なんか渋くて意地悪でカッコイイけど頼りないおじさんの声をやらせたら右に出るものはいないあの藤原啓治だ
なんでも癌で亡くなったらしい
癌というものは恐ろしい、どれだけ年齢が若かろうとその体力や治癒力の如何にして残酷に命を奪っていく
コロナもそうだがやはりタバコを吸ったりして肺を弱らせてしまう人はあまり体力が持たないようだ
知り合いも癌だったがそれは膵臓癌だった。それでも全身に転移していたし、もしかしたら体力以前の問題かもしれない。
でも医者は治療する度に体力がどうのと言っていたのでやっぱり体力は必要なのだ
だから「この年齢ならきっと大丈夫でしょ」なんて俗説はどれも頼りないし
だからどうしても何を言っても頼りない。
何が治癒になるのか、救いになるのか、絶望の苗床から希望の花が一輪咲いてそこから再生の芽が吹きこぼれるか、
悪性細胞の恐ろしき侵食力によって新たに生まれた命が成長しきれずに黒く染まって死ぬようなそんなグロテスクな最後を迎えるのかだってわからない。
だから、恐れる。死を目の前にして恐れる。
理想的な死に様すら迎えられずに惨めに哀れに虚空を掴みながら死ぬのを恐れる。
なんとかそこから抜け出して新たな命のフェーズに入ったと思ったから、なんだか油断していたところもある。
「藤原さんってこの作品にも出るんだ!まだ活躍されるんだ!」と勘違いした部分もある。
いつかまたどこかで彼に逢えると思えるなんて凄まじいじゃないか。
だからこそ死んでしまった。途絶してしまった。永遠のうちには無くなってしまった。
これからその亡霊を私は追うことになるのだろうし、その死についても「お前はまつらいさんの時に学ばなかったのか」という自責がまた私を襲うのだろう。
声優という職業の不安定さや、病気というものの恐ろしさや、その人達がいる日常の当たり前じゃないことを理解しなきゃいけなかった。
いや、ひろしはひろし以外の姿もいくつか見られて、それをこれから、という時に雲の合間から下界を覗く奴らに持っていかれてしまった。
だから私は亡霊を見ることになるのだろう。
俗に言うイケおじだとかいう部類のキャラクターを見た時に、あの色気のある声が蘇るのだろう。
それに、ここまでそれっぽい言葉を使わなかったのは藤原啓治という存在が、その固定概念が、ひろしで止まったり、ホランドで止まったり、その他のキャラクターで止まったりしてはならないと思うから
これから年齢を経て広がりと深みを見せるはずだった彼の演技がそこで止まったものではなかったはずだから
だから
改めて、癌は恐ろしい。
改めて、日常の脆さを痛感した。
うんちだった
うんちで思い出したけど最近血便が出るのよ
えええそれは大変ですね💦 健やかなうんちが産める体に戻れることを祈ってます