はてなキーワード: 蚊帳の外とは
「マナーを守らせるつもりがあるかどうか」「きちんとした親かどうか」はどうやって判断するんだろうな。
元記事の言い分だと、
・注意しているか
が判断基準になるようだ。
こういう判断基準は、親は周囲の人間に「私はこんなに頑張って子供を静かにさせようとしていますよ」「決して放置しているわけじゃないですよ」というアピールをせよ、周囲の人間を納得させよ、という規範として機能することになる。
そうやってあやしたり、注意したり、その他様々な方法で子供を静かにお行儀よくさせることが、その子にとっていいことなのかどうかは全く判断基準に入っていないし、実際に効果があるのかどうかも判断基準に入っていない。子供の持つ特性も眼中にない。
こういう判断基準をもってくると、親の方は「こんなことしても無駄で、泣き止まないのに、周囲へアピールしないと常識のない親と思われて白い目で見られてしまうから仕方ないか」と思うだろう。
周囲の人間は「親があんなに頑張っているなら仕方ないか」と思って溜飲を下げるかもしれないが、完全に子供は蚊帳の外に置かれている。この親のアピールによって今後子供がお行儀良くなってもならなくてもそんなことは関係ない。
こんな無意味(かもしれないこと)を親に強いて、それを実行できない親は「きちんとしていない」と判断されてしまう世の中で本当にいいのか?
クラスの清楚で真面目な感じの女の子が、チャラ男に「そういうこと試してみない?」と言われて、好奇心で部屋までついて行ってさ。
部屋に入ってからも、「嫌なことあったら言ってね。すぐ止めるから」と言いながら、ゆっくり服を脱がせる感じで。
脱がせるときも、服がシワにならないように、下着が傷んだり、汚れたりしないように気をつけててさ。
そういう「女慣れしてて不快なことはしないな」という安心感で、真面目そうな子がどんどん好奇心だけで先に進んじゃうの。
で、別にそのあともふたりは付き合うでもなく、何か人間関係がこじれるでもなく。
こんな感じのシチュエーションが好き。
催眠や脅迫でのNTRじゃなくて、単に主人公が女慣れしてなくて、女の子の好奇心に上手く気付いて乗れなかったから結果的にNTRちゃいました、BSS、みたいなの。
呉座氏もう完全に蚊帳の外で笑える
いつも思うんですが、なぜキャンセルした企業は議論の蚊帳の外になるんでしょう?
だって抗議に淡々と対応すれば炎上なんて収まるものなんです(少数のアンチはともかく)
話は変わるんですけど最近youtubeで元雨上がり決死隊の宮迫博之がオリエンタルラジオ中田敦彦とのネット番組で問い詰められていたんです
開店しようとしている焼肉店・牛宮城が迷走に迷走を重ねてるが大丈夫なのかと、お笑い動画も上げず再生数も登録者数も落ちている、内装工事の為に大切な高級時計を売ろうとしてファンが悲しんでると
矢面に立った宮迫博之のビジネスパートナーは、中田敦彦に反論しながら宮迫博之のことを究極的にナルシスト、とか、この人おかしい、とか、お金を出さなくても良いのに止めても勝手に男気を見せようとする、とか散々な言い方をしたんですよね
そこで中田敦彦は内装工事を全部する必要はないと、店の関係者を説き伏せて高級時計の売却を止めさせるんですけど
きっと宮迫博之は完璧な店にしたいという思いが強すぎたんです。だから傍から見ればバカみたいな男気を演出して店を盛り上げようと空回りしてしまったんです
もしかして今回のような抗議に屈してキャンセルしてしまう企業も同じなんじゃないかって思うんです
皆に愛される企業になろうとするあまり、一旦抗議を受け止めて考えるよりまず発売中止の行動をしちゃうんです
それは他の企業も同じで、政治的な思想に流されているんじゃなくてただ純粋に皆の為に愛される為にと思ってるだけかもしれないんです
中田敦彦は宮迫博之に大切な時計を売らないようにこう言い添えるんです
「”やっぱり”力ですよ」と
つまり「”やっぱり”やめた」「”やっぱり”考え直す」ように促したんです
サンリオのように抗議を受けた企業も”やっぱり”でしばらくして考え直したり、もっといい売り方を思いつくかもしれません。(例えば発言をヘンテコなものとして宣伝するとか)
「表現の自由を守る派」の人たちです
一度抗議に屈したら、今度は目の前の「表現の自由を守る派」の人たちが烈火の如く怒っている
その怒りの対象は自分らではなく抗議者側だと分かっていても、板挟みになった企業から見ればどう見えるんでしょうか?
自分らに味方する激しい怒りでも、これでは”やっぱり”踵を返すのも躊躇してしまうんじゃないでしょうか
だから「表現の自由を守る派」こそニコニコ明るくしなきゃいけないと僕は思うんです
教育環境もないしノウハウも人材もないので中途しか採用できない
人の入れ替わりもそこそこある
頻繁に怒られているターゲットになっているような人が何人かいる
基本的に社内は静かなので誰かが話している内容や
電話の内容はすべて丸聞こえ
いい話も悪い話もすべて聞こえる
その中で人前で怒る行為が行われる
間違ったことは言ってないけど言い方どうなの?と思うようなもの
苦い部分を凝縮した雰囲気
時に「君がそんなこと知らないならすべての仕事を疑わないといけなくなる」や
「このままで大丈夫なの?お客さんにも迷惑かけて俺も謝っているんだよ」
などといったキツめの言葉もある
これが始まるとただでさえ静かな社内はより一層音がしなくなる
そうすると聞きたくもない内容が耳に入ってくる
年に1回か2回でも遭遇したくないこれが
週に1,2回、繁忙期なら2日に1回起きる
聞かなければいいとも言い切れない
なんとなくの話の筋は分かってしまうのだ
当然、集中しているようでしていない状況になる
怒られている本人は
例え正論だとしても怒られることで多少は落ち込み、
人前で怒られる屈辱を味わうのだ
誰が得をしているのだろうか
なぜ延々と続けてしまうのだろうか
その違いを受け取って叱るはいいとしても
人前でそれをする必要があるのだろうか
自身が覚えた怒りを増幅させてその場で発散しないと
人前で怒るのやめませんか?
生産性下がるんで。
これから書くのは、三十路非モテ童貞奇形アトピー毒親育ちおじさんが、学歴やら年収やらなんやら肩書だけつよつよになった結果見えてきた、大いなる諦めと僅かな希望と、「どうせ恋愛なんて外見が良い奴がワイワイやってるだけの初期ステでほぼ決まる糞ゲだろ」と思ってるまだ20代より若い人へ送る、しょうもないポエムです。
人生辛いよな。いわゆる「モテるための努力」みたいな奴を人の5倍10倍してても、もとから顔が良い奴が「彼女ができないのは彼女作ろうとしてないから」みたいなことを平気で言ってくるの、本当に不公平だと思うよな。高校大学のときの遊びみたいな恋愛において、完全に蚊帳の外だった上に「蚊帳の外に置かれてるのはお前の努力不足」とか言われるの、本当に理不尽だと思うよな。
その遊びみたいな恋愛において蚊帳の外だった理由は「中身で評価されなかった」から、ってのは、実のところ、8割位正しいんだ。遊びみたいな恋愛に関して、中身で評価されない、中身で評価されるところまで行かないのは、ある意味当然なんだ。だって、遊びなんだもの。学校とかいうクソ狭コミュニティの中でのコミュニケーションで、ボスみたいな人の好感度が簡単に他の人に伝搬するヒエラルキーゲームなんだもの。好感度0の奴がやる行動の評価は0に何掛けても0、しょうがないことだ。
でもな、仕事始めてからの恋愛、名前が変わらないけど、全く別の違うゲームになってるんだよ。コミュニティの繋がりが希薄になって、ぼんやりと広がっていく。結果として個人の趣味に価値が寄っていく。他人を好く基準が、他人が好いてるから私も好き、じゃなくなっていくんだ。そこで出てくるのが、他人のために行動できるか、とか、仕事でちゃんと成果出せるか、とか、個人の素質、中身のほうに少しずつだけど寄っていくんだ。この切り替わりが早いのが、今までそこそこモテてきて、彼氏彼女が居なかった時期のほうが少ないようないわゆるモテ側の人間なんだよ。性格が合わない奴はいくら外見が好ましくても無理、ってのを理解してるから。
今までモテてこなかった、どうしようもない私や私が今回メッセージを贈りたい皆様は、多分、そういう人が自分を好いてくれていても、「学生時代散々遊んでた奴、散々蚊帳の外に追いやってきた奴、そして蚊帳の外に置かれてることを嘲笑してきた奴が急にすり寄ってきた」って思ってしまうかもしれない。違うんだよ、やっと、「中身で評価される時」が来たんだよ。待ち望んでいただろ、「中身で評価される時」だ。
もちろん、卑屈になってしまうのは否定しない。それどころか肯定しよう。苦悩は絶対ある。虐げてきたタイプのやつが、急に手のひら返してきたら怖い。疑う。不審に思う。当然だ。だが、そんな奴が、お前らごとき私ごときに、目を向けなきゃいけない時期が来てるんだ。お前は見返したんだよ、さんざん馬鹿にし、虚仮にしくさったあいつらを。中身で!特に立派な学歴だったり、肩書だったり、金稼げるようになったり、君や私の努力の結果を、中身を評価してるんだよ!
いま皆様が劣等感に苛まれてる、かつ「中身で評価されねえな、世の中クソだ」って思っていたら、是が非でも中身!心優しく、他人に気を使えて、多方面に有能になれるような方向に行ってほしい。偽善でも全く構わない。表出する行動が善、少なくとも「あなた」が世の中に誇れるようなことならば、それは全く正しく善であることであると私が肯定する。これであなたを肯定する人が世の中に少なくとも2人になった。独善ではないな?それでも全く相手にされないんだったら、思う存分、私と共に世界を恨もう。「世界は初期ステと生育環境で99%決まる、最低最悪なクソの掃き溜めである」と。クソの掃き溜めに評価されないのはこの上ない栄誉だ。誇っていこう。
劣等感、コンプレックスをバネにして努力した人は、いざそれが解消されるべき時がきたら卑屈になってしまう(あるいは過剰な自信を得てしまう)ことはままある。学生時代遊べなかった恨みは、どうか今幸せになることで解消してほしい。目の前の自分に対する好意を裏切るような、あるいは自分が今でも不幸なことで世の中を憎むような復讐が、あなたの幸せよりも大切ならば、それもいいだろう。いいだろうが、いつかクソこじらせキモおじさんになる前に、脱してほしいと心から願っている。
多少ぼかして書く。
緊急事態宣言が明けた日、私は別部署の後輩から食事に誘っていただいた。
行くと、数名の後輩女性社員がいていずれも初対面だった。
先輩に会ってみたいって言ってた子達なんです、と主催の後輩が教えてくれた。
所轄が違うため、初めはそれぞれの仕事やコロナ禍での苦労話など食事しながら和やかに話していた。
が、途中 ある子に届いた一通のLINEにより雰囲気は一変してしまう。
「うわ、〇〇さん(別部署で私とほぼ同期の男性社員)からだ。食事に行きませんかって」、
「がっついてる~、てか既読くらいつけてあげなよ」
「私のところにも夕方来た、焦りすぎでしょ」。
私はここらで突如、蚊帳の外になった。
別段それは構わない。久々の外食が美味しい。
彼女らは一通り〇〇さんからのメッセージを回し読みし感想を言い合ったあと、
「てか社内にも街にもろくな男いなくないですか?」と私に振ってきたので驚いた。
恐らく、その日の最年長かつ独身で恋人もいないから尋ねられたのだと思うが、先程までスマホに集中していた彼女らの視線を一斉に向けられるのはあまりいい気持ちがしない。
私が返答に窮しているうち、「〇〇さんは無理、でも角立たないように食事くらい行かないと……あーあ、彼氏欲しい、返事打つの面倒くさすぎ」「わかる、彼氏は欲しいけど無理なもんは無理だよね。私も行くって返事だけはするか…」と話題は〇〇さんに戻って行った。
加速しているのに止まっているという表現が正しいかわからないが、口数は増えたのに話題が前進しなくなったのだ。
なのに盛り上がり方がすごい。今までの比ではない。ひとつも面白いことが起きていないのに。
私はいよいよ会話に参加できなくなり、曖昧に微笑みながらメニュー表を眺めるふりをして一人しりとりに勤しむのみだった。
帰り道、主催の後輩がぽつりと「あれ、最悪でしたよね」とこぼした。
あれとはどれだ。〇〇さんのLINEか。
「先輩に気を遣わせちゃってすみません。でも、たまにああいうことがないと不安なんですよ。みんな焦ってるんだって思うと安心するんです」。
私はきっと、もっとも焦った素振りをするべきで、彼女らもそれを求めていたはずだった。
風呂上がりにハリウッドザコシショウのネタを観たら少し元気が出た。
匿名で書き込んだのは、なんともいえない罪悪感を言語化することで整理したかったのだと思う。
読んでくれてありがとう。