はてなキーワード: 勢力とは
誤解されるとあれだからもう少し詳しく言うと、多様性ってのは性に関する部分じゃなくて国とか人種とか思想の話ね。
まぁようはミクロな状況に注目しすぎだと思う。
これはすんげえ馬鹿げた話だ
そういうこと言う人達はそもそもフィクションというものをわかってない
そこさえ出来ていれば「登場人物が現実の自分に近い人間か?」なんてことは誰も気にしない
ドラゴンボールもNARUTOも世界で人気だが、あいつらの文化や生活に親近感を持てる人間なんて世界のどこにもいない
もっと極端な話では
米兵の英雄が中東で中東人(一応敵対する勢力の武装した男やテロリストだけど)を撃ちまくる映画があって
これを普通に中東人も喜んで見てて、その英雄米兵を応援するからな
日本の女性漫画家がわかりもしない外国の少女の生活を描くべきだと?
馬鹿は何かを提言する前にもっとよく調べてもっとよく考えるべきなんだ
「命からがら逃げだす」を落としどころにできない所なんじゃないかと最近思った。
ナルニア国物語とか指輪物語とか、あれ行く先々で中ボス張り倒して回ったりしないだろ。
あさびらき丸のベルン領みたいな例外はあるけど、基本的に、旅の目的が最優先だから、
「やばい奴の縄張りに入ってる事に気づいたら、安全圏まで脱出する」が基本なんだよね。
指輪物語のシェロブとかバルログとか黒の乗り手なんかも、別に倒して現地の人に感謝されるとかいう展開何もなしだろ。
ラスボスの首だけは取らないと目的を果たせないからそこだけは戦うけど、
ラスボスについても、基本的に相手の方が強力な勢力だから、主人公がタイマンで倒すとかしてなくて「とにかく最終的に倒れてくれればOK」な展開なんだよね。(ホビットなんてラスボスは現地の人が倒してるし)
スレイヤーズとかなろうとかのファンタジーは、何か知らんが、水戸黄門的というか、RPG的というか、ジャンプ的というか、
1.りあむが3位
このキャラは出て1年にも満たず3位という快挙を成し遂げた。特殊なキャラ故に一概に言えないが、アイドルの積み重ねや歴史なんかは無意味だと言う証明である。
もっとも総選挙に一度も50位内になったことのないアイドルはまともに出番がなく二次創作すら少な過ぎてこの8年近くの積み重ねがりあむと変わらない、もしくは劣るというのは内緒。
2.4人の健闘者
今回の総選挙では松本沙理奈、浅利七海、工藤忍が属性3位には入らないものの今までの順位からかなり上昇した。さらにはナターリアがPa3位になり念願の声を手にした。この4人には共通点がある。
強力な話題になるネタを持ち込んでいた。ナターリアは伝説の傭兵スネーク、浅利七海は漫画ワンピースの敵アーロン、工藤忍は名探偵コナン、松本沙理奈にはセクシーデリバリー松本と言うパワーワードで別勢力を獲得していたのだ。
ぶっちゃけた話、これらのネタはアイドルの魅力とは関係が薄くキャラクターの一部分を有名なものと結びつけただけである…しかしそれが重要でいかに面白く、楽しませてくれたかが票の確保に繋がるのだと確信させてくれた。
3.逃した的場梨沙
Pa4位、つまりはナターリアに負け声を逃したアイドル、的場梨沙の話をしよう。
おそらく、このアイドルの担当は油断していた。結城晴と言う声付きアイドルの相方であり最近のデレマスではアイドル同士の繋がりが重要視されているため合わせて声が付くだろう…と予想があった。
残念ながらそれはなかった。だったら相川千夏に声があるだろ?松本紗理奈はブルーナポレオンの中で声がないから付けろ…ではなくセクシーデリバリー松本で戦った。的場梨沙とナターリアの差はここだ。
アイドルのステマ、本当に意味がない。書いてある文がどいつもこいつも同じ。
顔が良い?一部除きゃ皆そうだ。
良い子?半分くらいそうだ。
癖があるけど実は良い子?もう半分はそうだ。
頑張り屋?それは全員だろ、全員!
ミックスしたり、外したりするのがオシャレ。
だから、色んなコーデを楽しみたい私にはとても
ありがたい時代。
数少ない服でも、組み合わせしだいでいくらでもコーデは
今日は数少ない服でどうやって色んなスタイルを生み出すかについて
書いてみたい。
1、自分に似合う服を知っている
これはもう言うまでもなく、大前提でしょ。
特に色と形は大事で、どのテイストの服を買う時も、この二つだけは
死守してる。
2、どんな服にでも合う定番を揃える
どんな奇抜なものを合わせても受け止めるだけの度量がある
気分転換や好みの服はその後に付け加える
どんなコーデにも合う靴やバックなんて、どのコーデも
台無しにする気がする。。
例えば、黒いトートバックを私も長年愛用していたけど、
ある日ふと垢抜けないのはこのバックでは?と思って、やめた。
試しに白や明るい色味のバックを持つと、抜け感が出るし
季節に合わせてPVCバックや冬に敢えてファーのついたカゴバックも
オシャレだと最近気がついた。
靴も同様。
これ一足あれば、なんてものはない。
最低でも、
・サンダル
は必要!
5、コーデを決めるときはその日の予定に合わせて
スムーズ。
合わせるようにしている。
その割合は人によって違うけど、覚えておくと困らない。
掛け合わせるのは服だったり、小物だったりするけど、
そんな感じで日々調整しながらやっとります。
見たまんまの女じゃねえぜ、というアンチテーゼも込めて。
ずっと見た目で「真面目」「優等生」と言われ続けて
100年後くらいに
試験管ベビーが登場したら、最初は反発されるが、母体にかかるリスクを考えれば徐々に受け入れられていく
そうなると子作りは非常に計画的なものになり、下手するとLGBTも1人身も子作りOKみたいになる
セックスはほとんど遊びのようになるが、出産を伴わない行為に徐々に嫌悪する人が出始め
やがて何割かは性欲抑制の道を選び始める
親権はDNAを与えたというだけになるため非常に薄いものになり
子を国に預ける仕組みも誕生する
金持ちが無尽蔵に子を作ろうとしてしまうため、子を作る数は計画される
人口出産が多数派になってきた当たりで、自然派が生まれ、分離しようとする
しかし妊娠出産という難しさから上手くいかずブームは一過性、その勢力は弱まっていく
みたいなことが200年くらいで起きそう
私もセクハラ描写を何が何でも是としているわけではありませんが、
この辺りに対する反論が雑すぎるんですよね。もう少し言語化してから出直せ、とは言わないけど、全く論理的ではないことは自覚して欲しい。ただし、論理的ではなくとも意見を述べる自由はあるし、その上で「この問題を一緒に考えて欲しい」と訴える意味はあると思う。私も「嫌だな」と思う描写はあるし、それについて以前から考えていますが、なんであれが嫌なのか私自身にもよくわからないんですよね。複雑なのは、表面的には同じような描写でも許せるものと許せないものがあること。個別に無理矢理理屈をつけることはできるけど、一般論としてまとめるのは本当に難しくてまだ成功してない。
なんか大勢の謎の勢力が類似した言説を繰り返すことによって(それが全く的外れでも)既成事実化していくのが怖い。エコーチェンバー現象って言うのかな。
あと、創作物を「現実に付随するもの」として享受することが特権化している、というのもあると思う。フィクションをありのままのフィクションとして楽しむ自由も保証されて欲しい。私は男性ですが、男性として受けるセクハラに日々苦しみ、性犯罪被害に遭ったこともあります。ですが、私はBLが好きで、作中で攻めからDVまがいの乱暴を受ける美男子に萌えます。萌えを楽しむ時にいちいち現実を持ち込まないで欲しいという気持ちはある。
私は二次専なのでミラーリングとして言わせてもらいますが、実在人物同士の現実の恋愛(およびそれを推奨する言説)を目にした時の方が、漫画の「セクハラ描写」なんかよりもよほど現実のセクハラを連想します。非言語コミュニケーションに頼りすぎでしょ、彼ら。
子どもと一緒に見るようになった幼児用アニメや番組が思っていたよりもずっと面白くて完全にハマってしまった。
まず「おさるのジョージ」。子ザルが色々やって周囲の大人が大騒ぎする話なんだけど、子ザルの保護者の黄色い帽子のおじさんが本当に優しくって懐広くってもう大好き。彼のジョージに対する態度は見習いたい。
「花かっぱ」。頭から花が生える河童の話、っていうとよくわかんないと思うんだけど、軸になるストーリーとして彼の頭に生えるある花を狙っている勢力があって、その勢力のドタバタがとにかく面白い。というかがりぞーとあげるちゃんなんだけど、がりぞーの変装のクオリティが低すぎて「なんでみんな気付かないんだよ!!!!」って子どもと大笑いしてる。
「シャキーン!」。これ、多分昔で言う進め電波少年みたいな立ち位置だと思うんだけど、番組の中の小コーナーのクオリティが超高くてやたら面白い。番組内番組みたいのもあって毎回見逃せない。
「お母さんといっしょ」。これは王道だと思うんだけど、大人としてはむしろうたのお兄さんお姉さんとか体操のお兄さんお姉さんの人間関係の方が気になって、この人たち職場恋愛とかしたら大変なんだろうなーと思いながら見てる。
他にも、ひつじのショーンとかおじゃる丸とかみいつけた!とか、今やってるのもあれば終わっちゃったのも色々あるけど、とにかく幼児用番組面白い。というかEテレが面白い。超楽しい。
インターネッツを観ているとそのような風潮にあると思う。
どうもいろいろなネットバトルや政治的課題におけるやり取りなどを観ていると
という旨の文章を書いたとする。
そしてそれを他者に見てもらった場合、"我々"のような集団的なワードを使って反省を促すのはやめたほうがよいということだ。
つまりまず、"私"が反省をしなければ世間に受け入れてもらえないという風潮がある。
A「"我々"は反省しなければならない」
A「いや、しただろ」
B「いや、していない」
というやりとりはこれに単を発する。
つまり
A「私は反省する」
B「よくいった」or 「さまーみろ!」
A「みんな、改善していこう!」
こうしろということだ。