はてなキーワード: 自責とは
夫婦二者間のすれ違いなんてどっちが悪いとかそういう問題でもないだろ
常識、価値観、コミュニケーション方法の齟齬の問題であって、両方に解決の義務があるだろう
「やや「無頓着」な部分があり、「あまり恋愛には熱心ではないし、女性の気持ちがわからず怒らせたり別れを切り出されたことも何回かある。来るもの拒まず、去る者追わずという感じだった」」
増田夫もこのような自分を自覚しているのなら「察せないので言葉にしてほしい」というべきだし、
実際に「〇〇に行きたい」と提案しても「いいよ、めんどくさいし遠いし」など却下され、毎回むなしい気持ちになり自分の生きたい場所は殆ど言わず、彼の行きたいところ、興味のあることは誘われることが多かったので私自身に興味がなくても付き合いました。
提案を無下に却下されたら誰でも提案する気を無くすだろう。元増田が「思ってることを言い出せない」関係性を築いたのは元増田と夫両方だ。個人的な見解としては、増田夫はコミュニケーションにコストをかけなさすぎだ。「言わなきゃわからない」ならば聞くべきだろう。「何も言わないから同意しているのだろう。」と決め付けて相手を思いやらないのは怠慢だ。夫婦なのだからお互い「が」歩み寄るべきだ。察する文化、主張する文化といろいろあるが、そこに優劣はない。言わないと同様、察さないのも「サボタージュ」だろう。
増田を読んだだけなのでなんとも言えないが、元増田夫婦の間には夫>元増田の力関係があるように思う。元増田が勝手に遠慮しいしいで生きてるだけかもしれないが。なんにせよ夫相手に萎縮してないか?「夫は共同体意識がない」に尽きると思う。夫に違和感感じてるのはそこなんでしょ。元増田の中で結論出てると思うよ。俺は離婚したほうがいいと思う。
精神科医気取りで「虐待の過去があるでしょうね」「あなたはおかしい」「あなたに問題がある」「あなたは自立してない」「あなたは自他境界が曖昧だ」と断罪するのは異常だし、一見正論のように見せかけながら元増田を責め続けるのはモラハラの手口だ。正しいことを淡々と述べているようだが、よく読めば決めつけが多く、相手の非ばかりあげつらっている。
普通に考えて恋人持ち、既婚者で配偶者が元恋人と仲良くしてたらいい気はしないだろ。嫌と思う奴もいて当然だろ。こいつのモラ気質は「わたしは思いませんけど?」といちいち挟んでくるところによく現れてる。モラハラ人間は絶対これやるんだよ。相手がおかしいことにする。
「夫はいい人です」とか俺らにわかるわけないだろハゲ。適当言うな。その言葉が追い詰められた人間にどう作用するかなんて自明だろ。「あなたの幸せのために」と思ってるやつが「夫は全く悪くない。あなたが全て悪い。あなたはおかしい。夫はいい人だ」とかいうか?言わねえよ。モラハラ人間と暮らしていたからよくわかる。
まあこの増田自体半分私怨に近いわ。でも良く考えてみて欲しい。こいつは本当に正しいか?よく読め。
普段夫はとても優しいです。優しいんですが変なところで徹底的に「冷たい」です。夫の中では「結婚した!仕事がある!家族みんな適度な距離感にいて安心!」で、すべて自分自身の中でのみ完結してしまっており、私自身が「別の生き物」として認識されていないように思うのです。
と書いてるじゃん。矛盾してるだろ。夫は変なところで冷たいとわかってるじゃん。(上手く言葉に出来てないけど夫に対して違和感を抱いてるというのはよくわかってちょっと同情した)
ここだって、元増田からしたら夫は明らかに他者として区別されてるだろ。自他境界が曖昧という言葉は適切か?
あなたは罪悪感が強く、自責も他責も濃いパーソナリティのようです。推測ですが「虐待を受けていた」「親に過干渉され、ありのままの自分を認めてもらえなかった」など、自尊心を毀損された過去があるのではないでしょうか。
本当にそうか?罪悪感が強いか?離婚の危機、適応障害ときたら自責なり他責なり出るのは当然だろ。自責と他責強いか?離婚相談なんて大体こんな感じじゃないか?
脅迫的なアプローチはとってないだろ。今までずっと溜め込んできて、最後にタガが外れて責めてしまったとしか書いてない。そもそもアプローチしてない。
つか全体を通して人格否定が過ぎるだろ。節々が元増田の人格否定をするために構成されてて読んでて胸糞悪いんだが。不必要に責めてる部分多いよな?何があなたのためだよ。
元増田だって、「夫は優しい、夫は察してはくれない、でも言い出せなかった」と内省してるし決して何にもわかってないわけじゃないじゃん。本当の本当に、元増田は増田が言うみたいに「自立してなくて虐待の過去があるのか自他境界が曖昧で自責的で他責的で罪悪感が強い察してちゃん」か?
最後に、これがロジハラだとは思わんよ。というか、ロジックじゃねえもん。「察してちゃんが悪い」っていう大前提を置いて、それに沿って相手を非難してるだけだから。論理が何か説明してみろよハゲ。
その1
「傷ついた」はないとして、「傷つけた」はあるのだろうか
その2
「親に愛されたいが愛してもらえない3歳児が、わざと他の兄弟を愛する様子を見せつける親に抱く不満」と、
「宝くじがはずれた不満」は異質に思える。
どちらも生涯他言しないものとして、前者を表現するのに「傷ついた経験」と私は使いたくなるが、後者にはならない。増田なら前者に「傷ついた経験」とするのはなぜ嘘の表現なのか、解説できるのではないか?
その3
少女漫画に詳しいのなら、「わざと傷つけようと画策する描写」と、「傷つける事を目的としない加害描写」を両方読んだことがあるかもしれない。イメージでもかまわない。もしあったら、両者の違いを解説してほしい。
以下、ダラダラと脈絡なく。
「傷ついた」と表出することで他人をコントロールしようとする行動はありふれているが、それが主題なのだろうか?いやそうでもなさそう?
「不満」は、「ムカつき」も「傷つき」も経由しなくても解決できると思うので、はじめの方でこの3つが一緒くたになっている?のは違和感があった。
増田の主張が正しいとして、増田以外の「傷ついた」と思ったことのある人が多数を占めるだろう世の中に、増田は何を望むのだろう?
考え方の誤りを認めさせたい?
同じ考え方の人が居るか知りたい?
ただバーカ言いたい?
それとも世の中ではなく、「私は傷ついた」と増田に言った特定の誰かを想定している?
これらのどれでもない…?
誰かのトラバかブコメにあったけど、「自責の念を抱くようになった原因が他者にある」のが「傷つき」では、というようなのを見た。これは、「原因はあの人だ」と思うのが傷ついた本人の場合は確かに「他者のせいで自責する不満」とも言える。
しかし本人が自責の念を抱いた原因について意識していない場合もある。その自責は傷つきを含まないのか?
まあこれは、傷つきと自責が関係あると増田が言ったわけじゃないから、考えても仕方ないけど。
不満があっても傷つかない場合と、不満を傷つきと捉える場合が同一人物の中で両方あると思うけれど、その差はなんだろう?
理不尽さの違い?
不満解消可能性の違い?
自責の有無?
尊重されてない感の有無?
これは不満をムカつきと捉えるかどうかについても同じか?
増田の言うことは、そうだなあ、と思うような、そうかなあ?と思うような、もう少し考え方を詳しく知りたみがあるので、私のイメージする色々な「傷つきシーン」に「不満」や「ムカつき」を代入して想像してみているのだが、イマイチすっきりしない…。
同人女の感情というのはこないだはてブでもホットになったおけけ中島パワーの漫画の事だ。これがタイトルらしい。
俺は同人制作もしたこともないし神を追っかけたこともないオタクに毛が生えた程度で、そもそも男性だ。
しかしこの漫画が世に出たことで意外な形で被害を被ってしまった。
それは付き合っている彼女がまさにその漫画に出てくるような人(神の方ではなく、取り巻きの方)だからだ。主に女性向けの作品を嗜み、二次創作も貪るようにチェックし
神と呼ばれる存在を追いかけているどこにでもいるオタク女(と本人は自称している)だとは思う。
しかし、唯一違う点があった。それが彼女にとって致命的なものだった。それは彼女は創作がどうしても出来ないのである。
過去に何度か試みたことはあるが結局挫折してしまい、もう自分は消費専だと開き直ることにしたらしい。おけパを読むまでは。
あの漫画に登場する人物は最終的に創作しているのである。ド素人から一つの作品を完成させるなんてそこは多少のフィクションも入っているとは思うが
厄介な事に好きであるからこそ創作する、この脳内にある妄想を形にしたい、という動機で二次創作をするのが彼女にとっては重くのしかかってしまった。
好きなのに二次創作すらできない私は作品に対してそこまで好きなのではないのかと自責をするようになってしまった。
あきらかに前のように一体どこからそんなエネルギーが湧いてくるのかとハイテンションで作品と向かい合ってた彼女はいなくなった。
今は作品に対しても脳内で何か妄想しようとしてもそれを世に出せないのなら意味はあるのかと自らそれを考えないようにしているみたい。
俺からも形にしなくても妄想する権利はあるし、そもそも創作はやりたい人がやるもので無理してやらなくてもいいのではと説得も試みた。
しかしそれはおけパの呪いをかき消すには至らないのも自分もわかっていた。彼女は本当は創作がしたいのだ。したくてもできないから苦しんでいる。
創作したい、そんな呪いを抱えている人は表面上はわからなくてもきっと多くいるのではないかと思っている。俺もそうなのだから。
だからこそ彼女の気持ちは痛いほど分かるし、俺もあの漫画を読んでて最終的に作品が完成して報われるところを見ると何故だか胸が締め付けられる。
あの漫画はその呪いを増幅させる力はあると思う。それは悪い事ではなく作品として優れている証だろう。
増田が「ちゃんと」してると思ってる他の人も、見えるところがそうなだけで、だらしなかったり不誠実だったり、実は世の中ろくでなしばっかりだよ。まじで。だから「ちゃんと」してないのが普通なの。それがデフォルトなの。
空気読めない発言しちゃったり、やる気おこらなかったり、よくあることでしょ。普通普通。
仕事きつくてやめてしばらく休むのも普通だし、勉強してると言いながら実はしてなくて実は興味すらないとかも普通によくある話だよ。
とりあえず「それは異常じゃない」って理解して、毎日ダラダラ過ごせばいいと思う。増田、休んでるようで実は全然休めてないように見えるよ。自責をやめてまずは自堕落に生きよう。気力が少し回復したら「堕落論」とか読んでみてね。
と思ってしまうことがあるが収まるとしても「この場」だけであり将来的にはよりこじれることもどこかでは予想できている
でも急場を凌ぐために譲歩や我慢をしてしまいその後はずるずると流され自分で選択したという意識もあるから相談も出来ず自責ばかりになる
自分が我慢しているという意識とストレスがあり周りには察されないので突然爆発したりストレスに圧し潰されたりして場所や人間関係をまるごと失うことになる
っていうのを繰り返してる
恋愛というか性愛の関係に限らないけど それらはとくにその場に限れば一対一のことが多いので自分が我慢すればのパターンが多くなる
ちなみに人間関係は毎回リセットされているので関係性が深まっておらず相談できる相手はいない
というかどうやって相談したらいいかわからないし相談しても想定範囲の返答がくるだけとか迷惑だろうとか思ってしまう
去る者追わずで人間関係を修復できたためしがないのでそもそもの性格や対人スキルの問題もある
なんか渋くて意地悪でカッコイイけど頼りないおじさんの声をやらせたら右に出るものはいないあの藤原啓治だ
なんでも癌で亡くなったらしい
癌というものは恐ろしい、どれだけ年齢が若かろうとその体力や治癒力の如何にして残酷に命を奪っていく
コロナもそうだがやはりタバコを吸ったりして肺を弱らせてしまう人はあまり体力が持たないようだ
知り合いも癌だったがそれは膵臓癌だった。それでも全身に転移していたし、もしかしたら体力以前の問題かもしれない。
でも医者は治療する度に体力がどうのと言っていたのでやっぱり体力は必要なのだ
だから「この年齢ならきっと大丈夫でしょ」なんて俗説はどれも頼りないし
だからどうしても何を言っても頼りない。
何が治癒になるのか、救いになるのか、絶望の苗床から希望の花が一輪咲いてそこから再生の芽が吹きこぼれるか、
悪性細胞の恐ろしき侵食力によって新たに生まれた命が成長しきれずに黒く染まって死ぬようなそんなグロテスクな最後を迎えるのかだってわからない。
だから、恐れる。死を目の前にして恐れる。
理想的な死に様すら迎えられずに惨めに哀れに虚空を掴みながら死ぬのを恐れる。
なんとかそこから抜け出して新たな命のフェーズに入ったと思ったから、なんだか油断していたところもある。
「藤原さんってこの作品にも出るんだ!まだ活躍されるんだ!」と勘違いした部分もある。
いつかまたどこかで彼に逢えると思えるなんて凄まじいじゃないか。
だからこそ死んでしまった。途絶してしまった。永遠のうちには無くなってしまった。
これからその亡霊を私は追うことになるのだろうし、その死についても「お前はまつらいさんの時に学ばなかったのか」という自責がまた私を襲うのだろう。
声優という職業の不安定さや、病気というものの恐ろしさや、その人達がいる日常の当たり前じゃないことを理解しなきゃいけなかった。
いや、ひろしはひろし以外の姿もいくつか見られて、それをこれから、という時に雲の合間から下界を覗く奴らに持っていかれてしまった。
だから私は亡霊を見ることになるのだろう。
俗に言うイケおじだとかいう部類のキャラクターを見た時に、あの色気のある声が蘇るのだろう。
それに、ここまでそれっぽい言葉を使わなかったのは藤原啓治という存在が、その固定概念が、ひろしで止まったり、ホランドで止まったり、その他のキャラクターで止まったりしてはならないと思うから
これから年齢を経て広がりと深みを見せるはずだった彼の演技がそこで止まったものではなかったはずだから
だから
改めて、癌は恐ろしい。
改めて、日常の脆さを痛感した。
これを書いた人です。
いつの間にかたくさん反応をいただいていて驚きました。
あたたかいお言葉をくださった方、ありがとうございます。
日増しに厳しくなっていく状況の中、なんとか頑張る勇気をいただいています。
生活保護についてアドバイスくださった方もありがとうございます。
実は父とは疎遠ながら関わりがあるのですがまだ前職を退職したことも知らせていないので、生活保護となると報せが行ってしまうことがとても怖いのです。
鬱で早期退職後私を養えず高校卒業もさせられなかった強い自責に加え、飼い猫が亡くなってから塞ぎこみがちで、私が上場企業の正社員として働いていたことをとても喜んで安心していたので、実は生活苦から風俗業をしていることを知ったら生命保険のために本当に自殺でもしてしまうのではと、踏み切ることができません。
学校から帰ったら母が死んでいるかもしれないと不登校になった6歳の頃から、何も変わってないんだなと情けないような虚しいような気持ちにもなります。
しかしどうにもならないことを考えても仕方がありません。
誰もいないところでひっそりと死にたい。
そう思い始めたのは鬱病を患い、自宅で療養する毎日がしんどくなってきた頃だ。
規則正しく生活を送っていても、日々頭の中を支配するのは一度レールから外れてしまったことから二度と元には戻れないという恐怖感。
裕福な家庭に生まれ、当たり前のように私立中高一貫校に進み、東大に進み、世間から羨まれるような企業に入社した。
しかし入社したのは良いが次第に終着点が見えないことに気付き、社内の人間関係が億劫になっていく。
そして自身がこんな環境にいるのは自分の努力が足りないせいだと自責を始め、だんだん精神に異常が起こり始めた。
今まで当たり前に親や周りの人達が敷いてきてくれたレールを歩くことしか能がないのだからそこから外れる勇気もない。
馬鹿正直に同じことを繰り返してきた人間が馬鹿正直に同じことを繰り返すことに対して疑問を持ち始めたら脆かっただけなのだろうが、気付くにはあまりにも遅すぎた。
色々と考えた結果、痛いのは嫌なので薬か何かを輸入してオーバードーズで死ねたらいいのではないかと思う。
今まで沢山愛情を注いで育ててくれた両親や親戚の方々には申し訳ないが、苦しいのだ。
ただただ終わりが見えない苦しみの中にいるのがこんなに苦しいとは思わなかった。
自責も持たないぞ