はてなキーワード: ただしイケメンに限るとは
平等に扱われている感を保つこと、だろうな。
極端な話、だいたいの弱者って己が弱い理由ぐらいわかってると思う。鈍臭いとか、努力してこなかったとか、増田にもしばしば愚痴られる。愚痴り自重するだけで憎悪にはならない。
アファーマティブアクションだとか、特定外国人の権益だとか、ただしイケメンに限るとか、そういう要素と噛み合うと憎悪は発生する。
自分と同じぐらいのクズが、同じぐらい底辺でないと、納得がいかんとこはあるだろう。
特にアファーマティブアクションは組み合わせがすごく悪いと思うね。ただイケ要素とか、単純な遺伝的才能、あるいは男女であれば、運だから諦めもつくだろうが。アファーマティブは、ルールの変更だからね。ほなら俺のルールも変えんかいとは、なるだろうね。
もともと差別の解消に留まらないアファーマティブアクションは、アイデアが生まれた当初から、そういう感じで平等に反するのが欠点だとわかっていた。
その欠点が発揮されているだけだ、というわけだね。最初からこの炎上を織り込み済みでの取り組みだったはずだよ。皆、忘れてただけで。
遅ればせながら『シン・エヴァ』観ました。個人的な感想メモ(ネタバレあり)。ちなみにTV版から観ている39歳男です。
・旧劇場版でシンジとアスカがお互い傷つけあったのは「二人は他者だから、触れ合えば傷つくのは必然なんだ」と受け止めてた。それに対する『シン・エヴァ』の回答は「あれは二人の相性が悪かったせい。それぞれ別の人とくっつけば幸せになれるよ」ってことだと理解した。マジか、と思いましたね。あまりに身も蓋もなさすぎて。しかし言われてみれば確かにそう。こうなってみると、もうこの終わり方しか考えられない。
・旧劇場版のアスカって、エヴァの全編を通してみてもトップクラスに酷い目にあってたと思う。肉体的にも精神的にも。見ていて居たたまれなかった。なので、浜辺のシーンで惣流のほうのアスカも救済してくれて嬉しかった。
・それにしても、まさか渚カヲルがゲンドウの分身(別人格)だとは思ってもみなかった。これが一番衝撃的だったかも。
・でもよく考えると、TV版の時点でカヲルはレイに「君は僕と同じだね」って言ってるんだよね。レイがユイのクローンだとして、じゃあカヲルは誰の分身なのかと考えれば、論理的にはゲンドウしかありえない。なんで俺は25年間その可能性に気づかなかったのか、ということのほうが今となっては不思議。
・カヲル君の「歌はいいねえ」という台詞とシンジ君のウォークマンが、25年の時を経てゲンドウというキーワードでひとつに結びつけられる展開は震えた。
・あそこに置かれていた鉄道車両は、庵野さんの故郷の山口あたりで昭和時代に走っていたやつが多かったと思う(あとは天竜浜名湖鉄道?)。あの村が箱根のそばに2029年ごろに存在しているとすると、明らかに時空が歪んでいる。この時点ですでに庵野さんの心象風景に片足を突っ込んでいると理解した。あの村全てが仮想空間とも受け取れる。
・作画もあの村の場面の一部だけ、なんか質感が違いましたよね?
・TV版から存在していた夕闇の電車の中での自分との対話シーン。あれはあの旧型国電の中でやってたのか。あの車両は庵野さんの地元の宇部線で長く走ってた形式。なので単に懐古趣味で旧い電車を出してたのではなく、自分の故郷の、おそらく青春時代によく乗っていた電車の中でずっと自問自答していたわけね。なんというか、本当にエヴァって私小説だ。
・村の人がレイを「そっくりさん」と呼び続けるの、普通に気持ち悪いよ! 初日だけならともかく、その後もずっと。同僚に対してその扱いは酷くないか。レイ視点だから悪意がないように受け取れるけど、実際にはあれは村社会の新人イビリなんじゃないの。エヴァは「誰が誰をどういう名前で呼ぶか」について極めて意識的な作品なので、こういう「気持ち悪さ」も織り込み済みでやってそう。
・レイはやっぱり個体によってかなり人格が違う。にしてもTV版の「ばーさんは用済み」のあの子だけは極端に性格悪かったな。あれは何だったのか。
・ミサトさんは「自分は大人じゃないけど、それでも大人の役をきちんと果たすんだ」と決めた人。TV版と旧劇場版ではそういうちゃんとした大人はミサトと加持ぐらいだったけど、新劇場版ではリツコとヴンダーのクルー達も付いてきてくれていて、そこが良かった。
・にしても生命種の種を満載した船で最終決戦に突っ込むのは、リスク管理としてやばすぎ。そいつらはどっか安全な場所に厳重保管しておくべき。
・ミサトさんが息子とずっと会わないと決めたこと。それってユイやゲンドウと同じ過ちを繰り返してるんじゃないの、と思えて複雑だった。ユイも「自分の選択を息子はわかってくれる」みたいなことを言って死んだけど、息子の側からしたら親に捨てられたと思っただろうし、その葛藤を描いてきたのがまさにエヴァという物語なので。これは「シンジの物語が終わっても全てが解決するわけじゃない。親子の葛藤は次の世代にも続いていく」というメッセージだと受け止めた。
・新劇場版の全体を通して、リツコさんの物語はほぼカットされちゃった。新劇から見た人にとっては、あの人はミサトさんの有能な副官というだけの存在になるのかな。まあ尺もあるし仕方ないか。
・新劇場版での冬月が何をしたかったのか全然わからない。旧劇場版まではユイとの再会だよね? 今回は違うの? あんた何なの?
・ゲンドウとシンジの取っ組み合いのケンカは笑った。庵野さんって、映画の前半で綿密にリアリティーを積み上げておきながら後半で暴走するよね。『シン・ゴジラ』の無人在来線爆弾のときも思ったけど。
・「ユイ、お前はずっとシンジの中にいたのか」って、そんなの当っったり前だろうがー!! そんな凡庸な結論に至るまでに人類を3回も滅亡の淵に追いやるんじゃねえよ。
・庵野さんはエンディングの巨匠だと思っている。「全ての子供達に、おめでとう」と「気持ち悪い」。観た人の記憶に刻み込まれるエンディングを2つも作ったのは神業。
・そして今回のエンディングも後世に語り継がれる素晴らしい出来だと思った。俺は泣きました。
・大人になったシンジ君、イケメンだなあ。声は神木君だしパートナーは素敵な人だし。この話って結局「ただしイケメンに限る」ってやつじゃねーの、という思いもよぎる。
・チョーカーを現実世界でもずっとつけてたのは、思春期の呪縛はそれだけ強いものなんだという意味合いかな。それとも単にマリがチョーカーを外す場面が撮りたかっただけ?
・マリは鶴巻和哉の色が濃いっていう評を見たけど、確かに『フリクリ』から飛び出てきたみたいなキャラ。『フリクリ』も大好きなので嬉しかった。鶴巻さんもありがとう。
・でもこの結末って言ってみれば「夢オチ」だよね。それでも自分も含めて肯定的な感想が多いってことは、要するにたいがいの人は登場人物の人間関係に決着がつくことを何より重視していて、そこに整理がつけば夢オチでも構わないと思ってるってこと…?
・「One Last Kiss」最高。天才の曲。宇多田ヒカルのエヴァ関連の仕事は全て文句のつけようがない。こんな荒唐無稽な物語にかっちりハマりつつ、なおかつ宇多田ヒカルらしさを失わない曲をよくぞ3曲も作ったものだと思う。宇多田ヒカルさんもありがとう。
・で、『Q』で出てきたトウジの制服は何だったの? とかそういうことを考えだすとキリがないので、もう考えない。
劇場で自分の前の席に高校生の集団が座っていて、終わった後で「どうだった?」「わかんねー(笑)」と、まさに自分が高校生で旧劇場版を観た時と同じような会話を繰り広げていた。そのことに何だか感動してしまった。
横だけどそれは納得。
顔以外もダメな人間程「美人なら違った」「ただしイケメンに限る」と顔だけのせいにしたがるように、金や学歴のせいだけにしようとする人間は大体他もお粗末。
やっぱり「女はイージーモード」というのは(ただしイケメンに限る)みたいに、注釈(ただしどうにもならないブスは除く)付きということ?
大好きだよ
愛してる
一緒になってくれてありがとう
頑張ってえらい
幸せだよ
🐕ただしイケメンに限るワン
🐇デブは?
🐈ネコチャンはデブでもその人によると思うけど、元増田さんはデブ嫌いっぽいニャ
🐟こんな素敵なご主人いいなー!ぷくぷく
🐏最初だけにしてもいいよね。
https://note.com/ikuyatadashi/n/ncfce056b6038
ここで出てきている「性欲」ってどこまでのことを指すのだろうか。
などなど、人によって、ピンからキリまであるだろう。これのどこからどこまでが性欲なんだろうか?
「ロリっぽい顔にでかい胸がついてるのが大好き!」と世間に向けて公表した時点で、オタクは性欲に正直な男性であることがバレてしまっている。
おそらく、好きだというだけでそれは「性欲」で、アウトなのだろう。
なんと、あの天下のジャニーズのアイドルが、性欲むき出し発言をしていた。
…まぁ、さすがに性欲むき出し発言をしていた、は盛りすぎだが、
「太ももフェチだった」「脇フェチだった」「今は眉毛フェチ」など言っている。
発言だけ見ると、「ロリっぽい顔にでかい胸がついてるのが大好き!」とさして変わらないだろう。
菊池風磨の記事のほうは「ライブにはノースリーブ着ていくわ」など好意的にすら取られている。
この差は何だろうか。
そして、タイトルで問うたとおり、なぜオタクは「性欲」をむき出しにしてはいけないのか?
我々は必死にチ〇コのついていないかのような言動を心掛け、性欲を持たないかのように偽装し、安全であるかのよう振る舞う必要を、社会の半数を占める存在である女性から求められている。
なんか「被害を受けた女性」から「女性全体」に範囲が広がってる気がするのは私だけでしょうか?
「宇崎ちゃんに『こんなのがいいんッスか~先輩♡』とか言われながらでっかいおっぱいでされたいお…」
「普段あんなにからかってくる宇崎ちゃんに『先輩っ…やめてくださいッス…♡』とか言われながらガンガンしたいお…」
とかそういうのを想起しちゃうってことか?
(ラブドール漫画のほうはどういう表現になるのかわからないのでかけない)
「俺、ふともも好きやねん!チャイナドレスとかめっちゃ好きだったわ~」
異性と仲良くなり、付き合いを深め、人間的な信頼関係を築き、「この男は私を傷付けることはしない」という確信が得られて、初めて性的な欲求を持つことを開示することが許される、らしい。
うーん、ジャニーズのアイドルとファンの女性は「仲良くなり、付き合いを深め」ということはできないよな。
芸能人だから「この男は私を傷付けることはしない」という確信があるのは何となく想像ができる。
でもやっぱただイケ(略
※ただしイケメンに限るを真に受けちゃってる童貞さんかな?世の中フツメン同士で好き合って発情して子作りしてんぞ
「※ただしイケメンに限る」「ATMとして見てる」みたいなのは一般には定着してない非モテだけが多用するミームだろ
彼女持ちとか、ふつうのやつで「※ただしイケメンに限る」なんて使ってるやつ見たこと無いわ
一般に「※ただしイケメンに限る」ってのが一般に定着してると思ってるんか?
「※ただしイケメンに限る」とか「男はATM」みたいなのを多用してるのは明らかに非モテだろ
モテるために頑張って「暑いですか」って聞いてくる男がいたら、場合によってはちょっと可愛いと思っちゃうかも。ただしイケメンに限る
前にも似たような事書いたがお前の置かれてる状況は男にとっての恋愛の「普通」でありスタート地点だからな。
自称悲惨な増田はいっぱいいるけど男と女で交際経験の有無が明らかに差あるのわかるだろ。女ってだけで圧倒的に恋愛強者なの
お前はその圧倒的なゲタを履いてなお男の通常レベルにしか成れなかっただけなんだよ。若い女がチートなのはマジ。チート使ったのに才能なくて一般プレイヤーと互角の勝負してるの。滅茶苦茶にゲタ履かせてもらってなお落ちた医学部現役受験の男みたいなもん。
それを踏まえた上で増田の投稿を見ると、非モテがよく言う「※ただしイケメンに限る」をハチャメチャに膨らませただけの文章であることがわかる
恐怖などの不幸にレアなハッピーをくっつけてエンターテイメントを作る。
でもそれだけじゃ足らなくて、そこに安全を加えて初めて受け入れられる、って訳か。たしかにその通りだ。
しかし恐怖を求める、ハッピーを求める、そういう欲求があること自体は否定できないのではないか。
抱き合わせ的に付いてくる不幸を避けたいって欲求と天秤に掛けられて、ときに却下される、ってだけで。あと、イケメン性を引き立たせる不幸シチュエーションにも人気の差異があるよね。イケメンだけど精神が子ども、イケメンだけど借金が多い。そういう種類のものは強引な目上よりも数が少ないように思える。「不幸であれば内容問わずそれを求めている」線はないが、まあすくなくとも元増田の言うように「権力上位者の好意は苦痛」は文字通りの意味ではウソだろって疑いは消えない。
「ただし安全に限る」はよい着目点に思える。
しかし、安全が確保された状況では、40代男性上司に食事に誘われるのが加害か否かは、イケメン性が決定するってことだ。「ただしイケメンに限る」は解錠するための唯一の鍵じゃない。2本目の鍵だった。