はてなキーワード: 図書館とは
これ見て書きたくなった。
タイトルのとおりなんだけど、
いわゆる保守リベラルの思想傾向って、脳みその作りによるんじゃないかなと私は考えている。
政治志向の本流から外れたどうでもいい些細なことまで、いわゆる「リベラル」と「保守」でどちらが共感を抱きどちらが反感を抱くのかの予想が、高精度で当たりすぎる。
私は世界中のマラソンやトライアスロンに参加するのを趣味にしていた(無論中断中)ので、人種問わず国外の友人は多い。南極を除く全大陸に連絡を取り合う友人がいる。
グローバル企業と言われる企業に務め、英会話もネイティブには程遠く特段得意とは言えないが、まぁ不自由はない。
倫理・哲学の名著等を呼んだ経験も特段専門に学んでいない人間の中では豊富な方であろうと思う。そういったものを学生~若年時代に読むのが当たり前だと思わせてくれる家庭に生まれたからだ。
本を読んでどれだけそのとおりだなと思ってもやはりリベラル派の言動にはイラつく事が多いし、右翼向けの情報に一瞬心躍るのである。
私が米国に住んでいてもQアノンの陰謀には乗らなかったろう。連邦議会に乱入もしなかったろう。
しかし、BLMデモが略奪を伴っていたことにそれ見たことかと言い、トランプに投票していた可能性が高い。
(トランプを支持していると言うより、民主党的欺瞞に対する抗議として、7000万分の1ならばまぁ良いか、と判断したと思われる)
だが、頭ではわかっている。
俺の直感が感じていることの逆が正しい。
学生時代には自分の感性と「正しさ」のズレを感じていたので、「自分なりの考えを持とう」と思い図書館で南京大虐殺や慰安婦に関する本を片端から借りてきて(無論、左右双方の視点からの)読んだりした。
基本的には「正しい」ことを言っている方に合点がいく。合点がいくのに、文章の端々がイラつくのである。
俺は正しくない脳を一生コントロールして生きるしか無い。結構、絶望に近い気分だった。
彼らは感情のままに書く文章がそのまま「新しい」「正しい」のだ。なんと羨ましいことか。
友人と話す時悟性のフィルタをいちいち切り替えなきゃならない右翼脳持ちの気持ちがわかるか。
私は悔しい。素直にリベラルな思考ができさえすれば、こんなアンビバレンツな感情を抱かずに済むのに、とずっと考えていた
そんな中、去年のコロナ禍の中で出会ったのがこのはてなブックマークだ。
NewsPicksみたいなのは肌に合わない。ツイッターはやかましすぎる。5chはもう卒業した。
はてブで、5chやツイッターの様に実在性が確認できない存在ではなく、ただの煽りや演技でないガチ話の通じないリベラルがそこにいると感じられて、かなり救われた。
私が普段感じている、知識と理性で編み出した思考の裏から沸き立ってくる、どうしようもないリベラルへの嫌悪を煮詰めてフィルタリングせずに開放するとこんな感じであろうというものが溢れている。
彼らは「新しい」「正しく」思考をごく自然に生み出せる脳を持っているのに、それを乗りこなせていない。
なるほど、感性が正しくても悟性でコントロールが必要な事例もあるのだなと合点がいった。
思考をそのまま言葉にした時、「新しく」「正しい」源流から生み出されていても、「素晴らしい」ものになるとは限らない。
こんなかんたんなことに今まで気づかなかったのか、と浮力を発見したアルキメデスの気分だった。
つまり、正しくいたいと考えた時、自分の脳をコントロールするすべを身につける必要があるのは、人類皆の必須科目なのだ。
はてサよ、自分の脳を過信するんじゃないぞ、と言いたい部分もある。
自分の心臓が取り替え不能であるように、脳も取り替え不能だ。私はこの右翼脳と一生生きていく。できる限り正しくあろうと思う。
みんな右翼脳で人格を作り直す努力をしなければ左翼脳になれないって、マジで?人類お先真っ暗では?
自分の知る左翼のみなさんが全員そんな努力をしてきたってのはちょっと考えづらいと言うか、
よほど私に左翼になる才能がないということになるのか。つら。
本棚を作るといいよ
寸法を決めてホームセンターで板を切ってもらって電動ドリルとコーススレッド数十本と4ミリのドリルビットと木工用ボンドを買って家で組み立てるのだ
作り方は「清く正しい本棚の作り方」と図書館で借りられるドゥーパあたりの木工の本を1冊読めばだいたいわかるよ
自分で作ってみて難しいところがあればそれが学びになるし、身の回りのものは誰かがいろいろ考えて作っていることがわかって人生が豊かになるよ
この増田のおかげで「正しく恐れる」という言葉の胡散臭さの正体が分かった気がするので、自分も昔興味のあったことに合わせて参考までに報告しておく。
ペルクゼンというドイツの言語学者がいる。有能だけどそれほど有名にならなかったこの学者の本は、日本語版に限って学術図書の豊富な大型図書館の片隅に、ポツンと埃も積もりかけた一冊が所蔵されているに過ぎない。だが、唯一の日本版のタイトルでもあるこの『プラスチック・ワード』という言葉はなかなか示唆に富んでいる。この言葉の定義は、ざっくり言って次のようなものだ。
いかようにも成形可能でコンテキストも中心的意味も持たず、歴史と切り離されている。にもかかわらず権威があって他人を精神的に拘束する作用がある。
ペルクゼンは現代世界はこのプラスチックワードに汚染されつつあると考えていた(ちなみに超うろ覚えだが、当時いっしょに仕事をしていたイバン・イリイチは「最大のプラスチックワードを見つけたよ。生命だ」と言ってペルクゼンをブチ切れさせたらしい)。
「正しく恐れる」という言葉の持つ性質は、プラスチックワードにそっくりだ。状況を限定せず、何故か精神的な態度を強制する。暗に命令しておきながら具体性がないので、主張自体には後で責任をとる必要もない(検査抑制論に与した医クラの姑息な言い逃れ体質を思い出してほしい)。
時間的には前後するが、プラスチックワードを作家の直観で体系化したものがニュースピークだと言ってよいと思う。なぜ、ただ単純化された言語がそれほど恐ろしいのか、理解に苦しんだ人もいると思うが、その理由はここにある。具体的意味を漂白した語彙群は結局のところ、権威を内面化することに最大の威力を発揮し、ある主張を別の側面から批判的に検討したり、ただの間違いを指摘することでさえほとんど不可能になってしまう。政治的な堕落を促進するわけだ。
ということでこれを用いることは精神的には権威、制度上は権力にとってとても都合の良い、という類の言葉なのだな。
全く具体的意味を持っていないのに独り歩きする、押しつけがましい言葉を見つけたら、努々注意、警戒してほしい。この言葉の恐ろしさは思考能力を奪うこと以前に、思考領域を制限することにあるのだから。
あるよ
でも公共の図書館は大学のに比べてあんまり専門書は充実してない
あと、院まで行くと専攻の幅もかなり狭まるから日本語の本自体ほぼ無いことも多いと思う(分野によるだろうが)
「大学院でないと学ばないハイレベルな知識」は、研究室入って論文読まされて身につけていくんちゃうかな
とはいえ、論文なんか別に院生じゃなくても読めるから、自分で読もうと思えば読めるで
ただ、どんな論文を読むかとか、何を勉強するかとかの指針が独学ではないのがデメリットだと思う
さっきも書いたが講義の内容なんて理系は教科書読めば殆ど書いてあるが、学習の指針を作ってくれる存在がいないとどこからどう手をつけるべきかわからなくなる(適当な大学のシラバス読んでそれに沿って学ぶのが独学の楽な方法だと思う)
学のない人間だが、去年は100冊本を読んだ。おととしは8冊だったのですごく進歩したと思う。
読書習慣をつけるまでに何をしたか、記念に書き残しておきたい。
最初はどんな本を選べばいいかすらわからなかったのだが、好きなラジオでおすすめ本紹介コーナーをやっていたので、そこから手を付けた。
感想を送るとすごく喜んでもらえたのでモチベーションになった。
読んだ本を記録するために始めたが、これがすごくよかった。人の感想をだらだら眺めたり、読んだ本を登録してグラフが伸びるのがすごく楽しくて、最初の3か月で40冊くらい読んだ。
しかしその後急速に飽きてしまい、今は読んだ本の登録と読書データを見るためだけに使っている。こまめに感想を書いてる人は本当にすごい。
その昔、本をよく読む人に続けるコツを聞いたら「つまらない本はすぐに読むのをやめろ」と言っていた。貧乏性にはハードル高い。
しかしサブスクなら切り捨てても罪悪感がないのが最高。読むのをやめる練習になった。
昔読んだ「本は10冊同時に読め」という本の教えを思い出し、基本的に本はkindleで買って、スマホ・タブレット・PC全部にアプリを入れ、どこでも読めるようにした。紙の本もいろんなとこに置いた。
前述の本の教えにより3~10冊くらいを平行して読むようにした。
1ページ目から面白い本はまあないと思うので、つねにどれかの面白いところがすぐ読める!みたいな感じにするとモチベーションが続く。
思い切って毎月5,000円のAmazonギフト券を買い、月内に使い切ることを目標にした。
貧乏性なので1,000円を超える本は手を出しづらいと感じてしまうのだが、ためらいを払拭するのにとても役に立った。
図書館が近くにあったのでしばらく通った。ただ小さい図書館なので途中で飽きてしまい、コロナ禍もあって行かなくなってしまった。
でも無料で本が読めるのは何よりありがたい。返却期限までに読もうという気持ちになれるのも良い。
何分頭が悪いので、漫画なんかを読んでも忘れてしまうことが多く、ましてや本など、と思っていた。
そこでとりあえず読書習慣をつけることを優先し「読み終わったあと、何かひとつでも思い出せることがあればいい」ことにした。
印象的な言葉とか、短編集ならどれかひとつだとか、この作者イラっとするな、とか本当に何でも。
歯磨きを10分かけてやるのだが、そのとき本を読むようにした。10分ぽっちでも今日はちゃんとできたぞという気分になれて良い。
当然最初から目標だったわけではないが、前述の通り3か月で40冊くらい読んでしまったので、その頃から年100冊いけるんじゃね?と思い始めた。
でも頑張るのは嫌いなのでできないならできないでいいかなと思った。
1年前と今で特に何もかわっていない。本を読めば頭が良くなると期待していたが、幻想だったようだ。
100冊くらいでは変わらないのかもしれないし、読み方が良くなかったのかもしれないし、読みやすい小説ばかり読んでいたせいかもしれない。
でも勉強するぞと意気込んで難しい本を読んでいたら途中でやめていたと思う。
普段本を読まない人間は「読むのを頑張る」みたいなとこがあると思うのだけど、今は空き時間に自然と読めるようになった。
好きな作家が見つかり、続きが楽しみなシリーズがあり、趣味としての読書を楽しむことができるようになった。
頑張る必要がなくなったので、何か知りたいことがあるときはとりあえず本を読むようになった。
一番よかった点はこれかなと思っている。
本読まないコンプレックスが消えた。自分でやり方を考え目標を達成できたため、ちょっとはやるじゃん、と思えた。
あと習慣化する方法は他のことにも応用できそう。
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(以下追記)
初増田がこんなに読んでもらえると思わなかった。
達成したら増田に書こうと思ったのもひとつのモチベーションだったのでちょっとうれしい。
気になったブコメ返信。
「100冊読むためだけに読書した」みたいに思われてるのはなんで?と思ったが、タイトルのせいかな。「読むため」じゃなくて「読むまで」なんだけど。もっとよく考えればよかった。
人と話してるとき、自分は人と比べて無知で馬鹿だなと思うことが増えて、知識を増やしたい・頭が良くなりたいと思ったから。
そして周りに読書家が多くて、本を読まないことがコンプレックスだったから。
途中から100冊を目標にすえたせいで、12月にもなると焦りがあったのは否定できないけど、モチベーションにもなったから悪いことばかりでもないと思う。
まあ年100冊はもうやらない。他の趣味がおろそかになってしまったので。
アウトプットしてる人は具体的に何してるんだろう。聞いてみたい。
知らなかった。どちらもすごくよさそう。
使ってる中で一番読みやすいのはiPad miniの横向き。サイズ感が文庫本に近くて好き。
好きな本を否定されたくないので具体的には言わないが
正直すまんかった。