はてなキーワード: ナメクジとは
大阪王将のG・ナメクジのまとめtogetterで「保健所は何やってんだ」的なコメントがいくつかあったから、ちょうどいい機会なので中の人が何やってるか紹介するよ。
https://togetter.com/li/1921212
いまではすっかり「保健所」といえばコロナ対応のイメージだけど、かつては保健所といえば飲食店の営業停止のニュースで名前を見る人が多かったはずで、増田は今ちょうどそこにいるよ。(コロナ対応は全所あげてやってるので、増田も食品業務をやりつつ追加でコロナ業務もやってるよ)
まず基本として、飲食店をやるためには保健所長の許可を得ないといけないよ。店でよく額縁に入れて壁にかけてある営業許可証がそれだよ(掲示義務がある)。食品衛生法という法律で決まってて、無許可営業したら刑事罰もあるよ。
そして営業許可を取るためには条件があって、それは「設備基準」だよ。衛生基準じゃないよ。衛生を担保するために必要な設備が店内(主に厨房内)にあれば、保健所長は許可をしなければならないと決まってるよ。
食品衛生法 第五十五条 前条に規定する営業(=飲食店等)を営もうとする者は、厚生労働省令で定めるところにより、都道府県知事の許可を受けなければならない。
② 前項の場合において、都道府県知事は、その営業の施設が前条の規定による基準に合うと認めるときは、許可をしなければならない。
以下、「ただし以下の場合は許可しないことができる」という定番の但し書き規定が続くけど、それは過去に営業取り消し(停止じゃないよ)処分を受けて一定年数が経ってない場合という限定された欠格条項で、保健所長の裁量権限は無いよ。
施設基準は、3槽シンクとか、手洗い専用の水場(掴んで捻るカランはダメよ)とか、換気扇とか、撥水性の床とかだよ。ちなみにグリストラップは設備基準に入ってないよ。下水道の管理者が求めるから付けることになるけどね。
保健所は許可の申請を受けたら必ず店に行って現場検査をするけど、厨房設備が油べったりで汚かったりコバエが大量にいたりすると、「うわぁ、許可出したくないなぁ、営業してほしくないなぁ」と思うけど、設備が基準通りに設置されてれば許可しないといけないので、衛生状態を改善するよう指導しつつ許可するよ。
許可の有効期間は5~8年(検査時の点数による)もあるので、許可を受けたときは綺麗だったけど、その後清掃せずに汚くなるパターンも多いよ。そして5~8年後の更新申請の現場検査の直前に掃除されると、基本的には劣悪な衛生状態を把握できないよ。(保健所が能動的に店を巡回したり、タレコミ受けて店に行くこともあり、それは後述するよ)
行政が出す許可には2種類あって、「人が当然できて然るべきことだけど、公共の福祉の必要上制約させてもらって、条件が整ってれば許可しなければならない」系のものと、
「本来はやっちゃ駄目だけど、条件を備えていれば特別に許可してやらせてあげる」系のものがあるよ。後者は運転免許とか銃の所持許可とかだね。後者は行政の裁量権があるよ。銃刀法には、許可申請があっても本人や親族が公共の安全を害する恐れがある(具体的な基準は書かれていない)ときは許可をしない「ことができる」という素晴らしく使いやすい条文があるよ。
いっぽうで、飲食店営業は「許可しなければならない」ので、前者に近いと増田は思うよ。
なんでこんな規定になってるかと言えば、国民には基本的に営業の自由があるからだと思うよ。
許可をとったあとに有害な食品を出したり、食中毒を出したりしたら、営業の停止させたり、禁止したり、営業許可を取り消すことができるよ。
許可よりもこっちがみんな注目するところだね。
ルート① 広域監視・巡回指導といって、食品衛生監視員という資格をもった職員(うちの県では獣医、薬剤師、保健師免許をもってる職員がなることが多いよ)や、県と協力関係にある食品衛生協会の職員が、能動的に管轄内の飲食店をまわって衛生状態が保たれてるか、HACCPに沿った記録をちゃんと付けてるか、店内を見せてもらうことがあるけど、店の迷惑になるから基本的に抜き打ちでなく事前に連絡し日時を調整してから行くよ。
ただし、食品担当職員3~4人が管轄内の5000以上の店(=営業許可。飲食店だけでなく菓子製造業とか惣菜製造業とかも含めて)を担当してて現場検査、起案、相談対応、食中毒事件対応を優先しながら空いてる時間での監視になるうえに店の入れ替わりも激しいので、全部見に行くことは不可能だよ。衛生状態が気になる個人の小さな店や過去に苦情や食中毒があった店が優先になるよ。チェーン店は本部が作ったマニュアルに沿ってしっかりやってるだろうという期待のもと、優先順位は低くなるよ。
ルート② 客や従業員から、電話等で「あそこの店の厨房が汚い、食材を屋外(厨房外)で加工してた、異物が混ざってた」というタレコミがあったら、食品衛生監視員がこっそり客として店に行って実際に喫食して確認したり、事前連絡してから厨房内を見せてもらうよ。今回の大阪王将は棘のまとめを見る限りでは保健所へのタレコミはしなかったようだね。タレコミしてくれないと把握できないので動きようがないよ。
保健所の食品担当部署は県庁の中ではかなりフットワークが軽いほうだと思うよ。タレコミがあったら匿名でも怪しくても、必ず一度は店に行くよ。従業員でも客でも飲食店の衛生状態で問題があったら、匿名でもいいから管轄の保健所に電話してね。タレコミ主が名乗ったうえで「店には秘密にして」と言われれば、タレコミ元は秘密にして「以前にたまたま客として来たら気になったので、改めて見にきました」とか店には言うよ。だから現職の従業員のタレコミも報復は気にしなくていいよ。連絡先を教えてくれたら、見たあとの結果報告もするよ。
ただし、基本的に保健所はいきなり営業停止・禁止・取消といった強権はふるわないよ。
食中毒事件をおこし現実に市民への健康被害を出したら数日間の営業停止処分をして店名公表するけど、今回の大阪王将のような「食中毒を出す可能性がある衛生状態の悪さ」だと、改善指導に留まるよ。
確信犯で改善しない個人店には指導効果は薄いかもだけど、大手チェーンの本部はコンプライアンスを重視するから、行政(保健所)が動いて指導されたとなれば本部から指示が出るはずなので、今回のは保健所にタレ込んでおけば効果はあったと思うよ。もし改善しなくても「以前に保健所から指導されたのに改善してなかった」となればダメージ大きくなるしね。
また、食中毒患者が一人だったり、複数いても同一グループ内だけだと、その店が原因だという蓋然性がない(家で食べた料理や他の店が原因の可能性が排除できない)ので、事件でなく有症苦情という扱いになって、改善指導になるよ。
別行動をしてる複数の食中毒患者が出て、みなから検出された原因菌と店にあった食材から検出された菌が同一型と確認できれば、その店が原因という証拠が揃うので、食中毒事件として処分するよ。
食品衛生法には刑事罰規定もあるけど、保健所自身に捜査・起訴する権限はないので、保健所が捜査権のない中で証拠をそろえて警察や検察に告発してはじめて刑事処分ルートになるけど、うちの県では保健所が食品衛生法違反で告発したことは一度もないよ。(他の都道府県はどうなんだろう?)
最も悪質な無許可営業(更新忘れのうっかり失効含む)ですら、「今すぐ営業をやめなさい」という指導を繰り返すことになるよ。(無許可の場合はそもそも許可を出してないので、停止・禁止・取消といった行政処分はできない)
基本的に国民には営業の自由があって、公共の福祉(食中毒防止)のために食品営業に限って制限して許可しているという考えなので、刑事罰ルートに乗せるのは抵抗感があるよ。
にもかかわらず、年に数回は「食品衛生法違反の疑いで逮捕・摘発・書類送検・略式起訴で罰金刑を受けた」てニュースが地方紙に載るけど、それは暴力団員が無許可で観光地でBBQセット売ったり(食肉販売業許可が必要なので無許可営業になる)、反グレが経営するバーが設備基準違反だったり、ベトナム人が無許可で腐りかけの豚肉を売ってたりという、警察がもともと目をつけてた相手や世間を騒がせた出来事に付随して警察自ら動いたケースで、保健所発起ではないよ。
摘発前に刑事からどんな違反になるか相談を受けたり、摘発後に食品衛生行政を解説する調書を作る協力したりはするけどね。
だらだら書いたけど、まずは電話でタレコミしてくれれば動くよって話と、動いても強権的な処分はできず指導止りだけど、大手チェーンなら効果あるはずだよ、という話でした。
地元でそれなりの進学校に通ってたこともあって、周りの人間がAVに出ることは今までなかったんだが、ついに今年出たので早速抜いた。
その後輩は部活の直属の後輩で、当時は同級生の彼氏がいた。誰にでも人懐っこい後輩だった。卒業して数年間は連絡を取ることもあったが、疎遠になった。
AVのサンプルをザッピングしてるとき、その後輩を見つけた。実に10年ぶりの対面だった。それでも気づくほどにほとんど変わっていなかった。見つけた作品はデビューから3本目だった。
その場で抜いてもよかったが、何かもったいないような気がして、週末まで待った。その日は素人ナンパで抜いた。
週末はたまった家事をこなし、夜になった。家事をしているときもずっと「今日は後輩で抜くんだ」と考えてた。
シャワーを浴びてベッドに入った。FANZAであらかじめ購入しておいた後輩のAVを流した。せっかくなのでデビュー作にした。
詳細を言うとバレそうなので割愛する。序盤に見られた驚いた顔はあの頃の後輩だった。そんな後輩が「エッチなこと好きなんだ?」と聞かれて「好きです」と答えるのは感慨深かった。セックスに入ってからは、こんな喘ぎ方するんだなとか考えてた。
なんだかんだあってまぁ抜けた。背徳感とかNTR的な感情で気持ちよくなるのかと思ってたが、そんなことはなかった。むしろあの頃の後輩がチラチラするため集中できず、時間がかかった。
次は拘束連続アクメに出てほしい。
言い方悪いけど仕事とか生き方に関しては自分で選んだんでしょ?としか言いようがないんだよね
1980年代の白人傭兵並みに他人を信用できないような仕事についたり生き方選んでおいて
人の本質は悪だ男は悪い奴ばっかりだって馬鹿かよとしか言いようがないだろうと
マトモな人間や優しくしてくれる人間にあいたきゃそう言う然るべきところに行けよ
お前のクソみたいな人生とゴミのような生き様でも寄ってくる人間がそんなのしかいないってだけだろ
石の下に潜んでる虫が周りはゲジゲジやナメクジしかいないとか喚いてたら
じゃあ日の下に出てこいとしか言いようがないだろ
それは花を育てている人は別に心の優しい人でも何でもないということ。
花を愛でて、自分の作った野菜を食べるのはなんか自然にもいいことをしていると思っていた。
情操教育にいいと思い、子供が生まれてよちよち歩けるくらいのころにミニトマトを育て始めた。
すると、どこから湧いて出たか小さな虫がナスを覆い、全く育たなくなった。
それから毎年のように虫の害にやられ、ナメクジも出るようになった。
農業は人類がやった初期の環境破壊と何かで読んだが、自分が家庭菜園をやるようになって激しく同意した。
近所にも花いっぱいの家がそれなりにあるのだが、その人たちは花を愛でるやさしい人たちではなく、かわいがるものとそうじゃないものを明確に分ける人たちという認識に変わった。
倒れた猿 https://note.com/itakuratoshiyuki/n/n9e7a6e7430f9 を読んで家庭菜園をしてた時のことを思い出した。
数年前、転勤が決まり、小さい子連れながら東京都心からとある地方都市に引っ越した。
それまで首都圏から出て住んだことがなかったので不安半分、でも小さい子連れで外出するといつもピリピリと気を張っていなければいけなかった都心の生活に疲れ果てていたので、地方だったらのんびりしてるかなと希望を持ちつつの異動だった。
うちが引っ越した先は日本でも下位5位以内に入る人口が少ない県で、まず引っ越した先の家でトイレを流したら床に水漏れしたのにびっくり。(大家さんに言ったらさすがにその日の夕方に業者が来て直していった)
引っ越した先は集合住宅は猫のたまり場で、猫の糞尿がそこらかしこにされてるのに誰も気にしてない様子なのにびっくり。(もちろんにおいがきつい。これは退去するときまで変わらなかった)
道を歩いてる人が全然いないし自転車の人すらほとんど見かけないのにびっくり。(みんな車でしか移動しない)
方言もきつく言葉もわからないことも多々あり、あらゆるところでカルチャーショックを受け、都会から着てきた服は地元のスーパーではカラフルで洗練されすぎていて目立ちすぎるのに気付いたころにはなんとか地元のコミュニティに溶け込もうと必死になった。(子連れじゃなかったらまた違う認識だったのかもしれない)
いつしか地味で無難な服ばかり着るようになり、言葉も聞き真似でイントネーションを合わせ、ついでに月500円で地元の農家さんに畑を借りることにした。(今考えると形から入っていこうとしていたのかもしれない)
さて、畑は20平米ぐらいの大きさで、どーんと土と雑草で覆われた畑だった。
好きなものを作っていいんだと思っても何を作っていいのかわからない。というかどうしたらいいのかわからない。
わからないのでまず家庭菜園の本を買った。揃えなきゃいけないもの、土をどうしたらいいのか、種や苗をどうやって植えるのか。土を鍬でめっちゃ耕した。(筋肉痛になった)苦土石灰をまいた。わからないながらもマルチングシートで畑を覆った。(これはめちゃくちゃ大事だったと後でわかる)
ホームセンターに行って苗を色々見た。時は春。失敗しなさそうなトマトやキュウリやピーマンやナスやオクラやサツマイモの苗を買った。植えて毎日様子を見に行った。
暑くなるにつれてどんどん苗は大きくなっていった。すくすくと育っていく苗を見るのはいいものだった。花がつくとうれしかったし、花が枯れた後に小さな実がついているを見るのが楽しみになった。
畑を往復してるのに使ってた車があっという間に中も外も土で汚れた。農家の人がみんなハイジェットに乗る理由がわかった。そして害虫と雑草の被害の大変さを身をもって知ることになる。
まず害虫。都会で生活していたので最初は芋虫にいちいち怯えていた。よく見かけたのはタバコガ、スズメガ、ヨトウガの幼虫だろうか。見つけたらとって中身が見えないように葉っぱをかぶせてふんづけるようにしていた。
こいつらマジで滅茶苦茶葉っぱや実を食っていく。オルトランをまくことでだいぶ減ったけどそれでもしぶといのが割とついている。
最初は怯えていたけれどそのうちにせっかく一生懸命育てた作物が無残にも食べられていくのに憎しみを覚えるようになった。じきに見つけたら即はさみでチョキンスタイルに変更になった。緑の中身が出てくるのにも慣れた。彼らに慈悲は無用と考えるようになった。
虫はほかにもいろいろついて、アブラムシやウリハムシ、ニジュウヤホシテントウにも本当に悩まされた。ちょっと葉が茂ってるところに踏み込むと、うわっとウリハムシが200匹ぐらい飛び立つスタイルが続いた。殺虫剤はまかなかったので羽虫系は最後までどうにもできなかった。
そして雑草。マルチングシートの重要性がわかる。ちょっと隙間があればあっという間に雑草がはびこってくるし、雑草には害虫がつくし、通路なんてあっという間に荒地化してしまう。
ナメクジにもいろんなものをよく食べられた。ハナムグリなどの甲虫類にも。蝶は卵を産み付けられるので害虫だし、自分の味方だと感じる虫はカマキリとテントウムシだけになった。虫ではないけど土蜘蛛も強い味方だった。
そんなでもそれなりの収穫物を得ながら試行錯誤を続け、冬には大根やニンジン、白菜などを収穫し、2年目の夏に向けては季節野菜のほかにスイカとメロンというなかなか難しそうな果実を作ることにした。
美味しいものは人間も好きだけれど虫や動物も大好き。それまでの乏しい経験からも果実なんて修羅の道だろうと思いつつ万全を尽くして苗を植え、手をかけて育て育てた。
スイカの実ってなりたては小さいスイカで本当にかわいい。ぷっくりしたスイカの実を害獣に食べられないように一つ一つにネットをかけ、地面の湿気で腐らないように実の下にトレイを置いた。陽があたらないと皮が黄色くなるらしいのでスイカの実の向きを太陽に当たるように毎日ちょっとずつ調整した。
米のとぎ汁をあげると甘くなるとのうわさも聞き、家からとぎ汁を持って行ってかけた。緑色の実がだんだん大きくなっていくのが楽しみで仕方なかった。
そんなスイカの実が20cmぐらいに大きくなったころのある日。事件がおきた。
食べられ方から犯人がわかった。カラスだ。ネットの隙間から鋭いくちばしでつついて突き崩したのだ。
中の実はちゃんと赤くてみずみずしくて、蟻がいっぱい行列を作っている。きっと甘いんだろうなと思った。
悲しかったけどやられた実は廃棄するしかなかった。残された数少ない実をさらに食べにくいように葉っぱで隠し、ネットをかけ、障害物を置き、カラス除けも設置した。
猟銃所持許可されてたらマジで付近を飛び回ってるカラスを仕留めてたかもしれない。
それぐらい憎かった。
農家の人たちはこんな思いをしながら作物を育ててるんだろうという一端がすごくよくわかった出来事だった。
そこから自分の生活を脅かす動物を害獣として割り切れるスキルが身についた気がする。
ちなみに当県ではアライグマも害獣としてメジャーな動物です。サルよりも見た目はかわいいと思うんだがやっぱり自分は割り切って対応してしまうかもしれない。