばらく固まってしまいました。周りにいた私たちは笑いを堪えるのが大変でした (おわり)
おまけ
早速空けて飲もうかと思ったが、この部屋にはワインの栓抜きが無いのだった。
なので、隣人に「フランスのワインを手に入れたけれど栓抜きが無くて…ちょっと栓抜き貸してくれませんか?」と頼んだら
言って部屋の奥から木槌を持ってきてくれた
「誰が樽でワイン買ったなんて言った
ふざけんじゃねぇよ」とは言えず
(おわり)
Twitterで定期的にバズっている、非常識で男尊女卑の思考で凝り固まった九州男児を成敗するスカッとジャパンなストーリー
それに追随するように湧く、九州は知能も低く昭和の価値観で止まっている地獄のような場所というヘイトスピーチ
なんなんだよ、Twitterで書かれる一個人の事象で地域を括って偏見と差別を振りかざさないでよ
確かに、男尊女卑の価値観が未だ続いてる地域かもしれない、自分だって疑問を抱いて苦しむこともあった
だけどそれを見た"九州より優れてて賢くスマートな都会人"が知ったような口で九州を侮辱されると本当に頭にくる
一緒にするなと偉くて賢い人に怒られそうだが
黒人が黒人コミュニティで自分達のことをニ●ーと呼び合うことを是とし
白人がそう呼ぶことへ怒り差別とする気持ちが少しわかる気がする
女性の差別は反対するのに嬉々として地方を差別するリベラルな人々、自称フェミニストたちはその構造のおかしさに気づいていない?
大学生の頃、ジェンダー論とフェミニズムを少し学んでその思想に助けられたのに、ど田舎九州に住む野蛮人は死ね、と刃を向けられた気分だ
差別反対を表明する人たちが平気で田舎差別しないでよ、味方じゃなかったの?
データや統計に基づいて論理的に問題提起しているのならありがたいが
Twitterで蔓延る九州の男尊女卑エピソード、結局一個人の出来事を大きく取り上げて"九州男児"ってわかりやすくかつラベリングしてバカにしてるだけじゃないか
挙句の果ては"会ったことはないけど娘が付き合ってるのが九州男児で〜今すぐ別れなさいって言ってるんだけど〜…"と
あの、実際に会ってないんですよね?彼を"九州出身"というフィルターだけ通して見て
娘さんが選んでお付き合いしてる人を無碍にしていいんですか、あなたは娘さん自身を信頼してないんですか
会って嫌な思いをして不安になるなら分かるけど…イメージだけで差別するなんて稚拙すぎませんか
九州の女性や男性が問題提起してるなら何も思わないし、建設的に話し合えたらいいって思うよ
Twitter賑わせてるのは九州に住んでない人が簡単に殴れるターゲットとして九州人を揶揄して遊んでるようにしか感じない
でも、祖父母を見てたら簡単に"九州は男尊女卑の遅れた土地"って切り捨てられないよ
祖父は昭和一桁年生まれだが、掃除洗濯は勿論するし、魚を捌いて刺身を拵えてくれた、祖父の作るだし巻き卵は甘くて美味しくて大好きだった
祖母は祖父の創業した小さな会社で経営方針を大きく改善して指揮をとっていたし、祖母の判断で不動産の投資と運用を行なっていた
伯父だって、正月には料理を奮って作ってくれるし、帰省の際は祖父母のためにいつも食事を作ってる
優生思想?帝国主義??関東圏内に生まれなかった、本州からも離れた九州の"土人"は平気で侮蔑していいの…?
Twitterで"模範的なモラルを持つ人"と挙げられがちな欧米のエリートと関わったことあるけど、強烈なレイシズムとミソジニーを感じたよ
パリ第一大学を卒業した自称フェミニストのエリートフランス人だったけど、店で料理をサーブしてくれた女性が親切だったことをあげて「自分は白人だから優遇してもらえる、日本人は白人が来てくれて嬉しいからね」って平気で言ってたし
「男女の友情なんてない、男は女とヤリたいから親しくするだけ」と吐き捨てたよ
東京生まれ東京育ちの早稲田大学卒業の男性、女性をモノのように扱ってたよ
彼らを一括りにして都会の男はミソジニーのレイシストだ!と言うつもりはありません。
もちろん、九州にだって嫌な価値観の人らがいるよ、嫌な思いもした
でも「女性」で一括りに差別され悲しい思いをした人たちが、「九州」を一括りにして侮辱していいって思えないよ
#さすが九州とか、#Q州のハッシュタグで綴られているツイートがあまりも粗雑で悲しくなる
それに私が出会った中で1番ジェンダーに対してフラットで女性を尊重してくれると感じた男性は九州生まれ九州育ちだった
九州の文化や風習が男尊女卑を増長してる論を語るならば、もっと冷静にデータと分析を持って問題提起して欲しい
そのような方が九州男児を過剰に否定し拒絶する気持ちも理解できる
でも、そのラディカルさが手を取り合うべき人同士の分断を産んでしまうことに深い悲しみを覚えている
出身地は選べないのに
フェミニズムとオリエンタリズムを一緒くたにして出身地における差別をしないでください
あえて、"都会の人"と再三括りましたが、都会の人が皆九州を差別してるとは思っていません
沢山の反応をいただいて驚いてます。共感、疑問共にいただけて嬉しいです。
まとめると、男女差別に反対しながら地域差別を肯定しないでほしいということです。
しかし、それに対しての抗議の声が自浄作用として働けば良いですが、地方や特定地域への蔑みと差別が内面化したものが多いことが悲しいのです。
男尊女卑の反例として私の家族を挙げてますが、それが九州の価値観だと一般化したいわけでもありません。
ステレオタイプなイメージで、特定の地域を括り侮蔑することは差別を助長するのではないかと思っています。(これは九州に限ったことではないです)
地方と都市、男女、老若、貧富、さまざまな属性を無数に分けることができますが、属性に対する決めつけは差別の始まりになる危うさがあるのではないでしょうか。