「上皇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 上皇とは

2023-10-29

anond:20231029143008

うちも魚が高くて買えないから庭で取ったミミズ100均で買った竹竿に刺して近所のため池でブルーギル釣ってる。

釣れたら家族みんなで東京の方向いて「上皇陛下ありがとうございます上皇陛下万歳!」って言ってから締めて、家で焼き魚にして食べてる。

2023-09-30

ジャニーも生きてる間は誰も批判できなかったんだよな…

上皇も死んだらヤバいかもよ?

2023-09-29

皇族レイプされたら

堕ろすわけにもいかんし産むだろ?

そしたらレイプの子皇位継承権発生?

天皇になればレイプ魔は上皇

上皇「お前ネットで俺のこと馬鹿にしてたよな?」

どうする?

2023-09-24

anond:20230924134348

バーイ・コクセンセイはやっぱり俺も上皇知名度アップに貢献してんじゃねえかと奢る心をコントロールできない…

現実味を帯びてきた売国先生宮内庁公認アンバサダーに任命される日

2023-09-03

上皇今年90なんだな

100いったらスゲーけどどうかな

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-06-30

anond:20230630160054

天皇を高いところから見るな!って警察が隣の建物の上の階のカーテンを閉めさせる国

終わりだよもう

上皇ご夫妻の京都旅行中に「カーテン閉めて」 大学警察要請、視界遮った理由

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1054957

2023-06-14

anond:20230612164114

今の上皇陛下皇太子時代に「やばい」という発言をしてから

やばい」という言葉辞書に載るようになった・・・

という話を聞いたことがあるんだけど

これが本当なのかどうか、ソースを探してるけど見つからない

2023-06-09

anond:20230609191809

天皇制に関して言えば、本物の右派はどちらかというと共産党あたりと気があうんだよな

志位さんは上皇様のこと尊敬してるだろうし、天皇制廃止という主張の方を止めてる

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

立場は異なるとはいえ、お互い20年以上にもわたって巨大な集団トップに立つ者の苦悩と孤独体験してきた者同士だからこそ分かち合えるものがあるんだろうな

2023-05-18

藤島泰輔ジャニーズ事務所の興盛にどれだけ貢献したのか知りたい

藤島泰輔なんて作家名前、知ってるのはかなりのジジイババアだろうなあ。

今のジャニーズ事務所社長シャニ喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカまれから戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である

詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年まれ小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派文化人”として活躍した人である

かつて、韓国朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍死刑判決を受けた金芝河という韓国詩人がいたのだが、日本ペンクラブ要職にあった藤島泰輔韓国政府を擁護する立場発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。

当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位確立した三流作家”などと言われていた。

なお、藤島泰輔名前記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である

が、これが真っ赤なウソで、本当は藤島泰輔ペンネー厶。

今では考えられないが、昭和の日本では言論出版世界でこういう詐術がまかり通っていたのである

いちばん有名なのは神戸在住ユダヤ人イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?

この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本保守称揚し、当時の左派進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識絵空事”とやるわけである

今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。

さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関活躍”だの“海外大学評価されてる”とか言う日本人逆輸入してくる例が多いわけだが。


で、藤島泰輔ジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バー経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川SMAP解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。

で、生まれた娘が景子である

一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。

その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?

昭和時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。

一部で噂されている“有力政治家ジャニーズ事務所少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。




昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。

統一教会を語るには岸信介文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんジャニーズには力があるのか”は分からいかも知れない。

誰かやってくれないかな?

さすがに難しいか

なお藤島泰輔小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在絶版電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。

そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライム配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。

後で見てみることにする。

2023-05-06

三島由紀夫上皇陛下

三島由紀夫って処女厨男尊女卑だったから、男性関係が奔放な上にお見合いからデート三島由紀夫リードしようとした上皇后陛下を振ったんだよね。

一方の上皇陛下はそのことを聞かされて周りから反対され、庶民金持ちだが)出身とのことで国民から反対されても上皇后陛下を選んだと。

これが日本国民統合象徴ですよ。

2023-04-15

どこかの千恵さんへ

千恵さん、

暫くメールがなかったので、お亡くなりになられたか寛解されたかと思っておりましたが、先日深夜から再び大量のメールを頂戴し、相変わらずお元気そうなのだなと拝察しております

申し上げたい点はいくつかありますが、まず宛先最初の五名が以下のようになっています。@より前は省略しておきました。

 浩宮 徳仁天皇陛下 ...@gmail.com

 敬宮 愛子内親王殿下 ...@gmail.com

 秋篠宮 文仁内親王 ...@gmail.com

 継宮 明仁上皇陛下 ...@gmail.com

 上皇后 美智子陛下 ...@gmail.com

天皇陛下やそれ以外の皇族の方々が、お名前をそのままローマ字書きした、しかGmailアドレスをお持ちとはとても思えません。千恵さんにNDR(宛先不明)は返っていないかもしれませんが、このメール天皇陛下御本人には決して届いていないのではないか心配しています

そのあとにも、警察法務官僚らしき方々、警察官らしき方々、弁護士と思しき方々、さら政治家らしき方々と宛先(ほとんどがgmail.comアドレス)がならんでおります。なお、政治家の方々らしき宛先の中に

 安倍 晋三 shiz〇.ab〇@gmail.com(一部伏字

が含まれておりましたが、もしこちらが以前内閣総理大臣をされていた安倍さんを意味しているのでしたら、ご本人はもうお亡くなりになっております。もし誰かに届いていたとしても同姓同名の別人なのではないでしょうか。安倍さんが亡くなったことはさすがにご存じかと思うのですが、宛先を一度ご確認いただいた方がよろしいかと思います

なお、なぜかさらに以下のような宛先も指定されていますが、これらも、もし本人だったらとても夢のある話ですね。gmail.comですけど。あと相変わらず芸名ローマ字読みですけど。オレオレ詐欺なんかも多い昨今、そういったメールアドレスを使う人はいないんじゃないでしょうか。実際、千恵さんご本人も英単語を組み合わせたメールアドレスですよね。

 明石さんま ...@gmail.com

 今田 耕司 ...@gmail.com

 小籔 千豊 ...@gmail.com

 浜本 広晃 ...@gmail.com

 山田 花子 ...@gmail.com

 木村 拓哉 ...@gmail.com

 松本 潤 ...@gmail.com

 大野 智 ...@gmail.com

 二宮 和也 ...@gmail.com

 岡田 准一 ...@gmail.com

 滝沢 秀明 ...@gmail.com

 平 岳大 ...@gmail.com

 横浜 流星 ...@gmail.com

 城田 優 ...@gmail.com

 中村 梅雀 ...@gmail.com

 松本 幸四郎 ...@gmail.com

 市川 海老蔵 ...@gmail.com

次に、内容についてですが、だれがだれを殺害しようとしている、だれだれは犯罪を犯している、といったことをご自身テレパシーだかサイキックだかで読み取ったので対処してほしい、といった内容のように見受けられます

大変お手数ですが、まず、指定されているGmailメールアドレス意図されている本人のものかを、そのサイキック能力で読み取っていただいた方がいいと思います。少なくともこのメールを受け取っている私は単なるサラリーマンオッサン

権力もなければサイキック能力もありませんので、そういったメールをいただいても何もできません。

また、もし正しいメールアドレスだったとしても、普通gmail.comアドレスプライベートものなのではないかと思います。そこに仕事としてのご依頼をされるのは一般的には無粋なことではないでしょうか。

私もサラリーマンのはしくれですが、もし会社メールアドレスではなく、プライベートメールアドレスに 「~の商品見積もりを~まで提出してほしい」 といったメールが来たら、社会常識がない相手だなと思って普通無視すると思います

メールは着々とGmail迷惑メールフィルター自動的に捨てられているのですが、一日に何通もこういったメール送信されている千恵さんの病状を心配しております。早く良くなるといいですね。陰ながら応援しています。では。

2023-03-23

anond:20230323201627

秋篠宮3人産んでるやん

上皇今上秋篠宮と2人産んでるし、昭和上皇ともう1人産んでる

まぁ1人だけ産めば良くなったとしても、家を続けることが至上命題な時点で産む機械

2023-02-13

anond:20230213094709

正親町天皇 「とっとと譲位して上皇になって院政したいんゴ。でも譲位儀式するお金がないんゴ」

織田信長 「それなら、儀式をするお金を融通するよ。」

正親町天皇 「マジか。長年の宿願だった譲位ができるぞ。ヤッター!」

織田信長明智光秀に殺されたので話はナシね。」

正親町天皇明智光秀許すまじ。」

現代の俺ら 「信長天皇位を簒奪しようとした極悪人!」

織田信長なんでやねん。」

2023-01-30

anond:20230129164524

見たい、でいうなら、2033年現在明仁上皇の生誕100年記念作品として「平成」とかやってほしいと思う。昭和から緩やかに下降する国勢とともに、次から次へと襲いかかる国難、それに対して「祈る」ことで国民に寄り添った、みたいなので。

ジジイ世代になってる団塊ジュニアターゲットとした平成追憶番組として、けっこう受けるんじゃないかと思う。

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