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はてなキーワード: 国文学とは

2016-03-21

日本の漢字はそろそろ簡体字にするべきだ

中国過去繁体字では、「こりゃ10億の多様な人口に覚えさせんの無理だっぺ」と言って簡体字に変えたが、その決断賞賛したい。

最近日本も全く常用漢字機能していないではないか。テレビ番組を見れば、ハーフタレントは軒並み漢字を書けない。

彼らに勉強しろと強いるのではなく、システムを変えて簡体字にし誰もが簡単に学習できる社会にするべきである

こういう事をいうと必ず、「日本の誇り」などと意味不明な事をいう奴らが出てくるが、実際問題日本戦前漢字から簡便化を図っている。

一度出来たことがなぜ二度出来ないと思えるのか。

国文学者や文科省教育者達の日本人の可能性に対する冒涜ですらあるとはなぜ思えないのか。

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2016-01-27

理化学研究所既存のことを「きぞん」って言ってたけど間違い?

俺は国文学の授業で「きそん」って習ったよ。

理研から理科系から愚かにも「きぞん」って言ったのかな

あれだけ見ても頭悪いんだろうなって思った。

だって「きぞん」だよ!?wwww

2015-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20151221210136

ここで生半可に知識がある連中なら、

ネカマしてるけど質問ある?」とか書きそうだけど、

紀貫之文学史上においてもっと評価されていいと思う。

彼の業績は、『古今和歌集』や『土佐日記』といった作品で、

「唐歌」に対する「大和歌」の意識を鮮明に打ち出し、

源氏物語』を頂点とする仮名文学への先鞭をつけた点は、

国文学の礎を築いたという意味で、あまりにも偉大な人物だからだ。

「女もしてみむとてするなり」という言葉に込められた、

貫之のぎりぎりの想い、あなたにはわかりますか?

2015-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20150618221927

ああ、舐められてるなあ、文学部w

史学科なら郷土史の読み書きに役立てるとか、国文学科なら変体仮名踊り字の解読あるいは古典近代文学研究趣味にするとかないの?

まあ実際そこまでやってる人はあんまりいないんですが。

いいとこ読書好きなったりラノベみたいなポンチ文に浸ったりする程度でしょ。

2015-01-22

違和感を「感じる」は何故駄目なのか?

重複表現ではないし、言葉としても成立している、と国文学先生に言われて

自分言葉は間違ってなかったんだと安堵する。

昨今の日本語を正しく使いましょうキャンペーンが、自分言葉すらも疑心暗鬼に陥らせてしまっている。

日本語の文法も論法方言方便というのがあるから面白醍醐味でもあるのに

正しい日本語でないと言われるとその面白さにすらゲシュタルト崩壊を起こしてしま今日この頃

2014-11-01

11月だ

11月だ。

4月を思い出す。一人暮らしを始めた。ワンルームマンションを借りた。実家から通える職場だったけど、なんだかんだと理由を付けて一人暮らしを始めた。意地だったのかもしれない。

僕の今の自宅は12畳だ。広かった。だからまず本棚をいっぱい買った。窓とドア以外を本棚にしたかったんだ。そして好きな本をいっぱい入れた。給料ほとんど本に変えた。変えている。実家から好きな本を持ち込んだ。好きな本の背表紙だけを並べたかったんだ。僕はハヤカワ文庫が好きだからまずはそれを並べた。次に創元推理文庫ちくま現代教養文庫文庫はそろっていてきれいだ。次に単行本単行本わがままだ。高さも装丁もちっともそろってない。乱歩の箱入り全集はきれいだ。その横に井泉水泉鏡花。僕がしってるのはこれくらいだ。国文学科の人ならもっと素敵な本をならべるのだろう。ちょっと悔しい。古い本は鏡みたいに書棚を見る僕を映す。なんて思うけど自己満足だ。買って帰る途中は重くて重くて二度と買うもんか、って思うんだよ。僕が持ってる一番古い本はなんだろう。雲野十三だろうか。これは単に自慢。そうやって作った本棚を眺めて過ごす。手に取って読む。新しい本を読む。「お前はこの本棚に入れていい奴か見ているんだ」なんて思いながら。残念ながらおめがねにかなわなかった本はさよならだ。誰かに読んでもらうほうがいい。ばいばい、村上海賊

雨だから本を読むんだよ。外に出ない理由はそれ。だから外に出る理由は本を買いに行く。僕は雨が上がったら本屋に行くんだ。それを忘れないために増田を書いた。読んでくれてありがとう。ぞくぞくしてるよ、僕は。

2013-07-05

国文学専攻してた者です

http://anond.hatelabo.jp/20130704225950

みなさんの反応を拝見しましたが、一番人気がこれ↓ってすごいですね(執筆時)。

luccafort

元増田も頭悪い感じだったがこれはこれで頭悪さが滲みでてて趣がある。

http://b.hatena.ne.jp/luccafort/20130705#bookmark-153073342

ただの中傷じゃないですか。人として恥ずかしくないんですか。


それはさておき、一点だけもう少し説明した方がいいかな、と感じるところがあったので補足しておきます

「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」という表現についてです。

一番最初にこの点についての疑問を含むコメントhttp://b.hatena.ne.jp/ublftbo/20130704#bookmark-153073342)をくださったublftboさんに答えるという形式をとってみます

「人文系(というか国文畑の人間)」←人文系の「一部」なのでしょう?

はい、一部です。そのことを示すために、わざわざ毎回「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」と表現しているのです。

自分自身は、できれば「人文系」という括りで話をしたくありませんでした。今回のように国文学以外の人文系の方が集まってくることは十分予想できましたから。

しか元増田テーマは「人文系」であり、その結果としてブコメに並んだのは「人文系とは……」と人文系について賢しらに語るものばかりでした。具体的に自分が想定しているものを人気コメントから拾い上げるならば、これ↓とかです。

yellowbell

冒頭の一文「知り合いの話を聞いた感じでは」を採り上げて、この「知り合い」こそがこの批判の真の対象である、と解釈するのが人文という学問です。

http://b.hatena.ne.jp/yellowbell/20130704#bookmark-152981602

国文学が人文系の直球ど真ん中である以上、こうした言及は国文学とも無関係ではありえず、自分にとって縄張りへの侵入以外の何物でもありません。しかし、人文系の話をしているところに「国文学は……」と割りこんでいっても話の筋が見えにくく混乱を招くだけでしょうし、かといって「人文系は……」ではそれこそ一部の方が誤解して批判しているように範囲が広くなりすぎてしまます

そこで、人文系の一員ではあるが人文系全体を代表するものではないということを示したうえで不快を表明するための苦肉の策として、「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」という表現を用いたのです。

せっかくなので前半部についても答えておきましょう。

「人文系(というか国文学)は、学問ではあるが、役には立たない」 そもそも元増田は、「人文系学問じゃない」と言っている。

元増田は人文系学問じゃないと言っているが、お前の考えに反するのではないか、という指摘でしょうか。

そうですね、反します。でも別にいいです。腹も立ちません。

自分はもともと「門外漢に人文系(というか国文学)のことが分かるはずない」と思っていますから、そういう無理解は当然のことです。また「学問じゃない」というハナからの全否定は、自分にとって縄張りへの侵入ではありません(なぜそうなのかを今ここで省察するつもりはありませんが)。

ですから、こうした言動は特に自分をいらだたせるものではないのです。

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20130705133824

文系における国文学の位置はよくわからないが、情報工学とき理工系を代表して物申す、みたいなスタンスをとると強烈にうざいなw

で、きみらは理工系なの?

http://anond.hatelabo.jp/20130703205623

横だが、ブコメうっざ。

自分理工学部情報工学を専攻してた。

ただの学部卒ではあるけれど、一流の大学だし4年間それなりに真面目にやってきたので、理工系を名乗る資格はあると思う。

で、理工系の一人として言わせてもらうけど、元増田よりはてブの諸君の方がよっぽどムカつくよ。

理工系(というか情報工学)は、学問ではあるが、役には立たない」

これはほとんど全ての理工系(というか情報畑の人間)が共有してる感覚だと思う。理工系(というか情報畑の人間)ってのはそういう自虐的なところがある。

から、「趣味でやれよ」とか「国の金もらってやることか」とかいう批判にはまったくごもっともで、すいませんへへへ、としか思わない。

そんなのよりはるかにムカつくのは、門外漢理工系(というか情報工学)についてしたり顔で語られることだ。

自分たちには、理工系(というか情報工学)のことは理工系(というか情報畑の人間)にしかからないという妙な自負と、だから部外者は入ってくんなという強烈な縄張り意識がある、と思う。

から理工系(というか情報畑の人間)でもない人間が得意げにバカみたいな抽象化・一般化をして理工系(というか情報工学)について語ってるのを見ると、本当にウザいしキモいしムカつくしイライラしてたまらなくなるのだ。

きみらは理工系なの?違うなら理工系について語るのはやめてください、お願いだから

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コピペ

s/国文学/情報工学/

s/文学部/理工学部/

s/人文系/理工系/

s/国文畑/情報畑/

元:http://anond.hatelabo.jp/20130704225950

http://anond.hatelabo.jp/20130704230309

そういう「意味」さえ否定する事で、純粋無意味性を保とうとしているとか?

なんてね。

でも国文学氏の気持ちも分かるな。

電子情報工学専攻だったけど。

2013-07-04

で、きみらは人文系なの?

http://anond.hatelabo.jp/20130703205623

横だが、ブコメうっざ。

自分文学部国文学を専攻してた。

ただの学部卒ではあるけれど、一流の大学だし4年間それなりに真面目にやってきたので、人文系を名乗る資格はあると思う。

で、人文系の一人として言わせてもらうけど、元増田よりはてブの諸君の方がよっぽどムカつくよ。

「人文系(というか国文学)は、学問ではあるが、役には立たない」

これはほとんど全ての人文系(というか国文畑の人間)が共有してる感覚だと思う。人文系(というか国文畑の人間)ってのはそういう自虐的なところがある。

から、「趣味でやれよ」とか「国の金もらってやることか」とかいう批判にはまったくごもっともで、すいませんへへへ、としか思わない。

そんなのよりはるかにムカつくのは、門外漢に人文系(というか国文学)についてしたり顔で語られることだ。

自分たちには、人文系(というか国文学)のことは人文系(というか国文畑の人間)にしかからないという妙な自負と、だから部外者は入ってくんなという強烈な縄張り意識がある、と思う。

から、人文系(というか国文畑の人間)でもない人間が得意げにバカみたいな抽象化・一般化をして人文系(というか国文学)について語ってるのを見ると、本当にウザいしキモいしムカつくしイライラしてたまらなくなるのだ。

きみらは人文系なの?違うなら人文系について語るのはやめてください、お願いだから

2013-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20130403005843

はあぁ

やはり自分が書いたことが言外に何を表明したことになるのかすらおわかりにならないのね。

子を育てる教養のために大学に行くのだということであれば、それは女は実学をやるな、ということになります教養学部だけ行っておきなさいと。

国文学英文学およろしいでしょう。家政学音楽すばらしいでしょう。生物薬学あいいでしょう。経営学経済学法学?女が天下国家を語ってなんとします。

数学物理理屈くさい女は貰い手ないですよ。工学なんてもってのほか!お子さんを旋盤工にでもする気なの?ときたもんだ。

そんなふうにいってらっしゃるのよあなた

明治時代ですかってえの。

2011-07-15

日本大学文理学部って学科ごとの格差が凄まじいんだよな

塚本壮は三島高校から英語学科に進学した純粋培養DQN

桜ヶ丘や一高二高あたりから国文学科や哲学科あたりに進学した人が一番よくできてる

案外一般組って出来がよろしくない。附属生が特段劣っているというのはない

もちろんレンジが広いか塚本壮のようなアホも引っ掛かるが

教授陣はそれなりに揃ってるからこそ、なかなか惜しい学部なんだよな

まあそれを差し置いても森昭雄はとっとと消えるべきだが

2011-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20110119230528

そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?

いや、だとしたらそれは構造―構築主義者たちの学問で、「国語学」ではな構造主義以降の範疇に入りますよ。

それは普通に言語学」にも通じる、ネオ~系の学問。まぁ、その考え方は構造主義以後にプラグマティズム的な発想をした

研究者達のものでしょう。エスペラント語と発想は同じ。ごく普通言語研究でしょ。

でも、「国語学」と敢えて名乗るならそれは当然そういうものではなく。

敢えて、『正しい国語』を追い求める学派なんですよ。だから国語学(≠日本語学)で扱う文法には「正誤」がある。

あれは自国言語におけるキャノンを問題にする学問から。何度も言うけど、神学なんですよ一種の。

これは文学研究にも言えて、「国文学研究」って言うのは未だに「作品に込められた意味」を探る意味論的批評をやるんですよ。

もちろん、彼ら自身もそれが時代遅れ学問であることはわかっている。しかし、「国家」というイデオロギーが有効に機能している

以上、それは必要とされている。だから存在するジャンルが、国語学であり国文学研究なんですよ。

文学研究」や「言語学研究」と名乗れば済むところをさらに細分化しているのはそういう理由からです

別に、研究者自身の思想が「保守であるとは限りませんが、存在完璧に「保守ですよ。

だって国家イデオロギーなくしては存在しない研究ジャンルなんですから。これを保守と呼ばず何を保守というか、みたいな。

橋本文法が「正しい」わけじゃないんだけど、それを「正しい」と定義する学問が必要なんですよ、国家のために。

http://anond.hatelabo.jp/20110119223813

いや、教育と分離した国語学」なんて存在し得ないんですって。

例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんですよ。

ところが、国語学っていうのは「文法的な正しさ」、文学・文法・言語における「聖典」を構築する学派なんですよ。

いわゆる、モダンからポストモダンの移行期に「文学」と言われるジャンルが分派して

保守層国語学へ移行していった。国語学には教育分野から要請が強くあるからね。正しい日本語がなければ日本語教育は出来ない。

から国文学っていうのは教育アカデミズムなしでは存在し得ないジャンルだし、保守こそが存在意義。

それなしで存在している国文学があったら、それは「国文学」ではないです。単なる文学研究です

そういう学問から国文学」とジャンル分けされてるわけで。増田さんのおっしゃるとおりであれば、ジャンルわけいらないでしょ?

国語学国文学言語学文学の関係は、神学宗教学考古学文化人類学のそれなんですよ。

ほんと、いい加減なこと言うなぁ・・・。

ちなみに、「日本語学」は「言語学として日本語に特化した領域を取り扱う」という意味を指す場合もあります

国語学」は国の言葉を正しく構築する(ポストモダンの現代では「理解する」といった語彙は使われません)学問です

昔、ソシュール辺りの構造主義ショックがあったころ学者さんたちが散々大喧嘩して決めた住み分けですよ。

イデオロギーであることを自覚しながら必要に迫られて存在するのが国語学イデオロギーから抜け出すことを志向したのが言語学

これ重要

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101010234728

言いたいことはわかるんだけれどね、それにしてもここが大学と呼ぶに値するかは大いに疑問だと思うんだ。あなたが書いてるとおり

平たく言えば、教育内容は、海外の高校とか短大レベル

に尽きるんだよ。そして、海外どころか日本外大附属短大レベルなの。語学以外の科目を日本語でやれば2年間でそれぐらいのことができてしまう(一部の人が言ってる「大学英語で教えろ」というのがいかに愚策かという格好の証明だね。高等教育母語で受けられるという特典は失うには余りにももったいないものだ)。結果、国際教養大に行くことは、普通の4年制の外大に行くことに比べてなんの優位もないんじゃないかな?

とても雰囲気がいい大学。すれちがった学生自然挨拶してくるの。

少人数教育・全寮制だからね。コミュニティーがきちんと機能していて、

学生自身はどう思ってるかしらないが、企業には好印象だろう。

自然挨拶できるのは、少人数だから「中の人間」の顔を一通り知っていて、「外の人間」を見ただけで判別できるというのがまずあるよね。それに、活気というのは創立まもない時期に話題が集まっているからこそという面もある。慶応SFCが数年で色あせた轍を踏む可能性はないのだろうか?

企業側からしたら、とりあえず英語もできるし、

教育内容の専門性はともかく、目標に向かって努力ができる学生は、欲しいんじゃないか?

まあ、高卒短大卒と同等の「兵隊」が欲しいならそれでもいいのかもね。しかし今でさえ、外資系などでは「英語『しか』できない人間が大きな顔をしている」と揶揄されていて、現在英語「しか」できない人材バブル起こしていることはもはや周知の事実。となれば、この大学卒業生市場価値はいつまで持つのだろうか?

逆に、普通研究型の4年制大学を出ている人材は、文学歴史でも専攻していない限り英語論文の読み書きを指導されている。そういう人材半年かそこら本気でしゃべる訓練を施せば、専門能力英語力を兼ね備えた人材のできあがりだ。一方で、ここの卒業生みたいな学生が専門能力を磨こうと思うのなら、どこかの大学の二部にでも入って勉強し直すしかないだろう。何しろ、卒論ゼミをやっていないのでは学士様として使い物にならないといってもいい。

どうしても海外出たいとか、翻訳通訳にたずさわりたいとか、

そういう学生には、まさにうってつけ。

ところが、海外に出てもしゃべる内容がなければ向こうのガキ以下の価値しかないわけだよ。つまり海外では全く使い物にならない、国内でこそかろうじて戦力になる。例えば企業にとって「翻訳通訳」が必要となるのは経営知財法務に関する場面だろうが、だとすれば「翻訳通訳」ができるためには相手方の言語だけではなくて経営技術法律に関する知識が必要だ。早い話、英語技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ。そして、ここの卒業生は下手したら「英語ネイティブのガキ」よりも英語はできず、「英語ネイティブのガキ」並にしか専門知識がない。まるで市場価値のない人材だよ。

国際教養大は、英語環境を充実するために、たくさん外国人留学生を呼んできてる。

彼ら向きの講義も、それなりにあるみたいだけれど、

何かの都合で日本人向けのクラスを履修したら、目も当てられないことになるわけだ。

それがまずおかしいんだよな。HP見ても、「外国人」は白人ばかりだ。多分米英豪ばかりから呼んでいるんだろう。しかしあなたの言うように彼らにとってこの大学講義には価値がない。むしろ「外国人」を呼ぶなら非英語圏、準英語圏(旧植民地など)から呼んでくるべきだ。中韓台、あるいはマレーシアインドネシアシンガポール。それならば向こうだってわざわざ日本田舎に来る価値があるだろうし、企業が喜ぶのも、むしろそのあたりとの付き合い方がわかっている人材じゃないのか。

結局、この大学英語コンプで商売してるという意味NOVAとやってることが大差ないと思うわけだよ。ここの学生を採るくらいなら、普通大学国文学とか日本史みたいな「役に立たない」学問をやってた人間の方が、ゼミ卒論を一通りこなしている分マシかもしれない。そのあたりの事情が結局あれだけ鳴り物入りの割にはお粗末な就職実績に表れているのじゃないかな。

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090607155044

アニメ漫画大学でも研究され政治家役人まで持ち上げ始めてるんだから権威化されてないとかインテリ好みでないとはもう言えないんじゃないかと。

まだ研究され始めたばかり、だろ。

国文学科があるように、マンガ学科があるくらいにならないと。

というか、何処の大学でも国文学科内で普通マンガ講義があるくらい、か。

インテリ好みになるには、あと50年くらいは足りないんじゃね?

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025002507

割と小説らしい小説が好きなんじゃないかな。

心理描写が綿密で分かりやすかった作品といえば

ジェイン・オースティン高慢偏見」とか

E・M・フォースター「眺めの良い部屋」とかが思い浮かぶかな。

なんていうか小市民的であんまり壮大じゃないけど。女性で好きな人が多いような気がする。

ブロンテ姉妹の「嵐が丘」「ジェーン・エア」も面白かった。

「嵐が丘」は割とシュールだけど「ジェーン・エア」はストレート

国文学だと谷崎潤一郎の「細雪」とかも良いかな。

三島由紀夫豊饒の海シリーズも「春の雪」「奔馬」までは普通に楽しめるんじゃないかな。

三島由紀夫は他にも勧められる作品がたくさんありそうな気がするけど未読……。

J・アーヴィングの「サイダー・ハウスルール」とかも面白かった。小説らしい小説が好きな人にはアーヴィング面白いと思う。

ガルシアマルケス百年の孤独」も凄かったなあ。

あと、まっとうな小説から少し離れるけど、ジョージ・オーウェルの「1984年」の心理描写はパねえと思う。(笑)

「魔の山」はこのまえ再読して面白かった。主人公フラフラしながらも世界秘密に迫っていくような様子が凄いと思った。

読書歴が割と偏っているので、もっとまっとうな読書家の方の応援に期待します。(笑)

2008-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20081021145310

昼間見て気になっていたのでいまさらレスしてみる。

自分は翻訳物ばかり読むエセ文系だ。一応ドストエフスキーヘッセは大体読んだと思う。あとプルーストとかスタンダールとかアーヴィング古典か?)とかブロンテ姉妹とかトーマス・マンなんかを点々と。まあ何というか中途半端だ。

でも、頑張って読んでみるとかなり楽しめる作品古典には多いと思ってる。

これから気に入っている古典を気楽にオススメしてみる。

最初はドストエフスキーの「地下室の手記」。増田に集まる非モテ(笑)のみんなに読んでみて欲しい。

「地下室の手記」は、引きこもったニートがひたすら恨み節を呟き続ける話だ。非常に痛い。(笑)

俺は本当は凄い奴なんだけどみんな俺をバカにするから俺はみんなをバカにするんだぜ! というような。

で、知人にキレた勢いでソープに乗り込んでソープ嬢を罵倒したりする。

この作品、やっぱり女性にはまったく理解不能らしくて(笑)女性訳者さんがあとがきで散々貶したりしたらしい。

読んでてゲロ吐きそうになるかもしれないけど、良いシーンもあるから、どうか我慢して読んで欲しい(笑)

ドストエフスキーのほかの作品、「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」とか、サスペンスとしてもかなりドキドキできる作品だし、キャラクターも凄く立ってると思う。名前が長ったらしくておまけに何種類も出てきたりしてややこしいけど(汗)、慣れれば大丈夫

あと、ヘッセの「荒野のおおかみ」という作品が個人的に大好き。

簡単に言えば、オタ中年ビッチな若い女に出会って教育される話だ。

女に命令されてモテCD買ったりディスコへ行ってダンス踊ったり女を買ったりイケメンを交えて3Pしそうになったりする。

実際はかなりシュールではっきりいってわけ分からないんだが(汗)、そのわけ分からない部分も含めて面白い。

自分は作中のこんなセリフが気に入った。

「踊ろうとさえしないで、生きるために骨をおったなんて、どうして言えるの?」

「あんたは世間にとっては次元を一つ多く持ちすぎているのよ。今日生活し、生活を楽しもうと思うものは、あんたや私のような人間であってはならないのよ。インチキ音楽のかわりにほんとの音楽を、娯楽のかわりにほんとの喜びを、お金のかわりに魂を、営業のかわりにほんとの仕事を、遊びごとのかわりにほんとの情熱を求める人、そういう人にとっては、この世のはなやかな世間は故郷じゃないわ……」

(以上、新潮文庫版・高橋健二訳)

まあ「荒野のおおかみ」は読まなくても良いかもしれないけど(ヲイ)、「知と愛」(「ナルチスとゴルトムント」?)は本当に凄く面白いので是非読んで欲しい。

修道院のイケメン神学生をやっていたゴルトムントが、ひょんな事から女を知る。それから修道院を抜け出し、各地でヤりまくる、という話。本当にもう命がけでヤってヤってヤりまくる。(全部双方合意のもとでだけど)

単なる女食いイケメンの話みたいに思えるかもしれないけれど、一人一人の女性に対しては本当に誠実だ。というか、常人の域を超えた誠実さを抱えてしまった人間の話なのだと思う。

あと国文学だけど、夏目漱石なんかはかなり不器用な人だったらしく、読んでいて痛いのが結構ある。

行人」は相当痛かったなあ。お前は俺か! という感じ。ひたすら愛されないことを嘆く兄貴が。(兄貴は既婚なのだが)

「明暗」なんかはリア充っぽい心理が入り乱れていて、小林登場人物)と一緒に嘲笑できるかもしれない。ただし作者が執筆中に亡くなってしまったので残念ながら未完。

まともな評論とかあんまり読んでいないので色々怒られそうだし(汗)、チョイスもかなり変だけど、予備知識とかなくていきなり乱読しても慣れれば結構面白いよ、という例なので勘弁してください。

2007-11-07

そりゃ当然可能だろ、でも・・・

http://anond.hatelabo.jp/20071107071058

現在ボロボロ」ってのが何を指すかわかんないけど、17歳不登校大検目指してます、とかだったら「一流企業内定」じゃない道を目指した方が楽だぞ。

あるいは三流大国文学部3年生、現在まだまだ就活中、とかでも厳しいだろうな。

現在ボロボロでもある程度の将来性の保証があれば(一流企業内定など)

今の時点で恋愛市場に上がることは可能? 将来性を担保に。

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