「カタツムリ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カタツムリとは

2023-12-12

anond:20231212092706

成りクレ

マスクしないやつほどゴホる

これはウィルス他者感染させようと宿主を刺激し取らせている行動なのかもなあとたまに思う

カタツムリ寄生して高い所に登らせる寄生虫みたいに

2023-11-13

anond:20231113101139

ウチの子カタツムリ伝説の生き物だと思てるよ。

絵本とか出しものに出ずっぱりの超個性なのに、

最近じゃ、なぜか滅多に見かけないから。

anond:20231113100210

私は野生動物が出たら田舎だと思う。

コウモリ★☆☆☆☆

カエル ★★☆☆☆

カタツムリ★★★☆☆

イノシシ★★★★☆

2023-10-26

[]スターオーシャンDC ps4

41時間くらいでとりあえずエンディング

とりあえずクリアしたということを目指すためだけにやった

2の後に続けてやるとストレスフルなゲームだった・・・

すべてが2よりストレスたまる 楽しかたことほぼない

キャラストーリー戦闘、移動、イベントアイテムクリエイションすべてが・・・

スターオーシャンシリーズってよりはディスガイアに近いやりこみ要素、ゲームバランス

快感の無いバトル

魅力のない主人公

犯人はヤス並みにオチ有名だけどオチ以外のストーリーもつまんない

アイテムクリエイションでぶっこわれとかを気軽にできるのがいいのに決まった場所しかできないっていうふうに良さを自分から殺してる不自由さクソ

いざアイテムクリエイションやろうとしても金かかりすぎでクソ 時間もかかりすぎるのクソ

徒歩移動オンリーでファストトラベルとかルーラ的なやつ、飛空艇みたいなのがない不自由さクソ

マッピング要素で歩けるエリアじゃないとこ埋めないと100%にならないガバガバマッピング判定クソ

デスティニー2のSPみてーなガッツシステムで好きに攻撃できない不自由ストレスクソ

イベントで会話飛ばしてもマネキンの変なモーションとか間を全部見るまでイベント進まないのクソ

バトルで必殺技出す方法が長押しなのクソ すぐ技出せねえし思ったように出せずに暴発しがちなのがめっちゃストレス

2だとLRに設定しててすぐ出せたやろ・・・劣化してんなや

3すくみも機能してないっつか不便すぎてごみ

ぼーっとたっとかないとガードできないとかアホか

しかもガードやぶり攻撃されたら意味ないし

敵はスパアマでまったくひるまずにスキルしかけてくるのに、味方のスキルは敵の攻撃簡単に発動妨害されるの不公平すぎるだろ

ノーモーションから出してくるザコ大杉だし こっちの技はなんかクソみてえな間があって、ただでさえ長押しで技でるまで押せえのにひっと するまでもマジで遅い

敵移動してたりしてスカったりするし

クリアしてからが本番とか試練の洞窟とか隠しダンジョンとかあるみたいだけどとてもやる気にならんわ

装備をかなり強くする必要あるけどそのためにはめっちゃカネと時間がかかるからディスガイア並みに効率極めてプレイしないといけなくなるけどディスガイアほどお手軽に爽快感とか強くなった感あじわえなくていつまでもストレスしか感じないからこれ以上はやらん

からさまなプレイ時間水増しのおつかいと同じダンジョンとか町を行ったり来たりでほんま最悪だったわ

ダンジョンの一番奥でイベント起きたら普通自動で町とかに戻るけど常に歩いて戻る必要あるし

ファミコンゲームかよっていう

評価高いらしいけど個人的に1よりクソゲーだわ

さーあと456の3つかー

どれも一度もプレイしたこといからなー

4はしらんけど5がクソゲーってのは知ってる

ワゴンかったけどゲームカタログきちゃって後悔

まあ全部カタログにあるうちにクリアしたい

トロコンなんか無理むりカタツムリ

とりあえずストーリークリアだけ目指す

2023-09-06

anond:20230906172202

そうなんだけど要はそのブクマカ統一教会関連は全てスルーしろ」と言いたいけど、自らその話題に乗り込んで行って統一教会記事人気エントリー化に加担し星貰ってスッキリ

というカタツムリ野郎だと予想

2023-08-01

anond:20230801110532

ITエンジニアだけ可視化されてるだけで、他の職種えげつないと思う

から俺は家でしか仕事しないカタツムリになることを選んだ

2023-07-05

anond:20230705003535

絵文字の流れを想像してみますね。

🍅(トマトから🍝(スパゲッティ)への流れは、料理食べ物の関連性を示しているかもしれません。トマトスパゲッティソースの主要な材料として使われることがありますので、これは料理の進行を表しているかもしれません。

🍝(スパゲッティから👻(幽霊)への流れは、予期せぬ展開や幻想的な要素への移行を示唆しているかもしれません。スパゲッティを食べている最中に突如現れる幽霊というイメージが浮かびます

👻(幽霊から😭(泣き顔)への流れは、驚きや恐怖から悲しみへの感情の変化を表しているかもしれません。幽霊存在によって人が驚きや恐怖を感じ、それが悲しみや絶望につながっていると解釈できます

😭(泣き顔)から🌪(竜巻)への流れは、感情の激しさや混乱を表しているかもしれません。泣き顔から竜巻への移行は、感情の嵐のようなイメージを思い浮かべさせます

🌪(竜巻から🙌(手を上げる人)への流れは、苦境から脱出希望象徴として解釈できます竜巻に巻き込まれていた人が無事に脱出し、手を上げて喜びや安堵を表現しているイメージが浮かびます

🙌(手を上げる人)から🐌(カタツムリ)への流れは、速さやエネルギーからのゆったりとした移行を表しているかもしれません。手を上げて喜ぶ人からカタツムリゆっくりとした動きへの変化があります

🐌(カタツムリから🍅(トマト)への流れは、もとの状態や循環を示唆していますカタツムリゆっくりと移動し、最終的には最初の要素であるトマトに戻るというイメージです。

2023-06-22

ナメクジでいいじゃん

カタツムリ最近みない話。

別に増やさなくていいよと思うのは、私だけかな。

いなくなっても特に困らない。

だいたい、カタツムリの方がナメクジより上等って価値観意味不明

子ども向けルッキズム入門でしょ、それ。

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

2023-04-16

クジラが吠えーる

カタツムリが拗ねーる

みたいなのなんか他にない?

2023-03-27

虹色のうんちをするには

カタツムリは、たべたものによってうんちの色が変わる。例えば、人参を食べさせればオレンジ色のうんちをする。

人間のうんちは一般的にはコゲ茶色のため、多少人参を食べたとしても色の変化は分からないだろう。

一方で人間でも、牛乳をたくさん飲んだり、精○を大量に飲んだ場合はうんちが白くなる傾向にある。

そこで思ったのだが、

精○を大量に飲む → 人参を大量に食べる

を行えば、オレンジ色のうんちが出るのではないだろうか。

誰か実験してほしい。

虹色のうんちをするには

カタツムリは、たべたものによってうんちの色が変わる。例えば、人参を食べさせればオレンジ色のうんちをする。

人間のうんちは一般的にはコゲ茶色のため、多少人参を食べたとしても色の変化は分からないだろう。

一方で人間でも、牛乳をたくさん飲んだり、精○を大量に飲んだ場合はうんちが白くなる傾向にある。

そこで思ったのだが、

精○を大量に飲む → 人参を大量に食べる

を行えば、オレンジ色のうんちが出るのではないだろうか。

誰か実験してほしい。

2023-03-19

今のオタクガトリング砲の由来さえ知らないらしい

キングオージャーという特撮番組があるのだがその実況が

「なんで美と医療の国でガトリング砲が自走しているの?」

といった書き込みで溢れていた。

ちなみにこのガトリング砲というのは、戦隊ヒーローの合体ロボの補助パーツになるチビロボットのことだ。

キングオージャーは5つの国の代表選手がそれぞれ変身して巨大ロボに乗り込んで合体して敵をぶっ殺すという特撮だ。

その合体ロボの本体ではなく補助的な武器としてガトリング砲を背負ったカタツムリが登場したのである

ガトリング砲が自走しているという絵面に突っ込むのは分かる。

たとえそれが巨大レーザーメスだろうが巨大ヒアルロン酸注射器だろうが町中を自走していたらヤバイ絵面なのは事実だ。

だがそれらと「美と医療の国」という部分の繋がりに疑問を持つことはなかっただろう。

ガトリング砲本来はその枠に入るはずなのだ

現代オタクが正しい知識継承し続けていれば。

ガトリング砲アメリカ発明家リチャード・ジョーダンガトリングによって1862年に発明された。

ガトリングは元々発明家であったが1850年に自身天然痘にかかったことを契機に医学について学ぶことになる。

だがガトリングの興味は医学博士を取得する頃には発明へと再び移り、医師として活動することはなかった。

1861年から始まった南北戦争において多くの兵士が死亡しているの見た時、彼の中にあった医療への情熱が再び燃え上がり「1人の兵士100人分の働きをすれば、戦争犠牲者はそれだけ減らせるだろう」という着眼点から発明が始まった。

かくして作り出されたのが1人の兵士100人分の銃弾をばらまく兵器たるガトリング砲である

ガトリング砲とは、自身が病に苦しんだ経験から医療を学んだ発明家が、同じく病の苦しみの中に消えていった(初期の戦争における戦死は銃創によ即死よりもそこからの化膿などによる死が多かった)者達を減らすために作り出した兵器なのである

ガトリング砲の開発思想には医療の心があるのだ。

こんなものオタク雑学の基礎であったはずだ。

だが今やニチアサを見るような濃いオタクですら

「なんで医療の国でガトリング砲?」

と書き込んでしまう。

恐ろしいことだ。

知識継承に失敗している。

こうした知識継承の失敗はゆくゆくはマナー反省といったことにおいても起きているのだろう。

オタク歴史には多くの過ちがあるが、それらを乗り越えてきた歴史さえも失われてしまうのだろうか……。

オタクよ……後世のオタクを育てるために何をすればいいか考えるときがお前たちにも来ているぞ。

失われゆく技術テーマ刀鍛冶なんかを主役にした物語は数多く描かれているが、それが自分たちオタクとしての教養にも当てはまるという自覚オタクたちには無いのではないか

大丈夫か?

2023-03-11

転生アボカド

「着るビーズクッションが欲しい!!」

と声高らかに叫んだ夜のことであった。

眠りの中、私はビーズクッションの夢を見ていた。家具が一切無い広々とした部屋。私は緑色の着るビーズクッションを着て、すべすべなフローリングの床に寝転がり、文字通りゴロゴロしていた。

私はふと、もしや手足をシュポッと内側に引っ込めたら完全無欠の防御になるのではないか、と思いついた。たとえ高いところから落ちてもクッションが衝撃を緩和するのだ。すばらしい。ずんぐりした深緑の塊。そのシルエットはまるでアボカドのようだ。完全無欠のアボカド。これは凄いよ!と心の中で拍手をした。

そして私は備え付けのトランポリンの上に乗り、勢いよくジャンプした。身体は宙を舞い、フローリングに向かって落下、ここだ!私は、自分の腕と足と首をクッションの中にシュポッ!と引っ込め、シュポ…あ、あれ?首ってどうやって引っ込めるんだっけ? え、ウソヤバイ、落ちる、落ちる。激突。

全身に鈍い痛みが走る。首が回らない。指一本動かせない。これってもしかして、死……。私、死ぬのか。こんな姿で。そうだ、せめて首を引っ込めよう。そうだ。完全無欠の、アボカドになって私は死ぬんだ。ゆっくりと、カタツムリが這うようなスピードゆっくりと、首を格納する。

意識が遠ざかっていく―――

目覚めたらアボカドになっていた。

2023-03-05

もし先に虫を喰ってたら食用化されていなかった?かもしれないもの

エビ類(幼虫を食用化していたほうが低コスト調達できた)

カニ類(クモ食用化していたほうが)

貝類カタツムリ食用化していたほうが、ってサイゼリヤ行けや!あとアレほとんどニンニクの味しかしねェ…)

2023-03-04

印象に残る言葉

カタツムリ背中オリンピック
お前が始めた物語だろ
学習転移
尿道院放尿堂
戦争あなたが嫌いです
もし俺が謝って来られてきてたとしたら、絶対に認められてたと思うか?
ボールに謝れ
コヒローキックを余裕でかわすポメ
アナル感謝蕎麦
超高速参勤交代

2023-02-25

貝の貝殻は貝ではないし、カタツムリの貝もカタツムリではない

本体はあのヌメヌメっとした軟体生物の部分だよな

いや、貝殻は「骨」なのか?そうなのか?

2023-02-20

昼寝猫氏、本当にダメになったな

https://twitter.com/tcv2catnap/status/1627574923576369152?cxt=HHwWgIDT0aGxp5YtAAAA

このツイート

https://twitter.com/gashin_shoutan/status/1627476889647595528?cxt=HHwWkIDS-ffm-pUtAAAA

を受けてのもののようだが

例え話をひとつすると「カタツムリを食うなんて頭おかしいw」なんて言うやつはいない

なぜならエスカルゴ存在を知っているか

つまるところ韓国を始めアジア諸国文化にまったく興味がない、侮蔑のこもった無視を決め込んでいることに他ならない

この理路に気が付かんもんかねぇ

まあ社虫なんかと付き合ってる人物の器などたかが知れているか

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