2019-05-05

「"我々"は反省しなければならない」は責任逃れ

インターネッツを観ているとそのような風潮にあると思う。

からなのか今からなのかはわからないので置いておく。


どうもいろいろなネットバトル政治的課題におけるやり取りなどを観ていると

ある問題課題が発生した際に

反省改善していこう」

という旨の文章を書いたとする。

そしてそれを他者に見てもらった場合、"我々"のような集団的ワードを使って反省を促すのはやめたほうがよいということだ。

まりまず、"私"が反省をしなければ世間に受け入れてもらえないという風潮がある。

しばしば政治的勢力


A「"我々"は反省しなければならない」

B「反省していないではないか。」

A「いや、しただろ」

B「いや、していない」


というやりとりはこれに単を発する。

まり


A「私は反省する」

B「よくいった」or 「さまーみろ!」

A「みんな、改善していこう!」


こうしろということだ。

"我々"という集団概念責任を放り投げて、自らは逃れているように見えるのかもしれない。

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