はてなキーワード: 国文学とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 68 | 14813 | 217.8 | 32 |
01 | 50 | 8150 | 163.0 | 41.5 |
02 | 34 | 3423 | 100.7 | 36 |
03 | 20 | 1954 | 97.7 | 38 |
04 | 16 | 3185 | 199.1 | 126 |
05 | 10 | 324 | 32.4 | 22 |
06 | 19 | 2608 | 137.3 | 43 |
07 | 27 | 5624 | 208.3 | 63 |
08 | 40 | 8770 | 219.3 | 66 |
09 | 98 | 10290 | 105.0 | 48 |
10 | 168 | 10587 | 63.0 | 30.5 |
11 | 117 | 12509 | 106.9 | 56 |
12 | 109 | 9585 | 87.9 | 49 |
13 | 77 | 8447 | 109.7 | 40 |
14 | 67 | 11781 | 175.8 | 49 |
15 | 139 | 13047 | 93.9 | 57 |
16 | 123 | 16279 | 132.3 | 63 |
17 | 184 | 11660 | 63.4 | 36 |
18 | 128 | 8806 | 68.8 | 42.5 |
19 | 92 | 9625 | 104.6 | 43.5 |
20 | 107 | 7876 | 73.6 | 31 |
21 | 139 | 9662 | 69.5 | 40 |
22 | 124 | 15823 | 127.6 | 55.5 |
23 | 92 | 12617 | 137.1 | 52.5 |
1日 | 2048 | 217445 | 106.2 | 44 |
人(190), 自分(161), 今(95), 日本(85), 話(68), 人間(67), 増田(65), 前(61), 女(59), 男(57), 仕事(55), 必要(54), 問題(52), 気(51), ー(51), 社会(45), あと(44), 好き(41), 頭(40), 親(40), 感じ(39), 最近(39), 普通(38), 意味(37), 大学(37), 女性(34), 相手(33), 子供(33), 金(33), 勉強(33), 理由(32), 他(32), 時間(32), 結局(32), 一番(31), 無理(31), 男性(31), 東大(29), 会社(29), しよう(29), 最初(29), 名前(28), 学歴(28), 人生(28), 時代(28), レベル(28), 日本人(27), 家(27), 別(27), 気持ち(26), 他人(26), 理解(26), 関係(26), 世界(26), ゲーム(26), 目(25), じゃなくて(25), 嫌(25), 優秀(25), 手(24), 子(24), 結果(24), しない(24), 現実(24), ネット(23), 結婚(23), 場合(23), 周り(23), 今日(23), 絶対(23), 生活(22), 存在(22), 友達(22), 言葉(22), 昔(21), ホームレス(21), 勝手(21), バカ(21), 話題(21), アメリカ(21), 経験(20), 全部(20), 国(20), セックス(19), 資本主義(19), 分野(19), 簡単(19), 能力(19), 価値(19), 人たち(19), 行動(19), 全て(19), 勘違い(18), 差別(18), 今年(18), 機能(18), 自体(18), 程度(18), 部分(17), 実家(17), 部屋(17), ダメ(17), 研究(17), 情報(17), ただ(17), 努力(17), 技術(17), 無視(17), 場所(17), 事実(17), 世の中(17), 海外(17), では(17)
日本(85), 増田(65), 東大(29), じゃなくて(25), アメリカ(21), 資本主義(19), ツイッター(16), 東大生(16), 社会学者(15), いない(15), Google(15), 社会学(14), 中国(13), IT(13), 平成(13), 価値観(13), Twitter(13), ブコメ(13), 東大卒(12), なのか(12), 東京(12), ブログ(11), マルクス(11), 経営者(11), GAFA(11), ネオリベ(11), 可能性(11), わからん(11), ブクマ(11), ガンダム(11), w(10), スマホ(10), SNS(10), なんだろう(10), 昭和(10), 大企業(9), 個人的(8), ホモソーシャル(8), グーグル(8), AI(8), 発達障害(8), 米軍(8), セックスレス(8), 沖縄(8), ユニクロ(8), 普通に(8), 何度(8), OK(7), なんの(7), KKO(7), 公共性(7), はてブ(7), 金(7), フェミ(7), 生活保護(7), ワイ(7), ω(7), 夫婦(7), 先進国(7), s(7), リアル(6), 1年(6), マジで(6), 非モテ(6), 2回(6), この国(6), 辺野古(6), 低能先生(6), 新自由主義(6), 上の(6), 基本的(6), 仕方がない(6), イギリス(6), 1人(6), ありません(6), な!(6), 沖縄県民(6), 共産主義(6), 外国人(6), アプリ(6), ツイート(6), 港区(6), 一年(6), PC(6), 自社(6), 学歴社会(6), 分からん(5), PayPay(5), いいんじゃない(5), E(5), youtube(5), 男女平等(5), 3年(5), 北欧(5), ネトウヨ(5), 学生時代(5), 日本企業(5), twitter(5), hatena(5), 青山(5), ドイツ(5), 3人(5), 京大(5), お小遣い(5), ゴミ屋敷(5), メンサ(5), イケメン(5), togetter(5), なんや(5), -1(5), 日本社会(5), にも(5), モテる(5), JK(5), no(5), フォロワー(5), ラノベ(5), スマブラ(5), ???(5), はてなブックマーク(5), インド(5), 2年(5), 国民性(5), ぶっちゃけ(5), 一日(5), 最終的(5), 好きな人(5), スイス(5), かもしれん(5), ソ連(5), Wikipedia(5), 自衛隊(5)
国文学(15), 金槌(7), 筑波大学(4), 市場経済(3), [勉強](3), 八甲田山(3), メンサ(5), 忠臣蔵(4), ヘッドハンティング(4), トング(3), 現場監督(4), 東大生(16), GAFA(11), セックスレス(8), 米軍(8), 留年(7), 国立(8), ホームレス(21), 縮小(7), 東大(29), グーグル(8), 社会学者(15), ネオリベ(11), 革命(9), 資本主義(19), 学歴(28), 官僚(8), 高給(7), 餌(9), 人材(13), 学問(13), エリート(10), Google(15), 平成(13), 舐め(11), 分野(19)
■大学教授からはtwitterを取り上げるべきだと思う(最低でもブログ単位で情報発信させるべき /20181216002718(18), ■風俗の面接に落ちた。 /20181215164627(12), ■焼きたてパンが焼きたてじゃなかった /20181216125059(12), ■意味のない伏せ字 /20181124133824(6), ■フェミやリベラルが男の問題にマッチョ言説を振りかざす現象 /20181216013818(6), ■キラキラに輝く華やかな業界に身を置く20代だけど金なさすぎてツラい /20181216094219(6), ■物語における「衝撃の事実」の類型 /20181216102209(6), ■anond:20181216002718 /20181216160544(5), ■マルクス主義って論破できるの? /20181216213149(5), ■トロフィー(金属製) /20181216154424(5), ■ /20181215193118(5), ■ /20181216003647(5), ■会社って学校じゃないよな? /20181216185240(5), ■これまで眠ったことのある場所について評価をまとめていく /20181215100136(4), ■anond:20181216140941 /20181216142931(4), ■女子の進学率が高いのはいいことなのか? /20181216160425(4), ■医学部いけなかった東大卒から見た本当の東大 /20181216164626(4), ■ /20181216164936(4), ■「姫心愛」って名前 /20181216175810(4), ■ファーウェイはどこまでファーウェイか /20181216194418(4), ■IQ140だけど年収300万円です /20181216200656(4), ■厚着して寝るのって日本人だけらしい /20181216211213(4), ■年に1ヶ月、学校に行く期間を作りたい。 /20181215215646(4), ■電車で缶コーヒー飲んじゃダメ? /20181215235230(4), ■すべてがFFになる /20181215224120(4), ■ほとんどの人にはゲームの才能がない /20181215132856(4), ■才能という残酷さに疲れた /20181216042257(4), ■[政治][経済] 共産主義はカール・マルクスの専売特許ではない /20181216221858(4), (タイトル不明) /20181216225407(4), ■男女平等なんて一生無理だよ /20181216111649(4)
5881426(1598)
その意見もなんかなあと思う。
そりゃ理系のすべての分野が国文学より役に立つとは示せないし、
理系の中にも役に立たない分野もあるかもしれないけど、
だからと言って「どっちもどっち論」が出てくるのはどうかなと。
東大とFラン大から学生をランダムに連れてきて学力テストした時、
東大もFラン大も「どっちもどっち」って結論にするのが妥当なのか?
と同じ。
国文学が役にたたないってのはわかるけど
理系であるってだけですべての分野が国文学より役に立つのかって言われるとなんかなあって思う
まあ、それこそ理系の中での傍流の人は理系と見なしてもらえないような思想のもとで語られてるってことかもしれないけど
そういうはなし前にもここで見たし
そこがミスマッチすぎるから遊びに行ってるのか!となるのだとは思う。
同じ学び方を学ぶにしても、意味のあることを学んだほうが良い。社会は様々な知識によって成り立ってるから、国文学も一部は必要だとは思うが、国文学はやはり縮小は避けられんとは思う。
一方で、文系学部でも役に立つ分野があまりに軽視され一面的に語られてるところがあるとは思う。
その一つが経営学部でもある。むしろ、安くて質のいいモノだったら売れる!的な思考で止まってしまってるから日本企業の弱体化につながってるとは思う。
うつも、医療だけではなく、認知心理のほうまで対処しないと対処はできない。
ただ、うつは社会福祉の方になるから、予算がつかんと職もないという事態になる。
文系学部でも役立つ学部は役立つんだよ。さすがに、法学部で運転免許のとり方?はふざけるなとは思う。
これからの時代はグローバル化!って言っておきながらグローバル言語コースを削れって意味がわからんな
必要性が云々とか言うんだったら
国立大学に大量にグローバル系学部を新設しまくるのが筋なのでは
人文系もそこに吸収できるし
国文学だってさんざんグローバル時代には自国の文化について説明できるのは当然で
文系の場合、専攻分野と就職はあまり関係がないし、国文学科と経営学科の人数とかどうでも良いような気がするんだよなあ……
文系の大学で学ぶことなんて、かなりの割合の人が要するに「学び方」という形式を一つ会得するだけで
内容そのものの習得が役に立ったから直接に金になるって感じは経済系ですらどこでもあるってわけでもないし
大学院いけば違うんだろうけど、それは大学院定員の問題であって、大学院に行かない傾向にある文系の学部生に大学院での事情にどこまで巻き込むべきかと。
博士が必要と言うなら博士課程を拡充したり、大学院だけの過程を作ったりできるわけで、学部までいじることが絶対に必要なわけでもないし。
そもそも大学は研究機関なのであって、役に立たない学問もある程度は保護する必要があるしそれはむしろ私大ではなく国立の役目なのではないかと思う。
大学は教育機関なので、どうしても社会に求められる人材にあわせた卒業生数にしないとならない。
文系でも、商学は営業と経営層につながるから、むしろ枠は広げるべきだとは思う。
それとは別に、官僚、政治家が思いついた実態のない政策をぶちかまして迷走するというのがあるあるだから、
官僚には政治学、公共政策学の博士をだいぶ入れないとならないとは思う。
博士は自分で政策について科学的知見を元に論文発表した経験があるということだから。
翻しては、その分野はきちんと強くしないとならない。
国文学はまあ、縮小は仕方ないとは思う。
というのが今の国の考え方では。
筑波大学をはじめ、研究大学では、世界レベルでの競争に予算も人員も集中させろということなのだろう。
今の人員規模でやる必要があるのか疑問、ということなのだろう。
RU11 https://www.ru11.jp/
北海道大学、東北大学、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学、筑波大学、東京工業大学
「RU11とは、研究及びこれを通じた高度な人材の育成に重点を置き、世界で激しい学術の競争を続けてきている大学(Research University)による国立私立の設置形態を超えたコンソーシアムです。」
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
文系でも同じですが。研究という営みの本質は文系も理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているから相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系は研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラルな上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系と文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用で理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)
もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。
いや、レビューがオリジナルな研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナルな研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗の論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナルの研究成果だ。博士論文の書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル(典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチのオリジナルな研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナルな研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。
ひょっとして文系の研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)
だから、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人の研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女が政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者で彼女を学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女の雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田は最初「和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わず、レビューしか書いてないなんて研究者とはいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。
いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文は研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PDや東大講師、あるいはテレビの出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大の問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビの問題、言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者のリテラシーの問題でしょ。理系の学位や肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由で開放的な性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。
うんだから、文系の研究者が色んな外国語を勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語とドイツ語の研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代や中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語の地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。
これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語の地位を高めていくべきだ派と、日本のアカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本の文系研究者の多様性は、アメリカやイギリスほどじゃないにせよフランスやドイツやロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史や英文学からアフリカの人類学、オセアニアの少数言語、中央アジアの歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人やフランス人やドイツ人がそうできるように、自分たちの言語でそれらの分野の最先端の研究成果を手にすることができる。東アジアや中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語で博論を書いて自国で教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。
もちろん、日本研究を専門としていない欧米人に日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本の論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたものを翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究が日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。
こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文はアメリカ人が日本語を翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀のフランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語が頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別に昔からずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人が中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文で論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産の動物種の研究だと英語論文に和文論文が引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語が統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。
いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田の感覚はわかるんだよ。というかそれは文系の研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語で積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端の研究成果を自分たちの言語で読めて、どんな地域の研究だって自分たちの言語で遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語が日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマの研究はホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史を研究する上で西洋史で探究されてきた研究モデルや概念が意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国の政治についてなんの情報もなしに、自国の政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツールは必要なんじゃないか? ジャーナリストや政治家が欧州統合やアフリカ経済やアメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本のEU研究者やアフリカ研究者やアメリカ政治研究者がみんな英語で論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。
https://anond.hatelabo.jp/20180217012945
個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分が問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。
結果として大学のポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
理系で研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。
理系からの視線として、博論を除けば日本語レビューや啓蒙書しか書いていない三浦瑠麗は「最先端の研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PDの研究が論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
最先端の研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者の仕事は個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語が統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学や日本史、日本の法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外の研究者が日本語で論文を書くべきだ。
国際政治学で日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的な研究分野であろうと考えられるのに世界から読まれない点。読まれないのであれば例えばアメリカの学者に全く同じアイディアで研究されてそれを新規の研究として英語発表されても責められない。日本の学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語で論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌も国内研究者の交流用じゃなくて世界のトップジャーナルになりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ。欧米の学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的な学問の流れの中で研究した一切合切が無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。
安倍首相が、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と憲法記念日のビデオメッセージで発言したことが、改憲論議を活発化させている。
安倍首相が改憲の焦点として挙げているのは第九条だ。また、第九十六条を改正して改正発議要件を緩和すべきという議論もある。しかし、第二条をめぐっては、天皇の退位の問題に関連して言及されることはあっても、改正すべきという議論は聞こえてこない。しかし、第二条ほど改正を必要とする条項は他にないのではないだろうか。
問題は、皇位を世襲のものとしている点だ。世襲制度の採用が合理的か否かはケースバイケースだが、現行の天皇制が世襲制度を維持することに、果たしてどんな利点があるのだろうか。むしろ弊害のほうが大きいのではないか。
本稿は、皇位の世襲制度は廃止すべきであるという立場から、この問題を論ずる。
日本国憲法第二条が定めている皇位の世襲制度には、次の二つの点で瑕疵がある。
以下、詳論する。
ワタミフードサービス、電通、ゼリア新薬、ベネッセコーポレーション、LDHのような、長時間労働の強要、洗脳、退職勧奨、暴力行為といった、社員に対する人権侵害が常態化している企業は、「ブラック企業」と称される。企業の社員とは言えないが、天皇が置かれている境遇もまた、あたかもブラック企業の社員のごとく、人権侵害が甚だしい。
天皇に対する最大の人権侵害は、職務の過酷さだ。天皇の職務が過酷だと思わない者は、所功『天皇の「まつりごと」』を読むとよい。そうすれば、天皇の仕事量がいかに膨大であるか理解できるだろう。
信教の自由を奪われていることも、天皇に対する人権侵害の一つだ。天皇が信仰を許される唯一の宗教は神道だ。明治維新までは仏教の信仰も許されていたが、それ以降、天皇が仏教に帰依することは暗黙のタブーとなっている。
天皇の職務の過酷さも、信教の自由の侵害も、その原因は世襲制度だ。天皇の職務が過酷であるのは、天皇という一人の人間に二人分の職務が課せられているからだ。すなわち、国家の機関としての天皇が果たすべき職務と、祭祀王としての天皇が果たすべき職務は、それぞれが一人分の仕事量に相当する。天皇が信教の自由を侵害されているのも、天皇が祭祀王を兼任しているからだ。
皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する(後者の呼称は「天皇」以外のものに改称されることが望ましい)。天皇が二名に分離すれば、職務の過酷さの問題も、信教の自由の問題も解決する。新たな制度における国家の機関としての天皇は、宮中祭祀の重責から解放され、信教の自由も獲得するだろう。
余談だが、現行の天皇制において人権を侵害されるのは、皇嗣として生まれてきた者のみに留まらない。その者の配偶者もまた同様だ。
皇嗣の配偶者になることは自身の自由を放棄することだ。誰が喜んでそんなことをするだろう。雅子さまも、本人の意思によって浩宮さまと結婚されたわけではない。Newsweek誌は雅子さまをThe Reluctant Princess(不承不承のプリンセス)と呼んだが、この言葉は彼女の身の上に何が起こったかを的確に表現するものだ。来る悠仁さまのお后選びでは、このような悲劇が繰り返されないことを願いたい。
子供は親のクローンではない。ゆえに、鳶が鷹を生むこともあれば、逆に鷹が鳶を生むこともある。世襲制度を厳格に運用した場合、もしも生まれてきた者が鳶ならば、鳶が何らかの地位を継承することになるが、これは悲劇を生む蓋然性が高い。
次のような事例がある。
https://twitter.com/osakadenshi/status/863981952474300416
ウィキペディアによれば、この学校がこれまでに輩出した卒業生の数は3万人だそうだ。しかし、現状がこれだとすると、4万人に到達する日は永遠に来ないだろう。
この学校が急激に衰退した原因は、世襲制度だ。生まれてきた者が鷹ではなく鳶だった場合は、どこかから鷹を連れて来て禅譲すべきだった。世襲制度に拘泥した結果がこの悲劇だ。
現行の天皇制もまた、鳶が皇位に即く危険性と無縁ではない。皇位の世襲制度に固執し続けるならば、日本はいつか、鳶が天皇に即位する日を迎えるだろう。天皇が庶民の前に姿を見せる必要がなかった時代においては、鳶であろうと雀であろうと問題はなかったかもしれないが、象徴天皇制における天皇が鳶に務まるかどうかは心もとない。
皇位の世襲制度を廃止すべきという主張に対して、おそらく保守派の人々は、「万世一系の血統」乃至「皇室の伝統」というような議論を持ち出すだろう。しかし、国家の制度において血統や伝統を維持することにはいかなる合理的な必要性もない。さらに、皇室の伝統には宮中祭祀という宗教的活動が含まれているが、これは憲法第二十条に規定される政教分離に抵触しているおそれがある。
おそらく日本の国民の大多数は、皇室が保有している血統や伝統にはいかなる価値もないという主張には賛同しないだろう。ゆえに、それを維持すべきであるという主張にも一定の合理性がある。しかし、何らかの組織が血統や伝統を維持するために、それが国家の機関であることを必要とするだろうか。血統や伝統を維持している民間の組織は枚挙に遑がない。
「皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する」と上で述べたが、それらが分離されたとき、それと同時に皇室は民営化されるべきだ。そうすれば、憲法第二十条に抵触することなく宮中祭祀を維持することができる。
本稿の目的は、皇位の世襲制度は廃止すべきだと主張することであり、それに代わる制度について述べることは本稿の目的ではない。しかし、世襲制度に代わる制度について、付論として筆者の見解を述べておきたい。
世襲制度に代わる制度としては、公選制度が望ましいとする意見が出されることが予想される。しかし筆者は、皇位の公選制度には反対だ。その理由は、天皇の人選には反知性主義的な見解が反映されるべきではないと考えるからだ。天皇は、今上陛下がそうであるごとく、正しい歴史認識を持つ者でなければならないが、公選制度によって選出された天皇がその条件を満たすとは考え難い。
世襲制度に代わる制度を設計する上で参考となるのは、元号の選定の制度だ。なぜなら、元号の選定もまた、反知性主義的な見解を避けなければならない制度の一つだからだ。元号は、漢文学や国文学関連の有識者が候補を考案することになっていて、決して一般公募ではない。しかし、これに対する異論は寡聞にして知らない。大多数の国民はDQN元号やキラキラ元号を望んでいないからだろう。
女子大時代の友人二人と3-4年ぶりに会ってお茶をすることになったのだが、二人と私の住む世界、流れる時間が違いすぎて軽く吐き気がした話。
院卒、メーカーの開発職。今年の年末にも職場の同期と結婚する予定。
大学院を博士課程(しかも国文学で)まで行ったけど、曰く「私普通に就職することにしたの」とのこと。
なかなか論文も書けないし、満期取得退学?して就活するつもりらしい。
だけどその決心もつかないから最近のマイブームは「スピリチュアル」。タロット占いや風水に一生懸命精を出しているらしい。
しょ、正気なのか…。
ちなみに結婚の予定はなさそう。彼女は恋愛については話したがらないが恐らく彼氏いない歴=年齢。しかしもはや突っ込める雰囲気ではない。
大学時代は1個上の先輩だったが、彼女は諸般の事情があり年齢が少し離れている。
大学院を修士まで出たあと、3-4年非正規で職を転々としていたはずだが、先月結婚。
そこからなんと専業主婦に。今の日本にそんな選択肢あったのかよ。
まあ旦那さん士業だし歳も先輩と近いし、そのへんの20代サラリーマンよりよっぽど収入安定してんだろうけどさあ。。
「寒い地域でとれるものが良いんだよ増田ちゃん!」と力説された。
※歳があいまいなのは度々公称年齢が2-3歳変わるから。そこに突っ込まないのは仲間内でのお約束になって久しい。
性格もふたりとものんびりしていて、学生時代からうすうす住む世界が違うことはなんとなく感じていたが。。
二人といわゆる本音トークをしている時、私が何度「あんた甘いよ」「それ本気?」と言いたくなるのをぐっとこらえたことか。
私が学生時代から長く働きやすい会社を探したり、理解ある夫に出会うのに努力したのがアホみたいに思えてきて目眩がした。
そんなの許されるのかよ。